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「セレナ、ここは一旦引くぞ……逃げるんだ、間違っても戦おうとするな……!」
イグは小さな声でセレナに指示を送りながら、背中の銃に手をかける。その動きを察したかのように、白王はセレナの目には追えない速さでイグに肉薄した。
「…ちっ!」
イグは銃を手に取るのを諦め、腰から銀色のナイフを抜き放つ。
白王の巨大な爪がイグの命を刈り取ろうと迫る。
イグはナイフを器用に扱い、その攻撃を真っ向から受けるのではなく、いなすように受け流す。
鋭い爪と銀の刃がぶつかり合い、火花を散らす。何度か同じやり取りが繰り返された後、白王が大きく上に振りかぶった一撃を、イグはナイフの平らな面で受け止めた。しかし、受け流すことは叶わず、その強大な力に耐えきれず片膝をつく。
白王の圧倒的な力に、聖銀製のナイフがギチギチと悲鳴をあげている。
(クソ、聖銀製のはずなんだがな…)
(それに加えて、この速さとチカラ……流石は聖戦の生き残りか!)
イグがどう反撃するか思案していると、横から大量の蝙蝠が現れ白王を強襲する。だが、白王は容易く蝙蝠の群れを躱し、セレナの方をじっと見つめる。
その瞬間、白王は身を低くし、標的をセレナに移す。
セレナは次こそはと身構える。目に血液を集中させる。眼の筋肉を活性化させ、動体視力を極限まで高める。
最初の時とは違い、今回はその姿をはっきりと捉え、攻撃に備える。白王は地面から岩を掴み、セレナの顔にめがけて投擲する。セレナは顔を逸らし投擲を避ける。
「そいつから目を逸らすな!」
イグの大声が響くが、警告は手遅れだった。
白王の腕がセレナの腹を貫く。
セレナも負けじと爪を立て白王を攻撃するが、表面を傷つけるだけで致命傷には届かない。
爆音と共に白王の背中にイグが発砲した弾が当たる。続けて、二発、三発と撃ち込むが白王は即座に腕を抜き躱す。
「セレナ大丈夫か?」
「はい…。ただ、私の攻撃じゃとても…。」
イグは身を案じつつ、白王の機微を見逃さない。セレナは腹の傷を治していく。
何を考えているか分からない赤い瞳がイグとセレナを見つめている。
「師匠、蝙蝠で視界を塞いで逃げますか?」
「視界は塞げても、奴にはまだ嗅覚が残っている。その場は凌ても必ず追ってくるぞ。それに、そろそろ……。」
二人が話をしていると、少し離れた場所から人の声が聞こえてきた。
「……!。おい!銃声が聞こえたのはこっちか!」
「街灯が折られているぞ!警戒を怠るな!」
何人ものエクソシストが戦闘音や周囲の異変に気づき、近づく音が聞こえる。
「ほらな、教会のお出ましだ。どうだ白王、ここらで手打ちにしないか?流石のお前でも、全員倒すのは骨が折れるだろう?」
イグは新しい煙草を取り出し、火をつける。
白王がマンホールの蓋を放り投げ、下水道を通って行った。
「ふぅ…、間一髪だったな。」
「はい。でも、師匠も無事でよかったです。」
煙を吐きながらイグは頷く。
「そろそろお暇するか。」
二人は疲労を滲ませながら、ホテルへの道を歩きだした。
*
—翌朝。セレナは眠い目を擦りながら、昨夜の戦いの疲れをひきずってベッドから起き上がった。リビングへ向かうと、イグがコーヒーを片手に誰かと電話しているのが見える。
イグは電話を切り、セレナに温かい笑みを向けた。
「おはよう、よく眠れたか?ルームサービスで朝食を用意している。温かいうちに一緒に食べよう。」
机の上に並べられた朝食を顎で指し、イグが勧める。
「すみません…師匠。朝食の準備までしていただいて…。」
「気にするな。昨夜は傷の修復に多くの体力を使ったのだろう。さぁ、食べよう。」
朝食に手をつけながら、セレナはイグに問いかける。
「師匠、昨夜の人狼って…」
「あぁ、『白王』のことか。」
イグは朝食を頬張りながら答える。
「昨日も言ったが奴は人狼の群れのリーダー的個体でな。人狼がいくら高い身体能力を誇っても単独では、エクソシストの部隊一つに簡単に狩られる。だが、奴が指示した人狼の群れは、聖戦の際に最悪の活躍をした。闇夜に紛れて襲い、生きて捉え拷問にかけ情報を得る。そうして、パニックになって一人になった奴から死んでいったよ。」
「師匠は白王と戦ったことあるのですか?」
「あぁ、聖戦の時に二、三回な…。だが、討伐したのは一体だけだ。逃げる判断ができる理性も白王の武器の一つだ。」
「その時はどうやって戦ったんですか?」
「囲って、体力を削って、銃で頭を粉々にする。相手がシンプルな能力で汎用性がある分、こちらも単純な戦術しか立てることができなかった。」
朝食を食べ終え、イグは煙草をふかしながら言う。
「昨日のうちに、カミーユがアンドレ司祭とルネ司祭との話をする時間を設けてくれた。今から出て、二人に話を聞きに行こう。聞きたいことも沢山あるしな……。」
「聞きたいこと、ですか?」
「あぁ、通常の人狼であれば司祭が二人もいれば逃すことはない。ならば、二人が目撃したのは白王と考えるのが自然だ。すると、なぜ二人はその事を教会に報告していない…?」
イグは不敵な笑みを浮かべ、問いかける。
「奇妙だと思わないか?」
そのすぐ後、イグ達の元にルネ司祭の訃報が知らされた。