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鉄道に揺られ、アルプス山脈の白い峰が近づいてきた頃、セレナがイグに問いかけた。


「師匠、今回の依頼は人狼狩りと聞いたんですけど……人狼って、あの人狼ですか?」


「あぁ、そうだ。」

イグは短く肯定し、さらに言葉を重ねる。

「人狼、狼人間、ワーウルフ、狼憑き……呼び名はいくつもあるが、一般には人狼が通りがいいな。さて、セレナ、人狼が使う魔術はなんだ?」


突然の問いかけに、セレナは少し慌てながら答える。

「え、えっと……人間から人狼への可逆変身……高い再生能力……鋭い五感……とかですか?」


「正解だ。勉強を怠ってないようだな。」

イグが口元を緩めると、セレナは照れくさそうに視線を落としたが、どこか嬉しそうでもあった。


「だがな、人狼の力を『単純』だとは思うなよ。そう言う奴がいたら、そいつは人狼を知らん愚か者だ。」

イグはポケットから煙草の箱を取り出し、一本をくわえる。


「人狼の単純な力こそが、最も厄介なんだ。複雑な魔術ではなく、本能のままに襲いかかる――それが人間にとって最も原始的な恐怖となる。どんな巧妙な罠よりも、人間を絶望させるのはあの暴力だ。」


そう語りながら、イグはライターを取り出して火を点けようとする。


「……あっ、ここ禁煙ですよ!」


セレナに慌てて注意され、口にくわえた煙草をそのまま抜き取られてしまった。セレナは席の少し後ろにある”NO SMOKING”を指さしていた。


不機嫌そうに窓枠に肘をつき、頬杖をつく。


「師匠って、たまに子供みたいに拗ねますよね。いい大人なんだから、その拗ね方はやめた方がいいですよ。」


「……セレナはたまにキツいことを言うな。それと、まだ20代でそんなことを言われる年齢じゃない。」


「えぇ、20代なんですか! 顔と口調でもっと上かと…」


「老け顔で悪かったな……それと口調は――」


イグの意識がふと遠のく。



教会の一室。まだ少年の頃のイグが分厚い本をめくっていた。後ろから、白髪をオールバックにした神父が声をかける。


『イグ、また聖歌から逃げ出したのか?音痴でも、頑張る姿勢が大事だぞ』


『音痴じゃねぇ! あんたはいつも一言多いんだよ!』

本を閉じてイグがムッと振り向く。

『それに神様に祈るだけなら、歌わなくてもいいだろ!』


神父は肩をすくめ、柔らかい笑みを浮かべる。

『またそうやって……祈る手段が増えるのはいいことだろ?』


小言にうんざりした顔を見せながらも、イグの口元には小さな笑みが浮かんでいた。



「……師匠、師匠?」


セレナの声が遠い記憶を断ち切った。

イグはハッと我に返る。


セレナが心配そうにこちらを見つめている。

イグは「大丈夫だ」と言うように片手を軽く掲げ、言葉を続けた。


「話を戻すが、今回の人狼は聖戦を生き抜いた歴戦の猛者だ。先ほど述べた本能に加え…高い理性と高度な戦術を持っている。」

「……強敵だぞ。」


『聖戦』という単語を聞いたセレナは、目を伏せ、何かを考え込むように沈黙した。


窓の外、白く輝くアルプスの峰々は、いつの間にか黒い雲に覆われ始めていた。



フランスに到着後、二人はホテルに荷物を置き今後の計画を話し合った。


「標的はヴァンセンヌの森周辺で、これまでに百人以上を殺害している。被害者の多くは顔や喉を食い破られていた。」


セレナは息を呑む。

「…百人ですか。すごい数ですね。」


「ネット上でも様々な憶測が飛んでいる。

『人型の犬が人間を食べている!』、『毛むくじゃらの腕が喉を裂いていた!』それに『吸血鬼だ!』なんて意見もあるぞ。」

セレナの方をチラリと見て、薄く笑った。


セレナは複雑そうな顔を浮かべる。


イグは立ち上がり、ジャケットを羽織る。

「行くぞ。現場を見て聞き込みもするぞ。」


ヴァンセンヌの森周辺は多くの報道陣と警察関係者でごった返していた。イグは群衆を一瞥し、苛立ちを隠さず舌打ちする。


「セレナ、俺の影に潜んでいてくれ。」


セレナは小さく頷き、イグの影へと身を沈める。


森の近くにいた警察官にイグが小声で告げた。

「教会の人間に人狼の件で来たと伝えてくれ。」


警察官は怪訝そうにイグを見たが、無線で連絡を取る。やがて現れたのは、一組の若い男女だ。


イグは顔を見た瞬間ため息をつく。

—見覚えのある姉弟。姉の名はエマ、弟はカミーユ。


見知った顔があり任務の話が早く進む一方で厄介さも倍増する。イグの胸に、面倒臭さがじわりと広がっていった。


エマはグレーの髪を襟足まで伸ばし、首元に沿って細くなっている。目は力強く信念を持ち、カソックを着る姿からは彼女の厳格さが見られた。


カミーユは前髪を上げた短髪だ。姉とは対照的に温和な雰囲気を醸し、近づく人が笑顔になるような様子だった。


「なんでよりによってあなたが来るの?フリーのエクソシストらしく田舎の怪物でも相手してない。」


カミーユが姉の言葉を慌てて遮る。

「お久しぶりです、イグさん!姉がすみません。あなたが教会を抜けたのが寂しくてこうなんです…」


「適当なこと言わないで、カミーユ!」


エマは鋭く弟を睨みつけると、イグに視線を戻した。


イグはそんな視線を無視してカミーユに話しかける。


「久しぶりだな、カミーユ。バフォメットを単独で仕留めたと聞いたぞ。この数年で急激に強くなったな。」


イグに褒められたカミーユは笑顔になり、イグとの再会を喜び、会話に花を咲かせた。


「……相変わらず、教会を軽んじていらっしゃる。」


エマの静かで冷たい声が、二人の会話を断ち切った。その声には怒気が含まれているが、感情的なものではなく、鋭い刃物のような厳しさがあった。


「カミーユ。あなたはイグという男を過大評価しすぎている。彼は、我々が守るべき神の教えを捨てた裏切り者よ。」


エマは弟をかばうように前に立つと、イグをまっすぐ見据えた。


「あなたの存在は、未熟な法務官たちの間に、規律を乱すリスクのある思想を蔓延させる。教会を抜けた時点で我々の敵になったも同然だわ。」


イグは、その言葉の奥に隠された、弟を案じる姉の感情が透けて見え、何も言い返さず煙草を取り出す。


「姉さん…」

カミーユは姉を心配そうに見つめる。


しばらくの沈黙の後、煙草に火をつけ二人を見る。


「……人狼の詳細を教えてくれるか。」

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