08 セオドア
「今日は本当に、申し訳ありませんでした。」
「だから気にしていませんって。そんなに謝らないで下さい、貴方が悪い訳じゃありませんから。」
目の前で頭を下げ続けるセオドアを前に、私はすっかり困ってしまっていた。
忘れ物をしたとか言ってカシスが引き返していってしまった今、この場には私とセオドアの二人だけである。そんな状況で幾度も謝られるのでさすがに居心地が悪い。
確かにカートレット侯爵邸で起こったことではあるが、悪いのは完全にロンとベンジャミンであり、彼は寧ろ友人に剣を向けてまで私達を庇ってくれたのだから。
「もう少し早く私が止めに入るべきでした…まさか公女殿下や公子殿下にあそこまでの無礼を働くとは。」
「いえ、最初に止めてくれようとした貴方を止めたのは私ですから。」
私達が乗ってきた王室の馬車まで辿り着き、少しの沈黙が訪れる。
私はカシスが戻ってこないと帰る訳にいかないし、セオドアだって客人を見送りに来たのだからこのタイミングで屋敷に戻る訳にはいかないだろう。
早く来てカシス、気まずくて堪らないわ。
流石にずっと沈黙している訳にもいかないので、何か話題を、と頭の中で思案を巡らせると、重要な見落としがあったことに気がついた。
「あの、カートレット侯爵令息。」
「セオドアとお呼び下さい。」
「…では、セオドア。申し訳ないのですが転移魔法を扱える魔法師はいますか?王宮まで転移させて欲しいのですが…」
侯爵邸に着くまでにあったことを話すと、セオドアは眉根を寄せた。
「…そうですか、そのようなことが…。公女殿下と公子殿下にお怪我がなくて何よりです。」
「私の事も気軽にリーチェと呼んでください。私だけ貴方を名前呼びでは恥ずかしいですわ。」
「ではリーチェ様、と。」
「敬称もいりませんが…まぁ良いです。兎に角、あの崖をもう一度通るのは怖いので、侯爵に伝えて貰えませんか?」
「…。」
指を顎に当て、少し考え込むような素振りを見せた後、セオドアは首を振って「申し訳ありません」と言った。
「…父に伝える事は出来ません。代わりに私が転移魔法でリーチェ様と公子殿下を無事に王宮にお送りすると約束します。」
「なぜお父上に伝えられないかは、まだ聞けませんのね。」
「はい。ですがいつか必ずお話し致します。」
「分かりました、待っています。…それはそうと、セオドアは転移魔法が使えるのですか?」
「まぁ、一応…」
転移魔法の扱う事ができる人間は希少だ。というのも、転移魔法は膨大な魔力を消耗するから。
基本的に、皇族や王族などの高貴な血筋に近ければ近いほど魔力量も多いとされている。だから殆どの平民は一定量の魔力を持っているものの、魔法を扱えるほどではない。
そしてフロスト王族が生まれついて氷の魔法を扱うことができるように、血筋ごとに異なる魔法の属性を持つことになる。
つまり、高貴な血が濃ければ濃いほど魔力量は多く、また何らかの属性を持つ可能歳が高くなる。
しかし当然、魔力量は多くても何の属性も持たないで生まれてくる者もいる。そのような者達が魔法師になる訳なのだが、セオドアのように王位継承権を持つほど身分が高いのに魔力にフロストの氷の属性を持たないのはかなり珍しい。
「…素晴らしいわ!」
「え」
セオドアは驚いたように目を丸くして此方を見た。
もしかしたらこれまで、氷の魔力を持っていない事を嘲笑されたりした事があったのかもしれない。
彼の父にはあるのに、なぜ彼には無いのかと。
でもそんなの関係ないのだ。何の属性も持たない分、転移魔法や、それから他の発明された色々な魔法を扱える可能性が秘められているのだから。
おそらくセオドアには、王家の血が濃く入った侯爵家の令息らしく、通常の魔法師とは比較にならない程の魔力量がある。もしかしたら、それを生かして彼だけの特別な魔法を開発する事だって出来るかもしれない。
「氷の力を持っていない事は恥ずべき事じゃありません。」
「…お言葉ですが、私は王位継承権をも持つほど王家に近い血筋なのです。それなのに氷の魔法が使えないのは…私が“出来損ない”だからなのです。」
「違います。属性が無いのは、何にも染まってないってことですから。これから何にだってなれるんですよ。」
そう言って笑いかけてはみたものの、彼はぽかんとした顔をして動かなくなってしまった。
あれ…偉そうに色々言い過ぎちゃったかな。
「…コホン、少し出しゃばった発言でしたね。ごめんなさい。」
「そんなことはありません。…初めて言われました。」
「初めて、ですか?」
「はい。私が氷の力を持っていないことを、そんな風に肯定的に話してくれたのは、リーチェ様が初めてです。周りの人は皆私が氷の力を持っていれば良かった、と言います。特に父は…、私が魔力に何の属性も持たないのを酷く悔しがっていました。」
「あら、私の父上もそうだけど、貴方のお父上だって大した氷の力はお持ちじゃなくてよ。よっぽど転移魔法が使えるセオドアの方が強いと思うわ。」
「はは、そうですか?今の言葉、父に聞かせてやりたいです。父は私だけじゃなく母のことも罵っていました。私が氷の魔力を持たずに生まれてきたのは母のせいだと。そのせいで母には苦労ばかりかけてしまいました。」
自分のコンプレックスと、それを罵る父と悲しむ母の話をするセオドアの瞳は酷く寂しそうだった。
酷い話だ、セオドアだって好きで氷の力を持たずに生まれてきた訳じゃ無いし、きっとそれは彼の母である侯爵夫人に問題があった訳でもない。
きっとカートレット侯爵が氷の力に拘る理由は、それが殆どフロスト王族の証と言っても過言ではないからなんだろう。
もしもセオドアが氷の力を持っていれば、より強い王位継承権を主張できるから、自分が望んでも手に入れる事ができなかった王位を息子に手に入れさせたいという欲望があるのかもしれない。
それでも、自分の思い通りに事が運ばないからといって、それを妻や息子に当たり散らすのはおかしな話だ。
侯爵邸に来てすぐの時に見た、あの人当たりが良さそうな笑顔を引っ叩いてやりたくなった。
「侯爵に制裁を下したくなったらいつでも言って下さいね。侯爵が腹痛に悩まされている時、私が侯爵邸のトイレの水を全て氷漬けにして差し上げますから。」
「ははは、それは父も参るでしょうが、私も母も困ってしまいますよ。」
「大丈夫よ、その時貴方と侯爵夫人には王宮に避難しててもらいますから。」
「では、有り難く。」
そう言って彼はまた笑った。
転移魔法の魔法陣を用意しますね、と言ってセオドアが魔法陣を準備し始めた頃、カシスの声が聞こえてきた。どうやらようやく戻ってきたようだ。
「すみません姉上、遅れてしまいました。」
「随分遅かったじゃない!忘れ物はちゃんとあったの?」
「はい、ついでに少しゴミ掃除もしてきましたので。」
「ゴミ?あぁ、魔法を使った時に二人が暴れて割れちゃったティーカップね?あんなの使用人に任せれば良いのに…なんて良い子なのかしら。」
「それはそうと、この魔法陣は転移魔法のものですよね?もしやカートレット令息が?」
セオドアが用意した大きな布に描かれた魔法陣を見てカシスが言った。
さすがカシス、私はどの魔法陣を見ても全部同じに見えるのに、カシスは一目見てそれが転移魔法の為のものだと分かったらしい。
「では、馬車の中にお入りください。王宮までお送り致します。」
私達が馬車の乗り込んだのを確認すると、セオドアは呪文を詠唱し始めた。
「セオドア、今日はありがとう!またいつか会いましょうね。」
私の声は果たしてセオドアに届いたのだろうか。彼が悪い人じゃない事は分かったし、出来ればシルベスター帝国に行くまでにもう一回くらい会えれば良いな。
急にふわふわした感覚になったと思うと、瞬きした次の瞬間には王宮の魔法部屋にある魔法陣の上だった。
「よし、帰ってきたわね!もう遅い時間だし、夕食は終わっちゃってるだろうから、一緒に私の部屋で夜食を食べない?」
軽く伸びをして後で馬車は使用人に片付けさせればいいか、と考えながらカシスにそう話しかけるが、返事がない。
不審に思ってカシスを見ると、少し不満そうな表情してそっぽを向いてしまっている。
「カシス?」
「姉上…いつの間にカートレット令息と親しくなったのですか。」
「えっ」
「あ、いや、別に…名前で呼んでいたので驚いただけですけど。」
やだ…もしかして嫉妬?セオドアにお姉ちゃんが取られちゃうかもしれない的な?!
「〜っなんて可愛いの!!」
「うわっ?!ちょ、姉上離れて下さい!」
「心配しなくても私の一番は貴方よ!!」
「だから別に気にしてませんってば!」