05 弟を救え②
最近、姉上が変だ。
急に部屋にやってきたと思ったら、お礼を言ってきたり。好きなものや嫌いなもの、趣味なんてどうでもいいような話題を振ってきたり。一度だって見せたことのないような笑顔を見せてくれたり。
これまで、僕と姉上の関係は希薄だった。
毎日の食事の時にだけ顔を合わせていたくらいで、用事がないと部屋に訪れることは絶対にない。
姉上は両親に愛を求めていた。
毎日飽きもせずにメイドを引っ叩いたり、駄々をこねたり、たくさんのドレスや宝石を買ったりして、何とか両親の興味を引こうとしていたように見える。
父上は僕達に興味はないし、母上は僕達を疎ましく思ってさえいるのだから、そんな二人から愛を得るなんて無理に決まっているのに。
無意味な行動をする姉上を、正直僕は冷めた目で見ていた。
あんな人達にばかり会いに行こうとするんじゃなくて、僕に会ってくれればいいのに。
僕がそんなことを思うのは、物心ついた時に一度だけ、姉上がやっとよたよたと歩くことのできるようになったようなばかりの僕の手をひいて、宮を抜け出し、美しい花畑のある丘に連れて行ったことがあるからだった。
「わたし、宮のていえんはだいきらいよ。でもここはきれいでしょう。」
宮を抜け出したことがばれ、父上から一言咎められたことから姉上はその後二度と僕をその花畑に連れ出してくれることはなかったけれど。
どうして姉上はあの時僕を花畑に連れて行ってくれたんだろうか。もしかしたら、両親は無理でも姉上からなら愛を得ることができるんじゃないか。
そんな期待があったからつい、散歩が好きだなんて言う姉上な、庭園に一緒に行こうなんて誘ってしまった。
昔庭園が嫌いだと言っていたし、まさか承諾されるとは思ってもいなかった。
予想外に、庭園が美しいと言って姉上はその青い瞳を輝かせた。花畑に連れて行ってくれた時のことを思い出して、胸の辺りが暖かくなった。
急に姉上は何かを見つけたかと思うと、僕達の出入は禁止されている母上の庭園に向かっていくから、あぁ結局姉上は両親に構ってもらいたいんだと落胆したが、どうやら違うようだった。
母上の庭園には、季節ごとに変わり種類が豊富な花々が植えられている本庭園とは違い、アンゲロニアの花だけが一年中咲き誇っているから、様相が大きく異なる。
使用人たちが話しているのを聞いただけだが、何でもアンゲロニアは母上の思い出の花なんだとか。
姉上はそんな母上の庭園でただ花を愛でて、母上がやってきても以前のように駆け寄ることはなく、大人しくすぐに僕と一緒にその場を後にした。
姉上は、頻繁に僕の元を訪れるようになった。
僕は公王となる為の授業を受けているように、姉上も淑女としての教養を身につける授業を受けていて忙しいはずなのに、何かと時間を作っては僕に会いにきてくれる。
「あら、乗馬の授業をしているの?私もやるわ!」
「こ、公女様?!」
「姉上、今は管弦の授業中では?」
「ヴァイオリンもピアノもつまらないわ。それよりもカシスといたいの!」
「何これ、帝王学?カシスはまだ十三歳なのにこんなことやってるの?!」
「はい、代々フロスト王族は公子様の年齢から帝王学を学び始める規則でして…」
「感心しちゃう、すごいわねカシス!」
「今私もちょうどマナーの授業中なの!一緒にやりましょうよ!」
「こ、困ります公女様!御年齢が違いますので進度が…」
「この後休憩なのでその時お会いしましょう、姉上。」
「ちぇ、しょうがないわね〜」
これまでのただ坦々と決められた授業をこなし、物を食べて寝るだけの生活が一気に色付いたような気がした。
気づけば僕は、授業中でも姉上が笑顔で部屋の扉を開けてくれることを望むようになっていた。
そんなある日のこと、カートレット侯爵家から茶会の誘いの手紙が届いた。
「カシス、それは何?」
僕の部屋のテラスで一緒に紅茶を飲んでいた姉上が、たった今届けられ僕の手元にあるそれを見て言った。
「カートレット侯爵家からの茶会の誘いの手紙です。姉上には届いていないのですか?」
「来てないわよ、そんなの。やだ、私だけ招待されてないの?」
姉上はいくらこれまで問題ばかり起こしていたと言っても、フロスト公国の公女であり、この国では母上の次に身分の高い女性だ。
それに大帝国として名高いシルベスター帝国の皇妃になる身でもあるから、けしてぞんざいに扱って良い身分ではない。
「カートレット侯爵家には令息しかいませんから、今回は令嬢のいない茶会なのでしょう。」
「なるほどね…、じゃあカシスもそのお茶会に行くの?」
「はい。簡単に断れる相手ではありませんから。」
これは前に執事長のジェームズが教えてくれたことだが、現カートレット侯爵は父上の弟…つまり王弟だと言う。
王位を狙っていたが、父上の圧倒的な力と人気の前になす術もなく、結局王族を除けば最も身分が高いと言われているカートレット侯爵令嬢と結婚し、侯爵となったのだとか。
このまま年を重ねれば僕が公太子となり王位を継ぐことになるだろうが、現状僕の他に王位継承権を持っているのは第一公女である姉上、そしてカートレット侯爵家の令息…セオドア・カートレットだ。
姉上は結婚が決まっているし、王位継承権は形式上まだ持っているものの王位を継ぐことはない。つまるところ、王位を継ぐ可能性があるのは僕とセオドアのみということだ。
兎に角、そんな身分の相手であるから、いくら公子と言っても、致し方ない事情がない場合以外は基本的に断れる誘いではないのだ。
「ふーん…そう。カートレット侯爵領へは馬車で行くの?」
「?はい。」
「そう…」
姉上は何か思案している様子だったが、少しして「決めた!」と言って立ち上がった。
真っ直ぐな白銀の髪がふわりと舞い、青い瞳は爛々と輝いている。
こんな様子の姉上は、基本的に碌なことを提案しない。
「そのお茶会、私も行くわ!」
ほら、やっぱり。
五日後の茶会で起こるであろう波乱の予感に、僕は眉根を押さえるのだった。