03 父
「何用だ、リー、チェ…」
此方を見た瞬間父が固まった。目を丸くして私を見続けている。
ふむ、これはリーチェは母親似なんだろうな。髪は白銀で瞳は青なので色彩は同じだが、顔立ちはかなり男らしく、良く言えば猛々しい、悪く言えばゴツいと評されるものだった。
男ならば良いが女がこの顔に似てしまえば少々悲惨なことになりかねないので、まだ会ったこともないが母に感謝である。
「…そんな格好でここまで来たのか。」
ようやく父が口を開いたかと思えば、額に手を当てため息をつきながらそんなことを言われた。
え?そんなあきれる?と思いつつも今の自分の格好を見下ろす。
レースがあしらわれ、胸元に桃色の紐リボンがついたシルクのワンピース。
…ではなく、これはもしかしたらパジャマか?焦っていたから気にしている余裕もなかったが、よく考えてみればワンピースで寝る人なんていない。
つまり、私はここまでパジャマ姿で彷徨きまくっていた、公女にしては品性がなさすぎるヤバい奴だということだ。
「公女の専属メイドは何をやっているんだ。ジェームズ、確かにお前には公女のすることに口を出すなとは言ったが限度を考えろ。」
「申し訳ありません、陛下。次からはそのように致します。」
父は執事が頭を下げるのを一瞥すると、もう一度私に視線を戻した。青い瞳はまるで氷のようで、ひやりと身が竦んだ。
「っ申し訳ありません、着替えて出直してきます。」
「その必要はない。手短に済ませろ。」
原作にもリーチェの父、ドウェイン・フロストはたった数行だが登場していた。
ドウェインは氷の魔力こそあまり強くはないが剣技に長けており、統治者としては優れていた。しかし反面家族との触れ合いはあまりなく、リーチェとの関係は希薄だった。
今の言葉もきっと仕事の時間をこれ以上削られたくないから早くしろ、ということなのだろう。
「分かりました、単刀直入に言います。キリアン・シルベスター皇太子殿下との婚約破棄をさせてください。」
すっと息を吸って一気に言い切った。父は案の定駄目だ、と即答をした。
「お前の我儘は幾度となく聞いてきたが、帝国との婚約破棄だけは認められん。」
リーチェがキリアンと婚約したのは彼女が十歳の時で、さっき鏡で見たところ今の私は十四、五歳ほどに見えた。リーチェは十七歳で結婚してシルベスター帝国に行ったから、本当にあと少ししか猶予がない。
「公国に残って魔法塔で魔法師として働きたいのです。公国内のどの家門との結婚でも構いません、シルベスター帝国に行くのだけは…」
「この婚約は大陸での我が国の立場をより固める為に必要なことだ。シルベスター帝国との同盟強化は欠かせない。私がこの婚約の締結の為にどれほど尽力したと思っている。」
「ですが、私は」
「聞く価値もない。下がれ。」
「っ私戦争にだって出ます!結婚しなくていいのなら、戦争に出て戦います。私の魔力なら大きな戦力になることは確かです!」
簡単に父が折れてくれないことは分かっていた。だが「戦争に行く」というほど必死な様子を見れば、破棄は難しくても少し先延ばしにはなるはずだ。ここまで頑なに嫌がる理由を、聞く耳を持ってくれるかもしれない。
今思えば、私は少し浮かれていたのだろう。
美しい容姿を手に入れ、輝かしい身分を手に入れ、家族だって新しくできた。
“私”は無理でも、“リーチェ”は愛される存在になるかもしれないと、心のどこかで思っていたのだ。
「言いたいことはそれだけか?」
父が私を見る目は変わらず冷たいままだった。
私はこの目に見覚えがある。“私”に何の関心も興味もない、“兄”と同じだ。
重い足を引き摺って執務室を出た。メイドたちがヒソヒソ話す声がやけによく聞こえた。
「やだ、まだパジャマで出歩いてるわ。」
「誰か注意してきたら?」
「やぁよ面倒臭い。絶対キレて怒鳴り散らすわ。」
「騒いで陛下と公妃様の関心を引きたいんでしょ。」
原作のリーチェがどうしてあんな性格になったのか、少しだけ分かったような気がした。この調子だと母からも冷たく接されているんだろうから。
“愛されたい”という気持ちは、痛いほど良く分かるもの。
その日の夜、夢を見た。
「おとうさま、おとうさま。」
白銀の髪を持った小さな少女が、執務室の扉を叩いていた。
「また来てるわ、公女様。」
「陛下は執務中でしょ?どうせ出てこないわ。」
「ちょっとくらい構ってあげればいいのに、さすがに可哀想になってくるわよ。」
少女は遂に扉の前で泣き、駄々を捏ね出した。公女付きのメイドらしい女が困ったように宥めるが、彼女は泣き止まない。
それはそうだ、もう何日も連続で会いに来ているのに、顔すら見られていないのだから。
「公女様、そろそろお立ちになって…っ、公王陛下!」
「!」
固く閉ざされていた執務室の扉が開き、ようやく待ちに待った父が現れ、少女は嬉しそうに父の手を掴んだ。
心底呆れたような表情をした父は、鬱陶しそうにその小さな手を振り払い、少女に言った。
「お前の価値が損なわれるだろう。二度とそのように喚くな。」
とても娘に向けたものとは思えない、冷たい声、冷たい視線。そんな父に、少女は何も言えなかった。
場面が切り替わり、美しい庭園が眼前に広がる。まだ行ったことはないはずだが、妙に鮮明な光景だ。
輝くような金髪に菫色の瞳を持つ、目の覚めるほど美しい女性が、メイドを一人だけ連れて散歩をしている。
「母上」
そこに先ほどより成長し、十歳ほどになった少女が現れた。少女の姿を視界に移し、思わず女性は日傘を落とす。
「貴女…どうして」
「娘が母に会いに来るのがそんなにおかしいですか?母上。」
少女が一歩近づくと、女性は一歩後退る。
「私、ずっと我慢していました。母上が会いたくないと言うから、ずっと…」
「やめて!!それ以上私に近付かないで!!」
少女の姿を見たくないというように、女性は目を覆ってしまった。
「私を母と呼ばないで…お願いよ…」
「…ごめんなさい。」
少女は謝り、その場を足早に立ち去った。自然と涙が頬を伝ったが、それに気付く者はいなかった。




