02 憑依
目を開けると、大理石の天井が目に入った。病院のベットの上にしては妙に身体に馴染んだ、ふかふかした肌触りを認識してから、一気に意識が覚醒する。
「あら、もうお目覚めですか、公女様。」
部屋に入ってきてから目を丸くした明るい茶髪の女性は、メイド服のような物を着ていて、その上明らかに顔立ちが日本人のそれではない。
今私がいる“部屋”もおかしい。多分私の家より広いし、ドレッサーやタンスなんかも巨大なだけでなく金の刺繍があしらわれていて高価そうだ。何なら私がさっき天井だと思ったのはベットの天蓋だったらしく、それでも高いなと思ったのに天井はさらにそれのずっと先にあった。
まぁとにかくとことん豪華な部屋にいる、ということである。
それにさっきこの女性は私のことをコウジョサマ、と言ったのだ。
「ねぇ、あの、」
「?何でしょうか。」
「…私って誰?名前は?」
「フロスト公国の第一公女殿下であられる、リーチェ・フロスト様でございますが…」
リーチェ・フロスト。
聞き覚えはないが見覚えのある名前だ。私は慌てて大きな鏡が備え付けてあるドレッサーの元へ走った。
【太陽に反射して光の粒子を浴びる白銀の髪は神々しく、顔立ちはまるで生きた女神像のようだ。しかし氷のように青い瞳は鋭くオフィーリアを睨みつけていた。彼女のこそ、リーチェ・フロストである。】
ある小説の一節が頭に浮かんできた。
そして鏡の中の私も、全くその通りの容姿をしている。この美貌を巧みに表現した文章に思わず感心したが、そんな場合ではない。
どうやら私は、生前読んでいた恋愛ファンタジー小説に登場する悪女に憑依してしまったらしい。
『薔薇の聖女様』
舞台は魔法や魔物が存在する異世界だ。国同士の戦争や紛争は度々あったが、比較的平和な世の中だった。しかし、ある時そんな世界を滅ぼそうとした闇魔法の強力な使い手が現れた。
それを薔薇のように赤く美しい髪を持った聖女のオフィーリアと、シルベスター帝国の皇帝であるキリアン・シルベスターが共に討ち取り、世界を救う。最終的に二人は国民に祝福されながら結ばれるというハッピーエンドだ。
リーチェ・フロストは絶世の美女だが稀代の悪女という設定だった。物語の序盤でキリアンと政略結婚したが、オフィーリアに熾烈な虐めを繰り返し、あろうことか彼の母である皇太后を殺害した上に、氷の魔法でシルベスター帝国を危険に晒した。
リーチェは激昂したキリアンに殺され、その生涯を終えるのだった。
「何でよりによって悪女なのよ…」
メイドが一瞬怪訝そうな顔をしたので、ずっと見られているのも居心地が悪いと思い、部屋の外に出てもらってから深くため息をついた。
確かに美人になりたい、家庭環境に恵まれたいとは願ったけどまさか悪女に憑依しちゃうなんて…。
でもきっとこれは神様がくれたチャンスなのだ。願った通り…いや、願った以上の美しさを手に入れた上、公国の公女という高い身分。
「せっかくの二度目の人生なのにまたすぐ死ぬなんて御免よ。絶対に生き残ってみせるわ。」
まずは生存戦略を練ろう。
紙とペンを取り出そうとして、机の引き出しを開けると綺麗な宝石のペンダントやらネックレスやらがじゃらじゃら出てきた。おまけにちょっと派手で小さめな宝箱のような外見をした小箱を開けると真珠がぎっしり。
そういえばリーチェは宝石とか綺麗な物が大好きで浪費家だったんだっけ…。何が死亡フラグになるか分からないし、原作のリーチェと同じ行動はなるべく控えよう。浪費に関しては問題ないかな、家庭環境上かなり倹約家な方だと思うし。
紙とペンを見つけ出し早速「浪費をしない」と書き込む。そして続けて「オフィーリアを虐めない」「キリアンの母を殺さない」と書いてみてから、ふと気になった。
リーチェはどうしてキリアンの母を殺したのだろうか。
オフィーリアを虐めていたのは、皆から愛され慕われる彼女が妬ましかったと作中で言及されているが、キリアンの母を殺した理由は明かされていないのだ。リーチェの性格から考えるとムカついたからだとかそういうのもあり得るが、ただそれだけの理由で皇太后を殺すような頭の弱いキャラクターではなかった気がする。
もしも何か致し方ない事情があって皇太后を殺したのだとすると詰みだ。私が知らない以上その状況になったら同じ行動を取らざるを得ないかもしれない。
すると、やはり死亡エンドを回避するのに一番良いのは「キリアンと結婚しない」ことだろう。
というわけで、私は執務室に向かうことにした。理由は単純、公王である父に会って直談判をするのだ。
原作によれば、リーチェがキリアンと結婚したのは帝国と公国との同盟強化の為であり、リーチェの氷の魔力とキリアンの天才的な剣技と身体能力を受け継いだ強い子供を作る為だという。
フロスト公国の王族は代々氷の魔力を持って生まれてくる。リーチェも例外ではなく、強い氷の魔法を扱うことができた。また、シルベスター帝国は別名“騎士の大帝国”と呼ばれており、皇族は人間離れした身体能力を持ち、剣にオーラを纏わせることができるのだという。
これまでもこのような“力”を強化させる為の結婚は幾度となく行われてきたらしいので、特に珍しいことではない。二つの力を持った強い子供など成功例はほとんどないらしいが。
部屋を出て執務室を探し回ったが広すぎるが故に全く見つからず、結局通りかかった年配の執事に案内をしてもらいようやく辿り着いた。
ここまで来る途中多くの使用人とすれ違ったが、皆ギョッとしたような顔で私を見たり、何かヒソヒソ話したりしていた。
こんな反応は慣れたものだが、なるほど美人でもこういう視線を受けることはあるらしい。
「…公女殿下、陛下から許可が下りました。」
よし、今回の父との交渉で私の未来が大きく左右されるのだ。
気合いを入れ直して、私は執務室に一歩足を踏み入れた。