16 結婚式
「ここに、お二人の結婚が成立した事を宣言致します。シルベスターの唯一神、アレスのお恵みがありますように。」
スタンドガラスが光を取り込み、美しく照らされる式場でぼんやりと神父の言葉を聴く。
隣には申し分なく美貌の男がいて、その人こそ私の夫となる人物だ。
サラサラの黒髪は夜闇を溶かし込んだようだし、対照的に白い肌には毛穴一つ見当たらない。赤い瞳は魅惑的だし、鍛えられ引き締まった身体も含め正直完璧な容姿だ。きっと道行く人の視線を集め、初めて見た者は数分は静止せずにはいられないだろう。
しかし、その時私は疲れ切っており、正直夫の顔がどうだとかそういうことを気にしている余裕は全く無かった。
というのも転移魔法での移動回数が半端なかったからである。
大陸の中央部にあるシルベスター帝国と、北部の更に北にあるようなフロスト公国はかなり距離がある上、転移魔法で移動できる距離は限られている為、公国では五回、帝国の領地に入ってからは十回も使用した。
体内にある魔力量が多ければ多いほど転移魔法での移動で体に負荷がかかってしまう。殆ど動いていなくても私の体力の消耗は必然と言えたが、まさかこれ程とは…。
「では次に、両者は誓いのキスを。」
少し霞んだ視界に、とんでもなく美しい顔が接近してきて、唇に触れるだけのキスが落とされる。あ、目がルビーみたい、なんて場違いな事を考えていた。
いくら疲れていたとしても、この時のキスをもっとしっかり記憶に焼き付けておくんだったと、私は後から後悔することになる。
だって、
「まさか初夜に来ないなんて有り得なくない…?」
今私は、与えられた皇妃用の寝室にある広く豪華なベッドの上で一人ぼっちである。
結婚式の日の夜、フロスト公国の慣例では夫婦は必ず初夜を迎える。それはシルベスター帝国でも共通の物だった筈だが…。
シルベスター帝国には神殿があり、神聖魔法を扱う聖職者達がいる。神聖魔法の内の一つである疲労回復魔法によってすっかり体力を回復し、意気込んで勝負下着なる物を身につけている自分が馬鹿みたいだ。
初夜に来ない夫も最悪だが、何より嫌なのはこの皇宮の空気感。私を見る視線が明らかに友好的なそれではない。
まだここに慣れていないマリーとルーナの代わりに水を取ってきてもらおうと声を掛けたら、思いっきり舌打ちをされたのには吃驚した。何故だか凄く嫌われている。
原作のリーチェもこんな扱いを受けていたんだろうか…、そりゃ怒りたくもなるし、実際リーチェの性格ならキレ散らかしただろう。
いくら他国から嫁いで来たって皇妃に向かってこの扱いはおかしい。私でも怒鳴りそうになったくらいだ。
けれど我慢だ。ここで使用人に罰を与えたり夫である皇帝に抗議したりしたら原作と同じ結末を辿る可能性が高くなってしまう。
何としても生き残るのだ、カシスやセオドア、ベルとまた会うと約束したのだから。
公国を出た時の事を思い出し、己を奮い立たせ再び生存戦略を確認することにした。
私がこのシルベスター帝国でする事は一つ。
とにかく無害アピールをすること!!
原作でリーチェは聖女オフィーリアを虐め、皇太后を殺し、シルベスター帝国民を危険に晒して最後はキリアンに殺される、完全な悪女として描かれている。
しかし正直“リーチェ”になってみて思った事だが、彼女が根っからの悪女だとはとても思えない。
両親に構われたいが為のメイド虐めだとか浪費だとか、私がされたような雑な扱いを受けた時に使用人に過ぎた罰を与えただとかはまだ納得できる。
オフィーリアを虐めたのは微妙な所だけど、弟を助けて欲しい、なんて事を態々“私”に干渉してまで頼むような人が、人殺しなんてするんだろうか。
しかもリーチェが殺したとされるとは皇太后…つまりリーチェの義母。両親からの愛に異常な執着をしていた彼女が義母殺しをするのはやっぱり考え難い。
もしかしたら、“リーチェ”は何かに嵌められたんじゃないだろうか。何者かがリーチェを貶めようと計略を練って、それに嵌まってしまったとか。お世辞にも頭が良いとは言えないリーチェなら有り得る話だ。
もしこの予想が当たっていたら、かなり困った事になる。原作でしたことが全て正真正銘リーチェによる物なら私がそれをしなければいい話だが、これだと話が別になってしまう。
私は計略に嵌ってはいけない。
普段怒りに耐えられず、皇宮で使用人を怒鳴りつけたり、罰を与えたり、おまけに強い氷の力を誇示したりしていたリーチェに罪を着せるのは簡単だっただろう。
ならばそれを難しくすればいい。
“あの皇妃に人殺しなんて出来るわけない”
誰もがそんな風に思うように振る舞えばいい。結論、無害アピールという事だ。
頭の弱い、ふわふわしたお姫様をアピールしよう。人どころか虫の一匹さえ殺せなさそうなか弱い女性を演じるのだ。
大丈夫、私なら出来る。前世ならまだしも今世はせっかくとんでもなく美人なのだから、それを利用させてもらおうではないか。
手始めに、次の日に皇帝に会いに行ってみる事にした。
原作で殺される相手だ、生殺与奪の権を握られていると言っても過言ではない。この人にこそ無害アピールを頑張らねば。
「あの、皇帝陛下に会いに来たのですが…」
マリーとルーナに頼んで皇帝がいるという執務室に何とか辿り着いた。
近くにいた執事に声を掛けてみると、彼は他の使用人のように私を邪険にする事なく、快く皇帝に取り次いでくれた。
「許可が下りましたので、どうぞお入りください、皇妃様。」
「え、ええ、ありがとう。」
皇妃様と呼ばれるのはどうも慣れないな…と思いつつ執務室に足を踏み入れると、皇帝…キリアン・シルベスターがいた。
彼は公務をしているようで、大量の書類を前に此方を見向きもしない。
…いや初夜来なかったくせにそれに関しては何も謝罪とかない訳?それどころか態度悪すぎない?
かなりイラッときたが、我慢だ、我慢。
早速私は作戦を開始した。
「皇帝陛下、リーチェ・フ…シルベスターです。式以来ですわね!へへ、もうフロストではないので、何だか変な気持ちです。」
そして極め付けにとびきりの笑顔を作った。
よしっ、あの天使の様に美しいリーチェの顔でこんな風に接せば完璧よ!
「此処には何の用だ。そんなくだらない事を言いに来ただけなら帰ってくれないか。」
「そんな事仰らないで下さい!私、皇帝陛下と仲良くなりたくて此処に来ましたの。」
「おい、アドルフ。皇妃を部屋に連れて行って差し上げろ。」
「無礼を承知で申し上げます、皇帝陛下、皇妃様を執務室から追い出すのは如何なものかと…」
「チッ」
「あっ、も、申し訳ありません!私ったら空気も読めずにこんな…、以後気をつけます。」
執拗すぎるのも良くない。取り敢えず今日は挨拶できただけでも良しとしよう。
目を潤ませながら謝り、サッと執務室から退散する。我ながら上出来だ。初手にしては随分上手くアピール出来た。
「リーチェ様、皇帝陛下とはどうでしたか?!」
「どうも何も…挨拶してちょっと話しただけよ。陛下はあまり私に興味がないみたい。」
「公女様…じゃなくて、皇妃様に興味がないだなんて、皇帝陛下は女性自体に興味が持てないお方なのでは?」
「リーチェ様は誰がなんと言おうとこの帝国一の美女ですもの!そんなお方が思いを寄せているんですもの、大丈夫ですよ、すぐに皇帝陛下も骨抜きになりますから!」
「ん?思いを寄せる?骨抜き?」
「え?だって皇帝陛下に一目惚れなさったから、皇宮についてまだ全然知らないのに一番にお会いなろうとしたんですよね?」
…何だか変な誤解を生んでしまっているようだが、逆に好都合かもしれない。
マリーやルーナなら、私が皇帝のことが好きだと思っていれば、今回の様に皇帝に会う為に色々協力してくれそうだ。作戦の為にも皇帝とは沢山関わらなきゃならない訳だし。
「ええ…そうね。やっぱり貴方達にはバレるものなのね。」
「もうっ、私達にかかればリーチェ様を見れば一目で分かりますよ〜!」
「このマリー、皇妃様の恋を全力で応援致します。」
「ルーナもです!!」
うーん、少し複雑な気分だけど、マリーもルーナも何だか楽しそうだし、これはこれで良いかな。




