第Ⅶ章:真名の夜明け
静かな夜。月は高く、雲は遠く。
その村の外れ、小さな祠の前に、凛は一人立っていた。
封印が解けた今でも、胸元にうずく何かがある。
それは恐れではない。言葉にできぬ違和感――まるで、世界が“我”を拒むような。
「……やはり、ここにいたか」
その声は、優しく、しかし凛の心をざわつかせた。
振り向くと、そこにいたのはセレナ・リュミエール――白の賢者にして、凛の母の姉。
「……そなたに、会う資格など――」
「ない!でも、話をさせてほしい。“凛”ではなく、お前の“真の名”を知る者として」
凛は小さく目を伏せた。
セレナはそっと懐から小さな銀の鏡を取り出す。
それは、赤子だった凛の“命名の刻”に用いた儀式の道具。
「お前の真名は――《リュミエール=ネブラ》。意味は“光と影の境に立つ者”。
凛は仮の名。封印のため、すべてを忘れさせた私が……勝手につけた名だった」
「……我は、“仮初”だったというのか」
「違う。“凛”という名に、私は願いを込めた。“凛として、歩めるように”と。
そして“リュミエール=ネブラ”は――世界が混濁に呑まれる時、その均衡を保つ“調停者”」
静かに、凛の目から一筋の涙がこぼれ落ちる。
「叔母上…それでも、我は、我であっていいのか」
セレナはそっと、娘の肩に手を置いた。
「その問いを許されるのは、お前だけだよ。“凛”でも“ネブラ”でもなく、“お前自身”が選ぶことだ」
その瞬間、凛の背に新たな魔紋が浮かぶ。
白と黒を束ねる“光と影の輪印”――それが、彼女の“真なる紋章”だった。