第一章「黒の魔女」(続き)
夜が落ちる。
小さな村の片隅、凛は静かに一人、丘の上に立っていた。
彼女の背には、裂けたマント。風に揺れて、まるで影そのもののように揺らめく。
「……また、我が力が、壊したか」
目を閉じると、思い出されるのは黒い残滓と、砕けた刻印の感触。
背中の《背鎖》が壊れてからというもの、凛の魔力は以前よりも“揺れて”いた。
制御しきれない衝動、溢れそうな力。
けれど、それは今までの黒い暴力とは違う、何か柔らかいもののような気もしていた。
「……なぜ、我は、壊すのに……癒してしまった」
そのとき、凛の足元に、小さな光が降った。
夜空に満ちる星ではない。
その光は彼女の指先に吸い込まれるように流れ込み、まるで“応える”ように胸元の刻印が淡く輝く。
胸元――心臓の真上に刻まれた、最後の封印。
それは彼女の“魔術の核”を封じる、最も強固な封印だった。
「……まだ……我には……すべての力があると、言うのか」
その声に、もはや棒読みの色はなかった。
ほんのかすかに、震えていた。
恐怖ではない。戸惑いと、希望。
“我”と呼び続けた自己の輪郭が、“わたし”へと形を変えようとしていた。
* * *
その夜、村に異変が起こった。
黒き獣が、森から現れたのだ。
魔の瘴気を纏い、触れるものすべてを腐らせる異形。
村人は逃げ惑った。誰もが叫んだ。
「魔女を呼べ!」
「凛を、凛を呼べ!」
彼女は現れた。
黒いマントを翻し、静かに獣の前に立った。
その瞬間、村の全員が息をのんだ。
マントの裾から覗いたのは、白のレースのスカート――
「……“我”ではない。今の“わたし”は――」
胸元の刻印が砕け、空気が震える。
黒き装束がほどけていき、彼女を包んでいた全ての黒が、光へと転じた。
まばゆい白のドレス。白銀の髪。
白ゴスロリ――それは、かつて一度も見せたことのない彼女の真の姿。
凛はゆっくりと手を掲げ、目の前の黒き獣に向けて、初めて“白魔術”を放った。
「――癒えよ、すべての呪い」
静かに放たれたその光は、獣の体を包み、黒い瘴気を焼き払い、そして穏やかな風へと溶けていった。
村人たちは立ち尽くした。
誰一人、声を上げられなかった。
その場に残ったのは、一人の少女だけ。
真っ白なドレスの裾を揺らし、そっと微笑んだ少女が、ただ、ぽつりと呟いた。
「……やっと、“わたし”を思い出した」