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マリーは渡された企画書を見て息を吐いた。
両親とシェリー、そしてフリーダが住む4人の家。
敷地内に別館を建てるとはいえ、貴族街から平民が行き来をしたらすぐに周りにはばれるだろう。
さらにフリーダが提示した別館は本館に負けず劣らずの屋敷を想定していた。
「…………いや、なんでよ」
隣から覗き込むラーゼンも、えぇ……と困惑を滲ませる。
別館の意味分かってるのかしら……と頭を抱えそうなマリーに苦笑している。
「正直いって、別館を作っていい事ないのよ。湯水のようにお金を使う人が、別館に当てる費用を計算して使える気がしないの。そうなったら最悪私が2箇所分見ないといけないでしょう? それか、信頼出来る使用人に任せるかだけれどレイモンドも丸め込まれそうだから……私の負担が増えるだけだわ。もういっその事本館に住んで欲しい……住んでもらいましょうか」
少し考えて言うマリーにラーゼンが、え? と首を傾げる。
机に座ったままのラーゼンの膝を叩いて行儀が悪いわよと下ろすと、今度はマリーが座っている椅子に座って膝にマリーを乗せた。
「……ラーゼン?」
「で、どうして本館に?」
「あ、ああ……えーと、平民とはいえ元貴族ですから礼儀作法はしっかりしていると思うのよ。ならメイドとして働いてもらえば良いのでは無い? ご家族の方も。まぁ、面接をして適正を調べるのは大前提だけれども」
「本心は?」
「働いて近くにいるなら無駄なお金を使わなくてもいいかしら。馬鹿な考えが浮かぶことも無いし何より別館を建てたとしてそこから平民が仕事に向かうのはかなり難しいわ。貴族街と平民がいる場所は遠いもの。毎回伯爵家の馬車を使う訳にはいかないし、すぐにでも平民を囲っているとバレるわね。そうなると生活費は一体どこから? 第2夫人になってからならわかるけれどそれまでどう生活する気かしら。勿論3年間伯爵家が出します、なんてしないわ」
寄りかかりながらツラツラ話すマリーを抱き締めて頭を擦り寄せながら聞くラーゼン。
当たり前に浮ぶ様々な問題を、目先の幸福しか考えないフリーダにマリーは毎回頭を悩ませる。
今回は、ドレスや宝石等の金額を遥かに超える内容だ。建物だ。
「…………まあ、現状を聞いたら旦那様も考えを改め……る、かしら」
うーん……と、悩むマリーを労わるように撫でるラーゼンについ甘えてしまう。
最初は生活も安定するし、小説の死亡フラグも折って伯爵夫人として生涯お金の心配なく暮らせると思っていたのに、ストレスと胃痛で死にそうだわとため息を吐く。
「…………離縁した方がずっと楽だったかもしれないわね」
うーん……と悩むマリーを見るラーゼン。
そしてにこやかに笑った。
「婚姻してるなら今のまま、離縁するならマリーは俺の家にくるから、生活は保証するよ?」
「……離縁してからもずっと一緒にいてくれるの?」
「勿論」
「ふふ……じゃあ、やっぱりこれ、頑張らなきゃ」
そう言って目線を向けたのはお菓子屋さんの企画書だった。
マリー個人で立ち上がるので、離縁してもマリーの個人資産になる。
開業準備は全て実家から持ってきたマリーが個人で使えるお金を利用するから伯爵家からは一銭も出さない。
だから、なんの憂いもないのだ。
これは有言実行される。
お茶会でマリーが自ら作った数種類のお菓子を振る舞い興味を引く。
この世界にはない甘味に夫人や令嬢、そして小さな子供は食い付いた。
甘い為、食べ過ぎは太る原因になるし虫歯も危ないと伝える事も忘れない。
食べて健康被害が出たと言われたら困るのだ。
だが、これを繰り返す事でクチコミも広がりマリーがお茶会に呼ばれる事も増えた。
「本当に美味しいわ」
「凄いわ、このスイーツという……お菓子」
「私、初めて食べました……お噂は聞いていたけれど……とても美味しい」
ご新規様が3名。
呼ばれたお茶会で出したのはバナナとココアを使ったパウンドケーキだった。
混ぜて焼くだけの簡単ケーキも、ここでは驚かれるお菓子だ。
お茶会に持ち込むお菓子は1品だけ。
どれもこれもと見せず、まだ有るのですよと仄めかす。
レシピを聞かれることもあるが、それは口を閉ざして試作中ですのでと誤魔化した。
これは商品化するのでレシピ公開は絶対しない。
こうして社交界でお菓子ブームが広がり始め、簡単に手に入れたいわと数人の夫人が声を上げだした。
それにマリーは笑う。今が売り込み時期だ。
「実は……皆様が喜んでくださるのでお菓子屋さんを作ろうかと思っていますの。焼き菓子を中心に最初は始めようかなと思いまして」
星形のクッキーを指先でつまんでにこやかに笑った。
出しているのはプレーンクッキー。
だが、販売にはチョコチップやマーブル、抹茶など様々な味を用意している。
クッキー以外にもパウンドケーキやフィナンシェ、マドレーヌ、マフィンを用意していている。
種類は少ないが、様々な味を用意していて数は多い。
一気に商品を増やすのではなく、こじんまりとマリー個人店を開始するのだ。
「まぁ! それは本当に?! いつから始まるのかしら!!」
「来月末にはオープン予定なのです。是非皆様も見に来てくださいね」
「勿論行くわ!」
「嬉しいお知らせね! 皆様にも教えてあげなくちゃ!」
きゃあきゃあ! と喜ぶ声が発せられてマリーは満足そうに笑った。
こうして、来月末には店がオープンする。
企画書を作ってから4ヶ月後の事だった。
料理人は雇っていない。
実はこの世界、様々な機材制作に発達している世界で、前の世界のように設定さえすればクッキー等を全自動で作ってくれるのだ。
この設定は購入者がするので、レシピを隠したい人も料理人を雇わずに作れるので、レシピが他に流れる心配もない。
マリーはお金に物を言わせて準備をしたのだが、勿論ここでは話題に出さなかった。