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「…………素晴らしい犬っぷりだったわ。なにあの癒し効果抜群のラーゼンは」
その日の夜、マリーは自室のソファに座って熱い息を吐き出した。
クッキーを欲しがるラーゼン。
プリンを食べて初めての旨みの遭遇に身悶えるラーゼン。
甘いお菓子にストレートティの相性抜群を知って目を見開くラーゼン。
全てが獣化の姿でそれをするから、愛らしさが爆発してマリーの撫でる手が止まらなかった。
3ヶ月の疲れが一気に癒された瞬間である。
「……はぁ、アニマルセラピーは最高すぎるわ」
ソファにパタリと倒れたマリー。
同時刻、フリーダはシェリーに癒されていた。
平民には少し良い家ではあるが、伯爵がいるにはこじんまりとしていて質素。
その一室で、フリーダはシェリーを抱き締めていた。
マリーの言った子を宿すのは3年を待てと言われているし、フリーダも出来るなら愛する人との子供を婚外子にはしたくない。
婚外子には戸籍が作られないから、惨めな人生を送らせなくてはならない。作るなら第2夫人になってから。
それはフリーダもシェリーも分かっていることだ。
だが、愛し合う2人の行動の制限はどうしても難しいのだ。
避妊薬を購入して、2人は今まで通りの生活を続けることになる。
「…………はぁ、3年。長いですね」
「ああ、本当に」
「不妊だと思われる期間が3年だってわかっているんですけど……不安です。私だけだったのに、今では奥様がいますから」
「大丈夫だ! 前にも言っただろう? 夫婦に愛はないんだ。俺が愛してるのはシェリーだけだよ」
「わかっています! あなたを信じているもの。でも、不安な気持ちはどう頑張っても止めようがなくて……」
「……そうだよな……せめて別館を作って近くにシェリーを住まわすことは……」
「えっ……別館……?」
2人は相変わらず盛り上がっている。
付き合い出してから数年経つというのに、その熱量は一向に冷めることはない。
むしろマリーという存在が障害になって、更に燃え上がっている。
こうして、愛に全勢力を注ぐフリーダは、またもやマリーを激怒させる企画書を作るのだった。
「………………よし、いいかしら」
初めてプリンとクッキーを作った日から2週間が経過した。
試作品としてその後も様々な焼き菓子等を作っては料理人を唸らせていたマリー。
ふらりと来てはマリーを癒してお菓子をねだるラーゼンもまるで飼い犬かのように寛いでいる。
マリーの個人資産で部屋にラーゼン用のひざ掛けやクッションなどが増えているのだが、フリーダが気付くことは一切なかった。
自分とシェリー、そして伯爵家の事しか興味が無いのか甘味を作っている事もラーゼンと交流している事も、更にはお菓子の事業を立ち上げようとしていることすら気づいていない。
まったくマリーに興味が無いのた。
「マリー、話がある」
「はい、なんでしょうか」
お菓子の事業は、勿論お菓子屋さんである。
最初は焼き菓子を中心に、いずれは洋菓子和菓子全てを網羅したいと思っているマリーは焼き菓子屋さんを開業する。
その為に、商品の決定をまずは……と手掛けていた時にノックと共に入ってきたフリーダ。
返事を待つことも無くズカズカと入ってきたフリーダは、机にバン! と企画書を出てきた。
マリーはそれに視線を向けてからフリーダを見る。
「……これは?」
「シェリーとその両親に別邸を用意したい。その為に、本邸から少し離れた場所に屋敷を建てたいんだ。第2夫人となったら必要になるから構わないだろう」
「結婚してそろそろ4ヶ月となる時期に別館をたてるなど周りに愛人を囲いますよと言っているようなものですけど、それはいいのですか?」
立派な茶色い机に座り心地の良い椅子。
そこに座るマリーの足元にはラーゼンが獣化して丸くなっている。
フリーダからは見えない位置にいて、尻尾をくるりとマリーの足に絡めた。
「……マリー、シェリーが君の存在を不安がっているんだ」
「離縁します?」
「しない!」
「なら、3年頑張ってくださいとしか私からはなんとも。ほぼご一緒にいますでしょ? 旦那様が行き来していますもの。それでもご不満? どうしても別宅が欲しいというのなら反対はしませんし、金額も応相談で建てられない事もありませんよ。ただ、旦那様の評価が下がるのは確実なのでもう一度考えてみた方がよろしいかと思います」
スリスリ……と足元で擦り寄る。
大きな頭でグリグリしてくるラーゼンの頭をこっそり触ると、甘噛みされた。
それにまるっきり気付いていないフリーダは悩みに悩みながらも、もう一度検討すると言って部屋を出て行った。
マリーはため息を吐き出して呆れる。
「……今の時期に別館……せめて2年待てないのかしら」
「2年待てたら対外的には大丈夫だよね」
「ええ、良い事ではありませんが。2年子が出来ず悩んで愛人を考える……というのも時期的にはおかしくありません。3年たってから第2夫人を探すよりも、婚姻後2年が経ち探し出して、更に1年経過したあとすぐに第2夫人にとする方の方が多いですから」
「人間族は面倒だね」
「無駄に血を重んじるからです」
フリーダが出ていってから獣化を解いたラーゼンは、テーブルに尻を乗せてマリーに話しかける。
フサフサの尻尾は相変わらずマリーの腕に絡まっていて、その尻尾に手を沈ませる。
このふわもこの感触が至福だし、優しいレモンのような香りがするのだ。
なにこれ、幸せ……と思い、思わず顔を埋めると頭を撫でられた。
「それにしても別館かぁ。マリーも別館に住めたらいいのにね」
「……なぜ?」
「それなら交流相手として俺も居座れたのにな」
「ふふ……今でも机の下に居座っているのに?」
「それもいいけど、マリーを抱き締めてゆっくりする時間が欲しいじゃん?」
キャスターの着いた椅子を引っ張っぱり動かしてラーゼン前に来たマリー。
背もたれに手をついて腕の中に閉じ込めたラーゼンは目を細めて笑う。
「……それ以上も、したいでしょ?」
「ラーゼン……」
窓からするりと入り込むラーゼンは、甘味を食べてマリーの足元で丸くなるばかりだった。
だから、ちょっとびっくりした。
まさか、そんな事を言うなんてと。
「……あれ、もしかして意外だった?」
「ええ……そんな雰囲気なかったし」
「昼間から襲っていいならするよ?」
「だめ」
顔面をペチと叩いたマリーにラーゼンはクスクス笑った。