第5章 言えなかった想いは、音にして
Scene:文化祭前夜/音でつながる想い
体育館ステージ。
リハーサル後の静まり返った会場に、真帆が一人残っていた。
客席に誰もいないこの時間だけが、落ち着ける。
トランペットを取り出して、吹く。
それは、文化祭用にアレンジした特別な曲――《Re:light》。
(早矢、見てくれるかな)
伝えたくて、伝えられなかったこと。
今なら、音でなら届く気がする。
“好きだった”とか、“今も好き”とか、そんな言葉を超えて、ただ、早矢に“聴いてほしい”音。それがすべて。高く、伸びやかに、音が体育館に広がっていく。
演奏を終えると、どこからか拍手が聞こえた。
振り返ると、凌が立っていた。
「……いい音、だったな」
「びっくりした。……いつからいたの」
「ずっと。お前が誰に向けて吹いてんのか、なんとなくわかったから」
真帆は照れくさそうに目をそらす。
「……届くといいね、沖縄まで」
「届くだろ。お前の音、まっすぐだから」
しばらく、二人で黙ってステージを見つめた。
音の余韻だけが、まだそこに残っている気がした。
Scene:文化祭当日/体育館ステージ
ステージのライトが真帆を照らしている。
客席のざわめきが静まり、楽器の準備をする音だけが響く。
真帆は深呼吸し、唇をマウスピースに添えた。
(あのときと同じ)
あの日、誰もいない屋上で吹いた音。
あの日、星空に響かせた音。
そして今日――この場所で、たくさんの人の前で。
でも、届けたいのはひとり。
早矢。あなただけに、届けばいい。
音が、空気を震わせて広がっていく。伸びやかで、どこか切ない旋律。だけど、芯が強くて、まっすぐだった。
ステージの中央で、真帆はひとりきり。けれど、その音には迷いがなかった。
心からの「ありがとう」と「好きだった」
そして、「私は、これからも音で生きていく」という宣言。
音が止み、拍手が起こる。
真帆は、そっと一礼してステージを降りた。
Scene:体育館最後列/静かに見守る影
客席の一番後ろ、立ち見の中にひっそり紛れていたキャップ姿の少女が、そっと拍手していた。
早矢だった。
誰にも気づかれないように、体育館の端に立ち、息を潜めるように真帆の演奏を聴いていた。
音が鳴った瞬間、心臓が跳ねた。懐かしくて、でも新しくて、
まるで真帆が遠くから“自分だけ”に話しかけてきたようだった。
(……届いたよ、ちゃんと)
だけど――会えば、言いたくなってしまう。
「また一緒にいたい」って。
だから、話す前に去る。感情に溺れる前に。
拍手の中、誰にも見つからないように、早矢はそっと体育館を後にした。
Scene:文化祭後/凌の一言
演奏を終えたあとの片付け中。真帆はホールの隅で楽器を拭いていた。
そこに、凌が近づいてくる。
「おつかれ」
「ありがと。……なんか、無心だった」
「……いい音だったよ。まじで、届いてた」
「え?」
凌は、ポケットに手を突っ込みながら、目線を真帆と合わせなかった。
「……いたよ。早矢。最後列で、ずっと聴いてた」
真帆は動きを止めた。
「……なんで教えてくれなかったの」
「今言ってるじゃん。あいつ、来てくれてたよ。黙ってだけど。たぶん……お前が“変わってない”って、確認したかったんだと思う」
「……そっか」
真帆はタオルで静かにトランペットを拭きながら、目を伏せた。
でも、その目元はほんの少し、笑っていた。
「……変わってないよ。むしろ、強くなったと思ってる」
「うん。お前はもう、大丈夫だ」
凌はそれだけ言って、静かにその場を去っていった。
体育館の窓から差し込む夕日が、真帆の横顔を優しく照らしていた。