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第2章 進化のきっかけは、揺らぎだった

 Scene:生物の授業/系統分類の黒板の前で

 教室の前の黒板には、枝分かれした「系統樹」の図が描かれていた。

 魚類から両生類、爬虫類、哺乳類……それぞれの線が繋がりながら、ゆっくりと形を変えていく。

 夏坂先生は、チョークを持った手を止め、教室をぐるりと見渡した。

「いいか、“系統分類”ってのは、見た目の似てる順に並べてるわけじゃない。

 “どこから枝分かれしてきたか”――つまり“血縁”の話だ」

 チョークの先が、ヒトとチンパンジーの分かれ目を指す。

「たとえば、ライオンとヒト。まるで違うように見えても、たどっていけば“いとこ”みたいなもんだ。違っていても、どこかでつながってる。そういうことだ」

 その言葉に目を見開き、手元のノートをそっと開き、ペンを走らせる女子がいた。

 -三ツ石真帆。

「見た目じゃなく、つながりで見る」

「違っていても、どこかでつながってる」

「そしてな――」

 夏坂先生の声に、真帆の手がふと止まる。

「大事なのは、我々は今も“進化の途中”にいるってことだ。完成形じゃない。だからこそ悩むし、間違えるし、迷う。でもそれこそが、“生きている証拠”だ」

 真帆は目を上げ、黒板の図を見つめた。

 枝分かれのその先――「今」がある。でも、それはまだ“途中”なのだ。

(未完成な系統樹の、先っぽ。どこに向かうかは、誰にも決まっていない。

 でも、だからこそ――)

 もう一度、ノートを開く。ペンを持つ手が自然に動く。

「私たちは、未完成な系統樹の先頭に立っている」

「だから、今どう進むかに意味がある」

「進化の途中で出会ったなら、それは偶然じゃない」

 それは真帆にとって、小さな“発光点”だった。


 部活のない静かな放課後。

 凌は、生物のレポートを書くために図書室の参考書コーナーにいた。

 いつもならスマホで済ませる情報検索も、今日はそうはいかない。

「たまには紙で調べなさい」

「今どきの中学生は何でもスマホで済ませるから……」

 生きた化石のような夏坂先生にブツブツ言われ、しぶしぶ来たのだった。

 棚の前で難しそうな参考書を眺めていると、背後からすっと誰かが腕を伸ばし、凌の横から一冊の分厚い本を抜き取った。

「それ、あんたにはたぶん難しいと思うよ」

 軽やかで、どこか挑発的な声。

 振り返ると、眼鏡をかけた長い黒髪の女子が立っていた。

 制服の着こなしはきっちりとしていて、表情はクール。でも、その目の奥には知的な好奇心と、ほんの少しの皮肉が滲んでいた。

「……は?」

「それ、“系統分類”の専門書。読んだことないでしょ?」

 にやりと笑うその口調に、凌は思わず言葉を詰まらせた。

「……誰?」

「3年3組28番、学年成績トップにして吹奏楽部部長の三ツ石真帆さん、であります」

「……あー、あの……」

「“あの”ってなによ。まぁいいけど。でも、あんたのレポートのテーマ、“生物の多様性”でしょ?」

「……なんで知ってんだよ」

「さっき夏坂先生が廊下で、“凌がまたギリギリまで放っておいて~”って言ってた。耳、いいんだ私」

 そう言って真帆は手にした専門書をパラパラとめくりながら、別の本をスッと差し出してきた。

「これ、図が多くてわかりやすいよ。論点も整理されてるし、君みたいな“体で考える派”には合ってると思う」

「……バカにしてんのか?」

「事実を言ってるだけ。褒めてるんだよ?」

 真帆は、ページをめくる手を止めずに続けた。

「体で考えるって、すごいことだよ。犬みたいにね」

 前にも誰かに「犬」と言われた気がする。これは喜んでいいのか、それとも怒るべきなのか。

 凌がそんなことを考えているうちに、真帆はふたたび棚に視線を戻した。

 もう凌の方は見ていない。

 けれど、凌はちょっとだけ気になっていた。この人、なんか――妙に印象に残る。

「なぁ、真帆みたいな天才さんって、普段どこで勉強してんの?」

 凌の精一杯の皮肉も、彼女には褒め言葉に聞こえたのかもしれない。

 真帆はさらっと答えた。

「屋上。人がいないし、風が気持ちいいから」

 それだけ言って、また歩き出す。

「じゃあね、陸上くん。あんまり脳筋使いすぎて、貴重な筋肉、消耗しないようにね」

 ひらりと手を振って去っていく姿に、凌は口を半開きにしたまま立ち尽くしていた。

(……なんで初対面なのに、俺が陸上部だって知ってるんだ…?)

 でも――確かに、ちょっと面白かった。


 Scene:真帆の視点/観察者の目

 私は、なんでも理屈で考える人間だ。

 この公式を使えば解ける、この資料を読めば理解できる。理由がわかれば、対処できる。

 人間関係も同じ。

「この人はこういう性格で、こういう発言をする」

 そうやって分析しておけば、余計な摩擦は起きない。

 ……はずだった。

 でも、早矢だけは、そうやって割り切れない。

 最初に強く意識したのは、体育祭のリレーの時。

 スタートラインで深呼吸する姿。

 一歩踏み出した瞬間の、あの加速。

 腕の振りも、脚の伸びも、無駄がなくて、まるで動物のようだった。

 「すごい」と思った。言葉が出なかった。

 ただ、見とれていた。

 そのくせ、ゴールして戻ってきたときには、後輩に「いい走りだったね!」って声をかけながら、汗を手でぬぐって、くしゃっと笑って。あんなにかっこよくて、なのにあんなに自然体って、ずるい。

 それから、気づけば目で追っていた。

 廊下ですれ違ったときの、髪の揺れ。

 体育着のまま水を飲んでいる横顔。

 放課後、誰もいない教室で、プリントを真剣に読んでいる姿。

 どれも、ただの“観察”だった。

 最初は、それで済ませるつもりだった。

 でもある日、ふと思った。

(……この人に、触れてみたいな)

 そう思った瞬間、自分で自分に驚いた。

 “触れる”ってなに?なに言ってんの私?女子同士だよ?普通じゃないでしょ?

 でも、その“普通”ってなんなんだろう。

 私は早矢を見てると、「もっと知りたい」って思う。「この人の一番近くにいたい」って思う。それって、ただの憧れ?それとも――

 風が吹いた。屋上で、ノートを閉じる。

 まっすぐすぎて、綺麗すぎて、分析なんかじゃ届かないところにいる。

 だからこそ、私はあの人に、惹かれてしまったんだと思う。

 そして、それ以上に、いつもその隣に立つ凌の存在が、胸のどこかをざわつかせていた。


 Scene:真帆の視点/「好きに理由はあるか」

 午後の英語の授業。

 若い女性の先生――長谷川先生が、黒板に大きく“Rewrite”と書いた。

「じゃあ今日の課題。前に書いてもらったスピーチ、rewriteしてきてね」

「リライトって……書き直すってこと?」

 前の席の男子がぽつりとつぶやいた。

(rewrite、か……)

 真帆は、ノートの余白にその単語を写す。

「re」は「もう一度」、「write」は「書く」。

 >Rewrite=もう一度書く

 それだけのはずなのに、なぜかその言葉が胸に残った。

 “もう一度書く”って、なんだろう。

 間違いを直すこと?それとも――

 伝えきれなかった想いを、もう一度書いてみるってこと?

 そういえば、夏坂先生はタブレット、スマホに頼らず紙で調べなさいと言っていた。

 その言葉を思い出し、真帆は図書室で辞書を引いた。

 >【rewrite】①書き直す②書き換える

 その上の単語にも目が留まった。

 【relight】①再び火をともす

 綴りは似ているけど、意味はまるで違う。

 だけど、“火をともす”という言葉が、なぜか胸に残った。


 翌日の理科。テーマは「生物の繁殖と進化」。

 夏坂先生が、ホワイトボードに“オスとメス”と大きく書きながら説明する。

「基本的に、生物はオスとメスの組み合わせで遺伝情報を組み替え、より優れた子孫を残そうとします。これは進化の基本です」

 真帆はノートを取りながら、頭の片隅に引っかかるものを感じていた。

(より優れた子孫を……)

「じゃあさ~」

 前の席の男子が、ヘラヘラと笑いながら口を開く。

「可愛い子がモテるのって、進化の法則じゃね?男子が顔で選ぶのってさ、優秀な遺伝子求めてるってことじゃん?」

「俺はスタイル重視!」

「性格なんて二の次でしょ、マジで」

 教室の一角で、男子たちが軽く盛り上がる。

 くだらない。バカみたいな話。なのに、なぜか胸がもやついた。

(じゃあ、私が早矢に惹かれるのも、“子孫を残すため”?)

(ないない。私たち、女子同士じゃん……)

 だったら――この気持ちは、“無意味”なの?

 生物のルールから外れた、“価値のない想い”?

 ノートのページを見つめながら、真帆は静かに考え込んだ。

 授業の後半。テーマは「進化と突然変異」。

 夏坂先生が図を示しながら続ける。

「遺伝子のコピーミス――“ノイズ”のようなものが、進化のきっかけになることがあります」

(ノイズ……)

「そのノイズが、環境にうまく合えば生き残り、やがて種の特徴そのものを変えていきます。進化とは、ある意味“ノイズを書き直す”歴史でもあるんです」

 “ノイズを書き直す”

 真帆の胸の奥が、ビリリと震えた。

(ノイズって、無駄じゃないのかも)

 たとえプログラムのミスでも、それが生き残れば世界を変える。

 それなら――

 私が抱えてる、この誰にも言えない想いも、

 “間違い”なんかじゃないのかもしれない。

 ノイズは、火になる。

 火は、誰かを変える光になる。

(リライト……じゃなくて、Re:light――)


 放課後。

 人気のない屋上。

 風が少し強く吹いていたが、それがかえって心地よかった。

 真帆は、トランペットを取り出して、静かに吹き始める。

 曲は、『フライデーナイトファンタジー』。

 ちょっと切なくて、どこか懐かしいメロディ。

 “好き”ってなんだろう。

 理由が必要?

 子孫を残せることが“正しい感情”?

 だったら――私は、間違いなの?

 でも、早矢を思うたび、心が震える。

 胸が苦しくなる。泣きたくなる。

 それでも、その人に出会えてよかったと、心から思う。

 >「好きに理由なんて、いらないんだ」

 音が空に溶けていく中で、真帆はやっと、自分の答えを見つけた気がした。


 Scene:ひとりきりのグラウンド/早矢の内省

 夕方のグラウンド。

 陽が傾き始め、赤みがかった光が芝生に柔らかく落ちていた。

 早矢は、誰もいないグラウンドの中央でラストのダッシュを終え、息を荒くしながら芝生に倒れ込んだ。腕と脚の筋肉がじんじんと熱を持っている。喉が焼けるように渇き、汗が目にしみる。

「まだ、いける」

 走っている間は、いつもそう思っていた。自分に課すトレーニングは一日たりとも欠かさない。トレーニングの最初にスタートラインに立ち、太ももを叩き刺激を与え、ハートに火をつけるルーティンも。筋力、持久力、瞬発力。数字で測れるものすべてを、少しずつでも積み上げてきた。

 でも。今日は、少しだけ足が止まった。

 自分でも理由がわからないまま、早矢はその場に全身を投げ出し、空を見上げた。

 遠くで風の音がする。木々のざわめきが、心のノイズを洗い流していく。

 早矢は、空を眺めながら自分に問う。

「私は、何になりたいんだろう」

 強くなりたかった。ずっとそう思っていた。

 父の背中を見て育ち、誰よりも頼れる存在でありたかった。“女だから”って甘く見られるのが、死ぬほど嫌だった。「強さ」は、自分を守る盾であり、誰かを守るための剣でもあった。

 風が止まり、空は深く澄んでいた。芝生の上で、早矢は小さく息を吐く。

「……まだ、私は“守りたい”って気持ちだけで走ってるのかな」

 強くあろうとするのは、自分の意志。

 でも、その原点には、「誰かを守りたいと願った小さな自分」がちゃんといる。

「それなら――私が弱さを知ってる分、もっと強くなれるかもしれないね」

 空は少しだけ暗くなっていた。

 でも、その中に、あの日見上げた星空と同じ色が混ざっていた。


 Scene:夏祭り前日/放課後のグラウンド

 夕方のグラウンドには、夏の陽射しがまだ残っていた。

 セミの声が遠くで響き、部活の声が少しずつ減っていく時間。

「……もうちょっとだけ、ダッシュいけるか?」

 早矢が軽く笑って聞いた。でも、その横で凌は、明らかに顔をしかめていた。

「無理すんなって」

「……してねえし」

「嘘。走りのフォーム、ちょっと崩れてたよ。たぶん、膝。でしょ?」

 図星を突かれ、凌は言葉に詰まった。視線をそらして黙る。

 早矢はしゃがみ込んで、凌のスパッツ越しの膝を指先で軽くなぞった。

「ここ、痛い?」

「……ちょっとだけ」

「ちょっと、ね」

 言いながら、早矢は手早く水筒から冷たいタオルを取り出し、凌の足を静かに持ち上げて、地面に置いたマットの上へ。

「マッサージするから、ちょっと我慢して」

「え、お前やったこと……」

「あるある。部活で後輩にもやるし。先生が“人に触るときは呼吸を合わせる”って言ってた」

 指が膝下の筋を丁寧になぞる。絶妙な強さで押されるたびに、じんわりと痛気持ちよさが広がった。

「……なんか、お前ってやっぱすげえよな。いつも全力で、痛くなさそうで……」

 その言葉に、早矢がふと手を止めた。

「凌、私も痛いときあるからわかるよ」

「え?」

「たまにね、ほんとに走れないくらい痛む。でも、言わないだけ。隠してるつもりでも、走りの感覚でわかるし――凌も、私には隠せないよ」

 風が吹いた。熱く火照っていた凌の頬が、少し冷やされた気がした。

(……いつも強くて、鋼鉄の女だと思ってた)

 でも、本当は同じだった。痛みを抱えて、それでも走っていた。

 自分だけが苦しいと思っていた。だけど、ずっと気づいてもらっていた。

「……ごめん。お前のこと、全然わかってなかったかも」

「ううん、いいよ。そうやって言えるだけで、十分じゃん」

 早矢の手は、今も丁寧に動いていた。


 Scene:図書館裏の通路・真帆の視点

 その帰り道――真帆は吹奏楽部の打ち合わせの帰り、校舎裏のグラウンド脇を通った。

 ふと視線をやると、部活終わりの陸上部がまばらに引き上げているのが見えた。

 その中で、マットに座っている二人の姿が目に入った。

「……?」

 凌が座り、早矢が膝を抱えるようにして、彼の足をマッサージしていた。どこか距離が近くて、でも不思議と自然で――

 その姿が、胸の奥でざわつきを生んだ。

(……あんな顔、初めて見た)

 凌が、不器用に笑っていた。肩の力が抜けて、安心しきったような表情で。その顔を、早矢がそっと見下ろしていた。

(なに、あれ)

 自分でもよくわからない気持ちが、胸の奥にひっかかる。

(別に……関係ないでしょ。あたしには)

 そう思って、通路を早足で抜けた。でも、心はなぜか音を立てて揺れていた。

 胸の奥が、きゅっとひきつれる。

 次の瞬間、真帆の足がふっとグラウンドへ向かった。

「凌!」

 呼びかけられて、凌が振り向く。走ってきた真帆は、少しだけ呼吸を整えてから言った。

「夏坂先生が凌のレポートのことで怒ってた。すぐ職員室に来てって」

「えっ、マジ?」と慌てて立ち上がる凌。

 早矢も不思議そうに真帆を見ているが、真帆は視線を合わせない。

「……そうなんだ。わかった、行ってくる」

 凌が走り去るのを見届けて、真帆は少しだけ唇を噛んだ。早矢が、じっと真帆を見ていた。

「……それ、ほんと?」

 静かな声。でも、真帆は何も言わなかった。

 代わりに、小さくひとつ息を吐いて、踵を返す。夕暮れの風が吹き抜ける。残された早矢は、その背中をしばらく見つめていた。


 Scene:真帆の視点/自己嫌悪の放課後

 足早に校舎の中へ戻った真帆は、階段を登る途中、突然足が止まった。

(なにやってんだろ、私……)

 小さく息を吐いて、壁にもたれかかる。

 校舎に戻ってきた凌が、職員室で戸惑う様子を想像して、胸が重くなった。

(本当に夏坂先生に怒られたら、私のせいじゃん)

 そんなつもりじゃなかったのに。

 ただ、あの二人の間に割り込みたくて、ほんの一瞬、意地悪してしまった。

「……最低」

 つぶやいた言葉は、静かな廊下に溶けて消えた。


 Scene:教室/早矢との静かな対話

 荷物を取るために教室に戻った真帆は、自分の机の前に立つ人影に気づいた。

 早矢だった。

「あ……」

 早矢は静かに振り向く。

「真帆。ちょっといい?」

「なに?」

 自分でも驚くほど、棘のある声が出てしまった。

「さっきのこと」

「……」

 真帆が何も言えずにいると、早矢は軽く微笑んだ。

「先生、呼んでなかったんだよね?」

 真帆は黙ったまま、下を向いた。

「別に責めるつもりないよ。ただ、珍しいなと思って」

「……珍しい?」

「うん。真帆がそんな意地悪するなんて、珍しいなって」

「……っ」

 真帆は強く唇を噛む。

 頭がいいのに、うまく言葉が出てこない。

 いつもなら冷静なのに、早矢を前にすると、どうしようもない。

 早矢はそんな真帆をじっと見つめてから、ふっと優しい声を出した。

「私さ、真帆のこと、結構尊敬してるんだよね」

「……え?」

「いつも冷静で、自分の意見はっきり言えて。私にはできないから、羨ましいなって」

 早矢の言葉が、真帆の胸の中に深く刺さる。

「……そうでもないよ。私、冷静じゃないし、全然はっきりなんて言えないし」

 うつむいた真帆を見て、早矢はそっと言葉を足した。

「でも、真帆はちゃんと自分の気持ちと向き合ってる。だから悩むし、傷つくんだよ。……それって、すごい勇気だと思うけど」

「……っ」

「まぁ、凌のことは気にしないで。あいつ、単純だから、どうせすぐ忘れるよ」

 そう言って早矢は肩をすくめる。その自然さが、真帆には少し眩しかった。

「……ごめん」

 小さな声でつぶやくと、早矢は優しく微笑んだ。

「うん。……いいよ、もう忘れた」

 早矢が教室を出ていった後も、真帆はずっとその言葉の余韻を噛みしめていた。

(……ずるいよ、早矢は)

 心の奥の、小さな痛みはまだ消えなかったけれど――

 少しだけ、気持ちが楽になった気がした。


 Scene:職員室/凌の謝罪と、結果オーライ

 一方、職員室で夏坂先生に頭を下げる凌。

「先生!すいませんでした!」

「……ん?」

「レポート、遅れてるのは事実なんで!ホントに、マジで反省してます!」

 夏坂先生は、凌の勢いに押され、ぽかんとしている。

「お、おう。まあ、わかったから、とりあえず提出期限には間に合わせろよ?」

「はい!ありがとうございます!」

 元気よく返事をして、職員室を出る。

 夏坂先生は、「最近の中学生はよくわからん……」と首を傾げていた。


 Scene:廊下/凌の「ありがとう」

 職員室を出て、凌は廊下で真帆の姿を見つけた。

「おい、真帆!」

 びくっと肩を揺らした真帆が振り返る。

「……凌」

 責められると思って、目をそらした真帆。

 しかし凌は、屈託のない笑顔だった。

「さっきさ、先生にめっちゃ謝った。結局、期限内に出せば許してくれたけど。ほんとに危なかったわ」

「……」

「お前のおかげで、ギリギリ間に合いそうだし。あの本、ほんとにわかりやすかった。……ありがとな」

「え?」

 予想外の言葉に真帆は目を丸くする。

「助かったってこと。まじサンキュな!」

 そう言って、凌は廊下の向こうに走り去った。

 残された真帆はしばらく立ち尽くしたままだった。

(……やっぱ陸上男子って脳筋なのか…理解できない)

 でもなぜか、胸の奥がほんの少しだけ暖かくなっていた。

 ――理解できないくせに、嫌いになれない。


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