第8話 さいしょのぎせい
突如として送られてきた学園からの呼び出しのメッセージ。その対策会議において,いよいよ結論が出ようとしていた。
「それじゃ,全員で理事棟に赴く,ということで良いわね?」
反対の態度を示す生徒はいない。
「メッセージの通り,17:00に理事棟に集合よ。仮に荒事になっても全員が力を合わせれば如何とでもなるはずよ」
意見を纏め,何かあれば追ってメッセージを出すという有栖を横目にノアは今回の仲間──”共犯者”達に目を向ける。
(望月さんは何か隠してそうですね。藤室くんも疑っているようですけど。まあ,当の藤室くんも手放しで信じられるかは微妙ですね。ウォンくんは何も分かっていないのに巻き込まれた,そんな印象だけど……それを言うなら僕も大差はないか。エルマスさんは何か策を巡らすタイプじゃなさそうですし,単に人と話すのが苦手といったところでしょう)
冷静に分析をするノア。彼はとある事情から幼き頃より”魔術師に善人なし”と教えられてきた。正しくはそう見てきた。善人たる魔術師がどれ程いるかなど,議論できたものではないとその目で見てきたのだ。
初めて魔術に触れたであろう大勢は大した問題ではない。問題なのは魔術の経験が既にあった人物。有栖,湊斗,他にも隠れているかもしれない。故にノアは密かに警戒しているのだ。
「ひとまず解散にしましょう」
解散が宣言されると,湊斗はすぐに教室を出ていってしまう。有栖が呼び止めようとした時には,既にその姿は無かった。その後,段々と他の生徒も教室を去っていく。皆の目に悲観の色はない。今回の件が恙なく片付くと信じている目,或いは何かイレギュラーな事態が起きても魔術の練習を続けている自分たちなら上手く立ち回れる目,とでも言おうか。
後には4人の人影が残る。望月有栖,ノア・カッバーニー,ベステ・エルマス,ウォン・アジュンの4人だ。
「藤室くんは出てっちゃったね」
「……お昼頃ですから……」
「まじか……そんなことある?」
「僕はなんとも,そこまで彼と話した事ないですし」
アジュンのボヤキに珍しくベステが反応する。湊斗に関係が深い生徒はこの場だと有栖かベステなのだが……有栖と湊斗がよく話すようになったのは卒業式を迎えてからであり,そもそもマトモに話すようになったのも血の文化祭事件に際してだ。それ以前は某先輩の居城で顔を合わせても必要以上に話すことは無かった。一方のベステも初等部の音楽祭で話すようにはなったが,積極的に話すこともなく,何かあった時に会って話す少し遠い親戚のような距離感だった。
湊斗を除いた4人で理事棟内への侵入計画を立てる。それも極限まで粗を落とさなければならない。
「これが理事棟の地図ね」
机の上に地図が広げられる。無論,侵入時に取ったデータだ。理事棟内の詳しい構造など,理事長と学園所属の魔術師しかいないだろう。
「ここから先がないみたいだけど?」
「ここから先が地下でこっちが理事長室。流石にリスクが大きすぎたわ」
「なるほどな」
アジュンは疑問が晴れたからか,少し離れた椅子に座り直す。
(あまり関わりたくないということかしら?)
有栖はノアとベステに比べ,アジュンは少し引いた位置にいると分析していた。無意味に深く考えてしまうのは有栖の数少ない欠点だ。今回も,少し遠くから視線を向けるアジュンに何かあると考えている。実際は大した意味などないのだが。仮にその姿が絵になっているせいで余計に何かを感じさせているのだとしたら,イケメンは罪なのかもしれない。
「このルートが良さそうですね」
「こっち……」
「それもありですね」
ノアとベステはルートを纏めているようだ。何かあった時の脱出用。もはや穏便に済むなどという考えは無かった。いきなり声をかけられた時,本人に疚しいことがあるかないかで警戒度に差があるのと同じだ。本来使ってはいけない──というより使えてはいけない魔術というものを使っている時点でお察しである。
各々が準備を終え,理事棟前に集まる。時刻は16:50。16:30にはやってきた生徒もいるが凡そが呼び出し時刻の10分前にやってきた形だ。時刻が時刻なため,理事棟付近に他の人はいない。そもそも好き好んで理事棟近辺に近づく人は生徒も教師も関係なく少ないのだが。
「1-Sの皆さんですね? ご案内致します」
話しかけてきたのは理事棟内から出てきた男だ。見るからに下っ端のような雰囲気だ。真面目そうでもある。湊斗はこういう人は出世できなさそうだと考える。少なくとも,この学園で働くならまともな人は出世できないだろうと。
通されたのは3階のホール。特段物が置いてある訳ではなく殺風景だ。
「こちらでお待ちください」
そう言って案内役の男は出ていってしまった。端を見渡せば積み上げられた机と椅子がある。窓の外には高等部の敷地が見える。
「別に鍵が閉まってる訳じゃないぜ?」
リチャードがドアを開け閉めしながら呟く。他の面々もそれを見て軽い探索に動く。そんな中,湊斗は動きのない人物に話しかける。
「お前らは動かないんだな」
「まあな」
「……(コク)」
1人はアイリーン,もう1人はべステ。動かないと言っても動かない理由は違うのだろう。それは表情によく表れている。
(エルマスは急すぎてついていけないだけ。ディアマンディスは敢えての静観……か)
もはや怯えているかのようなベステはともかくとしてアイリーンは不意の出来事に対応できるようにということだろう。
「不用意な事をして処罰を重くしないためか?」
「残念。それだけだと不正解だぞ」
(まあ裏切ることを第一にする程馬鹿じゃないなら良いか。さしずめ俺らの言うことを完全には信じれないということだろうし)
「ねえねえ見て見て!」
突然の呼び声に,生徒たちの視線が声を上げた主──ノエルに向く。
「ここの壁,凄くガタガタする!」
推定大発見にテンションが急激に上がったのか顔を輝かせている。同時に壁も今にも崩れそうな音を上げる。
「あんま変なことするなよ!?」
隣で机を確認していたハリソンの注意も虚しく,薄い壁が倒れ始める。
「わわわっ!?」
「チッ……!」
ハリソンが咄嗟にノエルを突き飛ばす。だが自身も安全圏に滑り込む……とはいかなかった。壁は倒れると同時に砕け,あたりに埃が舞う。
(そんなに埃っぽい部屋じゃなかっただろ……)
明確な異常を湊斗は感じた。ありえない量の埃が舞っている。宛ら何かの演出といったところか。
実際,壁が倒れただけならば何も問題なかっただろう。余程でない限り,精々が怪我人が出るといったところか。しかし現実は非情で不可思議だった。
──刃が突き刺さる音が響く。
──液体が床に飛び散る音が鳴る。
「あらあら,おバカさんを庇って死ぬだなんて……可哀想ね」
聞いたことのない女性の声が響く。突然の壁の倒壊による爆音を聞いてか,死ぬという日常生活には縁の薄い単語を聞いてか──生徒たちの大半がフリーズしている。湊斗も体の芯が冷えるような感覚を抱く。
(体が重い……魔術をかけられた訳でもないんだが……俺は想像以上に"何か"を恐れている……?)
有栖は部屋の中心にいる湊斗に近づきながら周囲を見渡す。動けるのは有栖の他,藤室湊斗,アルトゥール・スズキ・ペレイラ,ツァオ・シーハン,花山清和の4人。普段通り動けるという意味なら。アルトゥールとシーハンのみ
(最も清和くんはあまり使い物にならないでしょうけど)
という有栖の思考に湊斗の名前がないのは信頼ゆえか。
「──っ!────っ!」
舞い上がる埃の向こうから掠れた声がする。
(おそらくはフランソワのものか……?)
「ふっふふ......次はキミの番ね」
謎の女性の声が再び響く。一瞬のタイムラグの後,誰もがその意味を理解する。次の犠牲者が出ようとしていることを。
「させないわっ! 【猛る北風】!」
有栖は一向に収まらない埃を吹き飛ばす。吹き飛ばされた先の生徒はご愁傷さま,見事に埃まみれである。だが,抗議の声は上がらなかった。否,誰も上げることはできなかった。多くの生徒が明らかになった光景に息を呑む。
明らかになったのは──粉々になった壁と,ナイフを下方向に向ける30歳程度の女。そして,灰色の床と制服のシャツを赤く染めて血に伏しているハリソンと,その表情を恐怖に染め,床とスカートを濡らしているノエル。
「あ,有栖ちゃんっ!ハリソンくんがっ!ハリソンくんがっ!」
有栖は半ば狂乱状態の彼女をシーハンにパスし,女に向き直る。その表情に理解し難いものを浮かべながら,だ。
「理解できないわ,その顔。殺しを楽しんでるとでも言うのかしら」
「まだまだ若い命を摘む……それも恐怖を自覚したその瞬間に!これ以上のことはないわね」
恍惚とした表情の女に理解を示す者はいなかった。足元に転がっている死体の表情には驚きが浮かんでいるが,苦しみは無い。確かに女の趣味は事実でそれを行う技量もある。それが一層恐怖を掻き立てていた。
更に壁の裏側から増援が入ってくる。その数は3人。
「どうやら他にもいるみてぇだな」
強圧的な顔と口調と体格でアルトゥールが有栖の隣に並び立つ。その目線は女を見つつも崩れた壁から現れた人影を見据えている。
アルトゥールは1-Sの中だと貴重な前衛ポジションだ。持っている魔術適性も『身体狂化』。本来の枠組みを超えた身体性能を発揮できる。基本魔術の習得は遅れているものの,実地で鍛えられた戦闘スタイルは驚嘆に値する。一般的な喧嘩なら彼を負かせる存在はそういないだろう。
「にしても……その子はお手柄ね。せっかく纏めて殺せそうだったのに,私達が出ざるを得ない状況を作り出した……」
女がナイフを遊ばせながら前へ踏み出す。その刃先は何にも染まっていない。
「──あら,才能は十分だけどまだまだね」
アルトゥールの真っ直ぐに突き出した拳を半身を傾けて回避し,反撃しながらそう囁く。
「3人目はキミかしら?」
(3人目……? まさか,な……)
蹴り飛ばされたアルトゥールの脳裏に最悪の想像がよぎる。もしやシャルロッテも,と。
聞こえた他の生徒の顔にも信じられないという表情が浮かぶ。そして,それを見て女はどこか失望したような表情を浮かべる。
「──興醒めね。いいわ,私達と事を構えないのなら端に丸まっていなさい。邪魔だわ」
「何のつもりかしら」
「簡単よ。この程度であんな具合じゃ面白くないもの。事が済み次第片付けるってだけね」
生徒たちは端に寄り始める。動けないままの生徒は動ける生徒が強制連行する。無駄に時間を使えば女の気が変わる可能性もあったため,時間はかけられない上,警戒に当たっている有栖の指示も仰げない。
戦おうとする例外は有栖とアルトゥールの他,カタリナ,クリシュナ,リチャード,澪の計6人。最近,ピンチを自身の力で脱したリチャードを皮切りに前に出始めた。前衛にアルトゥールと有栖,後衛に澪,その他が中衛だ。
「アルトゥールくん,いけるかしら?」
「まだまだいける」
「後方射撃は俺に任せろ」
「回復は私がやるね」
「よし……いくぞ!」
流石というべきか,反撃の蹴りをもらったはずなのにアルトゥールはさして堪えた様子は無い。
お互いに陣形を取る。もっとも1-Sにこのような経験などない。当然拙いものになるが,何もしないよりマシだろう。
最初に動いたのはリーダーと思わしき女。ナイフを持って突撃してくる動きは洗練されている。
「【物理結界】!」
「【事象増幅】」
クリシュナが対物理攻撃の結界を張り,カタリナがそれを強化する。予期しなかった行動だったからか,女の体勢が崩れる。
クリシュナ・パタック──正義感の強い青年で,悪を滅することに憧れを持っている。魔術適性は『悪逆浄化』。その憧れの影響が先か,或いは魔術適性が先でそのような性格が形作られたのか。知る者はいないが,仮に後者であれば,魔術適性が人生に与える影響は計り知れないということだ。幸か不幸か,そこまで魔術への研究と魔術そのものの歴史に詳しい生徒はいなかったのだが。
「これでもくらえッ!」
アルトゥールの拳に女が吹き飛ばされる。女たちがやってきた壁のすぐ隣にぶつかり,再び夥しい量の埃が舞う。やはり,この部屋に積もっていたものではなく,何かしらの仕掛けが壁にあるのだろう。
「邪魔よ!」
一方,有栖は取り巻き3人への対処に追われていた。
(ただただ不味いわね……)
見守る生徒,その多くが有栖達が謎の女達と互角以上に戦っていると見ていた。しかし,実情はそうではない。アルトゥールの驚異的な身体能力のお陰でなんとか均衡が保たれているだけ。仮に彼が手傷を負えば,戦線は一気に瓦解するだろう。
そもそも相手はスピードタイプのアサシンだ。閉所空間で遠距離攻撃主体の魔術師組が相手取るには致命的に相性が悪い。女の攻撃こそ,アルトゥールが抑えていたが,他の連中はこぞって後ろに守られている戦わない,或いは戦えない生徒を執拗に狙っている。クリシュナやカタリナの援護もあるとはいえ,3人の攻撃から22人を守るというのは有栖にとって大きな負担になっていた。
「ッ!?」
隣で小さな声が上がる。視界の端で見やれば,クリシュナが被弾したと確認できた。
「澪さん!」
「分かってる!」
澪──村井澪が治癒魔術をかけに駆け寄る。クリシュナの傷は投げられたナイフによるもの。掠ったにしてはダメージが大きい。
その隙を狙って,再び3人のアサシン達が同時に動く。
「くっ!」
有栖はアサシンの動きから移動先に魔術を置く。今までの動きから,フェイントを使うとは思わなかった──否,思えなかったから。そしてそれは想定外を招くことになる。3人のうち1人が自分を狙っていると気づいた時にはもう遅かった。
(これは……避けられないわ……!)
有栖は非常時用の術式を起動しようとする。切り札ではあるが,使わざるを得ないのだから仕方ない。
「させるかッ!」
突然窓ガラスが割れ,強い風が流れ込む。それに紛れた風の刃は確かに有栖に襲いかかったアサシンの首を穿った。
「貴方は……?」
突如現れた男に困惑の表情を浮かべたのは有栖だけではない。アサシン達も突然の乱入者に多大な驚きを感じていたのか,その仏頂面が崩れていた。
「安心して,少なくとも1-Sの味方だよ」
キャラクターメモ
『アルトゥール・スズキ・ペレイラ』
名前通り熊のような印象を受ける橙色の髪をした少年。少年と言うには貫禄があり過ぎるが便宜上少年,と。
魔術適性『身体狂化』を持つ。いかにも格闘戦に特化していそうだが,勿論している。
現状のSクラスで純粋な前衛は彼くらい。
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いよいよ異世界転移へのカウントダウンが迫ってきましたね。
シリアスさんおはよう,クラスメイト死んだよ。