第65話 この世界とSクラスと
皇帝より与えられた研究室の1角で,アリスと湊斗は情報共有を行っていた。湊斗からの情報はレティシア・ヴィレガスの過去に関する疑惑。
「シャルロッテなら知っているのでしょうけど」
「そんな人材をSクラスに持ってきた意図が不明な以上余計なことをする訳にも行かないからだろ。俺が手を打つことにする」
「珍しいわね。あなたが自分から動くなんて感動ものだわ」
「心にもないことを言うな。それと,その結果に口出しはしないで貰いたい」
「ま,それはお互い様ね」
アリスはそう言いながら,手元で進めている検証を次の段階へシフトする。
「それで,そっちの情報はどうなんだ?」
「魔獣王の件ね」
アリスからの情報は魔獣王群玄蜂の詳細についてだ。
「魔獣王群玄蜂は帝都を目指して進軍中,だったな」
帝国の魔獣対策本部は群玄蜂が帝都へと向かっていると発表した。だが,その前提に1石が投じられる。
「調べてみた結果……ルーティングが妙なのよね。群玄蜂は生息地を出て真東に移動を続けていたのよ」
「そうなると,帝都のかなり北を通っていくことになるな」
「本来ならこのまま東に直進するものと考えられたのだけど,段々と南に曲がってきているの。そして,このペースで曲がると……」
「帝都に辿り着く,か」
確かに妙な話だ。帝都が目的なら最初から帝都に直進すればいい。山脈などの移動を妨害する要因は無い。季節性の風という線も薄い。
「そこに,帝都へ向かう理由があると見込んでいるのか?」
「帝国上層部がしてる隠し事もね」
帝国上層部の隠し事が,群玄蜂が帝都を狙う理由と重なっている。そう見て間違いないだろう。
「群玄蜂とラスト諸国連合の関わりは何か分かったか?」
「流石にそっちまでは無理。他国の機密情報よ,多分」
「移動を開始した群玄蜂は大陸西端──ラスト諸国連合に居を構えていた。その折に前々からあった帝国と諸国連合の小競り合いが激化しつつあるらしい」
湊斗の脳裏に帝都に向かう際の御者の言葉が思い起こされる。
『小競り合いは続いていましたが,最近戦闘が激化しつつあると聞きました』
ラスト諸国連合は群玄蜂に合わせて行動を起こそうとしているようである。
それが,群玄蜂の行動に乗っかっただけなのか,群玄蜂が動くように仕組んだのかは不明。
ただ明らかなのは──
「ラスト諸国連合も帝国上層部と同じ秘密を抱えているということね」
しかし,軍を動かすというのは字面から受ける印象よりずっと高度で難しい。ただ軍を差し向けるだけでは駄目なのだ。
「兵站の管理や捕虜の待遇,加えて戦前も戦後も仕事に追われることになる」
能力のない者が無理に戦争を始めれば破滅しかない。何せ──
「戦争とは即ち究極の消費だからな」
「戦争とは即ち究極の消費だから,ね」
「よく合わせたな」
「よく言ってたでしょ,元の世界で」
「悪いが記憶にない」
「……で,話を戻すけど私たちが相手するのは結局誰になるの? 私は魔獣王の相手をすることになりそうだけど」
アリスの言葉に湊斗は暫く思案する。何をするつもりかと問われれば,その都度決めるとしか返せない。
「何事もなければラスト諸国連合側の相手をするつもりだ。魔獣王の相手は今のSクラスが一丸となってやっとだろうが……」
「それよりあなたの方は面倒な手合いが多過ぎじゃないかしら」
見透かしたかのようにアリスが呟く。相手の正体すら掴めていない。ほぼゼロからの情報収集になる。そうなれば最悪の想定は常にしておかなければならない。
「相手が賢いなら掌中で踊らせればいい。相手が愚かなら捨て置けばいい」
要するに,魔獣王群玄蜂の動向を読み切っているのなら賢い相手,魔獣王群玄蜂の動きと重なった動きが偶然なら愚かな相手ということだ。
「ただ,相手が運命に愛されているのなら──考え直す必要がありそうだが」
「信じてるの? 運命」
「別に信じてはいない。ただ……運命のような抗えない存在は,あって欲しいと願ってる」
湊斗はその心に特定の相手を殺したいという激情を飼っている。
だが,だからといって殺人を積極的に肯定している訳ではない。殺しという行為が,社会的に明確な悪と理解した上で,悪を為すというだけだ。
それは酷く歪んだ在り方だ。えもいえぬ貧者でもなければ,いや,そのような存在であっても許されはしないだろう。歪で,醜い在り方。叶うならば消し去るべき悪。湊斗をよく表している。
「なら,私がその運命になってあげる。あなたが抗えない,運命に」
「…………そうか,期待しよう」
目の前の少女は無限の可能性を秘めているように見える。あらゆる者になれるような,可能性の権化。それに指向性を与え縛ることに多少の抵抗感がないでもなかったが,湊斗は受け容れる選択をする。
その理由は,湊斗本人にも分からなかったが。
「で,検証結果はどうなったんだ」
会話が途絶えて久しくなった頃,湊斗は口を開く。
今更だが,ここは研究室だ。用もなく集まる場所ではない。密談ならもっと良い場所もあるだろう。この場所なのは,研究室でやることがあったからだ。
「私たちが魔術と呼ぶものとこの世界で魔法と呼ばれているものの間に差異は殆どないわ」
ただ,と区切りをつけてアリスは続ける。
「展開のプロセスが異なるみたいなの」
「魔術は術式を構成して完成したそれに魔力を任意で流し込んで発動する,だったか」
「えぇ。それに対して魔法は事前に保存しておいた術式を呼び出して魔力を流し込むようね」
魔術は1度使うごとに術式を編む必要があるが,魔法ならその手間は省けるという訳だ。
「まぁ,魔法にも問題がない訳じゃないわ」
「応用性の低さか」
「その通りよ」
魔法は術式を呼び出す都合上術式が固定されるということだ。リアルタイムで術式を組み上げる魔術の方が状況に合わせた対応は行いやすい。
細やかな状況に応じた術式を保存しておく負担も馬鹿になるまい。
「術式そのもののレベルが大きく違うけれど,差はそれくらいなものね」
「この世界の方が低いということか」
その言葉に頷きで首肯するアリス。ステータスで劣っていても技術の差でその差を埋められることは,今までからもどことなく感じられることだ。
ミラビリス王都ティユールの王都守備隊との戦闘,獣人の里での魔物たちの襲撃,城塞都市トルボスの拘束部隊とのひと悶着。いずれもSクラスの持つ魔術が果たした役割は大きい。
だが,相手の理解度の低さを利用している面もある。仮に,今までの相手が魔術適性というものを知り得ていたら,事の運びは異なっていただろう。
「さて,せっかくだし調練場を見に行きましょう。この時間ならSクラス生も多いはずよ」
「そうだな」
湊斗もこの後急ぎの予定はない。同行することに決め,研究室を出るアリスの後に続く。
「Sクラスの成長速度には,目を見張るものがありますね」
調練場に着いた2人に声をかけたのはガタイの良い中年の男。Sクラスの訓練を指導していたようである。
「ガルムさん,来ていたんですね」
「はい,訓練の指導をするように皇帝陛下より命を受けまして。と言っても魔法のことはからきしですので,物理方面の指導しかできないのですが」
湊斗は訓練風景に目を向ける。魔術1筋で訓練を進めているクラスメイトは多くない。
魔術適性『空間把握』を持ち,魔術で取れる選択の多いアジュン,魔術師の家系でもあり純粋な魔術の才に秀でるレティシア,この世界の魔法を再現できる魔術適性『記憶書庫』を持つアーキル。彼ら彼女らを除けば皆何かしらの物理武器の訓練も積んでいる。
極少数のこの場にいない生徒は確かめようもないが。
「改めて見ると驚きの光景よね」
「違いない」
「そう言えば,皆様方は戦闘があまりない世界からいらしたのでしたね。であれば,その才はかなりのものでしょう。私も驚きを禁じえません」
籠手を利用した戦闘スタイルのアルトゥール,片手剣に盾のアイリーン,銃を用いるジョバンニやカタリナ,七海といった面々。
「にしても剣が多いな」
「そうね。まぁいかにもなファンタジー世界だし無理もないわ。事実リチャードくんが剣を選んだ理由はそれっぽいからと聞いているし」
「リチャード……」
相変わらずである。純粋に剣の才能が問われる場面でどうなるか,見ものである。これで天賦の才を持っているのならそれはそれでありがたい話だが。
「私はアイビーさんの斧が意外なのですが……」
そこにガルムが口を挟む。Sクラスで斧を使う選択をした生徒はアイビーのみとなっている。アイビーでも扱いやすいように片手斧であり,武器としての能力はあまり高いとは言えない代物。ガルムが疑問を抱くのも納得ではある。
「そう言えばガルムさんが使うのは戦斧でしたね」
「斧は木を切り倒す道具でもある。アイビーの持つ力は植物に関わるもの,その点においては親和性があると言えるな」
「大体彼の言うとおりです。私たちの魔法が特殊なのは聞き及んでいると思いますが」
普通に考えれば,アイビーの体格で斧はありえないだろう。だが,アイビー・クロフォードの魔術適性は『植物使役』。その存在を知るからこそ斧というチョイスが完全な悪手でないことが理解できる。
「ちなみに,俺の魔法は鑑定魔法の上位版だ」
「鑑定魔法の上位版……? せっかくですし,是非試してみて貰えませんか」
ガルムの言葉に頷き,湊斗は【情報開示】を展開する。
『ガルム』
体力:S
魔力:B-
筋力:S+
敏捷:S
耐久:S+
魔力抵抗:S-
技能:獣神ノ化身Lv.-,斧術Lv.10,直感Lv.9,看破Lv.8,空戦Lv.6
状態:-
「とんでもないな」
「なるほど,一瞬だけ違和感がありました。ですが,そこらの一般人には到底気づけないでしょう」
にこやかに語るガルムだが,そのステータスは6つ中5つがS帯となっており,何から何まで常軌を逸しているとしか思えないレベルだ。それは今まで見た最高値であるレグニア公爵のS帯ステータスが2つであることからもそれは察せる。
「どのくらいなの?」
「推定だが,魔獣王とタメを張っても不思議じゃない」
「途轍もない力ね」
「そうまで言ってもらえると嬉しいものですね」
「ただ,今回のケースにおいては微妙だな」
「範囲攻撃に乏しいのね?」
湊斗の言う今回のケースとは魔獣王群玄蜂からの帝都防衛戦である。群れを成す魔獣王である群玄蜂が帝都民に無差別攻撃を仕掛ければ,個人による防衛は不可能になると見て良い。
いくらステータスが高くとも,魔獣王側も相応のステータスを持っているはずだ。
そのため,今回のケースにおいて重要なのは広範囲殲滅攻撃だ。それがないのであれば,活躍に対する期待はずっと小さなものになる。
「群玄蜂ですか……確かに私では相性が悪いでしょう。ですが,帝国に属する者としてできる力は振り絞らせていただくつもりです」
今回の件,群玄蜂を倒すこと自体はそこまで高難易度ではない。ただ,無辜の民を守るのなら話は変わってくる。Sクラスがキャリアザルド帝国の勇者として振る舞うのならそのことを胸に刻む必要があるだろう。
「ここにいましたか」
アリス,湊斗,ガルムの順に並ぶ3人の後ろから声をかける存在が現れる。
「シャルロッテか。そっちはどうなんだ?」
「ある程度答えは出たと言えます」
シャルロッテが取り組んでいた問題は些細なことだが軽視できるものではない。その点はその内容を知る全員が共通して認識している。
「結論を言うと意識の有無による,といったところでしょうか」
その内容とはステータスの正体についてだ。トルボスの時点でシャルロッテとアーキルはステータスのランク帯が1つ上がるごとに2倍の差が生まれると突き止めた。ランクAはランクBの2倍,という訳だ。
それを真実とすれば,敏捷ステータスの差が走行速度のみならず歩行速度や生活上の動作スピードに影響が生まれて然るべきだ。
それらに関する諸々を全てシャルロッテに丸投げしていたのだ。
ステータスとはそもそも何なのか?
ファンタジー世界だからと受け入れてはいたが,物理的に考えればありえない事象だ。
「ステータスが高くとも発揮するつもりがないのなら発揮されません。その場合,通常の物理法則に則るようですね。
分かりやすい例を挙げると,筋力ステータスEでも耐久ステータスSを物理で殺し得る,という訳ですね」
ステータス分の力を発揮する,と意識できない状態,例えば睡眠時であればいかにステータスが低くともステータスが高い相手を仕留められる。
反対に,意識内であれば水分,タンパク質,脂質などから構成される皮膚を裂くことができる程度の攻撃では傷を負わせることができなくなる可能性がある。
「まずは体力に関してから説明しましょう」
ステータス:体力。これは継戦能力に由来する。謂わば持久力に関するステータスだ。
意識状態による変化は特になく,純粋にステータスが高い程に疲れにくいようである。ただし,ステータスが上昇するにつれ,実際の上昇幅は小さくなる模様。
「次に魔力ですね」
ステータス:魔力。これは体外に放出できる魔力に由来する。謂わば魔法攻撃力に関するステータスだ。高い程に魔法ないし魔術を用いて自己以外に与えられる影響を強められる。
意識状態による変化はない,というより意識状態でないとそもそも発現しない。
「そして筋力」
ステータス:筋力。これは体を動かす時の力に由来する。謂わば物理攻撃力に関するステータスだ。
意識状態による差が大きく,意識していなければステータスの高低による差は殆ど見られない。しかし,意識状態であれば果物を握り潰したり,握手で相手の手が潰れたりといったことがある。
「さらに敏捷」
ステータス:敏捷。これは体を動かす時の速度に由来する。謂わば移動速度に関するステータスだ。高い程に速くなるが,空気抵抗の問題もあり上昇する程に実際の上昇幅は小さくなる模様。
意識状態による差は筋力同様に大きく,意識の有無によって遥かに速くも遅くもなる。
「加えて耐久」
ステータス:耐久。体の壊れづらさに由来する。謂わば防御能力に関するステータスだ。だが,実際の防御能力には筋力の影響もある。また,耐久が低いと空気抵抗による負荷に耐えられないため速度にも関係する。
意識状態による差は大きく,前述したように意識状態であれば本来ありえないような刃を弾くことなどができる。
「最後に魔力抵抗ですね」
ステータス:魔力抵抗。魔力を主体とした攻撃や影響の受けやすさに由来する。謂わば魔法防御力に関するステータスだ。高い程攻撃魔法のダメージ削減や,呪いやデバフ効果の無効・低減が行える。
意識状態による差は魔力程ではないが小さい。その理由も魔力ステータスに似るが,受動的なステータスのため,意識外では多少効果が落ちる。
「ステータス:魔力とステータス:魔力抵抗は言わずもがなですが,その他のステータスも魔力の影響を受けます。というよりステータスの存在そのものが魔力に依っているんです」
「研いだ刃で人を斬れないならそれも明白,か」
「ひとまず助かったわ。ありがとう」
追って次の依頼をすると伝えるアリスとそれを快諾するシャルロッテ。
湊斗は再び訓練しているSクラスの面々に目を向ける。魔獣王群玄蜂との決戦前にSクラスのステータスを確認する必要があるだろう。
同時に魔獣王の能力も把握する必要があるが,そちらは第2皇子トライツから手を回したと聞いている。近いうちに連絡があるだろう。
ガルムはいつの間にか指導に戻っている。
「ではボクはこれで失礼します」
シャルロッテも姿を消し,アリスと湊斗が2人残される。
「たまには訓練に混じってもいいか」
「また珍しいことを言うのね」
「人間関係は大事にした方がいい。必要になってから用意するのだと手遅れだ」
友好的な人間関係は重要だ。相手の“正しい損得勘定”を狂わせ,自分に有利な働きをさせることができる。さしずめ損得感情とでも呼ぶべきものか。
日頃の些細な損失がいつかの代え難い利益になるのならそこに投資するのは誤った判断にはならない。
「それもそうね。私はそういうのあまり得意ではないけれど」
それはそうだろう,と湊斗は内心で考える。
アリスは女性にしては──というと語弊はあるが合理的思考に毒されている面がある。何なら男性と比べてもその割合は大きい。
あるいは客観視の能力が高いと捉えるべきか。
それが妙に高いことが理由なのかは定かではないが,それなら感情に寄り添うことを苦手としているのも無理はない。
だが,学び次第でいくらでもそういった技能は身につけることができる。
(俺はとっくに諦めた領域の話だが)
諦めていなければ,表園学園の理事棟でノエルを立ち直らせるためにより効率的な言葉選びをしていただろう。あの時,精神干渉魔術を用いなくても良いのならそれに越したことはなかったのだが,生憎それは選ばれなかった可能性の話だ。
「私も,たまには混じってみることにするわ」
そう言い残し,クラスメイトの方に歩いていくアリス。湊斗もその背中を見届けた後で歩き始める。取り敢えずは,自身へ視線を向けている日本人組の方へと。
キャラクターメモ
『ガルム』
トルボスのエース。戦斧を愛用する中年のおじさん。年齢的には下り坂のはずなのだが、急激に力を伸ばしており、現在は国のトップクラスに値する力を持つ。
ステータスはその多くがS帯という異常の領域。
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後半は説明回にようなものでした!




