第46話 和睦
「では,話し合いを始めようか。まず,我々の立場について明かしておこう。我々は皇帝直属の暗部,拘束部隊だ」
拘束部隊部隊長ライラ・バウンスはかく語る。
「だが,この部隊員の多くは皇帝に微塵も忠誠を誓っていない。具体的に誰,という問いには答えられないが,現皇帝に反発する勢力なのは間違いないな。
そもそも,この計画は皇帝の発案を我らの主が利用したものだ」
ライラの目を見る。一体何の用があって接触してきたのか。なぜわざわざ心象を落としてまで他者に先んじた行動に出たのか。その答えを探ろうとする。
「……どう利用しにきたのかと警戒するなとは言わん。むしろその方が好ましい。だが,お前たちの背景を知る者はこぞって利用しようと躍起になっている。我らが主につくというならお前たちに最大限自由を約束するが」
ライラはそこで言葉を切り,眼前の少女2人を見据える。その目は「これ以上は言わなくても分かるな?」と語っている。なるほど,”目は口程に物を言う”とはこのことか。
「1つだけ,確認したいことがあるわ」
「私の回答次第で決まる訳だ。お前たちの未来が」
──【愚者審問】
「──あなたは私たちに最大限の自由を約束し,これを守れる立場にある」
「そうだ。そこに一切の偽りはない。むしろ障害を取り除きたいというのなら協力してやってもいい」
自由の保障と障害の排除はセットではないのかと突っ込みたくなるアリスだったが言葉を呑み込む。今重要なことはそれではない。
「満足できなかったか?」
「そうね。質問が悪かったかもしれないわ」
「なら,もう1つ聞いてやろう」
「私たちの扱いは帝国民以上,ということでいいのかしら?」
「あぁ,間違いなく──」
「繕わなくても最初からついていくつもりだったのだけれど?」
アリスのその言葉に怪訝な表情を浮かべるライラ。何しろノエルも戸惑っている。
だが,それこそが【愚者審問】の効果でもある。この魔術は相手の嘘を感知できるのだ。吐いた嘘について追加情報を多少なりとも巻き上げるのはアリスの純然たる技量のなせる技だが。
ともあれ,アリスは【愚者審問】によりライラに言葉の裏を抜けるような意思がないことを確認できた。最初からついていくつもりだった,は完全に嘘だが。
「──異邦人である時点で多少の制約は避けられまい。だが,善処は約束できる」
(善処……意味無いんじゃ?)
そう思うノエルだったが口を噤む。この場面で空気が読めないのは流石にノーサンキューだと分かっているからだ。
「ライラ隊長!」
ライラが再び口を開こうとした時,この場にいなかった拘束部隊の1人がライラの名を呼ぶ。
「目標が思った以上に手強く,万全を期すためにも隊長に動いて貰いたいのですが……!」
そう簡単に上司を頼って良かったのかと思ったノエルだったが,彼女は見てしまった。その拘束部隊員の目が死んでいるのを。あれはきっと,相手が手強かったからではなく隊長のことが恐ろしいからだろう。
ノエルは中間管理職だった父親の愚痴を思い出しながらそんなことを考える。決して今この状況からの逃避ではない。逃避ではない。
「取り敢えずお前は転がってる奴を回収しに行け。いなければ待機だ」
「了解しました……」
そそくさと退散していく部隊員。部隊内の関係が少し心配になる1幕だ。
「──っと,これどういう状況?」
ジョバンニとカタリナが少し離れた路地から現れる。かなりボロボロになってはいるが,無事ではあるようだ。
「隊長命令の気配を感じたとか言って部隊の人どっか行ったんですけど」
「まあ切り札切らなくて正解だったぜ。せっかく開発したってのに勿体無い」
「切り札はともかく,一応休戦の流れよ」
「ふむ。では4人で待機していてくれ……。お前たち,4人を見ておけ。失礼の無いように。私はその場所に行ってくる」
「隊長……遊びは控えてくださいね?」
「クドい! 私は隊長,お前は副隊長だ!」
そう言い残し,ライラはその場を去る。と言っても,跳躍による離脱である。ライラの姿は北方面へと姿を消し,アリスたちはその場に残されることになる。
「うちの隊長がすみません……」
副隊長のその言葉は切実さが見て取れるものだった。それでいて妙に慣れているようでもあったが。
「お気になさらず……」
その言葉を境に静寂が訪れる。そもそも夜であるため,生活音も聞こえない。
ともあれこの場にいる全員の思いは概ね一致していた。そう,気まずい,と。
さっきまで戦っていた相手が目の前にいる。それも今となっては敵ではないらしい。さらに,互いに知り合いという仲ですらない。
沈黙に耐えかねたノエルが口を開くまであと3分。この空気は流れ続けたのだった。
「さて,このライラ・バウンスが相手をしてやろう」
本来,争う必要は無い。既にライラたちの目的は果たされており,単に和解の旨を伝えるべきなのだ。
だが,そうはしない。その理由は簡単である。
「何とか突破しますよ。倒す必要はありません。逃げ切れるかどうかは分かりませんが……」
アリスたちのところには副隊長ゼルガが,湊斗や他の生徒たちに対してはモルトを始めとする平の隊員が,それぞれ向かい交戦した。
だが,長であるライラのみは例外である。まだ,誰とも交戦していない。
「ですが,既に1人戦闘不能ですよ。諦めるのも手ではありませんか?」
故に,ライラがこの不必要な戦いを始めんとする理由は1つ。ただ,戦いたいからだ。
「連れないことをいうな黒髪」
ライラがシャルロッテめがけて拳を振るう。
「させねぇっ!」
それをアルトゥールが受け止めて防ぐ。ステータスの差を鑑みれば即座にアルトゥールがシャルロッテ諸共吹き飛ばされる。だが,そうはならない。アルトゥールの魔術適性『身体狂化』の面目躍如である。
「強化込みでこれかよ……!」
「……これで……!」
そこにべステの支援魔術が加わり均衡が一瞬崩れる。その瞬間をアルトゥールは逃さない。ライラを引き剥がすことに成功する。
「2度目ができる保証はねぇ,か」
肩で息をするアルトゥールとは対照的に息を乱す素振りもないライラ。単純な力量差である。
「くそっ,手加減されてこれかよ……」
「手加減ですか?」
「あぁ……冗談じゃなく強ぇぜ」
「本気なる前にどうにか……す,る……」
「おい,ノア!?」
ノアの体が不意に揺れる。何が起きたのかノア自身にも理解が追いつかない。当然アルトゥールにもこの場にいる他のメンバーもだ。例外は1人だけ。
「何が君を逸らせるのかは分かりませんが,流石に浅慮が過ぎるのではありませんか? ノア」
「どういう……まさか」
膝をついたまま,顔をシャルロッテの方に向けるノア。原因に思い当たりはあるが受け入れたくない。そんなところか。
「作戦という訳でも無いのですね。他人の権利を簡単に踏み躙る僭主的な1面を期待したところでしたが……流石に無理がありましたか」
ノアの魔術適性は『平定裁判』である。法を定め,違反者を裁くという魔術適性である。ノアは任意で法を定め,つまりは相手の行為を好きなだけ縛り,それに対する罰を好きなように用意できるが,それはあくまでもノア個人と彼の家が持つ力量に由来する。
だが,法は全てを縛る。制定者本人もこの軛からは逃れられない。逃れてはならない。
故に,【臨時立法】によって,自由剥奪行為を否定したノアは自らもまた他者の自由剥奪行為を行えなくなった。
毒ナイフを振るった隊員を【刑罰執行】で拘束した時点でノアもまた法を破ったのだ。
シャルロッテの言葉に気付かされたときには既に手遅れ。制定者が自ら法を破ったペナルティが課された訳だ。
「何が起きてるかは分からんが,興醒めしたことだけは確かだな」
目を細め,ライラがそう告げる。その瞬間,いつの間にか意識を失っていたアーキルに隠れていた部隊員が飛びかかる。
「!?」
反応できたのは,あるいは反応したのはアルトゥールのみ。だが,1人反応できる者がいることは拘束部隊員も予想外だったらしい。隙だらけの脇腹に重い拳を貰い地面を転がる。
しかし,隙を晒したのはアルトゥールとて同様。背を向けた相手──ライラの手でその意識を刈り取られる。
流れでべステも気絶させると,意識を残した残りのメンバーに向けてゆっくりと振り返る。
「【酩酊幻想酒】」
「ほう」
シャルロッテが魔術を行使する。ライラを見据え,手を向けて,放たれる先はノア・カッバーニー。最後の最後まで感づかれることなく,一瞥もせずにノアをターゲットにしたのだ。
「相手を酔い潰して眠らせる技です。実際にアルコールを用いるものではなくあくまでも擬似的なものに過ぎませんが,眠り落ちるその時まで幻覚と幻聴に苛まれるのです」
「考えたな。そうすれば私が手を下すまでもなく1対1だ。それに,なぜ自分が意識を失ったかを知られることもない」
そう言ってライラは小脇に抱えていた部隊員を路地の端に寝かす。アルトゥールの攻撃を受けた時点で気を失っていなかったため,ライラが直々にその意識をに奪ったのだろう。
「まさか,です。君と戦う意味はありません。違いますか?」
「私の感情という大きな意味がある。不満か?」
「強者と戦いたいという欲求ですか?」
シャルロッテの言葉に口角を上げて応えるライラ。獲物を前にした肉食獣の目をしている。一般人なら平然と相対することなど叶わないオーラを放っている。
「であれば,君を満足させられる強者の情報を差し上げましょう。そうですね──」
強者の情報という響きによりライラの瞳に理知が戻る。
「──魔獣王の具体的な所在なんて,いかがでしょう」
ライラが獰猛な笑みを浮かべる。それは先程見せた臨戦の意思とは違う。つまり,交渉成立だ。
「穏便に話が済んだは流石に嘘ですよね隊長……」
「穏便だとも」
「隊長のそれは聞き飽きましたよ……」
戻ってきたライラからの話に副隊長ゼルガが突っかかる。何となく普段の関係が見えそうなやり取りだ。
「ひとまず君たちにも拘束されて欲しい。あくまでも外面だけではあるが」
「えぇ,それは構わないけれど……帝都に連行するんでしょう? この人数を連れて行くのはかなり負担だと思うのだけど」
「辺境伯の屋敷にある転移魔法陣を使う。我々はそれを使ってこのトルボスまでやってきたのさ」
それなら本来よりも圧倒的に早く拘束部隊がこの都市にやってきたのも頷けると,内心で考えつつも,なぜそのことが秘されているのかに不信感を抱くアリス。今度探ることにしようとぼんやりと考えながら言葉を返す。
「帝都についてからはどうするの?」
「無論,皇帝陛下に謁見して貰うとも。我々としては喜ばしいことではないのだが,これとばかりはどうにもできん」
肩を竦めてそう言うライラ。それに少しは毒気の抜かれた一行だが,同時に特殊な身分には面倒なしがらみがつきものなのだと再認識させられたのだった。
「取り敢えず1人連れてきましたよ,隊長」
「ん? モルトか。あの集まっているところに連れて行け」
そんな折,この場にアイビーを連れたモルトが現れる。Sクラス生に生じる驚きが少なかったのは一部を除いて事態の理解がそもそも追いついていないからだ。意識が未だ戻らないメンバーを含めても襲撃が起きた瞬間を把握しているものは殆どいない。
理解しているであろうメンバーにはアリスは事前に話を通しており,湊斗がおらず,アイビーだけがこの場に現れた理由を把握している。
「貴方の悪い癖が移ったんじゃないかしら?」
「心外です。ボクは自分本位で行動する程利己的にはなれません」
どの口が言うのかしらね,と返しアリスは空を見上げる。満点の星空。元の世界ではあまり目にすることの無かった光景だ。
「ミナトなら何も問題はないでしょう。ある意味で彼はアリス,君より強い存在ですから」
《少し良いかしら》
《どうした? 妙な爆音の件か?》
時は少し遡る。ノアたちの前にライラが現れた頃だろうか。アリスは和解の件について湊斗に知らせるため念話で語りかけていた。
《そうではなくて──》
その経緯についてをアリスから聞く湊斗。私見混じりの推測も聞きつつ自らもまた,思案する。
《──それで,戻ってきて欲しいのだけど……》
《それだと少し不都合がある。何しろ1人殺してるからな》
《殺し!? よくできたわね。相当な実力だったんじゃないの?》
《単純な戦闘能力が高いだけじゃ大した問題にはならないさ。無論,説明すれば,どうにもなることなのは理解している。ただ,せっかくの機会と捉えることもできる》
《成り代わりでもするつもり?》
《正解だ。モルトとして湊斗を捜す。これを言い訳に少し帝都入りをずらす。その後は別口で,お前の言う皇帝の敵対者とやらに接触してみようと思う》
《内部の視点と外部の視点,同時に見られるのなら都合良し,ね。お互いうまくやりましょう》
繋がりが切れる。方針はアリスに伝えた。それでいい。
「ひとまずは戻るか」
「戻る……ってどこにですの?」
隣に座っていたアイビーが口を開く。廃屋敷の中にいるのでは成り代わりなどできない。まずは死体の位置を特定するところからだ。
「死体の位置を特定? 何を言ってるんですの? そもそも死んでいるかも分からないのでは……」
「俺があいつに仕掛けた魔術なんだが,術をかけた対象が死ぬと行使者にアタックし始めるんだ」
「何と言う欠陥魔術ですの……っ! だとすればミナトさんが──」
「既に解除済みだ。あと欠陥じゃなくてわざとそういう作りにしたんだ。念の為と言うやつだな」
ちなみに,睡眠などで湊斗の意識がない状態に反動が帰ってくると相当危険なのだがそれはそれとする。結果死体が増えなかったのだからそれで良しなのだ。
2人は程なくして廃屋敷を出ると,モルトと交戦した場所に戻る。
「この近辺にいるはずだ。植物に聞くなり何なりしてみてくれ」
湊斗はそう言いながら,自身もまた【情報世界】を展開する。
「あっちだそうですわ」
数分のうちにモルトの居場所──というより死に場所が絞り込まれる。
路地の傍らで倒れているモルトを発見するのに手間はかからなかったのだが,1つ問題が発生した。死体の周りに人が集まっていたのだ。その叫び声が聞こえた訳ではなかったが,大声を上げたのだろうという結論に達するのに時間は要さない。
「面倒なことになったな」
「完全にミナトさんのせいですわよ」
小声で言葉を交わし,人の集っているその中心に向かっていく。
「何が起きたんだ?」
「ん? あぁ,人死だ。外傷はねぇがえらく苦しんで死んだらしい。酷ぇ顔だった」
「珍しいのか?」
「普通の人死なら珍しいって訳じゃねぇが,今回は別だ。散々騒ぎ散らして死んだんだ。の割には他に人がいた形跡もねぇ」
この場所は例の公園から少し離れている。縮地の応用なのか,中距離を高速かつ静かに移動する手段でもあったのだろうか。
「どこぞで毒を盛られたのかもな。だとしたら余程の恨みだ。騒がれること覚悟で苦しませる選択を取ったってことだからよ」
残念ながら掠りもしない推理だが真面目に聞くフリをする。
「近くで見ても?」
「あ,あぁ。だが衛兵が来るまでは妙な事するんじゃねぇぞ」
死体の側に膝を下ろし”らしい”振る舞いをする。この場所まで移動していたことは予想外ではあったが,それ以外は想定内だ。
「悪いが,この死体はこちらで引き取らせて貰う」
「はぁ!? 何のつもりだってんだ?」
この男の反応は当然のもの。だからこそ,湊斗もこのあとに続ける言葉を用意済みだ。
「この男は関係者だからな。衛兵に引き渡すのも避けたいんだ」
そう言い,湊斗は左手を差し出す。男の視線は湊斗の左手,それも親指に向けられる。
「その指輪……」
「俺たちを敵に回したいならそれはそれで構わないが」
左手の親指に嵌められた指輪。それはザラキアから受け取ったもの。トリオ商会の恩人に渡されるそれは,商会による身元の保証のみならず,商会が目をかけている相手のそれでもある。
その人物への不用意な妨害は帝国随一の商会を敵に回すということだ。
湊斗は軽く周りに視線を向ける。この場にいる人数はそれなりに多いが,ここまでのリスクを前に正義感を逸らせる愚か者はいないようだ。
「分かった。俺だって面倒事はゴメンだ。こ言いふらしはしねぇよ」
「あぁ」
──感謝は口にしない。ことこの場面においてその言葉は不要なものだ。
死体を持って早々にこの場を去ることにする。
「あ! ちょっと待ってくださいまし!」
後ろから走ってくるアイビーを連れ,人のいない空間を探す。
「ここでいいか」
湊斗は「大分疲れたな」と口にしつつモルトを地面に寝かせる。それから何かの拍子に周囲からバレることの無いよう事前に認識阻害系の魔術を使う。いつものである。
「【──」
詠唱を始める。使う魔術が使う魔術なので,無詠唱や簡易詠唱はできない。圧倒的な力で周りを驚愕させるのとかそういうのは成長した未来の自分に任せるが吉。元より湊斗にその気は無いが。
「──今この身にその足跡を示せ──情報投影】」
モルトの遺骸が塵と消え,湊斗の体が変化していく。正しくは変化しているのはその外見だけなのだが,それはそれ。光を伴う訳でもない殺風景な変質シーンなので多少盛るのは許容して頂きたいものだ。
「あまり騒がないように頼む」
「どういう意味ですの……って声も変わるんですのね」
声が変わるのはそういうもの,という湊斗にアイビーは一応の納得を示し,これ以上は止めにする。
「場所は分かっているから,極力早く戻るぞ」
「はぁ……事が落ち着いたら全部説明して貰いますわよ」
「──そうだな」
2人は歩き出す。アリスたち他のSクラス生のいる場所へ。Sクラスは静かに,それでいて急激に実力を伸ばしている。そう遠くない未来,この世界で名のしれた強者になることもあるだろう。その片鱗は拘束部隊もきっと感じている。
そしてまだ見えぬ裏では彼らSクラスを利用しようとする者たちが一層動きを強め始めるのだった。
キャラクターメモ
『ライラ・バウンス』
貴族家出身で現拘束部隊隊長。とてもつよい。
自分勝手に振る舞う1面もあるが,言い渡された任務自体は基本的に遂行する。基本的に。
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閑話集(Ⅱ)を挟んで第3章へ!




