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第38話 最奥の天使


「本当に何もないのか」


「生物が居た痕跡もないな」


 トルボスから1時間程の距離にあるこの迷宮の4階層。そこは一切の魔物の存在しない階層のようだった。

 まるで新居,それも家具を運び込む前の真っさらな状態である。


「そう言ったでしょ!」


「いや言ってないし」


 自分の説明が信じて貰えていなかったかのような反応を見せる周りにノエルが文句を付ける。他がスルーする中,言葉を返したのはレティシアのみ。「何をー!」とノエルが食いつき不毛な争いが始まる。


「この感じ……1年前から何も無かったんじゃないかな」


 あたりを確かめながらアジュンが呟く。その呟きに2人の争いも一旦落ち着きを見せる。


「5階層まであるという情報はあったわ」


「そうなると,4階層の不自然さも記録に無い方がおかしいという訳か」


  1年前にでき,5階層目まで確認されているということは,その5階層目までは確実に調査が行き届いているということだ。例え,人が来ると思えない迷宮だろうと,4層に魔物がいないという情報は上がっているはずなのだ。


「何者かが大掃除!つって全部片付けちゃったとか?」


「いや,流石にそんなこと──」


「あながち正しいかもな」


 リチャードの突拍子の無い発言を否定しようとしたアジュンだったが,湊斗の1言に言葉を呑み込む。


「……一体誰が」


「流石にそこまでは」


 それきり,会話が途絶える。ただ黙々と迷宮の奥へと進んでいく。湊斗やアジュンが確かめるまでもなく,1本道が続いているだけだ。

 そして一行は辿り着く。4階層目の最奥。すなわち5階層への階段に。


「俺の『空間把握』でもこの先は確認できないね……いや,4階層目も分かんない!? ミナトは?」


「俺も同じだ」


 アジュンと湊斗の今まで正常に使えていた探知系魔術の不調。


「なんか,少し体が重い気がすんな」


「アーティくんも? 実はあたしも……」


 アルトゥールとノエルの体の不調。2人ともこの迷宮内で魔物から攻撃を受けたことはない。


「アリス,どうする?」


 湊斗は前方にいるアリスに呼びかける。しかし返事はない。


「おい,アリス? どうしたんだ?」


 再度の呼びかけにも反応は無い。やむなく肩を揺すってみる。すると,小さく瞳が動いた。


「あ……」


「何かあったのか?」


「……ごめんなさい。なんだかボーっとしてしまったわ」


 そんな2人にアジュンが声をかけてくる。どうやら残りの2人も反応が無いらしい。ただ立ち尽くしているだけとのことだ。


「わりーな。何か集中してないとまたさっきみたいになっちゃいそうだぜ」


 しっかりとした意識が引き戻されると,リチャードがそう言う。


「私もよ。頭に霧がかかった感じってこういうことかしら」


「私もそんなもんね」


 アリスもレティシアもリチャードに同意する。

 アリス,レティシア,リチャードの集中力の不調。


「進むか戻るか……」


「戻る階段なくなったんじゃ?」


「俺もアジュンも今はマップが分からないんだ」


「しれっと戻ってやがるかもしれねぇのか」


 湊斗とアジュン。辺りの把握を行える人材が2人いれば,片方に問題が起きても何とかなるはずという当初の算段は崩れている。勿論紙の地図もあるが,リアルタイムでの変化が分かる訳もなく役には立たない。


「アジュン。戻りの階段まで確認に行けるか?」


「地図があればできると思うよ」


「得策,じゃないわ……」


「単独行動が問題ならあたしも付いていくよ」


 ノエルの提案にアリスは顔を逸らす。反論を考えられない程に集中能力に問題をきたしているのなら大問題である。


(ひとまずはアジュンとノエルを送り出すか)


 湊斗はそう考え,2人を出発させる。安全を第一にしつつ可能な限り迅速に,と伝えたが,湊斗たち居残り組も安全ではない。場合によってはノエルたち以上に危険な可能性もある。

 ただ,想定したところで行動に移せる訳ではないため何の意味もないのだが。


「戻ったよ」


 10分もしないうちにアジュンたちが戻ってくる。その表情から察するにあまり芳しい成果はなかったらしい。


「行き止まりが迫ってきているみたいなんだ」


「……本当か?」


 2人の報告を聞き,内心で頭を抱えながら湊斗はなんとかそう返す。


(奥に進むよう強制されている,という訳か)


 いずれ,ここまで迫ってくるかもしれない。アジュンもノエルもそれは間違いないだろうという。湊斗自身のみならいざ知らず,思考能力の低下を受けている3人もいる。


(今できることは──)


「極力早く先に進む必要がある訳だな」


「何がいるか分かんなくても行くしかねぇってことかよ」


 ここからは時間勝負になる。そう判断し湊斗たちは先を急ぐ。アルトゥール先頭にアリスは湊斗が,レティシアはノエルが,リチャードはアジュンがそれぞれ手を引いていく。


「だいぶ辛くなってきたかも……」


 ノエルがそう零す。アリスたちも意識を強く持たなくては無意識下行動に移りかねないというのと同じ。つまり,本人に依存するタイムリミット。どこまで耐えられるか。


「悪いが休む余裕はない。何とか頑張ってくれ」


 気を強く持てるかを問われるアリス,レティシア,リチャード。油断が無いことが前提だが,耐えることはそこまで難しくはなさそうである。3人とも,まだ呑まれる様子はない。

 体の頑丈さを問われるアルトゥールとノエル。徐々に重圧が増しているようであり,アルトゥールはともかく,ノエルはそう長く持たないかもしれない。


 そこまで考えて,湊斗はある考えにいきつく。


 ──自分とアジュンにはどの能力が問われるのか?


 既に魔術による探知能力に制限がかかっている。つまりその延長。そうなれば──


 ふと湊斗は自分の周りに誰もいないことに気づく。


「一体どこに消えたんだ?」


「ミナト? いるのか!?」


 湊斗の呟きに返ってきたのはアジュンの声。焦りを感じられる声色だ。

 そして湊斗も気づく。周りの誰かが見えていないのではない。()()見えなくなっているということに。


「2人揃って……あ,もしかして──」


 2人のやり取りからノエルもそれを理解する。視線を動かす余裕は無かったが,振り向いてきたアルトゥールを見れば同様であることは察することができる。


 湊斗とアジュンに問われたのは外部情報の把握能力。自分自身に異常がなかろうと,周りに何も無い空間に放り込まれれば精神は壊れる。そういう意味では恐ろしいものだろう。今は視覚だけだが他の感覚に影響が無いという保証もない。


 だが,それによって焦りが生まれることはない。正しくは生まれる余裕もない。誰もが限界に達しようとしたその時──


「全く手のかかることだな」


 その言葉と同時に煤闇があたりに立ち込める。足音が無いのは宙に浮いているから。煤闇の中,湊斗たちにかかっている重圧も消え去っていく。


「おや……慮外者が乱入とは──感心しませんね」


 煤闇を撒いたものとは別の声。


「私の野望のため,少しばかり介入させてもらう」


「何が狙いですか」


 視界の戻った湊斗は両者を見据える。果たして,両者の狙いは何なのか。全くもって不明だが,今までに発覚していた勢力とはまた違うことは感じられる。


「この仔たちは人形ではない。玩具扱いなど以ての外,身勝手な殺害など人間レベルの行いだ」


「貴様! 黙って聞いていれば言うに事欠いてその言い様は何だ!」


 新たなる第3者が現れる。否,初めからそこにいた。ただ,湊斗たちには気づけなかっただけである。


(人間ではないみたいだが……正体は何だ?)


 奥に構えている2つの人形(ヒトガタ)は背中に鳥のような羽があしらわれている。伊達には見えない。片方は女性のようで,もう片方が男性のように見える。ただ,両者共に片手には槍を持っている。凝った意匠だが,儀礼用という雰囲気ではない。さらにその表情に怒気を帯び,湊斗たち……との間にいるもう1つの人形(ヒトガタ)に睨みを効かせている。

 そんな怒気をものともせずもう1つの人形(ヒトガタ)は宙に佇んでいる。湊斗たちには背中しか見えないが,綺麗な白い髪である。翼があるのに地に足をつけた天使のような2つと違い,翼もないのに浮いている。言葉節から,湊斗たちの味方と断ずることはできないまでも,今この場においては味方のようだ。


「あ,あなたは……」


 驚きのあまりそう口にするアリス。白髪の人形(ヒトガタ)は,たしかにアリスが獣人の里付近で出会った正体不明の存在。

 そして何よりの特徴は──


「何で表園の制服を……?」


 その服装だ。Sクラスの面々にとってまさしく理解不能。疑問の声が上がるのは当然とも言える。

 だが,それがその疑問に答えることはない。


「とはいえ名乗ってはおく。私はセイ。覚えなくても良い」


 セイはただの1度も振り返ることはない。それは目の前の2つを警戒しているから。


「アナタがセイだったのですか。警戒がバカらしい程に弱いのですね……っと,冥土の土産に教えてあげましょう。私は861918A。この世界の主神により遣わされた天使のひとりです」


「わざわざこんなゴミに名乗るかよ……まぁいいか。俺は2010E6」


 3者3様,それぞれの名乗りが終わる。


「天使なんて存在がいるのか……」


「俺たちにどうこうできる存在じゃねーぞ,これ……」


 妙な存在に遭遇した驚きと,その存在から放たれる重圧を感じながらもそう口にするアジュンとリチャード。


「……」


「……」


 理由は違えど言葉を発することができないアリスとノエル。

 湊斗は状況に呑まれそうになりながらも現状を整理する。

 861918Aという天使。主神の使いを称する。立ち位置的に迷宮のボスの可能性が高い。どうもSクラスを殺しにかかろうとしていたようである。

 2010E6という天使。861918Aの後ろに待機しているようだったが,気が短いのかセイの挑発で姿を表した。

 セイという存在。861918Aと対立しているようだった。Sクラスをこの場で始末することには反対のようだ。

 何が起きるか読めない以上できる限りの情報を割り出しておく必要がある。無論,正確であることが前提でもあるが。


「単純な力だけで言えばあの男の方が1番か……?」


「ほう?」


 湊斗の呟きに2010E6が反応する。圧の高まりを感じ,この発言は迂闊だったかと反省する。


「どういうことだ?」


「……」


「……構わん,言ってみろ」


 湊斗がアルトゥールの問いかけを意図的に無視していると,2010E6が促してくる。高まっていた圧は元に戻っている。


「名前が短かったから年長だと判断しただけだ」


 天使のような神秘的存在は基本的に古い方が力を持っているからな,と付け足す。


「そうか」


 そう言った途端2010E6の姿がブレる。


(速いっ!?)


 金属のぶつかる音が響く。その音の正体は槍同士がぶつかった音。

 湊斗に向けて放たれた2010E6からの攻撃を861918Aが庇う形で受け止めたのだ。


「何故」


「それは……あれ? 何故でしょう?」


 861918Aも自分の行為を理解できていないようだ。

 向き合ったまま動きを止めた天使たちに濃縮された煤闇が放たれる。当然,放ったのはセイだ。


「ふん,姑息な……」


「先輩どうしましょう!?」


「力の強弱は勝敗を決める1要因でしかない。流石に理解しているな?」


 Sクラスから距離を取る天使たち。セイは天使とSクラスの間に降り立つと,初めてSクラスに視線を向ける。その素顔は仮面に覆われてているために見ることができない。

 ただ断じられるものがあるとすれば,その言葉は2010E6がこの場で最も強力な存在であることを認めながらも,自身が負けることはないと示すもの。


「その首,落としてやるよ」


 2010E6はセイの胸部目掛けて真っ直ぐに槍を突き出した。セイは体を横に捻り回避すると空いた胴に掌底を打ち込む。衝撃に動きを止めた2010E6にすかさず蹴りを入れ突き飛ばす。

 さらに,入れ替わりに突撃しようとした861918Aに弾幕を展開し動きを制限。861918Aが誘導された先に柱が倒れ込み彼女を下敷きにする。

 セイは天使たちへの追撃は行わず,真っ直ぐと861918Aが最初にいた玉座のような場所に向かっていく。


「やぁああ──!」


 下敷きから脱した861918Aが再び槍を振るい突撃していく。

 大声を上げながらの攻撃が察知されないはずもなく,簡単にいなされ,槍も失うという結果に終わる。

 なおも果敢に打ち込まんとする861918Aに対し,セイは冷静に捌き続ける。


「──っ! ぁぁああ!」


 戦いの最中,敵味方問わず言葉を交わすことも無かった戦場に悲痛な叫びが響く。その声の出処は当然ながら861918Aだ。腕があらぬ方向に曲がっており,その痛みに打ち震えている。


(天使にも痛覚,ちゃんとあるんだな)


 あまりに沈痛な面持ちを浮かべる861918Aを見て,半ば現実逃避でもするかのような考えが湊斗の頭をよぎる。


「俺の狙いはこっちのガキどもなんだよ!」


 2010E6の声に現実に引き戻される。気がつけば,何か力を使ったのか穂先の光り輝いている槍が大きく振り払われようとしていた。


「何っ!?」


 しかし,その槍は誰1人傷つけることなく動きを止める。


「そこを抜かる程頭が悪い訳ないだろう?」


 結界が1枚,湊斗たちと2010E6の間に展開されていただけのことだ。しかし,その1枚の壁はそこらの城壁を軽く凌ぐかのような堅牢さでもって2010E6の前に立ちはだかる。


「だが,甘いんだよ!」


 吶喊と共に2010E6の苛烈な攻撃が結界へと浴びせられる。その結界が城壁であったのなら,彼の攻撃はさながら破城槌だ。結界の自己修復が徐々に追いつかなくなり,傷が増え始める。

 しかし,結界に致命的な1撃が入る直前,大掛かりな術式が展開され莫大なエネルギーが2010E6の身を大きく吹き飛ばす。この場の誰も予見できなかったであろう攻撃だ。


「ふん,私だってやる時はやるし」


 その声を発したのは2010E6を吹き飛ばした本人──レティシア・ヴィレガス。


「今の……」


 魔術の術式を読み取っていたアリスは小さく息を漏らす。展開されていた術式は応報魔術。対象の直前の行動が魔術に大きく影響する魔術。

 しかし,問題はそこではなく術式の規模だ。地球において1代,それも1ヶ月で練り上げられるようなものではない。少なくとも数百年以上の積み重ねがあろう術式だ。


「驚いた。まさかの結果だ」


「──」


 セイも素直に感嘆の声を上げている。861918Aは無理矢理見せられていたようで,痛みと驚きで表情が酷いことになっている。


 応報魔術,害意変換術式【謀叛処断の掟】レー・キュー・ジャズガー・エル・マル。自身を害そうとするもの,自身に逆らうものに対して,対象の規模に応じた攻撃が行われる。足りないエネルギーは対象から補填されるという1度起動させると厄介極まりない魔術。それがレティシア・ヴィレガスの切り札の1つなのだ。


「ぐ……うぐっ」


 呻き声を漏らしながらも瓦礫の中から立ち上がろうとする2010E6。しかしながら,立ち上がった直後に再び倒れこむ。意識はあるようで,自己回復に専念しその場から動かなくなった。

 既に5階層目の神殿を模した内装はボロボロだ。短い時間とはいえ戦いの激しさが顕れたものと言えるだろう。

 終戦の兆しが見える中,セイは861918Aを解放すると再び玉座のような場に向かっていく。


「天使にとって神々からの命令は絶対だ。そして,神々の中で矛盾する命令がなされた時は自身が直接仕えている神の意向を優先する」


 セイが不可視の術式を展開する。それは瞬間的に玉座を覆うとすぐさま霧消する。


「どうだ? 神々の意向は変わったようだが」


 861918Aがゆっくりと玉座に向かって歩き出す。既に腕の治療は済んでいるようだ。玉座を前に自身の後ろに回るセイに一瞬だけ視線を向け,玉座に祈りを捧げる。

 その光景は神秘そのもの。さっきまで軽くあしらわれ,痛みに喘いでいた天使とは思えないような高貴さがそこにはあった。


「認めざるを得ませんね。しかし,一体何を──」


 861918Aは立ち上がるとセイに向かって疑問を1つ投げかけようとする。

 何故,神々はこの異世界人の集団に対する対応を変えたのか。セイがそれに1枚噛んでいるのではないか。


「君たちの主は目の前の大いなる脅威に対抗するために潜在的な敵と組む選択を取った。ただそれだけのことだ」


 861918Aの追及を遮り,ただ神々の天秤が傾いただけというセイ。

 そこに,動けるまでに回復した2010E6が歩み寄る。


「チッ,派手にやりやがって……結果としちゃ俺たちがあいつらに手を出す理由が消えただけかよ」


「違うが」


「は?」


「いや,何と言いますか……先輩もこちらに来れば分かるかと……」


 玉座の前に行き,2010E6も861918Aと同じ情報を得る。

 すなわち──


「神の加護を,この異世界人どもに与えるだと……!?」


 2010E6の視線の先,この場を訪れたSクラスのメンバーも驚きと戸惑いの表情を浮かべる。


「あとは皆で話し合ってくれ。私はもう必要ないからな」


 そう言って姿を消すセイ。その場に残された者たちの間には暫くの間,気まずい沈黙が流れるのみだった。


キャラクターメモ

『セイ』

何故か表園もてぞの学園の制服を身に纏った存在。アリス曰く,人というより魔そのもの。Sクラスの敵か味方かも判然としないが,何やら天使と敵対している模様。

白い髪でロブと呼ばれる髪型だが,素顔は仮面に覆われている。


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