第36話 商会の裏,Sクラスの表
湊斗はシンシアへ契約内容を伝えると,目下の行動を指示する。暫くは潜伏すること,何か用があれば湊斗から連絡すること,緊急時以外は直接の接触は行わないことなどだ。
これがまた湊斗にとってはやや面倒な展開を迎えたのだが,それはそれとしてその同時刻の話である。
「場所の特定ができたらしい。南側の……ここだ」
そう言って男は机の上に広げた地図,その一ヶ所を指し示す。
「たしか,都市外への脱出経路だったよね? もう調べたと思うけど」
どうも符号があるらしい,と男は気だるげに返す。事前に話を通していなければ入ることは叶わず,高度に偽装されているので虱潰しに探し出すことも難しい。
「でもまあ位置割れたんでしょ? 久々に私の出番じゃん」
「こういう任務の時だけは心強いな」
「だけじゃなくてもでしょ!」
「準備しろ。すぐ出るぞ」
「無視はないでしょ無視は」
彼らの任務は単純明快。犯罪者の捕縛だ。それには奴隷取扱法に違反した嫌疑がかけられているのだ。しかし,これは彼らが動く理由ではない。
「そういえば商売敵でもないのになんでこんな依頼してきたんだろ。居場所の特定も楽じゃないと思うんだけど」
「依頼人の事情に首を突っ込むのはご法度だ」
「考えるくらいいいでしょ……ああ待って置いてかないでよ」
彼らが動く理由はその犯罪者が依頼主に危害を加えようと企てた,とされているから。依頼主からの情報であり,正確さなど微塵も期待できないが,彼ら暗殺者にとっては報酬が貰えるのなら些事である。
2人は街行く人々の隙間を縫って駆けていく。向かう先は都市の南,その路地裏。誰に見つかることもなく,階段を降り,とある石壁の前で足を止める。
「ここだ」
「りょーかい……せいやっ!」
男の指示で女が壁を蹴りつける。ただの蹴りではなく『爆脚』という技である。文字通り,蹴った箇所が爆発を起こす。難しい技ではないが,爆風が容赦なく本人を襲う危険が過ぎる技である。
石壁は呆気なく吹き飛び,爆風が地下を吹き抜ける。地上ではパニックが起きているかもしれない。
「なにこれ……」
女が吹き飛んだ石壁の向こうの景色にそう漏らす。自身にかかる負荷など無かったかのようだ。
「獲物は間違いなくいるはずだ。俺は探してくる。見張っていろ」
「りょーかい」
男が奴隷たちの保管されている区画へと足を踏み入れようとしたその時,男へと刃が振るわれる。
「っと,危ない危ない」
体を捻り刃を躱した男の前に現れたのは筋肉質の男。上裸であり,その胸には奴隷であることを示す紋様が浮かんでいる。
「へっ,悪ぃな。てめぇをぶっ倒すのが──」
不敵な笑みを浮かべていた奴隷はその表情のままその生涯を終える。圧倒的な早業。相棒である女にもその瞬間を目で追うことができない。
「さて,隠れてないで出てきたらどうだ?」
「……ワタシに何のようですかな……?」
「のこのこ出てきた胆力だけは褒めてやる」
「──!?」
奴隷の主は出てきた直後に意識を刈り取られる。命があるだけマシと言えるかは彼次第なのだろう。
「あ,終わったの?」
「依頼主に報告しに行くぞ」
女の問いかけにそう返し,崩れた石壁の向こうへと戻っていく男。女もそんな彼の背を追いかけていく。
2人が外に出ても太陽の位置は殆ど変わっていない。それだけ一瞬で完了する仕事であれば,彼らが出向く必要も無いのだが,今回の件に関しては暗殺者2人の個人的な興味の問題である。
「や,仕事終わったよ」
「思ったより早いですね。流石は帝国最強,いや大陸最強の暗殺者といったところでしょうか」
依頼主である商人の足元に意識を失い猿轡を填められた奴隷商人が転がされる。
「確かに報酬は受け取った。本来なら殺し以外をするつもりは無かったが……」
「気が変わったのですか?」
「色々と気になったのさ。わざわざ生かしてきてやったんだ。少しばかり教えてくれてもバチは当たらないだろう? ……例えば奴の所在をどう掴んだか,とかな」
「協力者がいたとだけ」
「あの場には魔法感知の魔導具,それもかなり質が良いものが置いてあった」
「あれね,世界中で知られてる魔法のほぼすべてが感知対象になってたよ。無いのとか禁忌魔法とかそれくらいじゃないかな」
「あるいは自身で作り上げた新種の魔法という可能性も微々ながらあるな……さて,そのような存在について我々が興味深く思うのも無理はないと理解して貰えたか?」
「それは,痛い程に。ですが,私も商人です。いたずらに契約を破るわけには参りませんので」
「今回はそれで良い。だが次はない」
「”プラチナコース”相手に1度でも機会が貰えるのなら奇跡というものでしょう」
「……帰るぞ」
「りょーかい」
依頼主である商人と意識のない奴隷商人をその場に残し2人の暗殺者は姿を消す。
「大陸最強の暗殺者,ショウ……そしてその相棒シャラ,か……大変なことになってしまいましたね」
当然ながら暗殺者を雇うと言っても簡単ではない。それに,値段はケースにより大きく左右される。暗殺対象の実力,置かれている環境,そして暗殺者の技量。これらが値段を大きく左右する要素だ。
今回の依頼においては,暗殺対象の実力──低,置かれている環境──所在不明で護衛としての奴隷あり,暗殺者の技量──中,という具合のはずだった。
所在不明を解決できたため,安上がりになると思っていた商人だったが,暗殺者の実力が中──シルバーコースを大きく外れていた。ブロンズ,シルバー,ゴールドという一般の指定を外れたプラチナコース。大のつく富豪でもそう簡単には雇えない存在。それが彼の前に現れた。料金は据え置きで良いとは言われたが,その真意は不明。
「できることは……ありませんか」
面倒な存在に目を付けられたと心の底から思う。それでも1人のしがない商人である彼にできることはない。世話人を呼び奴隷商人──チニキを地下まで連れて行かせる。
「そういえば──」
ふと,商人は思い出す。今朝方,管理局の人間,それもこのトルボスのエースが自身の商館を訪ねてきたのだ。その目的はある少年少女たちへの接触。この商人の協力者もこのうちの1人である。その名はミナト。今回の件では,奴隷商人チニキの位置情報,扱われている奴隷情報の提供を行ってもらっている。彼の商人としての勘はミナト,正しくはこの少年少女たちと敵対すべきではないと言っていた。
「国も管理局も動いているのはどうも気がかりですね」
素性のしれない1団ではあるが,国と管理局が躍起になって行動を起こす程だろうか。否,そのようなことはありえない。しかし,商人は彼ら彼女らが特殊な魔法を使えることを知っている。禁忌魔法か新種の魔法か。魔法を使うことのできない彼にとっては判別などつきようもない。
「果たして,国と管理局が”Sクラス”にあのような特殊性を持っていることを知っているのか……難しいですね」
手掛かりがあろうと確信するのは難しいはずだ。しかし,確信がなければ強硬的な1手は打てない。
Sクラスという名称に関しても,だ。あの少年少女は自分たちを指して使っていた。クラスという表現が学び舎で使われていることは商人も知っている。しかし,帝国内に彼ら彼女らがいたと思われる痕跡はない。
「ひとまず,次の1手は──」
「ザラキア様,管理局よりジリアン様が到着なさいました」
突然の訪問に驚きつつも,慌てることなく,部屋を出てエントランスへと向かう。本人たちの預かり知らぬところでもSクラスを中心にした目論見は密かに動き出していた。
「これで,指示は以上だ。上手くやってくれ」
「わ,分かりました。ご主人様」
シンシアを連れていき宿を手配する。今は個室の中で最終確認をしているところだ。
「……本当に分かっているんだな?」
「分かってるもん!……ます」
「言葉遣いも楽にしていい」
「え? いいの?」
「そっちの方が効率的だ」
割と子供っぽいシンシアだが,子供である。奴隷になってからそれなりに経っているのにも心身共に子供のままなのは彼女が長命種──エルフであるためだ。
出会ったときからフードをかぶっており,フードを外したのは宿に入ってから。湊斗が彼女がエルフであるという事実を知ったのもその時である。
「じゃ,もう行くからな……本当にちゃんとしてくれよ?」
「分かってるって!」
そんなやり取りを交わして湊斗は宿を出る。宿の主人が怪訝そうに見ていたが完全に無視である。
湊斗が向かう先はトリオ商会の商館。つまり戻ってくるという訳だ。商館の中に入るとエントランスにいた何人かのクラスメイトに視線を向けられる。そのうちの1人であるアリスが湊斗の方へと歩いてくる。
「あっちよ,今後について話すことがあるわ」
「どこをほっつき歩いてたのやら,とか言われると思っていたが」
「聞いても答えないでしょう? かなり待ったのは事実だけど極力早めに共有しておきたいの」
「分かった」
連れて行かれた先は1つの個室。中にはアーキルとシャルロッテの姿もある。前日に図書館で情報集めを行っていた2人だ。
「個別に聞くなんて時間の無駄でしょう?」
「さて,なんのことやら」
「午前中,何をしたかの追求はいりませんか?」
「無しで頼む」
アリスとシャルロッテから軽いジャブを受ける湊斗。アーキルはというと,机の上に置かれたサンドイッチを無言で食べている。
「ひとまず,情報からお願いね」
「まずは帝国について説明しましょう」
シャルロッテが説明を始める。帝国はかつて怪物主が猛威を振るった時代に台頭し,その討伐の名誉を以て最大の国家となった。北の国境が隣接しているハーバリア神国と仲が良かったのだが,教義に対するスタンスの違いから現在は関係が悪化したとのことだ。
「そういえば,ハーバリア神国が勇者を擁しているとか何だとかで,帝国でも勇者を担ぎ上げようとする動きがあったらしいわ。今は静かになってるみたいだけど」
「ガルムさんをボコボコにしたっていう人だったっけ……確か勇者アレンって呼ばれてた」
サンドイッチを食べ終わったアーキルが口を挟む。神国──というより女神教が勇者を担ぎ上げたのには理由がある。
その理由とは魔獣王の活動が活性化しているからだ。魔獣王──世界に12体存在する強者たる魔獣たち。しかし,魔獣を強い順に12体並べた訳ではない。
「人間に置き換えればそのまま王様に近いかな。多くの魔獣の憧れの的だけど,敢えて嫌う魔獣もいて……政治なんて面倒だって王という立場に成りたがらない人間がいるみたいに」
「いきなり魔獣王の話を始めたってことは──」
「その通りです。魔獣王の1角,シャイニーシープを説き伏せた人が,神国の神殿騎士見習いアレンという訳です。これを受けてアレンは勇者としての世間に名を知らしめることになりました」
「そのシャイニーシープはどうなったのかしら?」
「勇者と同調し,消失したと言う話です。記録員によれば勇者の魂に耐えられず飲み込まれたということになっていますね。今,シャイニーシープがいた枠にはエスケープゴートが入っています」
「エスケープ?」
「自在な転移能力を持っているそうですね」
「魔獣王活性化の影響は他に何があるの?」
「白狒々があの森に移住したのもその一環だって。それ以前はハーバリア神国の西になる小国群にいたんだとか」
つまり,魔獣王の活性化は数十年前には既に始まっていたということだ。勇者アレンが勇者となったのは1年前。当時の年齢は15歳だったという。勇者誕生は各国のトップに通信用の魔導具を通じて伝えられたらしく,伝達にタイムラグは殆ど無かったらしい。
神国がようやく手に入った対魔物の象徴に浮き立っているとすれば,帝国もまた象徴を欲したのは想像に難くない。
「ともあれ,そこら辺の面倒事との付き合い方は考えた方が良いだろうな」
「次に,強さの水準です」
「スキルは高位の鑑定魔法の使い手が必要らしい。鑑定魔法の使い手は数が少ないとか,レベルまでは分からないとかであまり浸透してないっぽいけど」
「帝国はレベルまで見通せる特殊な魔導具を所有しているようです。文献によればレベルは10が最大のようですね」
「本当か?……レグニア公爵が多属性魔法Lv.10持ちだったが,相当な化物ということだな。それ以上の秤が無いだけもしれないが」
なお,Sクラスで最も高いのはアリスの基礎魔術Lv.6である。当然レベルが上がる程に上がる条件も厳しくなるようで,どのスキルにしろレベル10に達した人材は割と稀少らしい。
「それとステータスに関しては1ランク上がるごとに2倍になっていると見て良さそうですね。プラスとマイナスはその中で細分化となっているようです」
「それも文献情報か?」
「いえ,ボクたちで割り出したものです。図書館にはそのような情報がなかったので」
「よく割り出したな……」
この都市の図書館は流石に帝都といった中核都市程に大きい訳ではないが,それでも1日で読み切るのは普通不可能な量の蔵書を有している。当人ら曰く「何の為の魔術ですか?」とのことだが,魔術だけでどうにかなるものでもない。単純な地頭の良さも大きく関わっているだろう。
「さて,私からは1つ相談事を。管理局によると皇帝が私たちの身柄を狙っているらしいの。問題は管理局にも裏がありそうなところね」
「裏表の話をするならここトリオ商会もだ。俺たちをここに置いている時点で何か狙いはあるだろう。ファムべの口添えが効力を持つのは俺たちをトルボスに送り届けるまでだからな」
「問題は帝都からの拘束部隊がかなり強力と推定されることね。移動速度だけでも特別な訓練を受けているように感じるわ」
アリスによれば到着は1週間後だという。つまり,それまでには対応を考えなくてはならないということだ。対応における問題点は意地でも身柄を確保したいように思える皇帝と,無理にでもそこから遠ざけようとする管理局の対応の仕方である。
「帝国としては俺たちを捕縛したいが,それは管理局にとって不都合という訳だな」
事実関係を見極めたいが,手段が無い。表向きにはトリオ商会に所属していると思われているだろうが,実際は違う。誤解を恐れずに言い表すなら飼われてる状況だ。監視もあるため,立場のある人物への接触は不可能。ここキャリアザルド帝国はSクラスが召喚されたミラビリス王国とあまり良い仲ではない。互いに嫌っていると言っても過言ではないかもしれない。それゆえに,ミラビリス王国レグニア公爵家と縁があるという話をする訳にもいかない。
「どちらに付くにせよ今のボクたちにできることはかなり限られますからね」
「──だからまずは,私たち自身の手札を増やすわ」
「……手札? 対抗するための武力なんてそう簡単には手に入らないと思うんだけど」
「アーキルくんの言う通り1週間鍛えるのではたかが知れてる。けど,この世界の武力も純粋な個々人の能力で決まっている訳じゃないわ。地球に比べてその比率が高いのは事実でもその差を埋めうるアイテムも存在するのよ」
「迷宮ですか,ボクは賛成しますよ」
「先に迷宮について聞いていいか? 俺は迷宮について何も知らない状態なんだが」
「迷宮とは神々の試練。人々が魔なる脅威に対抗するための力を養う場。実戦にて技を磨き,その力に応じた対価を得る……こちらにはそう書かれていますね」
湊斗の質問に答えたシャルロッテ。その手には迷宮の概要が記されているだろう書籍がある。聞けば図書館から借りてきたというが,ここはトリオ商会の商館である。
「早い話が迷宮で使い勝手の良い強力な魔導具その他を見つけましょうということよ。初心者向けがこの都市から馬車で片道1時間。悪くないと思うのだけど」
「危険度は問題ないのか?」
「奥まで行くつもりはないし,獣人の里で戦った魔物程の危険はないはずよ」
「分かった。なら賛成だ。編成は任せる」
「明日の朝,ここのエントランスに集合ね。私は馬車の手配をしてくるわ」
そう言ってアリスが席を立つ。
迷宮のアイテムがどうにか突破口となれば良いが,どう転ぶかはまだ分からない。どのような展開にも対応できるように備えておく必要はあるだろう。
「アーキル,ボクたちも行きますよ。タイムリミットまでにするべきことはまだ残っていますから」
「うん。分かってる」
続いてアーキルとシャルロッテも部屋を離れていく。他に誰もいなくなった部屋の中で湊斗は立ち上がり窓の外を見る。
活気のある人々の姿が目に入る。
《最初の仕事だ》
《おっ,早速? 何でも言ってよ,ご主人様》
《トルボス辺境伯家の屋敷に潜入して,帝都──皇帝との繋がりがあるか探ってくれ》
《いきなり難度高くない……?》
《何でも言ってと言ったのはお前だ。スキャナーを渡すから宿の斜向かいにある店で待機してくれ》
魔物が人を襲うこの世界,人々は固まっていなければ自衛すらままならないだろう。事実このように集まった人々は協力し,魔物に怯えることなく人生を歩んでいる。
だが,魔物という脅威があっても人類が1枚岩になることなどできない。だからこそ”ナニカ”を巡って今も人々は争い続けている。当然,帝国でもだ。
「その争いの1角を明かすことができれば上々だな」
湊斗も部屋を後にする。そして誰もいなくなった部屋には再び静寂が訪れる。
ワールドメモ
『暗殺者ギルド』
暗殺依頼はどうぞこちらに。
暗殺者の実力はブロンズ,シルバー,ゴールド,プラチナという4つの段階で評価され,高い程に依頼料が上がる。本編に登場したショウはプラチナ,シャラはゴールドである。
プラチナがいる以上,金を積めば失敗しない依頼は基本的にないのだが,変人ばかりのプラチナに依頼を呑ませることができるかは全く別の話である。




