第10話 謀る者
ノエル・フランソワ。測定された訳ではないが,その魔術適性は『分裂増殖』。自身や対象物を魔力で複製するというものだ。魔力を消費し,自身の魔力を材料に複製を行う。当然取り回しは悪い魔術である。余程の変わり種でない限り,適性を持っていなければ使わない魔術筆頭と言える。原材料となるものがあれば魔力の消費は抑えられるのだが。
新しい世界が知りたくて,新しい友達を作って見たくて,或いは素敵な人に巡り逢いたくて,そんな気持ちで表園学園にやってきた。携帯端末で,フランスに残した友達と連絡を取りながら,日本へ渡る。手続きのため,3月には日本に着く必要はあったとはいえ,入学式前から波乱の展開だなんて思ってもみなかったが,彼女にとってはちょっとしたスパイスに過ぎなかった。まさしく彼女にとって魔術は新しい世界だったのだから。
しかし,現実はそう上手くは進まない。急に呼び出されたと思えば,クラスメイトの死を目の当たりにして,自分もまた命の危機にいて,そんなのは嫌だった。
だが,彼女は──否,クラスメイトの殆どは知らない。魔術師に真っ当な生を歩む権利が無いことに。
階段で湊斗と別れたノエルは1人階段を駆けのぼっていた。
(きっと,別れたのは私のため。少しでも忘れさせてくれようとしたんだよね)
恐怖で震えそうになる体を必死に動かしながら階段を進んでいく。
エレベーターを使わないのは安全のためだ。エレベーターを狂わすくらいなら半人前の魔術師でも普通にできる。
「はぁっ……はぁっ……」
運動は得意でも苦手でもないノエルにとって理事棟の5階まで──普通の建物ならば8階相当まで登るというのは楽にこなせるものではない。
「あと少しっ……」
心労が身体の調子に影を落とす。ノエルは4,5階間の踊り場で膝をつく。
「げん……かい……」
口に出したせいか,急に体が重くなる。実際のところ,湊斗は急かしてなどいない。むしろ,無理はするなと忠告していた。それにも関わらず,駆けのぼる事を選んだのはノエルの勝手だ。ただの不合理に過ぎない,誤った選択だ。
だが,それでも,急ぐ意味はあるのだとそう妄信していた。
(っ!? 何か力が湧いてくる……!)
突如として,体の内側から活力が湧き上がるのを感じる。体の疲労も和らいだ。気持ちも心なしか落ち着いた。
ゆっくりと立ち上がる。もう,すぐそこまで来ている。目的地は目の前に迫っているのだ。
「行けるよ,ノエル!」
階段を登りきる。眼前には重そうな両開きのドア。中から音は聞こえない。意を決して,ドアに手をかける。普通は魔術師の本拠地のドアを警戒もなく触るなどありえないのだが,今のノエルにそこまで頭が回る筈もなかった。
「はぁ,はぁ……ふぅ」
息をつき両開きの扉の右側に手をかける。
「えっ?」
目に入ったのは驚きの光景だった。倒れ込む女性と椅子に座った女性。
「おやおや,1人だけですかぁ。他の皆さんはどうしたんですかぁ?」
ニヤリ,と椅子に座った女が笑う。間違いない。この女こそ,この学園の理事長にして,件の黒幕だ。
「そもそも,俺に利点はあるのか?」
「道すがら,思念伝達系の術式を教えましょう」
「何となく,そんな気はしていたがお前も魔術師だったんだな」
「ふふふ」
そう言葉を交わし,湊斗とシャルロッテは階段を降りていく。否,落ちていくと言ったほうが良いだろう速度だ。魔術を上手く使えば大抵のことはどうにかなってしまう。
すぐに地下に続く扉の前に辿り着く。
「警報用の術式は解除済みです。先に行きましょう」
シャルロッテはそう言って扉を開くと,階段を降りていく。湊斗も後を追い,その背中に話しかける。
「言っておくがもう余り余裕は無いぞ,気力と体力的な面で」
「特別なことをして欲しい訳ではありません。少し,見てもらいたいものがあるのです」
迷い無く先導していくシャルロッテ。
(一体どこに連れて行く気なんだ?)
「ほら,ここですよ」
案内されたその部屋は単なる部屋だった。扉を開け,中に入っているものを見なければの話だが。
「これは……!?」
「驚いてくれて何よりです」
部屋に入り,最初の衝撃は異臭だった。普通の部屋ではあり得ないようなそんな異臭。そして,そこにいたのは服を脱がされ,鎖に結ばれた,シャルロッテ・アドラーに良く似た──瓜ふたつの少女だった。
横に目を向ければシャルロッテは笑っている。
「どういうことなんだ?」
「ボクの力の1つです」
そう答え,目から光を失った少女に近づいていく。
「これはボクが用意したスペア,とでも言いましょうか。2219年12月29日の朝陽新聞を検索してみてください」
「ああ」
突然の光景に指示に従うことしか出来ない。思考を回しながら,その記事を見つける。
「なるほど。『昨日未明,死刑判決が確定し最高刑務所に収容されていた■■■■が突然死。遺体に外傷なく,直前まで健康状態は問題なかった模様』,か。お前の仕業ということだな」
「他人を自分に似せる,というものです。貴方たち2人が呼んだ彼のせいで,自分と同じ性別でないと似せれなくなってしまいましたが」
「は?お前……女なのか?」
「さて,どうでしょう。因みにコレを用意したのは8月です」
文化祭は10月だった。だが,そうなると何を思ってこの少女を利用したのかが分からなくなる。学園から目をつけられる段階に無かったはずのシャルが身代わりの用意を画策した理由は一体何なのか。
(思ったより面倒なことになってるのかもな)
「さて,最後の仕事ですよ」
シャルロッテが少女に囁く。この部屋の持ち主,或いは他の人物を含むのかもしれないが──に尊厳を破壊されきった少女に終わりが告げられる。
「|【世界よ,幸福な夢に沈め】《せかいよ,こうふくなゆめにしずめ》」
詠唱がなされると同時に少女は塵と化して消える。もはや何も残されていない。床に落ちている引き裂かれた制服が彼女がいたという唯一の証。高校に通えなかった少女の存在の証が高等部の制服など何とも皮肉な話だった。
「何も聞かないのですね?」
「このことに関して,俺はお前を糾弾する権利を持っていない,そうだろう?」
「良く分かっているようで何よりです」
異臭に耐えかねてか,部屋を出ていくシャルロッテ。それに続き,湊斗も部屋を出る。
「今の魔術で地下の魔術師たちは動けなくなりました。皆,幸せな夢に溺れてしまいましたから」
「なるほどな,それで?」
「それだけですよ」
学校所属の魔術師が何人いるかは不明だ。地下の存在を突き止めたレインであってもその数までは把握できていない。シャルはそれを全員動けなくしたと言い切った。湊斗としてはその裏に何があるか分からない以上,警戒のしようも無かった。否,正しくは一挙手一投足に気を配る余裕が無かった。
湊斗は階段にさしかかったところで再び問いかける。
「それだけということは無いだろう。お前1人で十分に事足りたはずだ。本当に何をする気なんだ?」
「他人も,自分も気づいていない,そんな自らの一部分に気づいてほしかっただけです。ミナトがその想いを自覚する事を望んでいる存在がいる,お気付きでしたか?」
「ますます意味が分からないな。誰なのか,教えてくれはしないんだろう?」
階段の段数は残り少ない。
「当然です。ノーヒントで辿り着いてもらわないと困りますから。──当然,ボクではありません。意味がありませんからね」
階段を登り切る。前にも見た1階の廊下だ。
「エレベーターを使いましょう」
「……分かった」
エレベーターに乗り込む。妨害の可能性はシャルロッテを信じるのならば,ではあるが,無い。
「ところで,ミナトはどこまで魔術を理解していますか?」
「いきなりどうしたんだ?」
「例えば……そうですね。魔術を以てしても不可能に近いものはどうでしょうか?」
「気にしたこと無かったな……ある程度論理的でないと極端に行使者の負担が増える程度にしか」
湊斗にとっては魔術もまた道具の1つに過ぎない。魔術・魔法と聞くと何でもできるような気がしてしまうがそんなことはないのである。極一部,そのようなことをやり遂げる存在はむしろ異端の域とも言えよう。
湊斗のそんな回答に,シャルロッテはちょうどやってきたエレベーターに乗りながら答えを返す。
「間違いではありません。問題となるのは行使者が知覚し演算できるかどうかですからね。不可能は殆ど無いのです。演算さえ叶うならば,ですが」
その言葉と同時にエレベーターが最上階に着く。湊斗には扉が開く速度がやたらと遅く感じた。廊下へと湊斗は足を進めていく。数m程後ろからもう1つの足音を聞きながら,いくつかの部屋を視界の端に捉えながら。
理事長室の前へと。
理事長室に辿りついた一行が目にしたのは部屋の端に転がされている見たことのない女,尊大という言葉が良く似合うような座り方をしている理事長,そして,息を荒くしながらも,理事長に向かい合っているノエルの姿だった。
(湊斗くんの姿がない……?)
「おい,大丈夫か!?」
有栖の考えを他所にアルトゥールがノエルに声をかける。続いて入ってきた他の生徒もノエルに声をかける。
「な,何とかね……っ」
ノエルはクラスメイトに連れられ,後ろの方へ移動させられた。その性格からか,ノエルは友人と言える存在が多い。当然,心配の声をかけるクラスメイトも多かった。ちなみに,もう1人の女性だが,両開きのドアの死角になっているせいで見えていないのか,放置されている。有栖は最初に入った時,右側の扉だけを開けたのでその姿を確認できたのだが,こちらに視線を向け続ける理事長が不穏すぎたのもあり,不用意な動きを避けるためアクションは起こさなかった。
「いやぁ……それにしても。本来は顔すら知らないはずの30人がこうも仲がいいとは,面白い話だねぇ。まあ全員はいない訳だけど」
(当然と言えば当然だけど,話し方は普段と違うわね。こっちが素なのかしら?)
瞬間,有栖は咄嗟に左手を広げて横に伸ばす。
「うっ」
刹那,掌に鈍い衝撃が走る。咄嗟ではあったため,何が起きるか分かっていた訳ではないが,その行為により後ろの生徒に危害は及ばなかったと言えるだろう。後ろの生徒,Sクラスの生徒たちではなく,有栖のみが気づいていた扉の死角に倒れている女。
仮に有栖が左手を犠牲にしなければ間違いなく死んでいた。
「どうしました?」
ノエルを退避させたメンツからは外れていたノアが声をかける。
「見えなかったけど……何か魔術を使われたわ。おそらく,呪いに近い類ね」
苦い表情で有栖は応える。左手は魔術によるものか,痺れて動かせない。
「仲良きことは美しきかな,でも残念。既に脱落者がいるようですねぇ。30人全員が来ないとは,ねぇ?」
「あの謎の集団も,理事長の差し金なのかな?」
「は?」
理事長の顔色が変わる。その表情は敵意。向けられたのは──三上晴哉。理事長が直前までの飄々とした態度を一瞬で転じさせたのだ。
(直接でもないのに,体が重い?)
「何故,貴様がここにいる? 死にたくなければさっさと失せろ……ついでに部屋の隅に転がってるのも持っていけ,今回のみの特例だ」
直前までの愉悦じみた口調は消え,単に冷徹さを残しただけの口調になる理事長。
その理由の如何はと言えば間違いなく晴哉に起因するもの。
「先輩,オレたちはいいから,離れた方がいいっすよ!」
晴哉は,ジョバンニの言葉に頷くと,倒れていた女を連れて謝りながら退室していった。
「良い判断ですねぇ,もし残るようなら……こうなっていた訳ですよぉ」
そう言って理事長は床に落ちている布袋を軽く蹴る。その口調は再び元に戻り,先の一瞬が何だったのか,分からなくなる。
有栖は言葉節から理事長の言う袋の中を推測する。考えうる最悪のパターンが最も可能性が高い。だとすれば今更手遅れ。どうしようもない考えるだけ無駄なことと切り捨て,無理矢理思考を目の前にいる理事長へと戻す。
「さて,1-Sの生存者諸君,君達を呼び出した理由を説明しようじゃないかぁ……」
その言葉にクラス27人,この場にいる全員が反応する。
「君達はある共通の問題によって呼び出された。それは理解してるだろぉ?」
いちいち仰々しい仕草をしないで欲しい,この場にいる多くの生徒はそう思っただろう。椅子に座ったままとは思えない躍動感だ。
生徒たちの反応に満足気に頷くと理事長は続ける。
「纏めて消すつもりだった,実は初めから。そう言ったら驚くかなぁ?」
「どーゆーことよ!」
声を上げたのはレティシア。
レティシア・ヴィレガス──有栖にとってはそこまで印象の無い生徒だ。一方で,地元では強烈な印象を持たせるような,そんな生徒だった。中学では自身を頂点としたヒエラルキを築き上げ,自身に歯向かう生徒や気に食わない生徒を片っ端から排除した。中高一貫校ではあったが,イジメられていた生徒が自殺した事を契機に退学処分に。その後,表園学園高等部を受験,合格。この場にいる他のクラスメイトは誰も知らないが,そのヒエラルキ形成に魔術を使っていたのだ。魔術適性の計測を隠蔽し,ここにおいては誰も知らない。そんな彼女が持つ魔術適性は『陣頭指揮』。湊斗も隠す意思のある情報を見抜く実力は持っていない。判別出来なかったノア,ノエルとは違い,有栖と同じ,意図的に隠しているタイプだ。
「欲しかった反応をありがとぉ。驚くべきことにねぇ?君達の中には魔術の天才,秀才と呼べる人物が多すぎるのだよぉ。集めたのは私なんだけどねぇ。ちょっと計算外だったというかねぇ? もっとも,天才児と呼ばれる人材は多いけど,埋もれずに大成するものは少ないがねぇ」
理事長が椅子から立ち上がる。
「た だ ,ここまで集まるなんて前代未聞。危険すぎる! 排除しなくなくてはぁ!」
その声は本気で排除を目的とするより自身の愉悦を目的としているような響きである。
しかし,理事長によって放たれた魔弾は十分な殺傷力を秘めている代物。使用者によって外見が変わることがない,単なる攻撃的な魔力の塊とも言える。要するに,実力が顕著に出る魔術だが,実際に当たらなければその効力は分からないという訳だ。
それを,アルトゥールは正面から拳を振り抜いて対抗する。
破裂音とも爆発音ともつかない音が理事長室に響く。
「アルトゥールくん! ……澪さん!」
血を流し,床に倒れ込むアルトゥールを見て,有栖は治癒魔術に適性のある澪を呼ぶ。
村井澪──表向きの気は強いが実は優しい系女子,というやつだ。それは魔術適性の『生命増幅』にも顕れている。生命力を増幅させ自己治癒能力を高めることが可能だ。所謂リジェネ効果ではあるが,通常の治癒魔術に効果の上乗せとして使うことも可能だ。
無論,今の彼女の腕では完治させることは厳しいのだろうが。
「よく耐えましたねぇ。大抵の生徒は片付くのですがぁ」
(やっぱり,前々から似たことをやっているようね)
「では,もう一度ぉ」
理事長の手に再び魔力が集まっていく。1弾目が瞬時に放たれた事を考えれば遊んでいるのだろう
「【幾年の研鑽,数多の犠牲,その上にこそ安寧の地は生誕する──先進安地】」
有栖の詠唱が終わると同時に1-Sの生徒を覆うように障壁が展開される。障壁によって外側と内側は互いに視認できない。故に,誰も理事長の顔が嗤いに歪んだことに気付けない。
「平気ですか?」
「えぇ……とはいえ余裕が無いのも確かよ」
「なんか切り札は無い訳?」
「残念ながら,ね。全員で同時攻撃でもしてみるかしら?」
「嫌よ,そんなの」
「でしょうね」
攻撃は未だこない。有栖は油断した隙を狙っていると見ていたが,他の生徒までそうとは限らない。実際,パニックになっていないのが不思議な程だ。何か,手を加えられているかのような,そんな疑わしさがある。
1分が経過する。障壁の外に魔力は感じない。音も不自然な光もない。
「そろそろよくないかな?」
アジュンの一言で全体の空気が有栖に障壁の解除を求めるものになる。
その瞬間だった。魔弾が障壁に降り注ぐのは。
最初のそれなりの大きさが1発,と言うものではない。最初に比べれば幾分か小さいものが大量にというもの。失われていた音と衝撃が走る。
「何とか持ちこたえさせるわ! 皆は反撃の用意を!」
結局,それ以外の選択肢は無い。レティシアは反対したが,それでも取れる行動に限度はある。
魔弾は30秒ほどで止む。再展開された障壁は崩れ落ち,もはや遮る物はなくなった。有栖は意識を手放さないように必死に堪えつつ,魔術が行使される音を聞いていた。
「うーん,こんなものですかぁ」
一通り反撃を受けた上で拍手の音が響く。
「全くもって拙い,半人前,未熟ぅ! だがしかし! たかだか2週間程度とは思えない!普通,そのレベルの魔術を体得するとなれば1年はかかる。初代の筈だぁ,恵まれた環境も無い筈だぁ,一体,何をしたぁ!」
クラスメイトの全員が戦慄した。話している途中で熱が入ったのか,はたまた別の何かなのか。日頃生徒の前に立つときの大人な一面も,晴哉に向けた冷酷な眼差しも,Sクラスを弄ぶ愉悦の感情も,その何れもが当てはまらない。だがそれだけでもなかった。素人目にも分かるような魔力の流れ,隠す気などさらさらないのだろう。半人前程度に対処できる程,魔術の世界は甘くない。魔術の世界では数が質に勝ることは困難だ。大成した天才を打倒出来るのは大成した天才のみ,或いは天才故の慢心を突いて奇跡を起こすか,だ。
理事長は大成した天才だ。目の前の少年少女に何ら手はない。理事長は勝利を確信していた。
だがそれは,もはや抗う術を持たない1-Sの面々を前に,油断したということだ。
──Sクラスの生徒たちの前で,理事長は正面から飛来した魔針に頭を撃ち抜かれる。
キャラクターメモ
『ノエル・フランソワ』
明るいムードメーカーとして振る舞う綺麗な緑髪の少女。一方で向こう見ずな面も持ち合わせる。
魔術適性『分裂増殖』を持つが,その難易度から本人は殆ど扱えない。今後の成長に期待。
その魔術適性は本人と湊斗を除いて誰も知らない。




