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私が消えた後のこと

作者: 藍田ひびき

「もう……ったら、こんなところで」

「いいじゃないか、いずれ結婚する仲だ。愛してるよ……」


 木陰で愛を囁き合い、身体を密着させる男女。


 図らずもそれを見てしまった少女は、衝撃のあまりよろめいた。

 聞こえてくる男の声が、間違いなく自分の婚約者のものだったからだ。

 

 ふらつく足を動かし、少女はその場から立ち去る。

 その胸中は絶望に染まっていた。

 彼は少女にとって、数少ない希望のひとつ。それが幻に過ぎなかったと突き付けられたのだ。

 今は自分を取り巻く全てのものが、厭わしく思える。


 だから少女は祈った。

 誰も私を必要としないのなら、私はこの世から消えてしまいたい――



****



「お嬢様……いったいどこへ行ってしまわれたのか……」


 侍女コリンナは深い溜め息を吐いた。

 

 コリンナが仕えているお嬢様ことシャーロット・クレヴァリー伯爵令嬢が行方不明になってから三日が経つ。

 この家の者たちは、彼女が自ら出奔したと思っている。それは彼らに、少なからず身に覚えがあるからだ。

 

 シャーロットは名門クレヴァリー伯爵家の一人娘である。両親や祖父母の愛を一身に受け、大切に育てられた。

 心根の良くない令嬢だったなら、溺愛に甘んじて傲慢に育ったかもしれない。だが彼女は心優しい性格で、驕ることはなかった。また賢く勤勉で、家庭教師からは「王族か公爵家のご令嬢にも劣らないほど優秀な生徒ですわ!」と絶賛されたほどだ。


 シャーロットが幼い頃より仕えているコリンナは、そんな主を心から敬愛していた。


 だが、その幸せな生活は5年前に終わりを告げる。

 馬車の事故により、クレヴァリー伯爵夫妻が亡くなったのだ。祖父である前クレヴァリー伯爵やその妻も既にこの世を去っている。そのため一番近い親族である叔父のブレント・クレヴァリー子爵が、シャーロットが成人するまでの間、伯爵代理として采配を揮うことになった。

 

 妻子を連れて伯爵邸に移り住んだブレントは、伯爵代理の立場をいいことに好き勝手し始める。財産を湯水のように使い、妻子にも贅沢をさせた。

 

 一方で、シャーロットの扱いは酷なものだった。彼女の部屋はブレントの娘エレインの物になり、代わりに与えられたのは物置のように狭く暗い部屋。持っていたドレスや装飾品は全て取り上げられた。外出は禁止。来客があっても顔を出すなと部屋へ押し込めた。

 食事の際だけはブレント一家と同じテーブルに着かせてもらえるが、シャーロットの前に並べられるのは使用人に与えられるような食事だ。そんな皿でも食べないわけにはいかず、シャーロットが口を付けるのを見て、ブレント一家は嘲笑った。

 

 ブレントの妻レイラも館の女主人のように振る舞った。館の内装を自分好みに替えただけではない。商人を呼びつけて高価な装飾品や美術品を買い漁り、頻繁に貴婦人たちを招いてパーティを催した。無論、そこに掛かる莫大な費用は全て、クレヴァリー伯爵家の財産から賄われた。

 本来ならば、それはシャーロットのものであるというのに。

 

 エレインは更に酷かった。常にシャーロットを見下し、「いつまでここにいるのかしら、この居候」と貶す。機嫌の悪いときはシャーロットの数少ない服を破いたり持ち物を壊したりして、憂さ晴らしをしていた。

 

 一家の中で、多少なりともマシな態度だったのは息子のレナードだけだ。とはいえ、妹の嫌がらせを「やり過ぎだ」と窘める程度だが。

 

 古くから仕えていた執事や使用人の中にはブレントへ忠告する者もいたが、みな解雇された。

 新しく雇った執事や使用人もまた、シャーロットを軽んじた。主人の態度を見てシャーロットを「どう扱っても良い存在」と捉えたのである。

 コリンナは主人夫妻に従順な振りをした。そうしなければ自分も解雇されるからだ。そしてこっそりとシャーロットの世話をした。


 こんな扱いをされれば、誰だって家を出たくなるだろう。

 だが、どこに?

 

 シャーロットは他に身寄りがないのだ。それにあの義理堅い彼女が、コリンナにまで黙っていなくなるとは思えない。何より、数少ない身の回りの物や服はほとんど残っていた。


 お嬢様は、拐かされたのではないか?


 そう考えたコリンナは意を決してブレントへ直談判した。衛兵隊に連絡して、お嬢様を捜索するべきだと。

 ブレントは聞く耳を持たぬどころか「侍女の分際で生意気な!」と激怒し、彼女を解雇すると告げた。

 

 この家の人たちは、誰もシャーロットの安否を気遣っていない。

 

「どうしよう……。誰か、真にお嬢様を案じて下さる方はいないの?」


**


「シャーロットはまだ見つからないのか!」


 執事のゴーチエを怒鳴りつけたのは、ブレント・クレヴァリー伯爵代理だ。手に持ったペンを叩きつける所作が、彼の怒りの度合いを表している。


「近隣をくまなく当たってみましたが、それらしい娘を見かけた者はいないと」

「くそっ。なんで今なんだ。来月だったら、いっそ消えてくれて良かったものを」


 兄のジョスラン・クレヴァリー伯爵が亡くなった際、ブレントは幼いシャーロットに代わって盛大に葬儀を行った。兄夫婦の死を悲しみ涙を流す彼に、参列者は貰い泣きをしたものだ。


 だが実のところ、彼はちっとも悲しんでいなかった。むしろその肩を震わせるのは、隠しきれない喜び故だったのである。

 

 兄は優秀な男であった。幼い頃からブレントには何ひとつ、兄に勝る物は無い。しかも弟を見下すことはなく愛情深く接してくるところが、また癪に障るのだ。


 前クレヴァリー伯爵は隠居に際して、ジョスランへ家督を譲った。ブレントに与えられたのは子爵位と、いくばくかの領地だ。

 名門クレヴァリー家の当主という輝かしい地位、社交界での確固たる評価。それは長男というだけではなく、ジョスランが自らの地位に相応しくあるように努力した結果だ。だがブレントはそれを認められず、ただ次男に生まれた自分の運命を呪うだけだった。

 

 その兄が亡くなり、羨んでいた地位や財産が自分の元へ転がり込んでくるのだ。そう思うと顔が自然にニヤついてくる。

 だが意気揚々と伯爵邸へ乗り込んだ彼を待っていたのは、伯爵家の執事が呼んだ公証人だった。

 

 公証人は、クレヴァリー伯爵の遺言について淡々と説明した。

 

 一. クレヴァリー伯爵家の全財産はシャーロットが相続すること

 一. 伯爵位はシャーロットの夫となった者が受け継ぐこと

 一. 相続はシャーロットの成人後に行うこと、もしシャーロットの成人前に自分が死んだときは、ブレントが伯爵代理となって財産の管理を行うこと


 ブレントは愕然とした。これでは自分に何も利がないではないか。それどころか、シャーロットが成人するまでの繋ぎとしてこき使われるだけだ。


 財産と伯爵位の相続を分けたのは、シャーロットの身を守るためだろう。自分が死んだ後まで用意周到な兄に、ブレントは舌打ちした。

 

 その後すぐに、ブレントは長男のレナードとシャーロットの婚約を取り結んだ。

 シャーロットには「お前一人でこれからどう生きていくのだ。私たちが家族となれば、お前を支えてやれる」と言葉巧みに説得した。



 妻子を連れて伯爵邸へ移り住んだブレントは、自ら「クレヴァリー伯爵」と名乗った。彼が伯爵位を継いだと思い込んだ貴族たちが擦り寄ってくるのは、気分が良かった。

 その中に共同事業の話を持ち込んでくる者がおり、ブレントはよく調べもせず提携した。兄の代からいる執事が咎めてきたが、煩いので解雇してやった。

 結局事業は破綻して損害を被ったが、ブレントはさして気にしていない。クレヴァリーの領地は広大であり、財産はまだ十分にあったのだ。


 妻のレイラや娘のエレインも、浪費をするようになった。その一方で、シャーロットが冷遇されていたのは知っている。

 ブレントがそうさせたわけではない。家内を仕切っているのは妻のレイラだ。彼女が姪に対して虐待じみた振る舞いをするのを、ブレントはただ黙って見ていただけだ。

 彼は、兄に良く似た姪を疎ましく思っていた。兄そっくりの蒼い瞳で見られるだけで落ち着かなくなるのだ。


 だから彼女がいなくなったこと自体は何とも思っていない。

 ただ、時期が問題だった。なぜなら、シャーロットは来月成人するからだ。


 公証人の前でシャーロット自身が相続証明書にサインをする。そして彼女と結婚したレナードが伯爵位を継ぐ。

 そうなればシャーロットはもはや不要の存在だ。むしろ消えてくれた方が都合がいいというものだ。彼女が死ねば、この家は全てレナードの、すなわち我々の物になるのだから。


「旦那様。やはり衛兵隊に連絡して助力を仰いでは?」

「馬鹿者!我が伯爵家の恥を晒すようなものではないか。とにかく、使用人総出で探せ!」


 衛兵なんぞに知られたら、内情を探られる可能性がある。芋蔓式に自分がクレヴァリー家の財産を使い込んでいることまで、調査が及んでしまうかもしれない。何としても、内々に解決せねばならないのだ。


**


 クレヴァリー子爵令息レナードの生活は、伯父夫婦が亡くなってから一変した。

 

 住まいは豪奢な伯爵邸に移り、多くの使用人に傅かれた。着る物も食事も今までとは比べ物にならないくらい上質だ。通っていた貴族学院では、今までほとんど接点の無かった高位貴族の令息令嬢から話し掛けられた。皆はレナードの父、ブレントが伯爵位を継いだものと勘違いしていたのである。


 学園側は爵位に関わらず生徒は平等であると唄っているが、実際のところ、爵位によるヒエラルキーは存在するのだ。突然高位貴族の仲間入りをしたレナードは、子爵位以下の者たちからは羨望の眼差しを受け、令嬢たちからは盛んに秋波を送られた。

 

 それがとても良い気分だったので、レナードは勘違いを訂正しなかった。どうせいずれは伯爵になるのだ。それが早いか遅いかだけの違いだ。


 そんな彼へと近付いてきた令嬢の一人が、エヴリーヌ・ダルトワ伯爵令嬢であった。

 彼女は学内で評判の美人であり、レナードも密かに憧れていた。だが伯爵令嬢である彼女が、ちっぽけな領地しかない子爵家の跡継ぎを選ぶわけはない。そう考えて諦めていた。

 だが名門クレヴァリー家の当主なら……彼女を妻とすることも夢ではない。

 

 あっという間に二人は恋仲となった。


「早く両親に申し出て頂けませんと、私、他の殿方と婚約してしまうかもしれませんわ」


 そんな風に言われて焦ったレナードは、エヴリーヌへ求婚してしまった。

 無論、シャーロットのことは話していない。エヴリーヌは純粋にレナードの正妻になれると思っている。

 

 レナードは、シャーロットのことを嫌いではなかった。見た目は悪くないし、生意気で我が儘な妹に比べて控えめな所も良い。

 父からシャーロットとの婚約が決まったと言われた時は、喜んだくらいだ。なにせ、彼女と結婚すれば伯爵になれるのだから。


 だからシャーロットを虐める妹を諫めもしたし、時には彼女へ優しい言葉も掛けてやった。

 しかしレナードにとってシャーロットは妹のようなものであり、女性として惹かれているのはエヴリーヌだった。


(エヴリーヌと結婚するためには伯爵位が必要だ……。そうだ!シャーロットと結婚した後にエヴリーヌを正妻とし、シャーロットを第二夫人にすればいい)


 この国では、王族及び高位貴族のみ複数の妻を持つことが認められている。

 シャーロットとは白い結婚にしよう。もしエヴリーヌが嫌がるようなら、シャーロットを領地へ押し込めればいい。そうすれば、エヴリーヌはシャーロットと顔を合わせなくて済む。


 色々と穴だらけの計画である。だが恋に浮かれたレナードは、何とかなるだろうと考えていた。

 

 あの日は我が家でお茶会が開かれており、エヴリーヌもそこへ招かれていた。レナードは彼女を庭へ連れ出し、木陰で愛を囁いていたのだ。


「もう……レナードったら、こんなところで」

「いいじゃないか。いずれ結婚する仲だ。愛してるよ、エヴリーヌ」


 そうして抱き合った背中ごしに、走り去っていくシャーロットの姿が見えた。

 追いかけて弁解するべきだったかもしれない。だがエヴリーヌを離すわけにもいかず、結局そのままにしてしまった。

 

(シャーロットには後で謝ろう。結婚前の火遊びとでも言っておけばいい。優しい彼女なら、許してくれるだろう)

 

 だがその機会は失われてしまった。シャーロットはその翌日、姿を消してしまったのだ。


**


 エレイン・クレヴァリーは幼い頃、本気で自分をお姫様だと思っていた。ふわふわで栗色の髪にくりっとした瞳、ちょっとおしゃまな性格。愛らしい彼女は、大人たちにとても可愛がられた。


 その自信が打ち砕かれたのは、親に連れられ初めてクレヴァリー伯爵家を訪れた時のことだ。

 一歳年上の従姉、シャーロットと出会ったエレインは衝撃を受けた。

 美しくたなびく銀の髪、深い海のような碧色の瞳。伯爵令嬢という身分。着ているドレスから小物に至るまで、全てが自分のものより数段上質だ。


 自分を中心に回っていると思っていた世界は、あっけなく崩れ去った。


 今まで自分を溺愛していると思っていた祖父母は、シャーロットの方をより可愛がっていた。

 彼らからすれば、伯爵家の跡継ぎであるシャーロットを立てるのは当然だろう。だが、幼いエレインにそんなことは分からない。ただ同じ孫であるのに差別されているという不満だけが胸を支配していた。


 だから伯父夫婦が亡くなったとき、エレインは狂喜乱舞した。

 これで自分が伯爵令嬢になる。シャーロットがいた場所に、自分が立てるのだと。


 伯爵家へ越してきてからすぐに、エレインはシャーロットの持ち物を奪い取った。彼女の部屋も、ドレスも。母の形見という宝石類も取り上げてやった。

 シャーロットが悲しそうな表情を浮かべる様を見る度に、エレインの心は喜びに満たされる。

 

 もっとその顔が見たくて、嫌がらせをした。使用人に命じて腐った食事を与えたり、彼女の衣服だけは洗濯させなかったり。転んだ振りをしてシャーロットのスカートを破ったこともある。

 

 両親は娘の所業に対して、見て見ぬ振りをした。兄のレナードだけは「俺たちがここにいられるのは、シャーロットがいるからだよ。あまり酷い扱いをしない方がいい」と窘めたが、エレインは納得しなかった。


「何で?シャーロットはただの居候じゃない」


 レナードは何度か彼女の勘違いを指摘したけれど、エレインは信じなかった。


(だって、お父様もお母様も、私が間違ってるとは言わないもの)


 だから、勘違いしているのは兄の方だ。エレインはそう思い込んだ。



「ああ、困った……」


 兄の浮かない表情が気に喰わない。ようやく、あの鬱陶しい従姉が消えてくれたというのに。


「あの子に行くところなんて無いでしょう。心配しなくても、そのうち帰ってくるわよ」

「だけどもう一週間ですよ、母上。もし誰かに拐かされていたら」

「いいじゃない、お兄様。もうあの女と結婚しなくても済むんだから」

「そういう訳にはいかないんだよ。もうすぐシャーロットは成人なんだ。そうしたら、相続の手続きをする必要がある」


 父が伯爵位を継いだと信じて疑わないエレインは、兄がシャーロットと婚約しているという事実も不満だった。

 

(きっと、お兄様は優しいからシャーロットを気遣っているんだわ。あんな女、放り出すか、どこかの後妻にでも嫁がせてしまえばいいのに)


「エレインがシャーロットの振りをすればいいじゃない」

「背格好も顔も、全然違うでしょう。公証人はシャーロットを見知っているのだから、すぐにバレますよ」


 鷹揚に答える母に、レナードが冷静に指摘する。


「友人の家に、シャーロットにちょっと似た使用人がいたわ。その娘を使ったらどう?」

「あら、いいじゃない。相続と書類上の婚姻だけ済ませたら、そっくりさんにはお引き取り願えばいいわ」

「そんな簡単に……いや、それもありか……?」


 レナードはぶつぶつと呟きながら考え込んだ。


 これでシャーロットが戻ってきたとしても、もうこの家に居場所はない。それを知ったら、彼女はどんな風にあの美しい顔を歪めるだろうか。

 その様子を考えただけでぞくぞくする。

 

(もう、あの女の部屋も要らなくなるわよね。めぼしい物はとりあげたと思うけど、もう一度漁っておこうっと)


 エレインは上機嫌でシャーロットの部屋へ向かった。


**


「クレヴァリー伯爵令嬢が行方不明?」

「はい」


 クリフォード・カーヴェル侯爵令息は、主君であるアルバート王太子の問いに頷いた。

 この若き王太子の優秀さは、貴族たちの間でも評判だ。それに奢らず常に研鑽を重ねる努力家でもある。学生時代から公務に携わってきた彼へ側近として仕えていることを、クリフォードは誇りに思っている。


「貴族令嬢の家出は、別段珍しくない。それをわざわざ報告してくるという事は、何か裏があるということだね」


 アルバートの言う通りだ。令嬢が行方不明騒ぎを起こすのは、よくある話である。身分の低い男と駆け落ちしようとしたとか、親と喧嘩したとか、そういう理由だ。だが所詮は世間知らずの娘のやること。金が尽きればノコノコと戻ってくる。


「伯爵代理夫妻は彼女を虐待しているようです。シャーロットの侍女が証言しました」

「侍女が虚偽を述べている可能性は?」

「クレヴァリー家の使用人に聞き込みを行いました。侍女の証言と一致しています」

「へえ。よく聞き出せたね」


 貴族の家に長年仕えている使用人ならば、おいそれと主家の内情を漏らしたりはしないだろう。だが伯爵夫妻が亡くなったあと、使用人のほとんどが入れ替えられたらしい。

 新しい使用人は主人に対する忠誠心など微塵も持っていないらしく、金を積めばホイホイと事情を話した。


「信憑性はあるようだ。だが、それだけでブレント・クレヴァリー伯爵代理を捕らえることは出来ない。お前も分かっているだろうが」


 王家といえど、貴族の家の内部で起こっていることに対して干渉はできない。躾と答えられればそれまでだ。


「幼馴染のシャーロット嬢を助けたいのは分かるが、我々の抱える案件は他にも山ほどある。俺が介入するほど優先度が高い事件とは思えない」

「実はブレントの財産管理に怪しい点があります。必要経費を差し引いても、かなりの浪費をしているようで」

「伯爵代理の立場をいいことに、本来シャーロット嬢が受け取るべき財産を使い込んでいるということか」

「はっ」

「分かった。クリフォード、一週間やろう。ブレントを捕まえられるだけの証拠を掴んでこい」

「ありがとうございます!」


 クリフォードは王太子に一礼して退室した。

 


 シャーロットの侍女、コリンナがカーヴェル侯爵家を訪れたのは昨日のことだ。彼女は主の現状を訴え、クリフォードに助けを求めたのである。


 シャーロットとクリフォードは幼馴染だ。母親同士が親しかったことから、顔を合わせる機会が多く、そうこうするうちに仲良くなった。

 幼いクリフォードは人より賢い故に他者を見下す癖があった。だがある日、ゲームでシャーロットにこてんぱんに負かされたのである。

 それは単語を使った遊びであり、その結果はシャーロットの教養の高さを示していた。

 だけど彼女は決して、クリフォードを見下すようなことはしない。いつしか、優しく気高い彼女へ憧れるようになった。

 

 成長するにつれ、二人はあまり顔を合わせなくなった。数年ぶりに再会したのは、とある貴族邸で開かれたパーティへ参加した時のことだ。

 クレヴァリー伯爵夫妻と共に現れたシャーロット。美しい淑女へと成長した幼馴染を目にした瞬間、クリフォードは自分の恋心を自覚した。

 

 ちょうどその頃である。カーヴェル家に跡継ぎ争いが起こったのは。

 クリフォードには腹違いの兄がいる。彼はカーヴェル侯爵の前妻の息子だ。侯爵は兄を跡継ぎにする腹づもりだったが、現妻は息子のクリフォードに継がせたがった。侯爵と妻との諍いはカーヴェル家の寄り子である下位貴族を巻き込み、泥沼化した。


 兄は優秀で、次期侯爵として申し分がない男だ。クリフォードは元々、次男の自分が跡継ぎになるつもりなど毛頭無かった。醜い争いに心底嫌気がさしたクリフォードは、跡目は兄に譲ると宣言し、他国へ留学したのだった。

 

 シャーロットの事が心残りではあった。

 しかし実家がごたついた状態で、彼女へ求婚できるはずもない。帰国したら彼女へ会いに行こうと思っていた。


 クレヴァリー伯爵夫妻が亡くなったことを知った時、彼は留学中だった。帰国し弔問へと赴いたクレヴァリー家で、シャーロットとレナードが婚約したことを聞かされたのである。

 

 その後、彼女に会ってはいない。婚約者の決まった令嬢へ付き纏うほど、クリフォードは愚かではない。


 シャーロットが他の男のものになると思うだけで、胸を掻きむしりたくなるくらい苦しかった。

 それでも、彼女が幸せに過ごしているのならそれでいい。

 そう思って耐えてきたのだ。

 

 だからコリンナから聞き出した内容は、クリフォードにとってとうてい許せるものではなかった。


(シャーロット……。姿を消してしまうほどに君を追いつめた奴らを、俺は決して許さない。必ず相応の報いを受けさせる)


**


 庭園から甲高い笑い声が聞こえてくる。娘のエレインだ。頬を染め、隣に座る青年へ盛んに話しかけている。


「まだ居座っているのか、あの男は」


 ブレントは苛つきながら呟いた。あの男とは、シャーロットに会いたいと言って突然訪ねてきたクリフォード・カーヴェル侯爵令息だ。


 シャーロットの不在はこの家の者しか知らない。そもそも彼女は社交界へほとんど顔を出していないのだから、それで通ると油断していた。

 まさか、シャーロットをわざわざ訪ねてくるような知己がいるとは。


 ひと目だけでも会わせて欲しいと食い下がるクリフォードを「実はシャーロットは寝込んでおるのです。熱で顔が腫れ上がっていて、とてもお会いできるような状況では……」と往なしていた所に、娘が帰ってきた。

 エレインはクリフォードを一目で気に入ったらしい。「侯爵家のご令息がわざわざ足を運んでくださったのに、追い返すなんて!」と彼をお茶の席へと連れて行ってしまった。

 

 確かに見目は良い男だ。側近として、王太子殿下の覚えもめでたいと聞く。あの様子を見るに、エレインから寄せられる好意に対してクリフォードの方も満更ではなさそうだ。


「まさか、伯爵家の婿の座を狙っているのか?」


 彼も、ブレントが伯爵位を継いだと勘違いしているのかも知れない。それならエレインに対する態度も頷ける。シャーロットがダメならエレインを落としてやるという算段だろう。

 

 だがクレヴァリー伯爵家を継ぐのは、シャーロットの婚約者であるレナードだ。エレインの婿となる男が貰えるのは、ブレントの持つ子爵位だけ。次男とはいえ侯爵家の令息を、子爵家の婿にはできまい。


 それを知ったら、クリフォードは悔しがるかもしれないな。

 あのスカした顔が恥辱に歪む様は見てみたい気もするが、今はそれどころではない。シャーロットの相続手続きは来週なのだ。余計なトラブルを引き込むのはごめんだ。


「ゴーチェ!奴を帰らせろ。来客が来るとでも言っておけ」

「畏まりました」


 出て行く執事を見送ったブレントは、書類棚の戸が開いていることに気付いた。


「あいつが閉め忘れたのか?ここには大事な書類が入っているというのに」


 念のため、棚の中を改める。相続に関する書類が在ることを確認したブレントは、乱暴な音を立てて棚を閉めた。




「これはブレント様、お忙しい中こちらまでお越し頂き申し訳ございません」

「お久しぶりです、ベルナールさん。いやいや、大切な手続きですからな。私が出向くのは当然ですよ」


 一週間後。ブレントは相続手続きのため、王宮の法務部を訪れていた。

 この場にいるのは公証人ベルナールとその秘書とブレント。そしてもう一人、シャーロット――の偽者である。

 

 その正体はエレインの友人家の使用人だ。娘の言うとおり、確かに顔立ちや背格好はシャーロットによく似ている。髪は銀色に染め、ドレスを着せ顔を伏せれば、貴族令嬢に見えなくもない。公証人とは数回しか会ったことがないらしいから、シャーロットと見間違えるだろう。


 相続が終わったら彼女をレナードと結婚させる。これも書類上だけだ。そして口止め料を渡してあの娘は放逐し、シャーロットは病気で死んだことにする。

 その先を想像してニンマリとした笑みが浮かびそうになり、ブレントはあわてて顔を引き締める。


 そこへノックの音がした。入ってきた男を見てブレントはあっと息を呑む。


(なぜ、あの男が……?)


 それは、クリフォード・カーヴェル侯爵令息だった。


「失礼ですが、なぜカーヴェル侯爵令息がここに?今は相続手続きの最中です。部外者に立ち入られるのは」

「俺は立会人だ。王太子殿下より、相続を見届けるよう指示された」

「なっ……なぜ王太子殿下が?」

「クレヴァリー伯爵家は、古くは王家の血をも継ぐ名門だ。その相続を重要視されるのは当たり前だろう。それとも、俺がいては問題でもあるのか?」

「いえ、そういうわけでは」


 ブレントは焦った。彼はシャーロットを良く知っているのだ。偽者だとバレてしまうかもしれない。


 

「それでは、クレヴァリー家の相続手続きを始めます。まず相続人の方、お名前を」

「シャーロット・クレヴァリーです」


 思惑通り、公証人は疑いを持たなかったようである。クリフォードは彼女の一挙手一投足を見守っていた。何も言わないところを見ると、彼も本物のシャーロットだと思っているのだろうと、ブレントは内心安堵する。

 

 偽シャーロットの歩き方や話し方はレイラに指導させた。付け焼き刃だが、それなりには様になっている。とはいえ、長居すればボロがでるかも知れない。

 さっさと手続きを済ませねば。


「間違いありませんね。ではシャーロット様、ここに署名を」


 偽シャーロットはしずしずと前に出てサインをした。

 ここ一週間、あの娘には散々署名の練習をさせ、シャーロットと寸分違わぬ文字を書くように仕込んだ。多少違っていても、子供の頃と書き方が違うのは当然、と押し通すつもりだった。

 公証人はシャーロットの以前の署名と見比べ「同じ署名であることを確認しました」と述べた。


「これでシャーロット様は、クレヴァリー家の財産の全てを相続したことになります。それでは、印章の授与を行います」


 公証人ベルナールの秘書が、金庫のような物を出してきた。


「こちらに印章が保管してございます。これは、相続者にしか開けることが出来ません」

「っ……」


 驚きのあまり、ブレントは声を出しそうになった。


 印章。多額の取引きなどの際に必要となる、貴族家の紋章である。

 ブレントは伯爵代理となった際、一番にそれを探した。だが、前の執事は「公証人に預けております」と素っ気ない答えを返したのだ。

 

 相続とともに受け取れると思っていたのに、まさかそんな絡繰りがあったとは……。

 

「シャーロット様、こちらに手を」


 おろおろとブレントの方を見る偽シャーロットだったが、反応しないブレントを見て是と捉えたのか、金庫へ手を伸ばした。

 娘が金庫の扉に触れたとたん、魔法陣が浮かび上がる。だがすぐに魔法陣が赤く染まり、彼女の手を弾き飛ばした。


 「きゃっ!」と悲鳴を上げて倒れそうになった偽シャーロットを、クリフォードが抱き抱える。

 彼は伏せていた娘の顔をまじまじと見て「よく似せてあるが……シャーロットではない」と憎々しげに呟いた。


「どういうことですか、ブレント伯爵代理?」

「こ、これは何かの間違いです。この娘は間違いなく私の姪です!」

「王宮魔導士が組んだ魔法陣に誤りがあると?それは一大事だな。過去に法務部が行った相続手続きが、全て無効と言うことになるが」


 そう答えるクリフォードはどこか楽しそうだ。彼が「入れ」と外へ声を掛けると、なだれ込んだ衛兵がブレントを捕らえた。


「ブレント伯爵代理。いや、子爵か。貴様にはクレヴァリー家の財産横領の疑いが掛けられている」


 後ろ手を掴まれ、床に膝をついたブレントの前でクリフォードが書類をひらひらとさせる。


「それは我が家の帳簿……盗んだのだな!貴様こそ窃盗犯ではないか」

「これはクレヴァリー家の者から、正式に借り受けたのだ。窃盗ではない」


(家の者?まさか、執事が裏切ったのか……?あるいは使用人の誰かが)


「この5年でずいぶんと散財しているようだな」

「それは、シャーロットの頼みで」

「ほう?ドレスや宝石類はまだ分かるとして、男性用の礼服に新しい馬車、娼館の領収書もあるな。これもシャーロットが頼んだのか?」

「い、いえ。あの娘が我々に使って良いと言ったのです。シャーロットは優しい娘ですから」

「それでは、これは何だ?」


 クリフォードが差し出した書類。それは、土地の売買証明書だった。

 現金のほとんどを食いつぶしたブレントは、伯爵家の土地を別の貴族に売って大金を手にしたのである。

 王家から受領した土地の売買には、必ず印章が必要となる。売買証明書にはクレヴァリー伯爵家の印章が押印されていた。


「印章は前伯爵の逝去より今日まで、金庫の中にあった。書類の日付は一年前だ。印章の偽造が大罪であることくらい、貴様も知っているだろう」


 もはや言い逃れはできず、ブレントはがくりと首を落とした。


**


 その朝はいつものように目覚めた。ボウルで顔を洗い、服を着替えたシャーロットは部屋から出る。


「おはよう」


 通りかかった使用人の一人に声をかけるが、無視された。他の者も同じ態度だ。

 きっとエレインの指示だろう。よくまあ、次々と新しい嫌がらせをしてくるものだ。そう思っていた。

 

「シャーロットはどうしたんだ」

「それが、見当たらないようなのです。侍女が探していました」

「どこへ行ったのかしら?人騒がせな娘ね」


 叔父夫婦の会話を聞いて、ようやくおかしいと気付く。

 「お嬢様を見ませんでしたか?」と聞き回っているコリンナの耳元で『コリンナ、ここよ!私はここにいるわ!』と叫んでも、彼女は振り向かない。みな、自分が見えていないのだ。

 

 自分には自分の手足が見えている。だが鏡を見て愕然とした。そこには誰も映っていなかったのだ。

 

 もしや、自分は死んだのだろうか?

 

 だが、物に触ることは出来た。ペンを持てば字も書ける。

 

(もしかして……昨夜の祈りが原因……?)



 昨日は、我が家で貴族婦人やその令嬢たちを招いたお茶会が開かれていた。レイナからは絶対に客人に姿を見せてはならないときつく言われている。

 大人しく書き物をしていたシャーロットだったが、インクが無くなっている事に気づいた。コリンナに持ってきて貰おうと、人目を避けながら侍女を探すシャーロット。その耳に、男女の囁き声が聞こえてきた。


「いいじゃないか。いずれ結婚する仲だ。愛してるよ、エヴリーヌ」

「本当ですの?その割にはなかなか婚約話を進めて下さらないじゃない」

「あー……。今は従姉妹の成人を控えて、ちょっとごたごたしていてね」

「従姉妹って、前クレヴァリー伯爵のご令嬢?シャーロット様といったかしら」

「ああ。今は一緒に住んでいるんだ。君も、嫁ぎ先に余計な人間がいるのは嫌だろう?あの娘は相続手続きが済み次第、領地へ送る予定だ。それが片づいたら、すぐに結婚の準備を始めよう」


 男がレナードであることにはすぐに気づいた。

 

 従弟に対して恋愛感情を抱いていたわけではない。だけど彼はブレント一家の中で唯一、シャーロットに優しい言葉を掛けてくれた人だ。だから兄のように慕っていた。

 それが建前だったとしても、シャーロットはそれに縋りたかった。誰か一人でも自分を愛し、自分を必要としてくれる人がいると思いたかたった。

 だけど目の前の現実は、それが幻想に過ぎないことを彼女へ突きつける。


 (この家に私の居場所は無い……。いいえ、この家だけじゃない。お父様もお母様も、お祖父様もお祖母様もいない今、私を真に必要としてくれる人なんて誰もいないんだわ)


 だから女神様に祈ったのだ。

 この世から消えてしまいたいと。

 

 信心深い母が大切にしていた女神像に、シャーロットもまた毎日祈りを欠かさなかった。

 そんな彼女に女神様がほんの少し、慈悲を与えたのかもしれない。



 数日、シャーロットは見えない姿のまま過ごした。


 コリンナを除けば、誰もシャーロットの心配をしていなかった。叔父は彼女を捜してはいるが、その目的は相続を終わらせることだ。エレインに至っては、シャーロットがいないのをいいことに(実際はその場にいるのだが)、部屋を物色する始末。


(こんな寂しい思いをするのなら、いっそ本当に消して欲しかった)


 そんな風に、女神様を恨むことすら考えてしまう。

 

 誰にも知られずにここで朽ちるくらいならば、いっそ両親のお墓の前で死のう。

 だけどその前に、コリンナに何とか伝えたいと思った。彼女はいなくなった主を必死で探し回り、ブレントに訴えて解雇になりかかっている。

 彼女にもう探さなくていいと伝えたかった。


「お嬢様……」と呟くコリンナの肩を、シャーロットはそっと叩いた。怪訝な顔をして振り向いた彼女に見えるよう、木の枝で地面へ文字を書く。


『私はここにいる』


 

 コリンナは透明なシャーロットを伴って、カーヴェル侯爵家を訪れた。希死念慮に囚われたシャーロットを、この忠実な侍女は必死で説得したのだ。そして唯一頼れそうな相手として思い当たったクリフォードを頼ったのである。


 クリフォードは留学中にクレヴァリー夫妻が亡くなったことを知ると、すぐに手紙を送ってきた。丁寧に葬式へ参列できなかったことを詫び、シャーロットの身を案じる内容はとても心温まるものだった。帰国した際は弔問に訪れ「シャーロット、痩せたのではないか?」と気遣いも見せた。

 あの方なら、きっとお嬢様の力になってくれるとコリンナはシャーロットを説き伏せたのだ。



「王太子殿下に事情を説明したが、やはりシャーロットへの虐待だけでブレントを捕らえることは難しいようだ」


 クリフォードは当初、コリンナの話を信じなかった。あまりにも荒唐無稽だったからだ。この女は頭がどうにかなったのではないか、という疑いすら持ったらしい。

 だがシャーロットが彼の目の前で文字を書いてみせ、さらに見えはしないものの彼女の手に触れられることを知り、ようやく信じた。

 そしてブレント一家の非道に激怒し、必ず奴らを捕らえると約束してくれたのである。


「遺産の横領の線で押さえるしかない。だが、証拠が必要だ。クレヴァリー家の帳簿を入手せねば」

「私が解雇された身でなければ、旦那様の執務室に忍び込むこともできたのですが……」

『クリフォード様、コリンナ。私に考えがあります』


 シャーロットはクレヴァリー家を訪れたクリフォードにこっそりと同伴し、ブレントのいない隙に執務室から書類を持ち出したのだ。ブレントが想定以上に早く戻って来たのには肝を冷やしたが、なんとか執務室から抜け出すことが出来た。


 そしてエレインとの茶飲み話で時間を稼いでいたクリフォードと馬車で落ち合い、帳簿と土地の売買証明書を渡したのだった。



****



 ブレント子爵は捕らえられ、牢に収監された。印章の偽造は重大犯罪である。彼は爵位剥奪の上、死刑に処されることが決まった。

 ブレント夫人とその息子レナード、そして執事はクレヴァリー家の財産横領を幇助した罪で捕らえられた。三人は流刑地で30年間労働の刑となる予定だ。


 娘のエレインは関与していなかったため罪には問われなかったが、親の爵位剥奪に伴って平民となった。彼女は母方の実家である男爵家へ引き取られるそうだ。

 エレインは自分が伯爵令嬢になったと思い込み、母方の祖父母や叔父夫婦を見下し暴言を吐いていたらしい。男爵家での待遇は決して良いものにはならないだろう。


 これで、クレヴァリー家は正しくシャーロットの手元へ戻る。使用人はすべて解雇し、以前勤めていた執事や使用人を再雇用する手筈も整えた。


 だが、シャーロットの姿は消えたままだ。


「シャーロット。まだ、何か心残りがあるのだろうか」

『いいえ……。クリフォード様には十分に良くして頂きました。感謝しております』

 

 筆談で謝意を伝えるシャーロットに、クリフォードは優しく微笑む。


「感謝は不要だ。俺がしたくてやったことだから。それより、本当に心当たりはないのか?」


 あの日、シャーロットは誰も自分を必要としていないと思った。だから消えたいと願ったのだ。

 それを聞いたクリフォードが痛ましそうな表情になる。


「誰にも必要とされてないなんて、そんなことはない!君を心から慕っている者はいるんだ。コリンナもそうだし、俺だって」


 クリフォードは手探りでシャーロットの手を掴み、その場に跪いた。


「シャーロット、ずっと君が好きだった。俺には君が必要だ。どうか、俺の妻になって欲しい」

『私はこんな姿です。クリフォード様の妻は務まりません』

「君が元に戻るまで、いつまでも待つ。従兄弟と婚約したと聞いて、俺がどれだけ後悔したことか……。それに比べたら、待つことくらいは些細なことだ。ずっと君のそばにいられるのだから」


 自分を見つめる真摯な瞳に、胸が高鳴る。こんな風に誰かに熱く求められた経験は無い。

 彼に恋をしているかどうかは、まだよく分からなかった。だけどこの人が誰よりも自分を欲してくれていることだけは、分かる。


「シャーロット!姿が……!?」


 クリフォードの驚く声に、シャーロットは顔を上げる。彼は目を見開いてこちらを見ていた。

 

 鏡に自分の姿が映っていた。

 顔も手も足も、ちゃんと見えている。元に戻ったのだ。

 

「ああ、シャーロットだ!ずいぶん痩せているけれど、その姿は確かに……!」

「クリフォード様のおかげです。本当に、なんてお礼をいったらいいか」


 クリフォードはその言葉を遮るように、シャーロットの白い指にそっと口付けをする。

 

「礼よりも返事が聞きたい。シャーロット、俺の妻になってくれるかい?」


 シャーロットは真っ赤に染まった顔で、コクンと頷いた。




**(後日談)**


「君がクレヴァリー伯爵令嬢か」

「はい。王太子殿下にお目通りかないまして、恐悦に存じます」

「ああ、そんなに畏まらなくていいよ。楽にして」


 王太子アルバートの前には、緊張した様子のシャーロットと、それを微笑ましそうに眺めるクリフォードがいる。

 室内には王太子の側近と護衛騎士の他、クリフォードの父であるカーヴェル侯爵の姿もあった。


「ふふっ、確かに麗しい女性だ。クリフォードはね、結構ご婦人に人気があるんだよ。そんな彼が一途に想いを寄せていたというご令嬢に、一度会ってみたかったんだ」

「殿下!余計な事を言わないで下さい」

 

 真っ赤になった側近は放っておいて、アルバートはシャーロットを眺めた。


 彼女と直に会うのは初めてだ。確かに美しい令嬢である。気品有る所作に、鈴の鳴るような声で紡がれる言葉は流麗だ。淑女として申し分ないといえよう。

 だが、美しく気品ある女性などアルバートは山ほど見知っている。貴族のご令嬢ならば、このくらいの美女は珍しくない。


「シャーロット。クレヴァリー家の領地では果物がよく採れるが、生のままと加工したまま、どちらが良いと思っているかい?」

「あ……はい。どちらが良いとは申せません。生のままですと手間も要りませんから採算性は高いですが、色や形によってどうしても破棄せざるを得ないものが出てきます。それらを加工することで余剰分を消費できますので、どちらか一方にすべきとは思いません」

「ふむ。販売先は国内のみとしているね。国外ルートは考えていないのかい?最近は氷魔法により新鮮さを保ったまま運べる方法も確立しているが」

「周辺国では、リッイ国産の高品質な果物が出回っています。わざわざ魔法士を雇い、長距離を運搬してまで売るメリットがないと思います。ただ我が領地の加工技術には誇るべきものがあると自負しております。加工品なら日持ちもしますから、いずれはその販路を拡大できれば良いとは考えておりますが」


(……なるほど。なかなか賢い娘のようだ)


 領地に関する知識は学んだものとしても、突然の質問に対して即座に答える頭の回転の早さや明瞭で分かり易い話し方は、シャーロットの優秀さを物語っている。

 それに、伯爵邸から帳簿類を持ち出したのは彼女らしい。どうやったかまでは聞いていないが、なかなかに度胸もあるようだ。

 

「二人に結婚の意思があることは、カーヴェル侯爵から聞いている。そうなればクレヴァリーの伯爵位はクリフォードが継ぐわけだが……」


 アルバートは組んでいた足を戻して座り直し、声のトーンを落とした。


「分かっていると思うが、クレヴァリー家の状況は非常に厳しい。使い込まれた財産も売却された土地も、最早戻らない。この先は大変だよ。いっそ爵位を返還した方が楽かもしれない」

「畏れながら申し上げます、殿下。その点はクリフォード様ともよく話し合いました。私は、それでも両親から受け継いだこの家を守りたく存じます」

「もう一つ。クリフォードは俺の側近だ。それも大層優秀な、ね。彼にはこれからも俺のそばで働いて貰わなければならない。だからクレヴァリー家の内政はシャーロット、君が全て引き受けることになる。状況によっては、クリフォードはすぐに家へ帰ることができないかもしれない。何があってもね。それでも、君はいいのかい?」

「はい」

「本当に後悔しないか?今なら、君の婿に相応しい令息を探すことも出来る」

「いいえ、私はクリフォード様の妻になることを望んでおります。伯爵家のことを全て私が引き受けるのも、覚悟の上です」

 

 シャーロットは王太子の目をしっかりと見て頷く。その瞳には強い意志が宿っていた。

 

 これ以上の意地悪はやめた方が良さそうだ。

 それに、先ほどからクリフォードが射殺しそうな目でこちらを見ている。全く……主君に対して殺意を向けるんじゃない。


「分かった。ならば二人の結婚を認めよう。また、クレヴァリー伯爵領はカーヴェル侯爵預かりとする」

「っ、殿下!それは」

「しばらくの間だ」


 腰を浮かし掛けたクリフォードを手で制し、アルバートは続ける。


「カーヴェル侯爵。シャーロットが領主として十分やっていけると判断したら、彼女へ領地を返却するように。それまで、シャーロットの指導をよろしく頼む」

「畏まりました、殿下」


 シャーロットがいかに優秀といえど、成人したばかりで世間知らずの娘だ。ボロボロになった伯爵家の立て直しは手に余るだろう。そこをずる賢い貴族たちに付け込まれる可能性だってある。だがカーヴェル侯爵が後ろ盾となれば、貴族たちも手は出せまい。



「殿下。彼女はお眼鏡に適いましたかな?」


 若い二人が退室した後、カーヴェル侯爵がアルバートへ問いかけた。

 

「ああ。聡明な女性だ。クリフォードが気に入るわけだな」

「それはようございました。我が妻もシャーロットをいたく気に入っておりましてな。亡き友の分も彼女を支える!と息巻いております。おかげで、夫婦の会話が増えました」


 跡継ぎ争いの終結後、カーヴェル侯爵夫妻の仲が冷えているのは社交界でも有名な話である。シャーロットのおかげで仲が修復できそうなら、それは喜ばしいことだ。


「東方には『子供は夫婦の(セラー)』という言葉があるらしい。この場合は、嫁がカーヴェル夫妻の鎹というところだね」

「ははは、これは上手いことを仰る」

 

 アルバートの冗談に笑う侯爵も、どことなく嬉しそうだ。

 

 これから先も、シャーロットには数多の苦難が訪れるだろう。だけどあの二人なら、きっと大丈夫だ。





 

 





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