波と潮風、狐の呼ぶ方へ ー2ー
頬を叩くのは心地の良い潮風。
磯の香りを運んでくれる風には、アイゼルでは感じられなかった自然があって、思わず目を細めてしまう。
船の上からでも感じるこの解放感。
ここのところ学園に軟禁状態だったからか、余計に心が軽くなっていく。
両手を広げて、息を大きく吸い込めば、それだけで他の事など些事に思えてくるから堪らない。
例えば、俺の隣で難しい顔をしている少女の事とか。
「……ミューズで見つかった貴重な魔法……。やっぱり、水の系統かしら……。いえ、奇を衒った魔法の可能性とあるわね。アリーゼが言うくらいだから、相当なモノだとは思うけど…………。」
騙されていることなど露とも知らないノインは、ぶつくさと呟くばかり。
乗船してから早四日。あの手この手で彼女の関心を動かしていたが、もう無理だ。
ミューズに近づいた途端、この調子でまだ見ぬ新たな魔法に想いを馳せるようになってしまった。
さて、どうしたもんかなぁ……。
この先に碌なもんが待ち受けてない可能性が高いのは確か。
偽の情報だった場合、下手をすれば、ミューズに到着と同時に引き返すかも知れない。
そして、その時には見た事無いぐらい不機嫌な彼女と、同じ船で四日も過ごす事になってしまう。
頭を捻って策を練るが、どうにも良さげなのは浮かんで来ない。
ミューズにノインの関心を惹くような何かがあってくれると良いのだが……。
「この時期はミューズに行く人が多いですねぇ。」
「そうだなぁ。人魚の宴が近いからなぁ。」
「やっぱり、そうですよね!くぅ、俺も仕事が無ければミューズに入れたのになぁ!」
ぼんやりと景色を眺めていると、その会話が耳に入ってきた。
話していたのは年若い船員と、年老いた船員の二人。
聞こえる限りでは、どうやらミューズで催しがあるみたいだ。
生憎と俺は知らない催しだが、どうだろうか。
ノインの気晴らしになってくれる可能性もありそうだ。
「あー、ちょっと良いですか?人魚の宴、ってヤツについて、聞きたいんだけど……。」
「へっ?お客さんご存知無いんですか!?」
「……ずっとアイゼルにいたもんで……。有名なんですか、やっぱ。」
「そりゃ、当然有名ですよ!多分、この船に乗っている人は皆知っているぐらいですっ!」
二人に近づいて聞いてみると、答えてくれたのは年若い船員。
元気良く話してくれる彼からは、並々ならぬ熱意が伝わってくる。
隣ではもう一人の船員も繰り返し頷いているし、嘘ではないのだろう。
「人魚の宴ってのは、ミューズで一番のお祭りの事で、国全体で取り仕切るぐらいの大規模なものなんです!」
「へぇ……!そりゃ、大騒ぎだな。」
国が総力で行う行事なんてアイゼルでは聞いた事が無い。
王都での行う催しなら、何度か参加した事はあるが、それとは規模が違うだろう。
幾らミューズが海洋国家、島国の集まりだとしても、その規模で行われるのは凄い。
「はい!この期間中はミューズの何処にいっても、美味しいモノが立ち並んでますし、色んな国の出店が出てて、本当に煌びやかですよっ!」
勢いそのままいってのける船員からは、祭りの凄さがありありと感じる事が出来る。
ミューズならでは、といったところか。
多くの国と交易をしている口にだからこそ、他国の店も多く参加しているのだろう。
想像するだけでも心が弾んでくる。
期待していなかったが、思っていたより楽しめそうだ。
俺もこの旅は乗り気では無かったけど、かなりミューズが気になってきた。
「それに何と言っても、一番の楽しみはですね――」
「おう。そっからは、お客さんに自分で楽しんでもらうべきだぞ、新入り。」
「あっ!そうですよね!すいません、余計な事まで……。」
若い船員が続けようとしたとき、彼の隣から静止の声がかかった。
何やらこちらを見て、にやりとする老いた船員と、照れたように頭に手をやる若い船員。
意図がわからず首を傾げていると、老いた船員の方が近づいてきて、小声で囁いてきた。
「……お連れさんには、バレないように楽しめよ、兄ちゃん。」
「えっと、どういう事です?」
「さてなぁ?……そろそろ到着だっ!行くぞ、新入り!仕事の時間だ。」
はい、と元気よく返事が聞こえたかと思えば、二人は足並みを揃えて船内へと向かってしまった。
残された俺はというと、疑問を解消出来ず、ひたすらに首を捻るばかり。
いったいどういう事なのだろうか。
連れ、というのは、間違い無くノインのことだろうし。
ノインにバレてはいけない何かが、人魚の宴にはあるとでもいうのだろうか。
国を挙げての祭りな以上、色事では無いだろうし……、むぅ、わからん。
「……何の話をしていたのかしら?」
むむむと、疑問を浮かべ佇んでいると、ノインが心配気に声をかけてきてくれた。
俺の様子を見て困り事だと思ったのだろう。
「いや、ミューズで祭りがやってるって話をな。」
良くわかっていないが、とりあえずノインには誤魔化しておく事にした。
別に隠す必要はないのだけど、せっかくの忠告を無下にする必要も無い。
そんな俺を見て、少し目を細めるノインだが、どうでも良くなったのか、風に靡くを髪を手で払い踵を返した。
「そう。……時間があれば、寄ってみても良いかも知れないわね。」
「…………だな!」
海原をいく船から、大きな汽笛の音が鳴り響いた。
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「すっごいな、これ。やっぱり祭りの影響か?」
「そうでしょうね。」
発着場は、見渡す限りの人で溢れていた。
聞いていた通り、人間、獣人、さらには、有翼人まで、多様な種族が入り乱れている。
国の入り口でもある発着場だからこその賑わいだろうが、こうまで人が多いと少し煩わしく感じてしまう。
その分、祭りへの期待度は高まっていくのだが、残念ながら今は何の足しにもならない。
「さて、と。面倒だけど、俺らも移動しようぜ。……どこ行くか知らないけど。」
軽く身体を伸ばしながら、ノインに声をかける。
成り行きで来た俺と違って、彼女なら知っているだろう。
……そう思っての事だったのだが。どうやら、違うらしい。
「…………私も知らないのだけど。」
大きく目を見開いてこちらを見るノイン。
早速、雲行きが怪しくなっきたぞぉ……。
「師匠から聞いているんじゃ……?」
「リオンが全て知っている、と言われたのだけど?」
漂う沈黙は気まずい空気と一緒に。
周りはガヤガヤとうるさいはずなのに可笑しなもんだ。
……何してくれてんだ、師匠。
あろう事か、俺に全投げしやがった。
多分、情報の出所が自分の知り合いとバレるのを避ける為に、俺を盾にしたんだろう。
ノインの疑心を少しでも減らす為に、弟子を一人犠牲にしよったぞ、あの紫魔術師。
困惑と怒りで全身をわなわなと震わせる俺を見て、ノインが溜息をこぼすと、続けて口を開いた。
「…………はぁ。大体はわかったわ。アリーゼのせいって事ね。」
「うん。」
庇う必要は無い。こうなりゃ、全部ぶちまけて一緒に師匠を打ちのめしに行くのが最善だ。
なんなら帰りの船でグラトニアまで行って、赤薔薇王女も拾っていこうじゃないか。
アイゼルから居なくなったとの事だが、どうせグラトニアで遊んでるだろ。
「で、何か聞いていないの?」
「あー、師匠の知り合いがいるらしいけど。」
「そう。碌でも無い情報をありがとう。」
聞くやいなや、目付きは鋭く、声音は冷たいものへ。明らかに機嫌が急降下してしまった。
困った。実に困ってしまった。
ただでさえ、行き先が不透明なのに、同行者の調子までダダ下がり。
誰でも良いから助けてくれないだろうか。
今なら泣いて喜んであげる自信がある。
「ほらほら、そっちしっかり持ってやぁ。」
「了解です、姉御。……しかし、これで本当にいいんですかい?」
「ばっちりや!リゼちゃんこういうのされたら、一発で飛んできはるからなぁ。」
そんなこんなで頭を抱えていた時、人混みの奥から一段と騒がしい話し声が聞こえてきた。
つられて声の方に顔を向けると、仲良さげな男女が大きな布を持って何かしようしているところだった。
良く見れば、周りの人達もそちらへと視線を向けている。騒がしいので、当然の結果とは言えるが。
「ほないこかぁ、せーのっ!」
掛け声と共にバサっと広げられた白い布。
そこには、でかでかと文字が書かれていた。
妙に写実的な魚の絵と一緒に、
【歓迎!!大賢者さま!!!】、と。
「「…………………………。」」
顔を横にすれば、ノインと目が合った。
きっと俺も同じような顔をしている事だろう。
どーう考えても、アレが師匠の知り合いだよなぁ……。関わりたくねぇ…………。
「………………行くわよ、リオン。」
「え、まじか?」
意外にも先に動き出したのはノインの方だった。
絶対に自分からは近付かないと思っていたのに。
「まじよ。……嫌だけど、本っ当に、嫌だけど、あの人達に聞かないと、魔法の詳細が聞けないのでしょう?……なら、我慢するわよ。」
そう言うや否や、つかつかと人混みの中へと向かっていくノイン。
止める間すら無く行ってしまったせいで、俺は何も言えずその場で立ち尽くすのみ。
なるほどぉ。そこはまだ本当だと思っているんだぁ。さっき苛ついていたのは、師匠の段取りの悪さのところだけだったかぁ。
これは不味いことなった、と思っても、時既に遅し。残念な事にノインは布を広げる彼等の下へと到着してしまった。
「…………なんとかなれぇ。」
俺の口から辛うじて出てきてくれたのは、そんな薄っぺらい期待の言葉だけだった。




