エピローグ ー1ー
腹部を強い衝撃が襲い、身体が宙を舞う。
まさか蹴りが飛んでくるとはなー、なんて呑気に思っていると、勢いそのまま地面と身体が衝突した。
「ぐべぇ。」
受け身を取らなかったせいで、背中に強い衝撃がやってきてしまう。最近はこの痛みと良く出会うせいか、反応が鈍くなっている。
視界に映るのは曇り一つない空と、燦々と輝く太陽。横を見やれば、先ほどまでは俺の手に握られていた剣が同じように転がっていた。
「うむ。以前よりも対応の速さが上がっているな。流石だ、騎士リオン。」
地に背中をつけ、荒い息を整えていると、グリード卿からそんな言葉がかけられた。
その両手に短剣が握られていないことから、今日の鍛錬が終わりを告げたのだとわかる。
仰向けに倒れる俺を、腕を組みながら見下ろすグリード卿。ここ数日で、何度も目にした光景だ。
以前、洗脳魔法の影響もあって俺とノインを襲撃したグリード卿だが、そのお詫びとして、時間がある時にこうして相手をしてくれる様になった。
なんでも師匠に聞いたら、これで良いと言われたらしい。流石は師匠だ。良くわかっている。
普通なら戦う事の出来ない格上の相手と、何度も打ち合う事が出来るなんて最高のご褒美。
相手がグリード卿となれば尚の事だ。
……数刻、剣を交わしては転がされてを繰り返しているだけではあるが。
一度、観に来た師匠は大笑いしながら茶を飲んでいたから、余程無様な光景なのだろう。
「はっ、はっ、ど、どうも、です。」
うむ、と静かに頷くグリード卿。
負っていた怪我はもういいのか、少なくとも俺にはその影響を感じられない。
回復魔法もあってのことだろうが、相変わらず凄まじい。
「やはり、貴公は目と危機察知が素晴らしい。咄嗟に私の剣を防げるのもその為だろう。」
「ありがとう、ござい、ます。」
褒めてくれるのは嬉しいが、あまり実感がわいてこない。
連日に渡って転がされているのと、一太刀でもいれた記憶が見当たらないせいだ。
打ち合えば打ち合うほどに、離れている距離を教えられている。
「あぁ。……ただ、剣が素直すぎるのは考えものだな。悪くは無いが、遺憾せん読み易い。もう少し動きを増やしていく事を勧める。」
「動き、ですか?」
絶え絶えの息をどうにか整えて、上体を起こしていると、グリード卿からはそんな助言がかけられた。
「何も剣の動きだけではない。下半身の力の入れ具合や、目線一つずらすだけでも効果的だ。」
「なるほど。確かにあんまり考えた事が無かったです。」
これまで魔物や、賊、学園の生徒達を相手に剣を振るってきていたが、確かにそこまで意図した騙しの動きは入れた事がない。
意図せずに行っている場合もあっただろうが、少なくとも自ら思考して、というのは思い当たらない。
今までは何とかなっていたが、グリード卿や、それと同じクラスの実力者を相手にしていく為には、言われたような改善が必須になるのだろう。
現に、俺の剣は一度もグリード卿の鎧に傷をつけれていない訳だしな。
しかし、こうしていると切実に剣の師が欲しいと思う。カイルや、グリード卿と手合わせをする機会が多かったから余計に。
我流だからこその柔軟さは持ち合わせてはいるが、欠点を指摘して、目指す方向を指導してくれる
存在がいれば、現状よりも早く練度を高めていけるのに。
ただ、そう思ってはいても、この人の剣を教えて欲しい、と思えるような人に出会えていないのだ。
真似してみたい、とか、手合わせしたい、とかは良くあるのだが、どうにも師事したいとまでいかない。
目指している剣の違い、とでも言えば良いのか、我ながら厄介な事だ。
「そう難しい顔をしなくても良い。貴公なら自ずと出来るようになるだろう。」
「だと、良いんですけど……。」
「何を悩んでいるかは知らないが、貴公は相手の誘いは見抜けているのだから、それを取り入れば良い。」
なるほど。一理ある。
確かに、相手の動きを読むことは常日頃からやっている。
言われてみれば、戦闘中は目線に至るまでの機微も読み取れている。気がする。
経験してきた攻防を参考にすれば、うん。
何とか形には出来そうだ。少なくとも、方向性は見えてくるはず。
「……確かにそれならやれる気がします。」
「あぁ、貴公なら必ず出来るだろう。」
ふっ、と口元を緩めるグリード卿。
満足いく答えが聞けて嬉しそうだ。
本当にこの人を育てたのが師匠なのか疑ってしまう。本人が言うので間違いはないのだろうが、人間性に差が出過ぎでは無かろうか。
師匠の指導は何と言えばいいか、大雑把で過激なものが多い。結果的に身になる事が大半だが、こんなに丁寧な助言とかは貰った事がない。
ちなみに褒めたりもしない。
ノインは知らんが、俺はされた事が無い。
成果を見せても、そうか、とか、次だな、とかしか言ってこない。
最近ではノインまで同じような反応なので少し寂しい。……別に気にして無いけど。
まぁ、グリード卿が師匠より優れた人間性を持っていただけなんだろう。
彼は味方諸共ぶっ飛ばしたりしないだろうし。
しかも、魔法を試したいとか巫山戯た理由で。
「そういえば、怪我はもう大丈夫なんですか?」
師匠の悪事を思い出して、ふと気になった。
何となく動きで治ってるんだろうなー、とは推察していたが、実際はどうなんだろうか。
「多少の違和感はあるが、特段問題は無い。………賢者が治療をしてくれたからな。」
「なんかすいません。」
少し陰を感じる話し方を見て、ついつい謝ってしまった。
きっと、貸し一つだぞ、グリード。とか言ったに違いない。師匠なら絶対にそうする。
自分が傷を負わした事とか一切気にせず、言ってのけるのが師匠。
「いや、貴公は悪くない。……賢者には思うところはあるが。」
うちの師匠が本当にすいません!
「……く、苦労しますね……。」
「否定はしない。だが、そうなる前に仕留めきれなかった私にも責はあるからな。」
グリード卿はノインと同じような苛立ちを浮かべていた。
あれだけ息巻いていたのだ、取り逃がしたかも、となれば悔しさも一入なのだろう。
しっかし、彼までノインと同じ感想という事は、ほぼ確定で生き延びてるっぽいな。
カイルの部屋で見つかった手紙や、師匠達から聞いた人相である程度は把握しているが、遭遇したらどうしたもんかな。
今の俺では手に余る相手になる事は間違いない。
「その後の足取りは掴めそうですか?」
「いや、まだ何とも言えない。悔しいが生死を含めて所在がわからんのでな。念の為、騎士団でも共有しているが、どうだろうな。」
思案顔で返ってきたのは、予想通りの答え。
願わくば、死亡の確認がとれて欲しいが、望みは薄そうで残念。
「……正体が分かっただけでも、マシって感じですね。」
「そう思うしかあるまい。」
少し重くなった空気を払うかのように息を吐く。
ディシードと名乗った魔族の男。
カイルを唆した犯人に思うところが無い訳じゃ無い。全部がそいつの責任とは言わないが、ひとこと言ってやりたい気持ちはある。
友人と呼ぶには浅い関係だったし、敵討ちとまではいかないが、憂さ晴らしぐらいはしても許されるだろう。どちらにせよ、放っておいて良い相手でも無いのは確かだし。
もし生きていて会うような事があれば、無理を承知で、存分に相手取ってやるとしよう。
「時に、騎士リオン。気になっていた事があるのだが。」
「何です?」
亡き男との想い出を回顧していたら、不意にグリード卿から声がかけられた。
先程までの重い感じはないが、真剣さは変わらずで、少し言いづらそうにも見える。
何かしてしまっただろうか。
それか、またカイルの事で慰めようとしてくれているのだろか。
「その、貴公は賢者のどこを気に入ったのかが気になってな?いや、失礼な物言いだとは承知しているのだが、その、なんだ、全面的に善い人とは言えないだろう?」
「?」
聞かれた内容が斜め上な内容で、疑問が頭を占領する。
師匠の気に入っているところ、とな?
聞かれてるのは、弟子入りを志願した理由とかだろうか。であれば、彼女が賢者だから、としか答えようが無いのだが。
教わるのであれば、一番に、というのは単純だが理に適っている筈。
人柄は確かに善いとは言えないが、悪人でも無いし、彼がそこまで言いづらそうにする理由がよくわからない。
「えっと、どういう意味ですか?」
「その、貴公らは恋仲、なのだろう?」
「???????」
待て、待ってくれ。
駄目だ、理解が全くもって追いつかない。
え、なんで、そんな話になった!?
「あぁ、いや、否定する気はないのだ。賢者を知る者としては、喜ばしいと思っている。……だが、貴公が心配でな。」
俺の呆然とした顔を見て、何を思ったか慌てて否定してくる最優の騎士ことグリード・ヴェイン。
恐らく、盛大に勘違いしている。
別に、関係を否定されてショックを受けているわけではないのだがっ!
「あ、え、グリード卿?」
「なんだ、貴公はまだ若い。それに、学内での評判も良いと聞いている。だから、その、もっと他に良い相手がいるのでは、と勝手に思ってしまってな。」
「えーと、グリード卿?一回、話を聞いてもらっても?」
「失礼な物言いなのは承知している。だが、どうしても心配でな。……賢者の美貌は確かだが、それ以外はどうにも。」
「いや、はい、それはすっごい同意です。って、違くてっ!何の話をしているんですかねっ!?」
何だろう。
また、洗脳魔法にでもかかっているのだろうか。
本当に心配してくれてるのはわかるが、そもそもの前提が間違っている。
俺と師匠が?恋仲?
…………考えただけでも、鳥肌が立った。
あの人は見てくれだけで、中身は最悪な事ぐらい知っている。
言い方は凄く悪いが、これ以上無い張りぼてなのが我が師匠。
「む?いや、だから、貴公らの関係についてだが?」
「師弟関係以外の何物でもないです!!!!」
「何とっ。…………そうか、良かった。道を外してはいなかったのだな。」
心の底からといった様子で、安堵の息を溢しているグリードを尻目に、頭を抱える俺。
いったい何があって、そんな話になってしまったのだろうか。
「もし騙されているようであれば、私の伝手を辿って、良き女性を紹介するところであった。流石は騎士リオン、慧眼だな。」
………ちょっと、惜しいことをしたかもしれない。
いや、違う、そうじゃなかった。
「どうして、そんな話に……?」
「そう……だな、賢者の表情や話し方、だろうか。私の知っている彼女よりも、随分と優しく、柔らかかかったのでな。てっきり、そういう関係なのかと。」
すまぬ、とグリード卿からは、本当に申し訳無さそうな感じが伝わってくる。
良かった。又聞きで誰かから聞いた話とか、学園で回っている噂とかであれば、全力をもって火消しに回らねばならないところだった。
要は、彼が勝手にそう解釈しただけだったのだろう。本当に良かった。危うく、ノインやエリザとの交友が途絶えるところだった。
「誤解が解けたようで、何よりです。……いや、ほんっとうに、良かったです。流石に師匠の事をそういう目では見ませんよ。だいたい――」
「…………騎士リオン、そこまでで――」
話を遮ろうとしてくるが無視。
悪いのは下手に勘違いをしたグリード卿の方だ。
二度とそんな結論に至らないようにも、ここでしっかりと伝えておくべきだろう。
「いや、また誤解が生まれるといけないので。大体、グリード卿も失礼ですよ。ノインならまだしも、流石に師匠と恋仲だ、なんて。人によっては、許して貰えない可能性もありますし、何より――」
「――何より、なんだ?馬鹿弟子。」
「えっ。」
聞き覚えのある声がした。
それも、いま一番聞こえてはいけない声がした。
眼前のグリード卿に視線をよこすと、顔を背けて逸らされた。……なるほど。これは、良くないぞぉ。
意を決して、抵抗する首を後ろに回せば、にっこりと綺麗な笑みを張り付けた美麗な女性がお一方。
よし、頭を回せ。頑張って、ここから逃げきれる道を探そうではないか。……多分、無理だろうけど…………。
「ほら、どうした。聞いてやるから言ってみろ。私が何だって?」
「あっ、いや、ほら、その、あれです。なんていうか、その、素敵な人だなって!そういう事を話そうと!」
「ほーう。……で、誤魔化せるとでも?」
やっぱり、駄目ですよねぇ。
どう考えても、最初から聞いてましたよね。
「さて、まずは言い訳を聞こうか、貴様ら。」
グリード卿、今度、良き人とやらを紹介してくださいね。絶対に!!!
――――――――――――――――――――――――――
陽の光も届かぬ鬱蒼とした森の中で、愉しげな鼻歌が聞こえてくる。
周りには人影など見当たらないというのに。
「おやぁ、国境付近でしょうかぁ?……少し、歩き過ぎましたねぇ。」
まるで最初からそこに居たかのように、大木の影からスッと姿を見せたのは、礼服に身を包んだ一人の男性。
魔人、ディシード。
激闘の夜にそう名乗った男は、汚れ一つ無い姿で愉快そうに笑っていた。
「しかし、凄まじいものでしたねぇ。三、いや、四回も殺されてしまいましたかぁ。」
笑みを濃くしてそう告げる様子は、言葉にした内容もあってか、とても正気とは思えない。
まともな思考をしている人が近くにいれば、まず目を合わせることは無いだろう。
「ふーむ。ノイン・クラン辺りにバレていそうですしぃ、暫くは違う国に居た方がいいですかねぇ。」
彼の手でくるくると回されていた杖が放り投げられる。放物線を描きながら宙をまった杖は、ぼとりと地面へ落ち、一方を指し示した。
「グラトニア……ですかねぇ、あっちは。確か、彼女はミューズにいたはずですしぃ、悪くはないですねぇ。」
杖が指し示した方向をみてディシードは頷くと、ゆったりとその足を進め始めた。
拾ったはずの無い杖をその手にしながら。
「あの少年は惜しいですが、仕方ありませんねぇ。一つ冒険者の果てでも見届けに行きましょうかぁ。」
森に響くのは男の鼻歌。
優雅な足取りをもって隣国を目指す彼は、最後にアイゼル国の方へと視線を向けると、目を細めて口を開いた。
「また、いつかお会いしましょうねぇ。リオンさん。」
告げられた言葉を聞き留めるものは何一つ無い。
ただただ、楽しそうに、それでいて、どこか不気味な言葉達は鼻歌に紛れて消えていった。




