英雄を目指した男 ー4ー
黒い拳が迫る。
ギリギリ視認できる速度で繰り出された拳に合わせて剣の平面で受けるが、とてつもない重さに堪えきれない。
「ぐっ……!」
壁に叩きつけられ、背中から襲ったきた強烈な痛みのせいで苦悶の声が漏れ出てしまう。
喉の奥からも鉄のような匂いがする。度重なる衝撃で身体の内部のほうがやられたのだろう。
「ちょっと前の威勢はどうしたんだい、リオン君。さっきから防戦一方じゃないか。」
「うるせぇ、これぐらいで良い気になってんしゃねぇよ。」
体についた瓦礫を払いながら立ち上がる。
口では何とでもいえるが、かなりきつい。
魔族への進化とやらが、ホラ話とは言えないぐらいには、カイルの身体能力があがっている。
何とか喰らい付いてはいるが、確実にこちら側の分が悪い。
速度と膂力で負けてしまい、先ほどのような立ち回りが出来なくなってしまったせいだ。
「君も懲りないね。力の差はもう充分わかったと思うんだけど。」
「はっ、奪った力で強くなって喜んでんじゃねぇよ。」
「………選んだのが僕なら、これも僕の力だよ。」
「見た目通りの中身に変わったみたいだな。」
今のカイルから同類だなんて言われたら、盛大に笑ってやる自信がある。
さっきまでは確かに一緒だったのかもしれない。
俺は固有魔法も無ければ、天賦の才も持ち得ない。手札に有るのは、時間を使い、命を削り、血と汗を流して作り上げてきた我が身だけ。
レオを、ノインのような奴らを羨ましいと思った事も一度や二度で収まらない。
それは俺だって同じだ。
今も変わらない、確かな事実だ。
だが、そう分かっていても。
譲りたく無い、諦めたく無い夢がある。
だから、血反吐を吐こうが、心が折れそうになろうが、歯を食いしばって、堪えきれない感情を殺して進むんだ。
幼き俺が抱いた、綺麗な気持ちを汚さない為に。
親友と共にした約束を嘘にしない為に。
そして、これまでの自分を死なせない為に。
カイルがこれまでどんな道を歩んで来たかは知らない。けど、コイツだって同じように抱いた何かを目指して歩んできたはずなんだ。
俺と同じく、それでも諦めたくないと喚き散らしながら。
なのに今の姿が答えだって言うのなら、俺は決して認める訳にはいかない。
自分を切り捨てた時点で、お前の選んだ道は変わったのだと教えてやる。
他の誰でもない、同じ世界で生きている俺が。
「ふぅぅぅ。」
右手に剣を構え、左足を後ろへと沿わす。
敵を正面に見据えて、半身へと姿勢を整える。
肩の力を抜いて自然体で相手の攻撃を待つ構え。
他ならない、カイル・ヴェルモンドの剣技。
「何のつもりだい?」
「あんたが見失ったモノを教えてやろうと思ってな。」
「……っ。やってみろっ!!」
再び迫る黒い拳。馬鹿正直に受けていたら、また同じ事の繰り返しになるだろう。
だから、行動を変える。
ただ悪戯に殴られていた訳じゃない。
必死に抗いながら、この眼で変化した動きを見続けた。
力の流れを読め。
どこに刃を当てれば良いかを見抜け。
振るわれる拳を逸らして、弾いて、己が身から遠ざける。
「ッ!!!!」
苛立ちが伝わってくる。心情を現すかのように迫る拳の圧も増していくから尚更に。
流し損ねた力のせいで手が痺れるが、焦る必要はない。この剣技の本懐は耐えることにあるのだから。
そうだよな、カイル?
この剣技の持ち主なんだから、誰よりも分かってるだろ。
存分に味わえよ。
そんでもって後悔しやがれ。
切り捨てた技術は、進化とやらをしたアンタに届いているぞ。
人間を超えたらしい優秀な存在に通用しているぞ。
その紅い目ん玉に、自分が捨てたものをよく焼き付けろ!
「いい加減にっ――「――そこ。」っ、ぁ。」
苛立ちに任せた大振りな一撃を刃をを添わして逸らしきる。
急に変わった力の流れのせいで、カイルの体勢が大きく傾いた。
「喰らっとけ。」
右足を軸に体を廻す。
片手で持っていた剣に左手を加え、ガラ空きにあった胴体へと叩き込む。
「ガァッ……!」
「"筋力強化"ッ!」
単体で終わらせない。
相手を崩して創り出した好機を活かしきる。防御する暇など与えない。
ここからは俺の技術へと昇華させたその真価を見せる時だ。
剣舞。
踊るように振るわれる剣が、黒い肌を裂いていく。
大量に相手をした魔力喰らいのおかげで、いつかノインを相手にした時とは比べ物にならない練度になった技が存分に活かされている。
「ッッ、アァ!」
「逃がさねぇよ!!」
変化した皮膚は強度もあがっているのか、襲う刃の威力にしては傷が浅い。それでも、重ね続ければ大きな傷を作りだす。
人間と変わらず赤い血が、身体から絶えず湧き出ていくのが何よりの答えだ。
「……っ……!"魔力解放"!!!」
「!ちっ!」
怒鳴るような解号と共に魔力が爆ぜた。
聞いた事の無い魔法だが、何であるかは俺には解析出来ない。
良いことが起こらないのは確かだろう。
それに、吹き荒ぶ強風に否応なしに距離を取らされた。流れのままに押し切りたかったが、簡単にはいかないみたいだ。
「もう、うんざりだ。」
胸の中央から緑色の線が全身へと広がったカイルは、額に角を新たに生やしていた。
苦労してつけた傷が塞がっていく。流していた血が嘘にならないといいが、どうだろうか。
もう俺達とは別の生き物にしか見えない。
「これ以上、君には付き合っていられない。」
「残念だ。」
ここからが本番、といったところだろうか。
ノインが居てくれれば、その眼で丸裸にしてくれたろうが、無いものねだりだ。
「叩き折ってやる。君の心も、くだらない幻想も!僕が間違っていないとっ!証明してやるっ!!」
どうやら姿は変わりきっても、中身はカイルのままみたいだ。
吐き出した言葉は今までの彼では、想像出来ないような悲哀がこもっている。
悪いが同情なんてしてやらない。
こっちこそ証明してやる。
お前は間違ったのだと、その道の先には何も無いのだと、俺の手で骨の髄まで教え込んでやる。
口元の血を袖で拭うと、白い布地に赤が付着する。これが終われば、また制服を買わないと。
「来いよ、カイル。決着つけようぜ。」
「終わりにしてやる、リオンッ!!!」
剣と拳が激突する。
速度は変わっていないが、感触が違う。
固く、重い。鉄の塊でも相手にしている気分だ。
残念ながら、見かけ倒しの変化じゃないらしい。
ギリギリと削れるような音を立てての鍔迫り合いの中、眼前まで迫った紅い瞳が歪み、カイルの空いていた左の拳が俺の胴体を捉えた。
「"撃"。」
「がぁっ!」
鈍く響いた衝撃に吐血し、引っ張られたかのように身体が後ろに飛んでしまう。
剣を地面に突き刺して、何とか衝撃を減らすが、腹部には鈍い痛みが残っている。
「さっきのお返しだよ。"撃"!」
「ちぃ!くそっ!」
続け様に放たれたのは緑色の魔力塊。
その場で横に転がりながら回避する。
当たった時の威力はさっき身をもって確認済み。
そう何度も耐え切れるモノじゃない。
「"撃"、"撃"ォ!"撃"ォ!!」
「子どもかよっ、この野郎!"敏捷強化"!」
子どもの癇癪かのように連射される塊。
感情のままに撃ち続けているせいで、上手く近づけない。ひたすらに周りを走って回避に動かされている。
「"撃"ォ!"撃"ォォ!どう、だっ。どうだ、リオン!」
どうもこうも最悪に決まっている。
このまま追いかけっこなんて勘弁したい。
そのうち逃げきれなくなるのは確実。
どうにか突破口を見つけないと、きつい。
無理矢理にでも突貫するか?
…いや、まだ無理だ。こうも乱射されると、対応しきれない。賭けにすらならない。
使える魔法で対抗でもしてみるか?
…考える必要ないくらいに無駄だな。詠唱の時間が稼げないし、威力も期待できない。魔力の無駄使いだ。
響く破砕音に追いつかれ無いよう、必死に脚を動かし続ける。並行して頭を回して攻略の糸口が無いか探す。
「はぁ、はぁ、"撃"ォォ!」
「……なるほど、無制限じゃないみたいだな。」
打つ度にカイルが疲弊していってる。
このままでは不味いと思っていたところに助かる変化だ。
魔力は無限じゃない。
例外的に限りなく無限に近い人外は知り合いにいるが、カイルの場合はそうじゃなくてよかった。
恐らくは取り込んだ核が大元だろう。
今のカイルは魔力を全身に纏い続けている状態だろう。そう考えれば、急激な身体強化も説明がつく。
その状態で形振り構わず魔力を放出し続ければどうなるか、なんて考えなくてわかるだろうに。
とことん頭に血が昇っているらしい。
「いい加減にしてくれよ!君には、君だけには負けてはいけないんだっ!」
自分の行いや考えが否定されるのが怖いんだろう。カイルが自分を肯定する為には、この場で俺を打倒するしか無い。
もし、それが叶わなかった時は、全てを否定される。当然、費やしてきた代償の責も問われる。
そんな焦りがカイルの思考を乱している。
「あぁ、もう全部壊してやるッ!!!」
「っ、それが切り札ってか。」
魔力の砲撃が止まったかと思えば、一際大きな塊が形成され始める。
警鐘が鳴る。
じんわりと額から汗が流れ、危険だと知らせてくれる。
尋常じゃない魔力の迸りからも、当たればタダじゃ済まない事が伝わってくる。
ーーー当たれば、の話だが。
ご丁寧に溜めの時間をくれるなら存分に利用してやる。
切り札は何もカイルだけが持っている訳じゃ無い。
「”其は始まりの源流"。"是は非る事象の術"。"従えるは無の理"。」
離された距離を詰めながら詠唱を始める。
邪魔をするように魔力の塊が飛来するが、片手間で飛んでくるコレぐらいなら容易に避ける事が出来る。
「消えろよ、リオンッッッ!!」
「"力よ、集え"。"全を束ねて一を為す"。」
地を蹴り駆け抜ける。
剣を鞘に納めて見据えるは胸元で輝く紅い核。
「"この刹那、頂へと至らん"。」
紡がれた詠唱は、創り上げた新たな魔法。
全魔力を消費して一撃を強化する、最上級の瞬間強化。
参考にしたのは、俺の全身を焼き焦がしてくれた雷の魔法。
開発を手伝ってくれたノインが言うには、一回限りのやけっぱち魔法。
彼女のような様々な魔法を駆使して戦う魔法師からしたら、非効率にも程がある魔法だろう。
だが、使い時を違えなければ、強力な一撃になる。
集った魔力が白い光となって剣を包み込む。
上半身を前へ傾け、柄を握る手に力を込める。
目の前には馬鹿みたいにデカい光球が稲妻を走せている。
どうやら向こうの準備も整ったらしい。
あわよくば、完成前にと思ったが仕方ない。
決着の時だ。
「"撃砲"ォォォオオ!!!」
「"極致・天剣"ァ!」
特大の魔弾が稲妻を伴い圧倒的な質量となって地を抉る。同時、迫る力の奔流に逆らい刃を抜き打った。
「これで、終わりだ!」
正真正銘、俺の極致の一刀。
集った魔力が刃となって天を裂く。
ーーそして、白刃は静かにカイルを切り裂いた。