嵐の前、一時の安らぎ ー2ー
「遅い。揃いも揃って何をしていた。」
研究室に入って開口一番、眉尻を下げて師匠が俺達にそう言ってきた。意外にも不機嫌というよりは、単純に疑問が浮かんでるといった感じ。
「すまない、賢者。私の落ち度だ。」
すかさずグリードが頭をさげて謝意を伝えていた。グリードは俺を呼んでくるように師匠に言われていたらしい。迅雷をここまで雑に扱う人間は、王国広しといえど師匠だけだと思う。
ちなみにノインは不在。私は呼ばれてないから、と何処かに行ってしまった。用が無いなら来ないあたりノインらしい。
「ほう。珍しいな。貴様は時間に厳格だと思っていたが。」
「事実だ。次は気をつける。」
違う。グリードではなくドタバタ王女と従者のせいだ。彼らが逃げ出してしまったせいで、対応に追われ、余計な時間をくってしまったのだ。
情熱の赤薔薇から由来して、薔薇の王女。エリザがそう呼ばれる理由を嫌な意味で痛感させられた。今頃、騎士達と楽しく追いかけっこしてる彼女達がさっさと捕まる事を祈るばかりだ。
「……まぁ、いい。リオンも快復したようだな。」
「その節はどうもです。」
一瞬、疑いの眼差しを向けてくる師匠だが、特に言及はせず俺へと話題を移した。
あの日の顛末はノインから全て聞いている。この身体が無事なのも、グリードが俺達と争った理由も。師匠が居なければどうなっていたかと考えるだけでも身が震えてくる。
本当に感謝しかない。が、それとは別に。
「……ただ、次からは事前に言ってもらって良いですか。」
「何のことだ?」
「俺に刻んでた魔法のことですよっ!」
あぁ、と得心いったように手を叩く師匠。本気で意識の外にあったらしい。
重傷をおった俺が回復できたのは、前に人体実験と称して師匠が刻んだ魔法のおかげだったらしく、それについては非常に感謝している。
ただ、俺にとっては無視出来ない副作用があった。
「自分にかかる魔法の効果が薄くなるとか、致命傷なんですがっ!」
何でも魔法陣が刻まれている間、強化や回復といった魔法の効果が減退していたらしい。さらには、魔力も俺から勝手に補充されていたとの事。
強化魔法を良く使う身としては、看過できない副作用だ。あの日、自分の魔法も含めて調子が悪かった理由がこれ。一言ぐらい言っといて欲しかったよ……。
「別に良いだろう。結果的には助けてやったんだから。」
「確かに、そうですけどっ!」
腑に落ちないが、言い返せない。師匠が居なければ、俺はおろかノインの命すら無かったのは確かだから。
ただ、納得はいかない。精一杯の意思表示として、ぐぬぬと吠えておく。本当にいつか痛い目にあって欲しい。
「うるさいぞ、馬鹿弟子。それよりグリード、例の件について話せ。」
「承知した。」
俺達の会話を尻目に、グリードが懐から取り出したのは一枚の書類。そこには上からずらりと名前が記載されていた。合計で十名ほど。内、半分程にはバツ印が付いてるところをみると、そいつらは既に対処済みなんだろう。
「騎士ノインに協力してもらい、絞った候補者のリストだ。」
何の、なんて聞くまでも無い。
裏切り者の候補者だ。
「大分と絞れたな。」
「貴公らの助力のおかげだ。」
「ふむ。この中に固有魔法を使える者は?」
「いない。騎士ノインが確認してしている。」
さっきから聞いてるとノインは活躍しすぎじゃないか?……ノインの固有魔法を考えると仕方ないが、何もしてない俺と比べると八面六臂の活躍だ。
別に相方が功績あげて焦ってるわけではない。単にノインの機嫌が心配だ。俺に当たってこなければ良いけど……。
「では、そっちは別だな。」
「…………一応、それらしい人物は挙がった。アルト・ウォルター。騎士リオン達が助けた最初の騎士の話だ。」
「え、あの騎士がですか?」
静観して、成り行きを見守ろうとしていたのに、思わず声をあげてしまった。出てきた人物が余りにも予想外すぎたせいだ。
「む、失礼した。彼、ダノンからアルト・ウォルターの話が上がったのだ。」
俺の反応を聞いてグリードが即座にそう答えてくれる。それに、ほっと安堵の吐息が溢れる。必死こいて助けた騎士が裏切り者とか骨折り損もいいとこだった。
グリード曰く。
アルト・ウォルターなる騎士は、あの夜にダノン隊に共にいた騎士。二人は歳の近い騎士だったらしく、他のメンバーも含めて意気投合。気心知れた仲として活動していた、らしい。
俺が彼から聞いた、付与魔法が効果的だという助言も元はアルトが発見した情報。最後は魔力喰らいとの交戦中に、影に呑まれて姿をくらましたとの事。
これだけなら、怪しい人物というよりは、優秀な人物という印象のほうが強いが、話は終わりでは無かった。
「だが、アルト・ウォルターなる騎士は三番隊には居なかった。」
「………………洗脳か。厄介だな。」
うむ、と頷くグリードを見て、珍しく師匠が顔を顰めていた。魔法関連の話題では本当に珍しいのだが、聞いた話が本当なら気持ちはわかる。
洗脳魔法。
魔法としては割と珍しくない部類。当然、奨励はされていないが。ただ、それほど警戒されているものでも無い。何故なら、通常は非常に使い勝手が悪いからだ。
例えば、ノインや師匠クラスの魔法師が使ったとしても、数時間程度しか効果が持続しないし、自分よりも魔力量が高い相手や、元々の精神力が強い相手には弾かれるという条件付き。
わざわざ洗脳魔法を使うぐらいなら、他に手段なんて幾らでもある。優れた魔法師ほど、好んで使うような奴は少ないのだ。なのに、ここまで脅威的な効果を発揮している、という事は。
「お前に掛けられていたのを解析していたが、固有魔法で間違い無い。……分かっているだけでも、三種類の洗脳を同時かつ複数人に。……厄介な性能だ。」
聞いているだけで嫌になってきた。洗脳魔法が軽視されるのは実力者になればなるほど、対処が簡単だから。
それが、固有魔法となれば話は変わってくる。グリード卿でも弾けず、気付く事と出来なかったとなれば、初見で防げる人物は少ないだろう。
……有難い事に、その少ない人物が二人も近くにいるけど。こういう時は心底心強い。
「ま、そっちの対応は私とノインでなんとかしてやる。」
「世話になる。」
師匠がこう言うならまず問題ないだろう。経験上、さして時間も掛からずに対策が聞ける事になる。不安なのは実験と称して、俺に皺寄せが飛んで来そうな事かなぁ……。
「…………ってことは、後は情報流してた奴ですね。」
話が一段楽したのを見て、改めてそう告げると、二人から肯定が返ってきた。……俺が呼ばれた理由もそれが大半なのだろう。
手渡されたリスト。その中に、王国と騎士団を裏切って、魔力喰らいを従えていた者が必ずいる。師匠の不在を把握し、先日の作戦に合わせて襲撃を指揮していた者が。これ以上野放しには出来ない。
「その前に魔力喰らいについて、分かった事も伝えておくぞ。」
師匠がそう言いながら手にしたのは、机の上に転がされていた赤い真珠。魔力喰らいの核だったもの。ノインが集めた物が師匠に渡されたのだ。
「まず、ノインの見解は殆ど正解だな。」
赤い真珠を手で転がしながら師匠がそう告げた。……本当にあの子活躍し過ぎではなかろうか。
「つまり、その核の材料は……。」
「――人間だな。」
「やっぱり、か。」
予想通りの答え。グリード卿も顔が強張っているので、俺と同じような心境なのだろう。
最低最悪の所業に反吐が出そうだ。
何とも気持ちの悪いことをしてくれる。あの人型の異形が元人間。材料となったのは、行方不明になっていた人達だろう。どんな手段を使ったかは知らんが、碌でも無いのは確かだ。
「…………賢者なら治療は出来るか?」
「……無理だな。」
…………だろうな。出来るなら師匠なら既にやってる。あの異形になった時点で死んだと同じなんだろうさ。
「……気持ちは分かるが抑えろ馬鹿弟子。まだ、話の途中だ。」
「……すいません。」
「良い。お前のそれは正しい感情だからな。」
珍しく師匠が何の罵倒もなく誉めてきた。喜びとかより気持ち悪さを感じてしまったのは、俺だけではないはず。……ノインがいたら偽物を疑っていたと思う。
「……何を考えているか丸見えだが、後回しにしてやる。今は本題が先だ。」
ジトっとした目でこちらを見てくるが、笑顔で対応。どうにか忘れてくれる事を願おう。
「はぁ……。次だ。コイツには知性があると馬鹿弟子達は判断したらしいが、それは違う。」
「でも、魔法を使ってましたが?」
「元の素材の記憶を使ったんだろう。本当に知性があるなら、あの夜に私の出現と同時に消えている。」
「…………なるほど。」
確かに単体で師匠を警戒できるならそうだ。実際はノインで事足りた訳だが、魔力喰らいに知性があるとすれば、脅威を知っていたのに継戦する必要が無い。
それにあれほど数がいてと統率された様子も無く、学習している様子もなかった。となれば、アレは本能のままに襲ってきていただけだったのだろう。
一度は負けた自分が情け無くて仕方ないので、認めるのは癪だけど。
「その点も踏まえると、だ。明確に出現を指示したものがいる。その候補者の中にな。」
「付け加えれば、あの日の参加者の中にだ。魔力喰らいは的確に各小隊を襲った。賢者の出現を把握していなかったようだし、現場にいたのだろう。」
そう話すグリードの拳は強く震えるように握り締められていた。
当然だが、あの夜の犠牲者は少なく無い。行方不明者や重症者も多く出た。自身も操られていて、指揮をとっていた者としては怒り心頭といったところか。
ただ疑問なのは、条件の割には候補者が絞られている事。参加者だけで見るなら数百人規模はいるはずなんだが。
「…………もう一つの理由だ。」
不思議に思っていると師匠が、追加で説明をしてくれた。
「魔力喰らいには、人を攫う能力なんざ無い。…………なのに行方不明者が出ている。」
「つまり、そいつがその場でどうにかして攫っている、と。」
正解だったようで、師匠はこくりと頷いた。確かにノインも同じ事を言っていた。影に呑まれる、その部分がわからない、と。
その不明だった部分を担当していたのが、裏で動いていた奴ら、という事なんだろう。
「行方不明者が出た日にも作戦に参加していた者。作戦中に単独行動が確認出来た者。……その二点で一旦絞り込んだのだ。」
「……道理でここまで少ないわけだ。」
その二つの条件なら確かに多くはならない。……というか、殆ど当たりが付いているのだろう。二人の表情を見れば何と無く伝わってくる。
「で、どうするんですか?」
少し嫌な現実から目を逸らす為に、二人にそう問いかけた。答えてくれたのはギラついた目をしたグリード。
「散々好きにされたのだ。次はこちらから攻勢に出る。」
獰猛な表情を隠さずにそう告げた。俺の身を焼いた雷撃が今にも襲ってきそうで何とも恐ろしい。
「そう時間はかからんよ。ノインにもその為に色々してもらってる。」
ノインがここに来なかったのは個人的な問題では無かったのか……。俺が寝ている間も、散々こき使われていたんだな……。
とにかく、状況は理解できた。ここからは復活した俺も仕事を真っ当していこうじゃないか。
「で、俺はどうすれば?」
「分かっているだろう?」
にやりと悪どい笑みを浮かべる師匠。聞いといて何だがやるせ無い気持ちになってしまう。息を溢してしまったのも、目線を逸らしてしまったのもそのせいだ。……何となく察してはいたが。
「頼めるか、騎士リオン。」
「……やりますよ。当然。」
グリード卿にまで言われたら断れる理由はない。元より断るつもりもないしな。単に少しだけ嫌な気持ちになっただけ。
「元より選択肢など無いがな。」
「でしょうねっ!」
そんな俺の内面を見透かして言ってくるから、師匠は良くない。ちょっと楽しんでるだろ、この人。
「…………賢者は相変わらずだな。」
そんな俺達の様子をみて懐かしむような声を上げるグリード卿。いまいち繋がりが見えないのだが、師匠とは既知の仲なのか――……?
「師匠とグリード卿ってどういう関係なんです?」
「昔の部下。」「昔の隊長だ。」
即答で二人から返ってきた。
なるほど。確かに師匠が一時期騎士団にいた事は知っていたが、そんなところで縁があったとは。グリード卿もさぞかし苦労したことだろう。
いや。まてよ…………。グリード卿の昔の隊長だと……?
「グリード卿、以前仰っていた昔の隊長の教え、とやらはもしかして。」
「あぁ、賢者から教えてもらったものだ。」
「やっぱり師匠のせいかっ!!!」
良くもまぁあんな碌でも無い教えを説いてくれた。おかげ様で酷い目にあったぞこっちは。……いや、洗脳のせいもあっただろうけどさっ……。
「なんだ。嘘は言ってないだろう。」
「騎士団としてどうなんですかねぇ!?」
「知るか。私は泣きつかれて相手してやっただけだ。文句があるなら騎士団の阿保共に言え。」
俺の疑問は相手にもされずに捨てられてしまった。仮にも自国の軍を阿保呼ばわりとは…………。
……いや、まだだ。グリード卿からの援護が有ればまだ正せるかもしれないっ!
「グリード卿、師匠の教えについてどう思います?」
「うむ。実に有意義な教えだと。」
「ほれ見ろ。間違っていないじゃないか。」
静かに頷くグリードと、勝ち誇った笑みを浮かべる師匠。
あぁくそう。味方がいない。騎士団、他もこんな奴らばっかじゃないだろうな!