昇る暗雲、暗闇の王都にて ー7ー
固有魔法。
通常の術式と違い、生まれながらに刻まれる事がある理外の魔法。大賢者と名高いアリーゼですら、完璧に模倣する事が出来ない術であり、その名の通り選ばれた者にしか扱えぬ固有の魔法。
人によって得られる能力は違えど、発揮する効果は一線を画するもので、何故か人間にのみ発現する理外の天恵。誰もが欲っしってやまぬ才能であり、選ばれた者のみ許された特権。
迅雷、グリード・ヴェインもその選ばれた者の一人だった。
彼の固有魔法は"原初ノ雷霆"。
詠唱文の区切り共に、段階的な威力の雷を対象に溜めていけるという魔法。対象になるのは、自身の身体も含めて彼の身体が触れている全て。
纏う雷撃第一段階の威力ですら、通常の雷魔法より強大。なのに、消費魔力は身体強化のような簡単な魔法より少なく、持続時間はグリード次第。加えて、纏わせた雷撃は触れるだけでも、影響を与えると、攻防一体にして万能な魔法。
「………………そう、か。」
ゆっくりと晴れる土煙。抉れた地面を前に、ゆっくりと双剣の雷撃を消すように振り払うグリード。
放った一撃は紛う事無く、最大威力の一撃。轟雷、と表現してもまだ緩い。呑み込んだ万象の悉くを焼き尽くす災害といっても過言ではないものだった。
事実、グリードの原初ノ雷霆、その最大威力の一撃を耐え抜いてみせたの、たったの三人のみ。天地が覆ろうが、リオンに耐えれるものではなかった。
「…………見事だ、騎士リオン。」
だが。
「護りきったか。」
「リオンっっ!」
リオンは耐えてみせた。いや、護りきってみせた。後ろにいたノインは衣服の端が多少焦げているもののその身体には傷一つ無く。
グリードの一撃が確実に二人を捉えていた事を考えると、奇跡としか思えない結果だった。……代償は、大きなモノになったが。
「"回復"!しっかりしなさい!」
奇跡の代償は彼の命。
全身を雷に晒した彼は至る所が黒ずみ、火傷と共に黒煙をあげていた。全身を血に塗れ意識無くする様からは、生きているかすら不明瞭。
特に重症なのは最後まで抗い続けていた、その両腕、だったもの。原型を失い、何とか身体にくっ付いている腕は、どう足掻いても元には戻らないと一目見てわかる。
「……っ。魔力が……足りないっ!」
そんな姿を見ても、懸命に回復魔法をかけていたノインから悲痛な声があがる。何故か、効果が薄く焦っていたのに、よりにもよって最悪な時に魔力が底を尽いた。
魔力喰らいとの接敵からグリードとの戦いまで、全稼働で魔法を使い続けていた代償。幾ら、高い魔力量を誇る彼女といえど、その影響はしっかりと身体に刻まれていた。
「沈んで尚、膝を着かぬとは、な。」
溢した言葉に含まれたのは、グリードが一介の騎士に向けるには重すぎる称賛。彼から見ても、未だに地に伏さずノインを守護するかのように立つリオンの姿には驚嘆を隠し得ない。
中でもその精神力。一瞬でも折れていれば、容易く二人を消し去っていたと簡単に予想できるこそ、その精神を保った男に惜しみなき称賛を感じているのだ。
「リオンっ!リオンっ!しっかりしなさい!!」
「……………………。」
必死の形相で叫ぶノインを視界の端に、グリードは深く目を瞑る。目に映る景色は至極当然の結果なれば、彼に思うところは無い。
――――それなのに、感じてやまない違和感。何が引っ掛かるような感覚だけが、グリードの脳裏を支配していた。
「(…………何だ。何が可笑しい。……順当な結果なはずだ。騎士リオンの実力を考えれば、ああなるのが…………いや、本当にそうか?)」
確かにリオンの実力は目を見張るものがあった。数巡といえど、打ち合って見せたのが何よりの証拠。精神力も合わせれば確かに素晴らしいものだった。……未だ生徒の身、だと思えばだが。
「(…………そうだ。何故ノイン・クランは無事なのだ。……そもそも騎士リオンが全霊で身を呈したとて、無事な訳が無い。それに、騎士リオンがまだ生きているのも可笑しい。)」
手心は加えていない。終始圧倒し、グリードには傷一つ付かなかったが、それでも彼の強さは認めた。だから、相応の敬意をもって相手をした。
故に放った一撃は、二人諸共消し炭すら残さぬつもりのものだった。なのに、結果は二人ともが耐え抜いた。ノインに加え、虫の息とはいえリオンですら。
「………………コレで満足かしら、グリード卿。」
「…………。」
キッと睨みつけてくる彼女の言葉に、素直に頷く事が出来ないグリード。
違和感がじんわりと、さりとて、しっかりとした形になって広がっていく。
瞼を開け、違和感を探るように視界に映る情報を捉えていけば。
「(…………辺りに被害が無い。)」
足元から、リオン達の元まで。その範囲には確かに争いの跡がしっかりと刻まれている。だが、更に奥、確実に範囲内にある民家には傷一つ無い。随分、騒がしかったはずなのに、人が来る様子も無い。
まるで、ここだけが他の場所から隔絶されているように。
「(…………私は何故、こんな場所で、全力を放ったりしたのだ。)」
起こりうる被害を考えれば、許されざる行為でしか無い。最悪、王都の一画が壊滅的しかねないのだから。住まう住民や、並ぶ建造物の事を思えば、決して取るべきではない行いだった。
自身の行動、思考。その全てに渦巻く疑問は広がっていき。
「(そもそも、何故、私は彼等と剣を交えた。)」
生まれたのは、違和感と片付けるには大きすぎる疑問だった。
確かに怪しい所が無かったと言えば嘘になる。だが、それ以上に彼等の貢献を認めていた。多くの騎士達を救い、多くの敵を打ち払っていた。
疑念を抱くよりも先に、感謝と敬意を抱いて然るべき所業の数々。何より、常の自分なら間違いなくそうしていた筈だったのに。
「ようやく気がついたか、グリード。」
響いた新たな声は彼等の頭上から。釣られて顔を上げた両者の反応はそれぞれ違い真逆のものだった。
「アリーゼ!」「賢者か。」
ノインは歓喜と驚きを
グリードは悔恨と感謝を。
「"術式消却"。忠告してやったというのに全く。」
ふわりとその身を地につけ、賢者アリーゼ・クランはグリードに批難の目を向けた。
「……いつからだ。」
「最初からだろう?まぁ、今日で更に強固にされているみたいだがな。」
「……そう、か。」
嵌められた。
アリーゼから解除の魔法を受けて、靄が晴れるように思考がスッキリしている。思考が濁されていた事が今なら良くわかる。
彼等、学生に疑念と剣を向けた事も。
街中で被害も考えずに固有魔法を使った事も。
何もかも、グリードは取らない行動だった。
つまり。
グリードは、洗脳されていた。
ぎりぃ、とグリードの口から音が鳴る。自分の落ち度に腹が立って仕方がない、とばかり。
「アリーゼ、何で此処に…。いえ、今はそれより、リオンが…………。」
「わかっている。」
ふむ、とあまりにも間抜けな声をあげながら、アリーゼは瀕死のリオンを見やる。ノインが必死な顔つきなのと比べると、余りにも違う空気感だ。
「見てはいたが酷い有り様だな。ほら、"起動"。」
言葉と同時にリオンの身体に魔法陣が浮かび上がる。浮かび上がったのは紫色の幾何学模様。ソレが何個もリオンの身体中に刻まれていき、大きな光を発しっていく。
「なによ、これ……。」
「いや、何。この間コイツに実験を手伝わせてな?その研究成果というか、副産物だな。」
光が収束し、陣が消える。光の後、残ったのは、リオンのみ。
ただし。
見るも無惨だった姿は何処にも無く。まるで、グリードとの戦いが無かったかのよう。
傷一つ無いリオンが残されていた。
「復元魔法…。」
有り得ないモノを見たかのように大きく目を見開いたノイン。
魔法とは非る事象を引き起こす術ではあるが、それでも出来ない事は多い。
その筆頭が時間に関与する魔法。数多の魔法師が研鑽を積めど辿り着かない秘奥。例外的に固有魔法であればその限りでもないが、通常の魔法では現在の知識では未だに未達。
なのに、今し方ノインが目にした魔法は、時間を巻き戻したかなような効果を発揮したのだ。ノインは既に知っているが、アリーゼの固有魔法はこれじゃない。
つまり、アリーゼは通常の魔法で、固有魔法に匹敵する術を行使した事に他ならないのだ。
ノインの口元が大きく引き攣って、その心情を露わにする。魔法に精通するからこそ、その無法ぶりが何よりも理解出来ているのだろう。
「ま、少し違うがな。必要条件も多いし、まだ改良必須だな。」
「その条件とやらには、この結界も含めてか。」
「いや別だ。単に街に被害が出ないように張っただけだ。もう要らん。」
グリードの言葉を受け、パチっと指を鳴らすアリーゼ。すると、いつの間に辺りを取り囲んでいたのか、薄い幕のようなモノがひび割れて消えていく。
張り巡らされていたのは結界。辺りに戦いの影響が及んでいないのも、この結界の効力だった。
「いつの間に……。」
「誰も気付かんとは思わんかったがな。無ければ今頃、辺り一帯は崩壊していたぞ。」
「そうか。礼を言う、賢者アリーゼ。」
頭を下げて謝意を口にするグリード。放った本人だからこそ、この結界の有難みが誰よりもわかる。
無ければ、今頃、辺りは纏めて荒野になっていたのだから。
「気にするな。私も止めなかったからな。」
「…………合点がいった。騎士リオンが生きているのは、賢者のおかげだったか。」
グリードの疑念がまた一つ晴れ、伴ってアリーゼに向ける感謝もより一層。
リオンが生きていたのは奇跡でも、彼の実力でも無く、この賢者が守ったから。感謝する他無い。危うく有能な若人を殺してしまうところだったのだから。
「ちょっと待ちなさい。説明してもらえるかしら。アリーゼ貴方、いつから居たの?」
「此処に来たのは、そこの馬鹿二人が戦い始めた頃からだな。」
「最初っから、って事。本当にいい性格してるわねっ。」
「そう褒めてくれるな。いい経験になっただろう。特にコイツにとってはな。」
コイツと呼び指差したのは、ノインの近くで横たわるリオン。事実、これほどの格上との戦闘経験は彼にとって、何よりも得難い経験になったに違いない。
だが、一歩間違えれば死んでいたのは否めない。ノインもアリーゼが自分達を見殺しにはしないとは流石にわかっている。それでも、怒りが沸いてくるのは当然の事だろう。まぁ、そういう女だと知っているので追求なんてしない訳だが。
「…………まぁいいわ。大量の魔力喰らいが消えた理由もアリーゼね。」
「……そうだろうな。私は報告と事実のみしか知らないが、賢者以外に出来そうな奴はいない。」
「大正解だよ。ノインの魔法を真似してみたついでだがな。」
賢者の言葉を疑う者はこの場には誰一人としていない。
なぜならこの二人は知っている。アリーゼ・クランなら出来ると知っているのだ。
見様見真似で新魔法を摸倣して、ついでに魔力喰らいを蹴散らすことぐらいは、呼吸するように出来るのが彼女だと理解しているのだ。
「その時から見ていた、という訳ね。」
「絶好の機会だからな。貴様の参加が表明されていれば私は来ないと思ってくれるだろう?」
「そういうことね。」
誰が、とは言わずとも知れている。
「……名は。」
「知らん。居るとはわかっていたが、そこまでは掴めん。私よりお前の方がわかるんじゃないか?」
なにせ、洗脳されていたのだから。
にやにやと愉快さを隠さずに、アリーゼがそう告げる。グリードの内心を分かった上で、言うのだから性質が悪い。
「…………。」
自らの記憶を辿るグリードだが結果は芳しくないのだろう。無言をもって返すことしか出来ていなかった。
「まっ、浮かばんだろうな。認識阻害に思考誘導、あとは感情操作か。思わぬところで良い拾い物が出来た。」
「リオンか私にその魔法使ってきたら、二度と口聞かないわよ。」
「そこまで下劣な品性はしていない。」
信用の無さを目で訴えるノイン。彼女の頭には防衛手段を即座に準備しようと深く刻まれた。
「…………………非礼を承知で言うが、私は本隊に合流する。」
「そうしろ。私の方でも何か分かれば教えてやる。」
暫くは考えていたが結果は変わらず。現状ではこれ以上の進捗は見込めない、そう結論づけたグリードは自分の責務を全うする事に決めた。
不甲斐ない姿を見せたとしても、彼は隊長。この事件を預ったものとして、これ以上事態が悪化しない様に動く為だった。
「騎士ノイン、謝罪を。何れ詫びを渡しにいこう。…………騎士リオンにもそう伝えておいてくれ。」
「……そう。……期待しているわ。」
最後にノインに向かって頭を下げると、グリードは暗闇へと姿を消していく。
ノインも言いたい事はあるが、状況はある程度把握できた。故に、引き留める事なく、グリードの背を見送る事にした。
「私達も引き上げるぞ。」
「言われ無くてもそうするわ。」
何せ限界なのだ。一夜で多くの事が起こりすぎた。魔力も無ければ、体力も無い。ここまで疲労困憊なのはノインにとっては初めての経験。
さっと意識の無いリオンのことを抱えると、アリーゼに続いて学園に戻る為に歩を進めるノイン。
「そういえば、近くにもう一人いなかったかしら?」
歩きながらノインが思い出したのは、直近までいたはずの金髪騎士のこと。場を離れていたが、そう遠く無いところに居たはず。
「あぁ、居たな。無駄に助けに入ろうとしていたな。適当に意識を奪って、そこら辺に転がしてある。」
「………………………………そう。」
思うところはあるが、放置する事に決めたノインだった。