昇る暗雲、暗闇の王都にて ー6ー
【迅雷】、グリード・ヴェイン。
齢二十四にして隊長へと昇り詰めた若き天才にして、王国最速の騎士。
双剣を振るい瞬く間に敵を殲滅していくその姿は、まさしく疾風迅雷。
王国で暮らしていれば一度は活躍を耳にするだろう傑物。
百を越える魔物を数刻もせずに討伐してみせた。
剣を抜いた時には相手の首が飛んでいた。
あの騎士団長と引き分けた。
上げればキリがないほどには、俺もその武勇は聞いた事がある。
万に一つも俺に勝ち目がある相手じゃない。
戦いになってしまった時点で負けが確定する。
そういう次元にいる相手が目の前にいる男だ。
なんで、最後の最後にこんな事になった。
理由が見当たらない。
ただひたすらに困惑だけが頭を支配していく。
「グリード卿、私達は味方ではなかったかしら?」
ノインが思っていた事を問いかけてくれた。
ノインの言った事が一番の疑問なのだ。
考えが正しければ、グリード卿と俺達は間違いなく味方同士のはず。
誤解があるなら解くしかない。出来なかった時の事は考えたくも無い。
その時は、全部終わってしまうだろうから。
「そうだな。私も信頼できる味方だと思っていた。」
瞑目し静かに語るグリードの一挙手一投足に目を離せない。気を抜いた瞬間に死が訪れる。
目の前にいるのは男は容易にそれが出来てしまう。
頭を使うのはノインに全任せだ。
俺はただひたすらに万が一に備えろ。
想定できる最悪の場合に即座に動けるように。
「だが、疑わしきは罰せと教わってきたのでな。」
騎士にしては物騒な教えを説いた輩がいるもんだ。
おかげさまで最悪の状況になっている。
会う機会があれば、鼻っ柱目掛けて拳を振り抜いてやりたい。
「意味がわからないわ。これでも最善を尽くしてあげたと思うのだけれど。」
ノインが苛立っているのが声だけで伝わってくる。
魔力喰らいについての知り得た情報は真っ先に伝えてやった。少し前までは王都中を奔走して騎士や生徒を助けてまわった。
おかげ様で、こちとら疲労困憊も良いところだというのに。
そんな俺達のどこに疑われる要素があったというのか。全くもって理解し難い。
「あぁ、有り難く思っている。……同時に出来過ぎているとも、な。」
閉じていた瞳が開かれ、射抜かんばかりの眼差しが俺達を捉えた。
鋭い眼光は、それだけでも身体が震えをあげそうになるぐらいだ。
「貴公らの伝達の後、奴等は王都中に現れた。」
あぁ、不味い。
「確かに情報は正しく値千金のモノだった。だが、そうも容易く分かる内容であろうか。」
グリードの纏う空気が変わってしまった。
後ろからはノインの息を呑む音が聞こえてくる。
彼女も同じく、感じとったのだろう。
「考える程に貴公らの行動に疑念が生まれるのだ。」
何を話しても無駄だ。
この話の結論なんて変わらない。
グリード・ヴェインのコレは問いかけじゃない、ただの確認作業だ。
決まった事を述べているだけの独りよがりの発表会だ。
最悪すぎる。
傲慢なその態度に反吐が出そうだ。
「最初から魔力喰らいを知っていたのではないか、と。」
ノインに後ろ手で合図を送る。
簡単な手信号だが、伝わってくれたみたいで良かった。頼んだのは強化魔法の発動。
自前で行うよりも、ノインから受けたほうが効果を発揮してくれる。
残り少ない魔力で無理をさせて悪いが、頼るしか無い。
「いや、違うな。」
グリードの重心が僅かに片寄った。
腰の双剣にはまだ手が延びていないが、一切油断が出来ない。
後ろからは、ノインの詠唱が聞こえてくる。
グリードにもバレているはずなのに、なぜか止めにくる様子が無い。
舐めているのかは知らないが有難い。
向こうが時間をくれるのなら存分に使わしてもらおう。無いよりはマシ、ぐらいの感覚ではあるが。
「魔力喰らいは、貴公らが創り出したモノではないのか、と。」
双剣の柄に無骨な手が添えられる。
彼の発表はもうじき終わりを告げるのだろう。
あまりにも勝手な内容で苛つきが収まらない。
ちゃんと考えれば違うとわかるだろうに、何だってんだ。
「そして、ノイン・クラン。貴公にはそれが出来るぐらいの実力と知識がある。」
筋力増加、耐久強化、敏捷強化、神経強化、さらには付与魔法まで。
驚異的な速度で魔法が重ねがけされていく。
魔力が少ないせいか、いつもより効果が薄い気もするが、それでも最高に助かる。
だが、これでもまだ足りないと思ってしまうのは、相手の実力を考えれば当たり前だろう。
やはり、グリードの狙いはノインだった。
蓋を開ければ 牽強付会も甚だしい内容だ。もし、ノインが下手人だとすれば、他に幾らでもやりようがある。
噂に名高いグリード卿がこれ程までに、短絡的な人間だとは。
師匠とも既知なのかと思っていたが、今となっては確認のしようも無い。
「違う、と言っても、聞く耳を持たないのでしょうね。」
「あぁ、既に決めた事だ。それに敵魔法師と会話する時は、喉を斬ってからと教わっている。」
「さっきから随分と物騒なのね。騎士団とやらは。…………でも、そういう事、ね。」
全くもって同感。
強さの指標として、騎士団を目指していたが考え直すべきだな。
それに、なにやらノインが気づいたらしい。
事態を解決できるものであれば良いが、都合が良すぎるだろうか。……全部、生きていれば、だが。
五体満足で帰れる事はまず無いだろう。
とれる最善はどれだろうか。
戦闘になれば、悩んでいる時間はもらえない。
最初から目標を決めて、その為のみに動くべきだ。
「騎士団の総意ではない。昔の隊長の教えだ。」
「どちらにしても一緒よ。…………後悔するわよ、グリード卿。」
「そうか、覚えておこう。……準備は出来たようだな。」
チャキ、と金属音を鳴らして双剣が抜かれた。
どうやら、わざわざ時間稼ぎに付き合ってくれていたらしい。
お陰様で出来る限りの準備は整える事が出来ている。最後の時間で回復魔法まで貰えたのだから上等。
為すべきところも定まった。ノインを逃がす、その一択だ。
彼女ならこの場面さえ凌げれば、どうとでも出来るだろう。師匠を頼ってもいいし、無実の証を集めてもいい。兎に角、この場から逃してみせる。
これまで散々世話になってきたんだ、命を賭ける理由には充分すぎる。
「やはり良い。貴公、名は。」
グリード卿が仏頂面のまま、視線だけを俺に移した。
状況が違えば、泣いて喜んでいた言葉だったのに。悲しいが今はそんな感動的な場面では無い。
「リオン。家名はねぇよ。」
「覚えた。簡単には折れてくれるなよ、騎士リオン。」
グリード卿の口許が緩やかに三日月を描く。
やる気まんまん、手加減なんてのは期待出来なさそうだ。
深く息を吐いて全身を脱力させる。
長丁場に付き合える余裕も実力もない。
機会は始まりの瞬間だけ。こちらから仕掛けて、僅かでも隙を創りだす。
その隙でノインが逃げてくれると良いが。
とにかく、やるしか無い。
グリード卿の瞼が落ちる、その一瞬。
――――、行く。
最速の一振りでッ――――――、
「―――――ッッツ!!」
ギィンと鉄がぶつかり合う音が響いた。
出所は交錯した俺とグリードの剣。
ただし、攻め手は俺ではなく。
「――素晴らしい。」
グリード・ヴェインの方だった。
「ッ!クッ、ソッ!!」
繰り出たれる二対の双剣が喉を、腹を、腱を、心臓を、こちらの急所を狙って襲ってきた。
一刀を弾いた瞬間には、既にもう一刀が圧倒的な速度で狙ってくる。速さだけでも手一杯なのに、そこに手数と正確無比な狙い。
息する暇すら奪われる猛攻に、上手く防ぐ事すら許して貰えない。
「(どうしてっ!何で、気付かれたっ!?)」
何で、こうなったか分からない。
確かに仕掛けようとしたのは、俺だったはずなのに。
グリード卿の動きには、一時すら注意をそらしていないのに。
気づいた時には刃が目の前にあった。
防げたのは偶々だ。
反射的に身体が動いてくれたから、俺の首はまだ繋がっている。
今も彼の動きは殆ど追えていない。
ただ、感覚に任せてギリギリで耐えている。何度も経験してきた、死が迫る感覚に全てを委ねているだけだ。
起こりが無い。
どんな動きにも、呼吸でさえも、前兆になる起こりが生まれる。生まれてしまうハズなのに。
「(コイツの動きにはそれが無いッ!)」
格が違う。違いすぎる。
全ての動作に完了してから気付かされる。
後手に回るなんて話じゃ済まない。最初から最後まで俺の順番が回ってこない。
「リオンッ!」
切羽詰まった声が聞こえるが、それも微かに。例え、まともに聞こえきても返事等出来そうに無い。
一瞬でも気を逸らせば、即座に刃の雨に呑み込まれる。今だって、何とか致命傷を逃れているだけで、無数の斬傷が一秒事に刻まれていってる。
あぁ、くそっ。
何も出来ない!させて、貰えない!
初撃を失敗したせいで、逃がす時間も無くなった。その気になれば、いつでも殺せるだろう。
偶々、グリードの興味が俺に向いてるお陰で、何とかなっているに過ぎない。
この場にいるのが、本当に聡明なノインで良かった。
状況が分かって、魔法での援護を辞めてくれた。
もしそのまま魔法を行使していたら、即座に喉を裂かれて死んでいた。
「良いぞ、騎士リオン!圧倒的な差を見せられても、まだ折れずにいるっ!」
喜色を全面に浮かべたグリード卿が叫んでくるが、こちらは全く嬉しくない。
迫る銀光はグリードの昂りを表すかのように、さらに加速しているのだから、最悪な気分だ。
どうすれば良い。
加速する彼の剣戟に付いていけてない。
突破口を見出さないと、やられるのは時間の問題だ。
俺が終われば、次はノインも同じ末路を辿ってしまう。どうにか、しないと、いけないのに。
そう分かっているのに。
頭では理解しているのに。
「(――――打てる一手が見当たらないッ!)」
駄目だ、反撃の瞬間が訪れない。
こちらから創り出す事も出来ない。
手一杯の俺と違って、グリード卿はどんどん動きが加速していってる。
より速く、より鋭く、より重く。
駄目だ、本当に、打開のしようが無い。
相手には、まだまだ余裕がある。
こちらはいつ壊れても可笑しくないというのに。
きつい、痛い、しんどい、痛い、苦しい、痛い。
限界が、近い。思考も、纏まらなくなってきた。
身体も、追いついて、いかない。
「まだ、喰らい付いてくるとは、な。――」
――本当に素晴らしい。
濁った思考が一気に覚醒する。
ぞわり、と大きな悪寒が肌をなぞって、全身から冷や汗が止まらない。
何かが来る。
抗いようのない、対処のしようの無い何かが。
「残念だ。貴公となら、肩を並べて戦う事も出来ただろうに。」
双剣が淡い光を纏った。
付与魔法に似たような状態になっている。
魔法だ。
初めて次の一手が先に読めた。
グリード卿から、関係ないと、言われるような錯覚に陥る。その通りだ。
喰らえば、確実に死ぬ。
本能が逃げろと、警鐘を鳴らし続けている。
だが、無理だ。後ろには、ノインもいる。
なにより、逃してくれる訳が無い。
前兆が見えても、刃の雨は降り続けている。
程度は緩くなっているが、脅威は続いている。何も変わらず、俺の身体を裂き続けている。
それでも、無理を承知で魔法を止めないと。
確実に終わってしまう!
「”其は始まりの源流"。"是は非る事象の術"。"従えるは雷の理"。」
「さ、せる、かぁぁぁぁぁぁ!!!!」
意識を切り替える。
最小限に防げていた身体を捨てて、刃の雨に突貫する。
本能に逆らって、無理矢理攻める為の剣へと変えた。
ノインだ、彼女をどうにか逃さないと。
この際、俺がどうなろうと知った事はない。
死にたくは無いが、仕方ない。
腹が裂かれ、頬からも鮮血が飛ぶ。
強烈な痛みが絶えず押し寄せてくる。
それでも、止まってはいられない。
「"始まりは光と共に"。」
纏う光が一際強くなって、雷光が音を立てる。
翠色のそれは暴力の象徴と言われても違和感が無いほどに、力強く荒ぶっている。
「固、有……魔法……!」
ノインの呟きを耳が拾うがどうでも良い。
なんであろうとやる事は変わらない。
詠唱を止めて、発動を無効化する。
そう。無効化して、止めるんだ。
止めるしか、無いのに。
――――――届かないっ。
全身全霊で振るっても、それでも、なんの影響も与える事が出来ない。
後先考えず、死の覚悟すらしたのに。
致命傷も度外視で、攻めているのに掠りもしない。剣は弾かれて、受ける傷だけが増えている。
まずい、このままでは、本当にまずいっ。
ノインのようにその全貌は解析出来ないが、そんな俺でもわかる。少なくとも、市街地で使っていい威力の魔法じゃない。
ノインに防御魔法を指示――は、出来るなら、彼女が既にやってるはずだ
今の彼女には、それすら出来ないほどに、魔力が枯渇している。
そんな状態で、コレを喰らえば。
どう足掻いたって、死んでしまう。
「"終わりは音と共に"。」
二人とも共倒れが一番最悪の結果だ。
俺では、この詠唱を止められない。
この魔法は確実に発動する。
……なら、やる事は一つだ。
「"賛美をもって崇めよ"。」
「――――、そこっ、だっ!」
見つけた、彼の猛攻の緩み。
その一瞬を、渾身の一撃をもって捉えた。簡単に防がれたが、弾いて距離を作る事は出来た。
「つっ……。」
「見事。」
痛みに従って、自分の手に目をやると、赤く焼けただれていた。さっきグリード卿の剣を弾いた時に、迸る雷光に手を焼かれたせいだ。………………これは、もう、剣を振れないだろうなぁ。
見た目の痛々しさよりは、痛みを感じなかったのが不幸中の幸いだった。それに手だけ済んで良かったとも。
満身創痍の身体に鞭をいれて、離れていたノインの元へ。辿り着くと同時、ボロボロの身体でノインの前へと躍り出る。
「ノインッ!そこから一歩たりとも動くなよ!」
「ちょっと!何をしてるのよっ!」
ノインから焦燥の声があがるが無視。
これが、最善手だ。少しでもノインの生存が高い方法をとる。それしか、俺にできる事が無い。…………おまけで、珍しいノインを見れてのだから悪くは無い。
「"耐久強化"ッ!」
「リオン、どきなさい!!」
残る魔力を全部回して耐久強化。
俺の魔法も疲労のせいか効き目が悪い。元々、魔力量が少ないので覚悟してたが、こんな状況では甘えていられない。
魔法を瞬間強化に特化しておいて良かった。術式の改良、その恩恵はしっかりと役にたってくれそうだ。
「"原初ノ雷霆"。」
掲げた双剣が交差するように振り下ろされる。最初に比べて、一段と派手に暴れる雷光が迫る威力を教えてくれていた。
これは、耐えきれる……だろう……か。……いや、違う、そうじゃないっ。耐え切って見せると、嘘でも、そう言ってみせろよ俺!
「……ッ。」
弱気を見せた心を震わせて、精一杯の虚勢を張る。最後の抵抗とばかりに、グリード卿を睨みつけておいたが、何の効果も得られないだろうな。
迫る雷光。十字に地を駆る稲妻が視界を埋め尽くす。死の間際で感覚が尖ったのか、やけにゆっくり見える。
ーーー、遅れて轟音が響き。景色が翠へと染まった。