億万長者の新生活
新入生オリエンテーションから2日後。
4月6日の午前中。
人類の平和を陰ながら救ったハルキチは、新生活の準備を整えていた。
昨日は夜まで続いたお花見のあと、そのまま宴会場で爆睡してしまったから、ハルキチが無料アパートを本格的に使うのは今日からだ。
部屋に置かれていた入居の案内を読みながら、ハルキチは手続きを進めていく。
まずは電気、ガス、水道のライフライン。
仮想現実なのだからそこらへんは標準装備でもいいと思うのだが、現実で独り暮らしする時の練習のためなのか、無料ホームでは自分できっちり契約しないとライフラインが引けなかった。
ボロアパートの六畳間で神棚として使っていたダンボールを机にして、ハルキチは書類と格闘する。
もともとハルキチは現実で独り暮らしをしていたから問題なく手続きを進められるけれど、正直に言えば入居の手続きはめんどくさかった。
やるべきことはライフラインの契約だけではないのだ。
他にも役所に住所変更の届けを出したりとか。
郵便局に書類転送の届けを出したりとか。
インターネットのプロバイダ契約を練習させられたりとか。
挙句の果てにはハルキチが現実で登録しているネットショッピングや携帯端末の住所変更の練習までやらされたりとか……。
はじめて引っ越しを経験する生徒にはいい勉強になるのかもしれないが、すでにこれらの面倒な手続きをやったことがあるハルキチにとって、これらはストレスでしかなかった。
「ああっ、もうっ! めんどくさいっ!!」
ボールペンを投げ出したい衝動をグッと堪えて、ぐぬぬ、と唸るハルキチの耳元で、彼の専属メイドが悪魔のように囁いてくる。
『よろしければ、わたくしが代行しましょうか? 10万ENでいいですよ、マスター』
「……高いよ」
やろうと思えば1日か2日でできる手続きを10万ENは高すぎる。
庶民の金銭感覚を持つハルキチはメイドの提案を断りはしたが、しかし内心では激しく葛藤していた。
『新入生オリエンテーションの副賞で1億ENをもらったのでしょう? 今のマスターにとっては10万くらい、はした金ではありませんか』
そうなのだ……。
ラウラが言う通り、新入生オリエンテーションで勝ち残ったハルキチのアイテムボックスには1億ENが入っている。
しかもこの通貨はログアウトする時に、等価でリアルマネーに交換できるというのだから恐ろしい。
人類を救済したご褒美なのかハルキチは気が付けば億万長者になっていた。
これまで白菜の値段に一喜一憂していた庶民にとって、金銭感覚がゲシュタルト崩壊しそうな金額である。
「い、いや……お金は大事にしないとダメなんだ! 大金が手に入ったからと言って豪遊していると痛い目に遭うって、俺は知ってるんだ!」
ネットでよく見る金持ち社長の転落エピソードを思い出すハルキチに、メイドはやれやれと肩を竦めた。
『……マスターはすでにそういうステージにいないと思うのですが……こればかりは体感しないとわかりませんか……』
なにやら意味深なことをメイドが呟くが、大金から気を逸らすことに必死になっているハルキチは気付かない。
そうしてハルキチが庶民の根性を発揮して全ての手続きを終えたころ、ハルキチの部屋のチャイムが鳴らされて外からレイシア少佐の間延びした声が聞こえた。
『ハルキチく~ん? いますか~?』
隣に住む残念美人教師の来訪に、ハルキチはあぐらをかいたまま呼びかける。
「開いてますよ、先生」
『は~い、おじゃましま~す』
お言葉に甘えてムチムチと入室してきたレイシア少佐の姿は、タンクトップにホットパンツという素晴らしい組み合わせで、ハルキチの目を大いに楽しませた。
『……65点と言ったところですね、服のサイズはもうワンサイズ小さく』
レイシア少佐の残念美人ファッションを厳しく評価するラウラ。
『……精進しま~す』
謎のやりとりを交わすメイドと女教師にハルキチが首を傾げていると、レイシアはダンボールを挟んだ向かい側に正座して、真面目な雰囲気を作って語りかけた。
『ハルキチくん、大切なお話があります』
キリリと話すレイシア少佐にハルキチは少しだけ背筋を伸ばす。
「……どうしたんですか? 急に改まって?」
そして少しだけ緊迫した空気が流れる中、レイシア少佐は大事な用件をハルキチに述べた。
『――引っ越しをしましょう。できれば家賃が1億ENくらいする超高級物件に!』
担任教師からの常軌を逸した提案に、ハルキチは手にしたボールペンを落っことした。
「ええ……?!」
◆◆◆
ようやく引っ越しの手続きを終えたところなのに、また引っ越せとはどういうことなのか?
その答えは学生協会までやってきたところで語られた。
外出用のピシッとしたスーツ姿に着替えたレイシア少佐が、安定のジャージ姿で困惑する青年へと説明する。
『とにかくハルキチくんは自分の預金残高を確認してみてください! そうすれば私の提案にも納得できると思います!』
「は、はあ……??」
いつになくキビキビしたレイシア少佐に促され、ハルキチはバーテンダーの少尉に預金残高を見せてもらった。
お預かり金:13,648,478,190EN
「……うん?」
ズラリと並んだ数字にハルキチは目元をゴシゴシ擦り、冷静を装って数字をカウントしていく。
一、十、百、千、万、十万、百万、千万……。
そして最後までカウントしたハルキチは、青白い顔で絶叫した。
「13億ってどういうことですかっ!!?」
『130億ですよ、マスター』
テンパる主人にラウラが訂正を入れる。
「ひゃ、130億って!? こここ、これ! システムがバグってるでしょっ!!?」
異常な数字を前にカウンターをバンバン叩くハルキチ。
『落ち着いてください、マスター。現在バグっているのは、あなたの頭です』
ラウラのツッコミにハルキチはハッとする。
「そうか……これは夢だったのか……どうりで非現実的な数字が並んでいると思った……」
ホッと胸を撫でおろす主人の頭を、ラウラは強めにぶっ叩いた。
『メイドちょーっぷ!』
ゴスッと鈍い音がして、ハルキチの頭にたんこぶができた。
「……痛いんですけど?」
これが夢ではないと悟って涙目になるハルキチを、レイシア少佐は全力お仕事モードで指導する。
『残念ながらこれは夢ではないんです……いいですか、ハルキチくん? まずは君がこれまで販売してきた料理の数を思い出してみてください』
そう言われたハルキチは、配信で販売した料理の数を指折り数えてみた。
照り焼きチキンサンド。
アジの活け造り。
ショート動画で配信した朝食セット。
カツ丼と10ENで販売したトンカツ。
プチ炎上して作り直した焼きおにぎり。
あとは昨日の夜に『モグラー』と名乗る謎の集団から、新入生オリエンテーションの動画に出ているお弁当の販売許可が欲しいと問い合わせがあって……その許可も出したから、合計で7点ほどの料理をハルキチは販売していた。
「7個です」
ハルキチの答えに担任教師はよくできましたと頷き、続けて簡単な算数の問題を出してくる。
『ざっくりとした計算ですが、料理の単価は100EN。ハルキチくんには現在350万人のフォロワーがいて、君のフォロワーは全ての料理を平均5.4回おかわりしています』
7×100×350万×5.4=132億3千万EN。
これにフォロワーではない視聴者が料理を購入した金額を加えると、だいたい計算が合ってしまう。
「…………あびゃあ」
ステータス画面の電卓で改めて検算したハルキチは、口から変な声が出た。
『正直に言えば~、学園の運営側としても個人の生徒がこれほどの売り上げを叩き出してしまうことは想定外でした~』
『マスターの神がかった調理技術と、高天原の料理に飽きた生徒たちのニーズが、ゴリっと嚙み合ってしまったのでしょうね』
『はい、特にハラスメント設定の今後について語った動画からの客引きが凄まじくて~……高天原の経済を見守る人工知性たちは、今回の件を【高天原の焼きおにぎり騒動】と命名しています~』
どうやら全校生徒が関心を持つ動画に、醤油の焼ける香ばしい匂いを乗せたことが原因でハルキチの資産は膨れ上がっているらしい。
『ええ……あれは酷い内容の動画でした……わたくしも動画を見終わるまでに8回くらい、焼きおにぎりをおかわりさせられました』
飯テロ被害にあったメイドが何度も頷く中、レイシア少佐は放心する生徒の両肩を掴んで真顔で経済の教育をする。
『そんなわけでハルキチくん……今日から君はお金をジャブジャブ使ってください! このままハルキチくんの貯金を放置していると、そのうち高天原の経済が破綻します!』
高天原の通貨はリアルマネーと等価で交換できるだけあって、無限に発行できるわけではないのだ。
担任教師から非常識な指示をだされた元貧乏学生は、乾いた笑いを浮かべて質問する。
「……も、モヤシを豆モヤシにグレードアップさせればいいですか? 毎日食べる物だから……」
寝ぼけたことを言う主人の頭に、再びラウラの鉄拳が炸裂した。
『メイドちょーっぷ!』
新章スタートです。
第二章は日常回。
高天原で豪遊するハルキチたちをゆる~く書いていく予定です。