⑦ 黒き来訪者
クアンさんへの恋心に悩みながらも、私は平穏に暮らしていた。
この地に来て数ヶ月。日本に帰る手立てなどかけらも見つからず、半ば諦めてしまう。それに、おばあちゃんとの暮らしは日本にいた頃よりも断然穏やかで、いつまでもこの暮らしがしたいなとふいに思ってしまうほどだ。
最近はおばあちゃんや近所の人の内職の手伝いをして過ごしている。手先の器用さを褒められるので嬉しい。
そして外で働くことは難しくても、誰かの下でこうやって働いていければいいのではないか。これから先もしおばあちゃんとの暮らしが終わってしまってからも、どう生きていけばいいかを模索し始めていた。
あわよくば、その誰かと言うのは、ここのご近所さんのような見知った人であればいい。それが彼なら、もっといい。
そんなことを思いながら、おばあちゃんと内職の手籠づくりをしていたからいけなかったのか。この平穏を唐突に壊すような来訪者があった。
「誰だい、あんた達」
おばあちゃんが強く誰何をしたその相手は、なんだか第一印象『黒』だった。
黒い帽子に黒いコートを着ている。それが3人。
たまたま戸を開けたタイミングで訪問されたので、簡単に家に入られてしまった。本当にたまたまだったのかは疑わしい。
ここらへんは治安は良くない。だけどご近所さんの人柄の良さや、治安が悪いからこそ防犯意識が皆高く、日頃たいした被害を聞いていなかった。平穏に暮らしていたから気が緩んだのだと反省した。
私が不本意にも招き入れてしまった黒い人たちを、おばあちゃんが牽制してくれる。おばあちゃんは私を手招きして自身の後ろにかばってくれた。
本当なら若者がお年寄りを守るべきなのだろうけれど、ふがいないことにおばあちゃんのほうが断然強そうで、素直にその身の後ろに周る情けない私。
男たちが暴力行為に及んだらすぐに逃げられるよう裏の勝手口までの距離を目測で測ったり、いざとなったらおばあちゃんを抱えて逃げられるよう、とりあえずその細い両肩に手を置く。
守っているのか守られているのかわからない状況で、手の震えが収まるように努めながら私もおばあちゃんをまねて、誰何する。
「あなたたちは誰?」
ここら辺は刑務施設の近く。そして工場勤めの人や警察の家族が住む土地。悪漢がいたら現行犯逮捕できるだけの腕っぷしが強い人たちにあふれているし、いざとなったら通りに出れば誰かに助けてもらえるかもしれない。
「私たちは中央調査員の者です」
はい、終わった。この人たち悪者じゃなかった。
取り出した身分証もこの国の公務員であることを示す刻印(おばあちゃんに聞いて覚えた)がなされていた。
でもおばあちゃんの態度からして私の味方ではないのだろう。きっとこの国の何かしらの機関の人なんだ。
これではご近所さんも手を出せない。誰も助けてくれないだろう。それどころか、私が何かをやらかしたのではないかと疑われる可能性もある。
今まで築きあげてきた信頼など国家権力の前では無力。願わくば、おばあちゃんが巻き添えで嫌な目に合わなければいい。そう考えながらも、自分のいく末が不安で手から顔から血の気が引いていくのがわかる。
代表らしき人がぺらぺらと話しているが、専門用語が多くて何を言っているか正直よくわからない。でもおばあちゃんの反応からして私にとっては良くないことであろうことは明らか。
「この子は連れて行かせないよ」そう言ってくれるおばあちゃんの背中がなんとも頼もしいこと。
でも弁が立つはずのおばあちゃんでも苦戦している様子に旗色の悪さを感じる。法律を盾に理詰めで負かせるつもりなのだろう。
いつの間にか集まってきたご近所さんギャラリーも、腕を組みながらも心配そうに見つめるだけだ。私のことを案じてくれているのだろう、時折目線をくれるけれど、口を出せないでいる。
どうせ私はこの世界では異分子。ここにいたのが間違いなのだ。
ここに住む人たちは本当に朗らかで、不安そうにしていた私を温かく迎え入れてくれた。一緒に手仕事をしておしゃべりをしてくれた。買い物途中にお茶に誘ってくれたりもした。行く先々でお菓子もたくさんもらった……少し子ども扱いされているようにも感じたけれど、安心させるように頭をなでてくれるおじさんおばさん。そして厳しいけれど優しいおばあちゃん。
ここにいていいのだろ思わせてくれた。思ってしまった。
でも、どうやら、ここにいてはいけないらしい。私はこの国にとってよくない存在なのだと、言い方は違うし相変わらず専門用語だらけだけれどこの中央調査員の人たちは口にしつづける。
「引き渡していただければ、ここにいる人たちは協力者として扱います。今まで匿っていたと思われる状況は不問といたしましょう」
要約するとそんなことを言う中央調査員。
おばあちゃんを守る方法は何も抱えて逃げるだけじゃない。私が出ていけばいいだけ。いままでもたくさん迷惑をかけたのだ。これ以上の迷惑をかけるのは違う気がする。
そう思って彼らのもとに自ら進もうとする私の手を、力強く握って離さないおばあちゃん。おばあちゃんの肩に置かれた手は、みじんも動かなかった。おばあちゃん、こんなに力が強かったのね、と思う。こんなにも私に居場所を与えてくれていたのね、とも思う。
でも、人にはどうすることもできない状況がある。私がこの世界に不意にやってきてしまった時のように。不意に今まで住んでいた居場所を奪われたあの時のように。そして、今もまた居場所を奪われるのだろう。
そうあきらめかけた時、もう一人、来訪者があった。
その人は音もたてず現れ、ピリピリとしたこの嫌な空気を気にもせず、ゆったりとした独特の空気感を身にまといながらゆっくりとこの家に入ってきた。
私がこの世界に来てからずっと私のそばに寄り添い続けてくれた人。いつも味方でいてくれる人。私に安心と平穏を与えてくれるひと。貰ってばかりで何も返せていない人。
「ああ、その件ならもう済んでいますよ」
その一言で、そして懐から出した紙一枚で、彼はこの場を治めてしまった。
紙を受け取った中央調査員とやらは最初とまどって紙に書かれた内容と彼の顔を交互で見、次いで仲間たち三人でひそひそと話し合い、しばしの沈黙の後舌打ちを残して去ってしまった。