彼女は太陽、私は月の裏側【私はトモダチのゴーストライター】
彼女はみんなを照らし、みんなから笑顔を向けられる太陽。
私は誰にも知られない、月の裏側だった。
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みんなが賑やかな昼休み、私はひっそりと歌を歌う。机の上に組んだ腕に顔を突っ伏して、誰にも聞こえないように歌を歌う。
誰も知らないヒット曲たち。私の頭の中だけでは世界中の人が知っていて、愛してくれて、口ずさんでくれる。
中学2年の時から始めた作詞作曲。だけど私のこの引っ込み思案の性格では、誰に聞かせることもなく、ネットで発表することもなく、何しろ楽器を弾けない私だから、100曲を越えるそれらは架空のアーティストに歌われて、私の妄想の中だけで世界中にヒットを飛ばしているのだった。
ボカロは難しくて無理だった。歌も上手くないし、何よりニキビだらけの私のジミ顔じゃ、日の当たる場所になんて出られるわけもない。表現方法のない私は、ただ自分の頭の中で夢を叶えているのだ。
目を閉じて、暗い闇の中で歌っていると、歌は世界に響き、拍手と歓声が聞こえて来る。
新しい曲が生まれて来る時もある。楽譜が書けないから何回も繰り返し歌って覚える。曲ができたら次は歌詞だ。顔を起こしてノートに書き、出来立てのメロディーを言葉に変えて、ヘタクソに歌い始める。また机に顔を突っ伏して。
そうしていると突然、背後から現実に引き戻す声をかけられた。
「それってポエム?」
ヒッ!と小さく悲鳴を上げて振り返ると、太陽が私を照らしていた。
「それとも歌詞?」
煌びやかな笑顔だった。それが、私を照らしていた。
彩姫律花さん。クラスで一番人気者の彼女が、私なんかに話しかけてくれた。
「そっ……そのっ……」
ノートに書きつけた歌詞を、私は両手で隠すふりをしてから、手をどけた。
「み……、見られちゃった?」
「へー! 歌詞?」
彩姫さんの綺麗な顔が、私の地味な顔に並び、ノートを興味深そうに見てくれる。
「すごい! 星野さん! もしかして曲も書ける?」
顔は真っ赤になっていただろう。私は猿みたいに何度もうなずいた。見つかったのが恥ずかしく、見つけてもらえたのが嬉しかった。
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私は楽器が弾けない。楽譜も書けない。
二人で視聴覚室に入ると、彩姫さんが言った。
「ね、歌ってよ」
「き、聴きたいの?」
声がひっくり返ってしまった。
私の歌詞ノートを広げ、パラパラとめくり、ひとつのページで手を止めると、彼女が「うん」と言った。
「綺麗な歌詞。タイトルも『黒い白鳥の哀しみ』って、独創的! 興味あるよ。これ、どんなメロディーつくの?」
心臓が固まるかと思うぐらい緊張した。
ガチガチになりながら、たった一人でもこんな美少女を観客にして、自分の作った歌を聴いて貰えることが嬉しすぎて、張り切って歌った。
『黒い白鳥の哀しみ』はタイトルを裏切ってメロディアス・ハードな曲調だ。歌詞は黒く産まれてしまった白鳥がみんなから「ありえない」と罵られ、存在を無視されるけど、最後には強く羽ばたく場景を歌っている。
私が歌い終えると、彩姫さんが拍手をしてくれた。
愛想笑いとお情けの拍手かと思ったら、熱烈な拍手だった。そして、あぁ……この綺麗な顔が、本心から笑うと、こんなふうに花開くんだなと思った。
「すごい! カッコいい! メロディーも最高!」
「そ……そうかな?」
私は照れ臭さと嬉しさに、思わず顔を隠した。
「歌詞が意味深でいいなって思ったんだ。思った通り最高!」
拍手が鳴り止まない。
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「たーちゃん……。あの子、お友達?」
私がウーロン茶を二杯、入れていると、お母さんが聞いて来た。
「ものすっっごい!綺麗な子ねぇ……」
鼻が高かった。
「うん、友達。彩姫律花ちゃん。美人なだけじゃなくて、とってもいい人なんだよ」
自分の部屋に戻ると、律花ちゃんが熱心に私の歌詞ノートを読んでくれていた。彼女がいるだけで自分の部屋が高級になったように錯覚してしまう。
彼女にリクエストされ、次々に自分の作詞作曲した歌をアカペラで歌った。一曲終えるたびに笑顔と拍手が強くなった。
「あたし、バンドやってるんだ」
お菓子をつまみながら、律花ちゃんが言った。
「まだ誰にも言ってないんだけどね」
「わっ! 本当?」
私は彼女の話に食いついた。
「担当は? ボーカル?」
「うん。あと曲によってはキーボードも弾くよ」
「わあ……!」
バンドを組むのは私にとって夢だった。自分の作った曲を奏でてくれるメンバーが欲しくてしかたがなかったのだが、私は表現できないし、引っ込み思案な性格で友達もなく、半ば諦めていた。
「あ。じゃ……、もしかして」
ふと、思ったことを聞いてみた。
「律花ちゃんも作詞作曲、するとか?」
「うん。するよ」
照れ臭そうな彼女も可愛い。
「でも、才能ないんだよね」
「そ、そんなことないよ!」
律花ちゃんがプッと笑う。
「聴いてみてもないのに、そんなこと言うの?」
「あ、アハハハ……」
恥ずかしくなると意味もなくすぐ笑う。自分のこういうとこ、いつもながら嫌だ。
律花ちゃんは照れたようにうつむくと、言った。
「あたし、作った曲がなんだか何かに似てしまうんだ。曲調もありきたりだし」
「そんなのあるあるだよ。音楽なんて、限られた音の組み合わせなんだから、何かに似ちゃうことなんて」
「あ……。星野さん」
「ん?」
「下の名前、教えて?」
「ああ……」
知って貰えてなかったことにちょっとショックを受けながらも、私は教えた。
「竪琴。星野竪琴だよ。『たーちゃん』って呼んで」
「いい名前! たーちゃんとお友達になれて、あたしラッキーだったな。すごいよ、たーちゃんは。作る曲も歌詞も、すごく独創的で。羨ましいな」
「そんな……。それほどでも……」
人生最良の日だと思った。こんな素敵な友達が出来ただけでなく、自分の子供達ともいえる楽曲をその友達がトコトン褒めてくれる。
その上にさらに嬉しいことを律花ちゃんが言い出したのだった。
「ね、教えてよ。メロディー覚えて、歌ってみたい」
1コーラス教えると、彼女は歌った。
自分の曲が肉体と魂を得た、と感じた。律花ちゃんの声は透き通るように綺麗で、ピッチがふらつく私なんかとは違って、とても安定していた。何より感情を込めたその歌唱は聴き惚れてしまうほどだった。
強い曲は強く、優しい曲はとても優美に歌う。まるでプロのボーカリストだった。目の前に、自分の部屋に、歌姫がいる!
興奮のあまりその夜はほとんど眠れなかった。
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次の日から、私は学校の昼休み、一人ぼっちで歌わなくなった。ちゃんと頭を起こして、彼女が話しかけて来るのを待つようになった。
「星野さん」
律香ちゃんが後ろから話しかけて来てくれた! 喜び振り向くと、彼女は私ほどには笑ってくれていなかった。
「ちょっと、また視聴覚室来てくれる?」
そう言うと返事も待たずに教室を出て行く。
廊下を歩き、前を行く彼女の背中を追いかけた。足が速いので追いかけるのが大変だった。
ピシャリと扉を閉めると、ようやく律香ちゃんが親しげに笑ってくれた。
「たーちゃん! いいもの聴かせてあげる」
馴れ馴れしく近寄って来てくれる彼女に嬉しくなりながら見ていると、律香ちゃんはスマホを取り出した。
「これ、はめて」
そう言って私の耳にイヤフォンを突っ込んで来る。彼女の指が頬に耳に触れて来るのがくすぐったかった。
「行くよ?」
律香ちゃんがスマホを操作した。
音楽が流れ出す。打ち込みのドラム、ベース、コンピューター音源に乗って、透明な声が軽やかに歌い始める。
「あっ!?」
私は思わず声を上げた。
私の曲だ! 私の曲に伴奏がついて、それに乗せて律香ちゃんが歌ってくれている! 涙が出るかと思った。
「どう?」
笑顔でそう聞く律香ちゃんに、私は同じ言葉しか言えなかった。
「すごい! すごいすごい! ……すごい!」
「コード進行とかリズムとか、これでよかったかな?」
「すごい! ありがとう!」
「ふふ」
私の反応に笑ってしまいながら、律香ちゃんはさらに嬉しいことを言ってくれた。
「来月、ウチのバンドの初ライブがあるの。合同ライブだけどね。そこでこの曲、やろうと思うんだけど……いいかな?」
「本当に!?」
あまりの嬉しさに彼女の手を握った。
「うそ! 私の曲をたくさんの人に聴かせてくれるの!?」
彼女はただにっこりと笑って、うなずいた。
教室に帰っても非日常的なまでの多幸感は続いていた。授業内容なんて全然耳に入って来なかった。さっき聴かせてもらったプロの録音みたいな自分の曲と、それを歌う律香ちゃんの歌声ばかりが頭を駆け巡っていた。
「へー! 凄いじゃん!」
男子の声がして、そっちのほうを見ると、さっき私がしていたイヤフォンを、佐々木くんが耳に入れている。その向かいでは律香ちゃんがスマホを手に持っていた。
私の曲を聴かせてくれてるんだ。そう思って、また頬が緩む。
「これ、彩姫が作ったの?」
佐々木くんが彼女に聞く。
「これ、お前の作詞作曲?」
「うん、そうだよ」
律香ちゃんが確かにそう言った。
「いい曲でしょ? 自信作なんだ……」
はっとしたように、律香ちゃんがあたしが見ているのに気づいて、黙った。
私達が会話をするのはいつも視聴覚室だった。
「ごめぇ〜ん、たーちゃん」
手を前で合わせて律香ちゃんが謝って来る。
「つい、得意になって……。あんまりいい曲なもんだから。自分が作ったって、つい……言いたくなっちゃったの。ごめんね?」
「うん」
謝られるほどのことじゃないと思って、私は微笑んだ。
「それぐらいのこと、いいよ。ところで……なんでいちいちここに呼び出すの? 教室で言ってくれたらいいのに」
「あたしとたーちゃんが友達になったってこと、誰にも知られたくないの」
「なんで?」
「うん。たぶんだけど、嫉妬されちゃうと思うから」
「嫉妬?」
「あたしと仲良くなりたい子、多いんだよね。じつは……」
律香ちゃんはベージュの混じった奇麗な髪を、軽やかに揺らして、言った。
「だからよほど強い子じゃないと、陰で嫌がらせをされたりするんだ。たーちゃんがそんな目に遭うかもしれないのが心配だなって、思って」
なるほど、と思った。
クラスの人気者の綾姫律香ちゃんと特別に仲良くなりたがっている子は確かに多いだろう。私のことを心配してくれる優しさが嬉しかった。
「とりあえずライブの予定決まったら教えるね」
キラキラ笑顔が眩しかった。
「うん! 楽しみ!」
キラキラしているかどうかはわからなかったが、私も笑顔を返した。
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それから1ヶ月も先じゃなかった。彼女のバンドの初ライブは私の知らない間に終わっていた。
なんで知らせてくれなかったんだろう。忘れてたのかな? 私のことなんて……。そう思うとすごく悲しくなった。
自分の曲が披露される瞬間が見たかった。作者として、ステージから客席の私をみんなに紹介されていたことだろう。それは気恥ずかしいかな、と思えたが、日陰人生を送って来た自分にもたまにはスポットライトが当たってもいいだろう。たまにはみんなから笑顔を向けられてもみたかった。
それを知ったのはすぐ近くの席で永里くんが友達とその話をしているのが聞こえたからだった。
「俺、彩姫をボーカルにしたバンドでベースやってんだ」
永里くんがそう言ったので私は聞き耳を立てた。
「へー! 永里、お前、あの彩姫様とバンドやってんの!? 羨ましい!」
「それで一昨日の日曜、物産ホールで初ライブやったんだけどな」
「おおー! どんな曲やんの?」
「大半はコピーなんだけど、オリジナル一曲だけやった」
「誰の作曲?」
「彩姫。あいつ、急に作曲能力上がってさー。歌詞なんかも意味深でカッコよくて、すげーんだ」
「ルックスだけじゃないとか、すげーな!」
胸がざわざわした。
律香ちゃんの姿を探すと、取り巻きの人達と楽しそうに話をしていた。
私はあそこに混じるわけに行かない。彼女と友達になっていることがバレてはいけないのだ。嫉妬されて嫌がらせを受けることをせっかく心配してくれている律香ちゃんの気持ちを無駄にすることになる。
私は彼女が視聴覚室に誘ってくれるのを待つしかなかった。
「聞いちゃったんだ? 初ライブ、もう終わってたこと」
視聴覚室の扉を閉めるなり、ばつが悪そうにそう言い出した律香ちゃんに、私は微笑んだ。
「忘れちゃってたの? 私に教えること」
「そうなの。あたしってバカだから」
軽そうな拳で自分の頭をコツンと叩く。
「見たかったな……」
私がすねて見せると、彼女が後ろからハグをして来た。そして、耳元にキスするように、言った。
「ねぇ、また家に行っていい?」
「うっ……、うん。いいよ!」
胸がドキドキして、声が上ずってしまった。
「いっぱい曲を教えてよ。あたし覚えるから。たーちゃんのことも、もっと知りたいな」
嬉しかった。またプロの録音みたいに形にしてくれるのだろうか。それ以上に、私のことを知りたがってくれることが嬉しかった。
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「へー、洋楽ロック好きなの?」
お菓子をつまみながら、律香ちゃんが言った。
私はコレクションのCDをいっぱい見せながら、自分のベッドに背中をもたれて、天国気分だった。大好きな友達の律香ちゃんが私の好きなものを知ってくれる。なんて幸せなことだろう!
「でもあたし、洋楽は全然興味ないんだよねー」
CDケースを次々と素早くカードをめくるように眺めながら、律香ちゃんが言った。
「そうなの?」
「うん。聴くのは日本のばっかりだよ。だって歌詞の意味がわかんないとつまんないじゃん」
「わからないからこそ自由にイメージができるの。それに外国語の響きってとても……」
「あたし有名な曲でも洋楽はちっとも知らんからさー」
「あ。ごめん」
私は自分を恥じた。
「興味ないものの話なんてつまんないよね?」
「あ。いーよ、いーよ。たーちゃんの影響受けて洋楽に目覚めてみようかな。何か聴かせて?」
一番有名な、誰でも知っているであろう古い洋楽ロックの名曲をかけたが、彼女は知らなかった。本当に、その興味のなさは、びっくりするほどだった。
「やっぱ、あたしには無理だわ。なんで言葉がわからん歌を聴くのか理解できん」
律香ちゃんがそう言ったので、私は音楽を止めた。
お菓子を一口食べ、お茶を流し込むと、彼女が言った。
「今度のライブの時は間違いなく呼ぶよ。ごめんね、今回は」
「いいってば。でも今度は絶対だよ?」
「うん。そこで話なんだけどさ……」
「ん?」
「今度はもっとオリジナル曲、たくさんやろうと思うんだ」
「私の曲を?」
思わず顔がにやけてしまった。
「で……さ。相談なんだけど」
お菓子を食べながら、何でもないことのように、律香ちゃんが言った。
「オリジナル曲、あたしの作詞作曲ってことにさせてくれないかな」
「え?」
意味がわからなかった。
「なんで?」
「え?」
律香ちゃんも意味がわからないように、目を見開いた。
「だって、あたしが編曲して、歌ってあげなかったら、誰にも知られずに終わってたんだよ? それって実質あたしが作ってるようなもんじゃん」
「そんな……」
「違う? たーちゃん、1人で世に知らしめることが出来てた? 楽器も出来ないのに? 歌だってはっきり言って下手だし、それに顔も……あ、ごめん」
私は何も言い返せなかった。
「あたし、たーちゃんの才能を世に知らしめたいんだよ。あたしがたーちゃんを照らし出す太陽になってあげる」
「それなら……」
「それにさー、『それぐらいのこと、いいよ』って言ってくれたよね?」
律香ちゃんの口調が少し怒っているみたいだったので、私は黙り込んだ。『それなら、私を照らし出してくれようというのなら、作者のことを隠す必要ないんじゃない?』なんて、優しい律香ちゃんに対して、そんな偉そうなこと、言えなかった。
私もバンドに入れてほしい。ピエロの格好して旗を振るビジュアル担当でも何でもやるから。そう思ったが、そんなことも言い出せなかった。
彼女のバンドメンバーと仲良くなれる自信がない。私の友達は、律花ちゃんただ一人だった。
「あたしはたーちゃんのこと思って言ってあげてるんだよ?」
律花ちゃんの口調が優しくなった。
「たーちゃんの作った曲を歌って、あたしが輝けば輝くほど、たーちゃんも嬉しくない? あのステージ上で輝いてる子は、自分が輝かせてんだ! って、思いなよ。一人じゃそんなの出来ないでしょ?」
確かに言う通りだと思った。わたし一人では、ノートに歌詞を書いて、頭の中で歌うしか出来ないのだ。
「いわばたーちゃんは太陽を輝かせることの出来る星なんだよ? そんなの普通じゃないじゃん! 凄いよ! 宇宙で唯一、太陽を照らせる星なんだ! たーちゃん、凄い!」
「エヘヘ……」
なんか、笑ってしまった。
「じゃ、いいよね? オリジナル曲はあたしが作ってるってことにするからね?」
私はどうすることも出来ず、こくんとうなずいた。
「じゃ、いっぱい曲を教えて? 歌詞は写真に撮って、メロディーは歌ってくれたら録音するから」
律花ちゃんはとても嬉しそうにそう言うと、コップのウーロン茶を飲み干した。
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次の日から学校で、私はまた机に突っ伏して歌うことを始めた。こうすると新しい曲が浮かんで来るのだ。それに、律花ちゃんから話しかけられることがなくなってしまったので。
それから何日かが過ぎた。私が顔を腕の中に隠して小さな声で歌っていると、背中を誰かに突かれた。
律花ちゃんだった。
「星野さん……。はい、これあげる」
そう言って何か券のようなものを机に置くと、サッと向こうへ行ってしまった。
何だろう? とそれを取り、見ると、私の顔が笑った。
チケットだった。3組のバンドの合同ライブで、律花ちゃんの『彩姫バンド』は一番最後のステージだ。
私がそれを見つめて嬉しそうにしていると、後ろからまた話しかけられた。今度は男子の声だ。
「星野さん、それ、今、彩姫に貰ってたよね?」
振り返るとそこに立っていたのは律花ちゃんのバンドのベーシスト、永里くんだった。長い前髪の間から覗く目が優しく、心配するように私を見ている。
「彩姫と親しいの? 友達?」
そう聞かれて、心臓の鼓動が早くなった。
「あ、違うよ? そんなんじゃない」
「じゃあなんで、チケット貰ってたの?」
「な、なんか知らないけど、来てほしいって……。お客さんたくさん呼びたいから、私なんかにも声かけてくれたんじゃないかな」
「ふーん……」
何かを疑うように、じろじろ見て来る。
「あいつ、最近になって急に作曲能力上がったんだよね。不自然なほどに。それについて何か知らない?」
私がムキになったように首を横に何度も振ると、永里くんは疑うような視線をさらに強くした。次には何を聞かれるのだろうと身構えていると、
「ま、いいけど」
そう言い残して、あっちへ行ってくれた。
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次の『彩姫バンド』のライブ、私は客席にいた。
簡素な白い照明の下、律花ちゃんは輝いていた。マイクを持って動き回り、しっとりした曲ではキーボードを弾きながら、みんなの視線を吸い寄せていた。
「じゃ、次はオリジナル曲行くよー? 聴いてください。虐げられた人々の気持ちを考えて作った曲です。『黒い白鳥の哀しみ』」
律花ちゃんはステージ上でよく喋る。曲の頭には必ず曲紹介を加える。
「最近、曲作りがノリにノッてて、次々とオリジナル曲増えてます。評判もいいみたいで、『才能すごいね』って同級生に言われちゃったよー。きゃー嬉しいっ!」
その天衣無縫の明るいお喋りがまた好評なようだった。客席から頻繁に好意100%の笑い声が上がる。
私は客席にいて、ただそれを眺めていた。周りの人達は誰もがステージの上を見ていて、称賛の笑顔を律花ちゃんに向けていた。
私は誰にも見られない暗闇の中にいた。
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最初のうち、律花ちゃんが家に遊びに来る時は、私が先を歩き、少し後を彼女がついて来ていた。最近は私が一人で帰った後、時間を置いて彼女が呼鈴を押す。あくまでも私と友達だということを知られたくないようだ。履歴が残るのが嫌だと言って、LINEでのやりとりもあまりしない。彼女の部屋に私が遊びに行ったことは一度もない。
その日は私の部屋に入って来るなり、律花ちゃんは顔を輝かせ、重大な報告を口にした。
「聞いて聞いて、たーちゃん! こないだのライブでね、レコード会社のスカウトの人に声かけられちゃった!」
さすがにびっくりして、私も顔を輝かせた。
「本当に!? すごい!」
「ソングライティングに関してもベタ褒めだったよ? 個性的ですごくいいって」
「あ、そうなんだ……」
「たーちゃん……」
彼女が私を正面から抱き締めて来た。
「これもみんなたーちゃんのお陰だよ」
「違うよ。律花ちゃんに魅力があるからだよ」
「あたしがプロデビューしても」
律花ちゃんは私を抱き締めたまま、言った。
「変わらずあたしに曲を提供してくれる?」
私はしばらく答えなかった。
「ずっと友達だよね?」
律花ちゃんの腕の力が強くなった。
「プロのシンガーソングライターの友達になれるんだよ?」
私はようやく口を開くと、にっこり笑いながら、言った。
「うん。デビューしたら、とんでもなく美しい曲を作ってプレゼントしたいな」
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そしてその日がやって来ることになった。
今度のライブ、レコード会社のスカウトの人が、上のほうの人を連れて見に来ることになったのだ。
気に入られればデビューの話を持ちかけられることだろう、とのことだった。
「ちょっと星野。いいかな?」
5限目が終わった時、永里くんが私に話しかけて来た。屋上に呼び出されたけど、告白でないのは雰囲気でわかった。
屋上は風が強かった。
「何?」
私がおそるおそる聞くと、永里くんは刑事のように問い詰めて来た。
「星野! お前、彩姫のゴーストライターやってないか?」
一瞬ドキリとしたが、私はうまくとぼけた。
「は? なんで? っていうかなんのこと?」
「あいつに曲作りの才能なんてなかったんだ。それが突然、凄い曲を作るようになった。しかも次々とだ。おかしいだろ!?」
「いや、なんでそれが私と関係があると?」
「あいつ、急にお前と親しくなりはじめた。しかもなぜかコソコソとだ。そりゃおかしいって思う。この前尾けてみたら、あいつ、お前ん家に入って行ったぞ?」
「そ、それは……」
私は言い訳を探して、見つからなかったので、本当のことを言うしかなかった。
「と、友達になったんだよ。でも、大っぴらに仲良くすると、私が他の子から焼き餅焼かれて、いじめられるかもって、律花ちゃんが心配してくれて……」
「騙されてんだ、お前。いいように利用されてんだ、あいつに。気づけ」
ムッとしたので、言い方がキツくなった。
「何よ? 何、友達の仲、裂こうとしてんの? あんたに何か関係ある?」
「不正とか許せねーんだよ。それに彩姫のためにもなんないだろ? 何よりお前、それでいいのかよ?」
「意味わかんない。教室帰るよ?」
「じゃ、放課後、見せてやるよ」
「何を?」
「あいつの本性」
永里くんは私に掃除用ロッカーの中に隠れていろと言った。私は言われる通り、素直にそこに身を隠していた。
是非、それを見せてほしかったのかもしれない。
教室に律花ちゃんが、続けて永里くんが入って来た。
「何よ? 話って?」
いつもと違う声で律花ちゃんが言った。
私の前ではいつもニコニコしていて、優しい律花ちゃんの、機嫌の悪そうな声なんて、初めて聞いた。
永里くんがいきなり切り出す。
「彩姫。お前、星野さんにゴーストライターやらせてるだろ?」
律花ちゃんが怪獣みたいに吠えた。
「ハァ!? 永里、アンタ、何言い出してんの!? 星野さん? なんで星野さんが出て来るのよ!? あたしあんな人と友達じゃないわよ!」
「そのわりには親しそうじゃないか? 二人っきりで視聴覚室に籠もったりして。お前があいつの家に入って行くとこも見たぞ?」
「何!? 尾行してたの!? 嫌らしい!」
「急にいい曲作りはじめるからおかしいと思ったんだ。彼女に作らせてたんだよな? 不正はやめろ。みんなが許したとしても俺は許さん」
「証拠でもあるの!? あるなら出してみなさいよ!」
「お前、言ってたじゃん」
永里くんが、私の初めて聞くことを言った。
「星野って、いっつも机に突っ伏して変な声出してる、キモいやつだって。そんなバカにしてたやつなんかの家に、なんで遊びになんか行くんだ?」
「かっ、可哀想だから、仲良くなってあげただけよ! 憐れみよ!」
「ほ〜ら、やっぱり仲良しなんじゃねーか。さっきはなぜ嘘ついた? 友達じゃないとか?」
「友達じゃないっ!」
「どっちだよ……」
「あの子の下の名前知ってる? 星野竪琴って言うんだよ? 笑っちゃうよなー」
「ひでー名前」
感情の籠もらない声で永里くんが同意した。
「だろ!? な〜にが竪琴だよ。大正琴にも及ばねージミ顔しやがって。笑えるよな」
「笑う〜」
律花ちゃんを煽っているように聞こえた。
「だからあたしはアイツとは友達なんかじゃねーよ! ただあたし様って優しいからさ、お情けで家庭訪問してやってんだよ! 施しだよ、施し! そんだけだ! わかったか!?」
「ああ、わかった」
永里くんの声ににんまりと笑いが籠もっていた。
「充分だ」
律花ちゃんが教室を出て、怒ったような足音が遠ざかると、永里くんがロッカーの戸を開けてくれた。
「聞いたよな? あれがアイツの本心だ。かばう必要なんかねぇ。お前、アイツのゴーストライター、やってるよな?」
私は何も答えず、ロッカーから出ると、ロッカーの中に隠していた荷物を持ち、教室を出た。
廊下を歩いた。
玄関で靴を履き替えた。
まっすぐ家に帰った。
帰るとすぐに、ノートに歌詞を書きはじめた。
律花ちゃんにプレゼントするための、とんでもなく美しい曲の、その歌詞を。
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「新曲?」
「うん。出来たんだ。聞いてみて?」
私は予めスマホに録音してあったその曲を、ノートに書いた歌詞を見せながら、律花ちゃんに聴かせた。
私の部屋の絨毯の上に敷いたクッションで腰を揺らして、律花ちゃんは目を瞑ってその曲を聴いてくれた。『漂泊者の狂詩曲』とタイトルをつけた、その曲を。私はドキドキしながら彼女の言葉を待った。出て来るのは賞賛だろうか、それともあのロッカーの中で聞いたような汚い罵りだろうか。
「すごい!」
曲のまだ途中で、彼女は感激したように笑い、堪えきれないように、言った。
「これ、名曲! すごいよ、たーちゃん!」
私は嬉しかった。最高の笑顔になった。
「とんでもなく美しい曲をプレゼントしたいって言ったでしょ? プロデビューできるかもしれない律花ちゃんのために心を込めて作ったの。気に入った?」
「うんうん! これ、今度のライブで歌いたい! レコード会社の人達の前でこれ、聴かせたい!」
「ピアノの弾き語り用に書いたんだよ」
抱き締めて来る彼女を抱き締め返しながら、優しい声で提案した。
「だからさ、バンドメンバーの人達もびっくりさせようよ。一人で練習してさ、誰にも内緒にしといて、本番のステージで初披露するの」
「メンバーにも内緒に? なるほど、サプライズだね? それ、面白そう!」
「メンバーの人達も、いきなり完成品を聴かされて、あまりの美しさにビビると思うよ?」
「作った自分で言うなよ」
苦笑すると、またうっとりとする。
「でも本当に夢みたいに綺麗な曲……。ありがとう! たーちゃん、ありがとう!」
「当たり前だよ」
再びぎゅっと抱きついて来た律花ちゃんを、私は抱き締め返した。
「友達でしょ」
「この曲、私のデビュー曲にするよ」
夢見るように、律花ちゃんは言った。
「印税入ったらもちろんたーちゃんにも分けてあげる。山分けだよ? 1割あげるからね」
ふふっと笑うと、私は彼女の形のいい頭を撫でた。
そしてその日がやって来た。
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会場は県民ホールで500人収容の客席はぎっしりだった。
みんなが律花ちゃんを見に来ていた。それほどまでに彼女の評判は高まっていた。
ルックスも良く、声もよく、歌もうまくてキーボードも弾ける。何より彼女の作る曲が非常に独創的で、歌詞もミステリアスで、それが最大の魅力だと言われていた。
誰もが律花ちゃんだけに注目していた。レコード会社の人達も、デビューするならバンドではなく、彼女をソロデビューさせたいという話らしかった。未来の大スターになるかもしれない彼女一人に、観客の注目が集まっていた。
「今日は私のライブを観に来てくれてありがとうございます」
純真無垢をイメージしたような白い衣裳に身を包み、律花ちゃんはそう言った。『私達のライブ』ではなく、『私のライブ』と。
「心を込めて歌いますので、どうぞごゆっくり、あるいはノリノリで楽しんでください」
そう言ってベロを出し、愛嬌を振りまく彼女は輝くほどに可愛らしかった。
私は暗い客席の、後ろのほうにいた。
その日のセットリストはほとんどオリジナル曲で固めていた。私の作った曲の数々で。律花ちゃんはそれがどういう気持ちで自分が作った曲なのかを、必ず曲の前に解説に入れた。
「ノリカちゃーん!」と客席からコールが上がると手を振って、愛想のいい笑顔で応えた。
前のほうに頭の見えるレコード会社の人達を見ると、好感触のようで、しきりにうなずきながら興奮したように話し合っている。
6曲目が終わった頃には会場はすっかり彼女の色に染められていた。
拍手が終わると、バンドメンバーが袖に引っ込む。いよいよ私がプレゼントしたあの美しい曲を弾き語りするのだな、と気づいた。
律花ちゃんがぺこりと挨拶すると、語り出す。
「次の曲は出来たてホヤホヤの新曲で、じつはまだバンドメンバーにさえ披露していません。今日、みなさんの前で歌うこれが初披露になります」
オオー! と観客席から期待の声が上がる。
「出来れば、もしデビューさせて頂けるのでしたら、この曲をデビュー曲にしたいなって思えるほどの自信作です」
そう言って、レコード会社の人達のほうを媚びるように見た。
「一寸先の見えないこの現実の中で、産んでくれたママに感謝と謝罪を捧げながら、未来へ向かって新しい日々を切り拓いて行く、人生の漂泊者の心境をイメージして作りました」
パチパチパチと、まだ律花ちゃんがキーボードに向かってもいないのに、ところどころから拍手が上がった。
「では、聴いてください。『漂泊者の狂詩曲』」
律花ちゃんが椅子に座り、ピアノの音色でイントロを奏で始めた。
会場はしんと静まり返り、イントロの美しい音色に耳を傾け、彼女が歌い始めるのを待つ。
うっとりするような声で律花ちゃんが歌い出す。
会場の空気が変わった。
「あれ?」という声を、私の隣の人が出す。
私の前の席にいた、友人同士らしき二人連れの男の人が、私の耳にはっきり聞こえる声で言い合った。
「これ……、なんか聴いたことあるけど……もしかして有名な洋楽じゃね?」
「日本語の歌詞つけてるだけで、まんまクイーンの『ボヘミアン・ラプソディ』だよ、これ! パクリどころかそのまんまじゃん!」
会場のざわめきがだんだんと大きくなる。
「ママーーーー」と、彼女が高らかにサビを歌い始めた頃には、会場全体がざわざわとどよめいていた。レコード会社の人達も、何やら帰り支度を始めている。ステージ上の律花ちゃんは気づいておらず、目を閉じて気持ちよさそうに歌い続けていた。照明を浴びて、真っ白な姿で、世界的に有名なフレディー・マーキュリーの作った美しいメロディーを、自分の作った曲だと言い張って、自信たっぷりに、歌い上げるその姿は、ピエロのようだった。
ふふふ……。どう? あたしからのプレゼント。
あたしの気持ち、伝わったかな?
立ち上がって帰ろうとすると、後ろから肩を叩かれた。振り向くと永里くんがいた。
「帰んなよ。最後まで聴けよ。俺が一緒にいて守っててやるから」
「ありがとう」
私はにっこり笑った。
「でもいいの? バンドのベーシストがステージにいなくて」
「どうせライブを続けるどころじゃなくなんよ」
そう言って、スッキリしたように笑う。
「でも……よかった」
私は彼に肩を支えられながら、ステージ上の律花ちゃんに再び目を向けた。
「よかった、彼女が洋楽を全然知らなくて。完全に私が作ったオリジナル曲だと信じてるわ。曲が終わった後のみんなの反応が楽しみだよね」
「お前、俺と音楽やんねぇか?」
永里くんが、そう言った。
「作詞作曲担当だけでいいからさ。お前の才能、俺に預けてみねぇ?」
「ボーカルは? 律花ちゃん?」
「さあな」
否定されるかと思ったら、曖昧な答えだった。
「ボカロでもいいけど、アイツが心を入れ替えるんなら、考えねーでもねぇ」
二人で寄り添って、律花ちゃんの美しい歌声に耳を傾けた。そうしながら、ぽつりと彼が言う。
「アイツも凄い才能だからな。殺すまではしたくねぇよ」
永里くんの言葉に、なぜだか涙が止まらなくなって、私は清らかな気持ちで、心から律花ちゃんのことを許していた。