第9513 6話 『唯一つの山賊言コ』
近代のとある者が遺した思われる一冊の書本が、田舎村の山を越えた先に有る廃村の蔵の中に保管されている。
その本はとても厳重に保管されている。廃村の最奥には幾戸前もの蔵があり、その蔵のどれかにその本がある。ハズレの蔵に当時の村民が設置したとされる罠が仕掛けられている。
その本は価値の高い一品とされ、近代末期に至るまで山賊はその本を求めて廃村に入る。しかし、その本を奪取しようとした山賊は、ハズレ蔵の罠で痛い目に遭い、傷を負って帰ってくることが通例となっていた。
一向に獲得できない書本。次第に山賊はその本は幻であると蔵への突入を断念し始める。そして最後の山賊が蔵への突入を諦め、その廃村は誰も立ち寄らない領域となった。
ーーー
それから数十年後。現代となった世の中で、その廃村の存在を知る者はいなかった。それでも、その廃村を知る者は存在した。
最終年度の近代人であり最後の山賊である。
山賊団は時代とともに解散した。山賊というより、ただの浮浪者となっていたその者は、幻の書物の事を諦めれずにいた。
目まぐるしく変化していく現代社会の流れに乗れず、それから逃げるように廃村があった方へと足を運ぶ。
人がほとんどいなくなった田舎村を通過し、雨風によって若干地形が変化した山を越え、静かな廃村へと辿り着く。廃村は前に来た時よりも廃れ、以前見ることができた家々も崩壊していた。そこに植物が侵食しているのだから、崩落した日も過去の出来事なのだろう。
最早獣道となりつつある道を進み、この廃村の最奥にある件の蔵群が見えてくる。何戸前もの蔵は崩壊しておるものの、まだ結構な数の蔵はその姿を維持していた。
一つ一つ蔵を見定めていく。ハズレ蔵を開ければ罠にかかり、また傷を負ってしまう。昔こそ耐えれたが、今それを食らってしまえば致命傷になりかねない。
覚えている記憶を頼りに蔵を選別する。そして一つの蔵の前に立つ。
最早奪取する気も無い。今あるのは、幻の本の存在の有無だけだった。幻の本は存在する。ただそれだけで良い。
──。
意を決してその蔵の扉を開けた。
──パンッ!
瞬間、聴きなれた発砲音が蔵の中で響き渡る。
胸部に当たる感覚。
銃撃の罠。近代の罠がまだ生きていた。その銃撃は真っ直ぐ胸部へと着弾した。
やはり、幻の存在だった。
この時に相応しくない、妙に清々しい気分が胸部から広がる。
私は胸部に手を当てた。
ところが、胸部からの痛みはすぐに消えていく。疑問に思い着弾した部分を見る。すると、同時に球状の小さな鉄球がポトンと地に落ちていった。その鉄球を拾い上げると、全く熱くないことが分かった。罠自体も年月日が経つと共に劣化していたのだ。
──!
そして気付く。蔵の奥に置かれている棚。その棚の中心に置かれている箱を基準に左右対称に物が置かれていた。それは恰も祭壇の様相である。
その様相を見てまさかと思い、一際目立つ箱の方に向かう。金色の模様が入った黒漆の箱だ。
唾を一つ飲み、その箱に触れる。ゆっくりと蓋を開ける。
心の中で昂った。
箱の中には一冊の書物が置かれていた。
幻の本は存在した。
緊張で震えた手でその本を取る。
『 』
題名が書かれていない。本を開くと、途中までしか書かれていなかった。
昂りが感動へと変わっていく。
その本を最初から、一言一句目に焼き付ける。
現代では絶対に書けない物語。近代という時代でしか書けない物語。当時の雰囲気が文章から伝わってくる。
なんて素晴らしい。
なんて暖かい。
──なんて懐かしい。
無意識にその本を抱き、棚にもたれかかるようにして座り込み、ゆっくりと目を閉じる。深く呼吸をすると、蔵の中の懐かしいにおいを感じる。何から何まで当時のままだった。
かつて、田舎村の人々も知らなかった廃村を秘密の場所として独り占めしていた青年期。そこで密かに書いた一冊の本。無我夢中に書き殴った物語。しかし、いつか見つけられてしまうであろう廃村。そこで、この本を誰にも気付かれぬよう、沢山ある蔵の中に隠した。虱潰しで見つけられぬよう、全ての蔵に罠を仕掛けた。
しかし、ある日住んでいた田舎村から離れなければならない時があった。都会町への出稼ぎを余儀なくされた。都会町で出稼ぎに行った後、紆余曲折の末山賊となった。
まさか、青年期に過ごしていた秘密の廃村に、再び戻って来られるとは思わなかった。
……。
誰にも見つからなくて良かったと、心から安堵した。
そういえばと思い出し箱の中を見る。すると、そこには一本の万年筆があった。やはりと思い、それを取り出す。再びここへ戻ってきた時、物語の続きが書けるようにと、本と一緒に置いたものだ。
万年筆を持ち、文章が途中で止まっている部分のページを開く。頭の中で構想を浮かべ、無我夢中に万年筆を踊らせた。本の中の物語が再び動き出した。
ーーー
そして、遂に最後のページまで辿り着いた。
物語も、この本と共に終わりを迎える。物語を締める最後の文章を書けば、この本が完成する。
締めの文章を書く。この本の物語と、自身の人生が想起される。
本当に色々あったと、一つ一つの出来事を噛み締める。
『。』
最後の句読点を書き、遂に物語が完結した。達成感が溢れだし、全身の力が抜ける。
完成した本を閉じ、表紙に題名を書く。この国に生まれた、一人の山賊が書いた、この世で一つしかない物語。
『唯一つの山賊言コ』
あ。
『記』と書こうとした時、万年筆が切れてしまった。
笑みを溢して万年筆を置いた。
題名は書ききれなかったが、それはそれで良きかな。
満足感が全身に染み渡る。
暖かい蔵の中で一人、完成した本を大事に抱えながら安らかに眠った。