第tranquillo 16話 Terminus
長い長い旅が終わる。
それに気付いた時にはもう、乗った電車の扉が閉まり発車していた。
何十年もの長旅が終わる。
実感が掴めぬまま、旅の最終地点へと向かう電車の中で流れ行く景色をぼーっと眺めていた。
ところが、旅の最後を飾る場所へ向かっているというのに、あまりにも興味がそそらない。その風景が私にとっては見慣れていた。
思い返せば、旅の行く先々の道中はみんなこんな道だった。
その思い返しから、今までの長旅をこの電車に乗った時から逆算して振り返っていく。
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電車を乗る前、長旅に付き合ってくれた仲間と別れた。
別れる直前、その仲間とこれまでの旅の事を思い返していたら電車を一つ乗り損ねていた。ただ、そのおかげで話せなかった事を話す事ができた。
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車で駅に向かっていた時、仲間とうら寂しい雰囲気に捕らわれていた。
お互い、旅の終わりを実感できずに呆然としていた。
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最後の宿を出る前、部屋の中でスーツケースに荷物をまとめていた。
数十年間で集まった各地の土産を一つ一つ見てはその時の出来事を思い返していた。
結局数が多すぎたお土産はスーツケースには収まらず、仲間が持っていたスーツケースの空きスペースを少し借りた。
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宿を出る前日の夜、眠る前に長旅の記録を読み返していた。
数十年の記録は一冊では収まりきらず、何十冊となっていた。表紙にはそれぞれ番号を振り、年月日を記録していた。いくつかの記録書には年月日のいずれかが抜けていたり、誤字を塗りつぶして別のところに改めて文字が書いていたりした。さらにはいつしかの大雨で紙がヨレヨレになったものもあった。
読み返すたびにその時の情景が思い起こされる。
楽しい出来事なら笑みを浮かべ、悲しい出来事なら哀しみ、嬉しい出来事ならその時の事を懐かしみ和やかな気持ちになった。
その日はいつもよりも遅く眠った。
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そうして記憶を辿っていくうちに、電車のアナウンスが終点を知らせた。
長旅を振り替えている間も、流れ行く風景や途中駅で人が乗り降りする光景はしっかりと目に映っていた。
日常的な風景であり、何度も見てきた光景である。
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ゆっくりと減速していく電車。
車窓の向こうには終点駅の姿。
完全に停止すると、ゆっくりと扉が開く。
重いスーツケースを片手に電車から降りる。
ここが旅の最終地点。
あまりにも興味がそそらない場所。
それもそのはず。
──そこが旅の一番最初の地点だったからだ。
実家から歩いて数十分の所にある最寄駅。
旅に限らず何度も日常的に使っていた駅。
それが長い長い旅の、一番最初の地点である。
そこで旅の始まりを実感した。
この駅から数十年の長旅が始まった。
躍動と希望と不安を抱えて、今よりもずっと軽いスーツケースを片手にこの駅を潜った。
……。
そんな思い入れの深い場所に帰ってきた。
躍動、希望、不安は、今は別の感情となっていた。
哀愁、懐古、そして、何よりも強い達成感。
そして、同じ位強い、終わったんだという感覚に捕らわれた。
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駅を出る。
振り返り駅の姿を見る。
何度も見てきた駅。
しかし、その駅がなんだか違うもののように見えた。
この感覚は前にもあった。
そう、旅を始めた時だ。
その時も、この駅は何か別の建物のように感じた。
なんだか不思議に思えて、暫く駅を見つめていた。
何分見つめたか、はっとなり我に帰る。
……帰るか。
家に帰るまでが旅と誰かが言っていた。
ゆっくりと歩み始めて、もう一度だけ駅の姿を一瞥して駅から去った。
実家へと向かう道中も、数十年でかなり変わった。
所々懐かしい建物があったが、旅の間に建った建物も多かった。
……。
そして、見えてきた実家の姿。
数十年前と何一つ変わらない姿。
……懐かしさのあまり涙が出そうだ。
ポケットにずっと繋がっていたキーチェーン。
いくつか増えた鍵の中からこの家の鍵を手に取り、扉の鍵穴に入れた。
「ただいま」
それが、長い長い旅の終わりを飾る、最後の言葉だった。