邂逅
気が付くと、森にいた。
そよそよとそよぐ風に木の葉が揺れ、青空は高く清んでいる。
そして私は、なぜか、歩いていた。
私の意思ではない。体が勝手に歩いている。
……は?
そんな声すら発することはできなかった。当然立ち止まろうと思っても止まることは出来ず、それどころか辺りを見渡そうとしても首はおろか目を動かすことさえできない。
まるで、誰かに操られているかのように。
「あ、気付いた?」
挙げ句の果てに、私の口から、私以外の声がした。
声帯どうなってるんだろう。
「初めましてかな。僕はナダ。この世界、エテルノ・コローネに君を喚び出した、白の魔法使いだ」
……は?
ニ度目のそのたった一音も、声になることはなかった。
……これは、夢?
こういうときのお約束。頬を叩いたりつねったりしてみたいところだが、生憎と体の自由はないのでそれも出来ない。
「あれ?静かだけど、もう目覚めているよね?」
ええまぁ目覚めてはいますけどどうしろと。
ナダと名乗った自称魔法使いに体を乗っ取られている現在、できることなど無い。
「ああそうか。もしかして意志疎通のしかたが分からないのかな。僕に話しかけるつもりで言葉を発してみるといい」
……は?
いや、体が思うように動かない、つまるところ自分の体がないような状態なのにどうやって声を出せというのか。
「うーん。難しいかな。君はもう僕だから、これくらい簡単にできるはずなんだけど」
いや、すみません意味分からないです。
え、なに、君はもう僕だから……?
「こういうときはどうすればいいんだろう?」
見える視界が斜めになった。どうやら私の体は首をかしげているらしい。
しばらくうーんと悩む素振りを見せるナダ(私)は、徐に頷く。
うわあ視界が揺れる。
「一度やって見せようか」
……は?
「君も自身の体と意識を持つ生き物だ。
まあ異世界の人間だけど、こちらの人間と大して変わりはしないだろうし、感覚はきっと一緒のはずだからね。できるはずだよ」
いや、なにを。
「人は言葉を発するとき、思ったことを全て口にするわけではないだろう?建前と本音?他人を思いやる?
まあよく分からないけど、思ったり考えたことをそのまま声に出したりしない。君は今、いわゆる何かを思ったり考えている状態なわけだね」
……何言ってるんだろこの人。いや私か。
「ならあとは簡単だ。自分の意識がそこにあり、何かを伝えたいのなら伝えればいい」
『こんなふうに』
最後の一言の言葉。それは私に届いたが、私の口は声を発しなかった。
ぐわん、と、頭の中に直接響くような声。
いや、今の私に頭があるのかは正直よく分からないけれど。
『まあ、これは同じ体を持つ僕と君の二人にしか出来ないことだけどね。
やることは簡単だよ。僕に話しかければいい。君が今まで他人に話しかけてきたように』
……いやいや、そもそも体を無くして意識だけになった経験なんてありませんので?
『そんな無茶な……』
思わず、つい呟くような感覚でそう思えば、パチッと、今まで考えていただけとは違う感覚があった。
いや、体の感覚が無いも等しいのに感覚があるってちょっと怖いんですけど。
『できるじゃないか。こういうのを飲みこみが早いというんだったかな』
『……え?』
『これで意志疎通は問題なさそうだね』
『は、はあ……?』
どうやらうまくできたらしい。
流石僕だね、と相変わらずよく分からないことを言う。
「それじゃあ改めて。僕はナダだ。君を異世界から呼び出して、この体を借りようとした白の魔法使いだ。君は?」
あ、今度は私の口で喋ってる。
というか、なんか今さらっとすごいこと聞いた気がするんだけど気のせいだろうか。
『重根心です……?』
「心。心か。いい名前だね。知らないけど」
……いや、この人ほんとになんなの?
私の体を操るナダと名乗った魔法使いは、ぐるりと辺りを見渡すと、一本の木を視界の中心に捉える。
それから右手を横に振りながら、一言。
「アルブス」
瞬間。ぱっと幹に白い線が走ったかと思えば、ずどんとすごい音を立てて木が倒れた。
切り口は美しいほどにまっすぐ、すっぱりと切れていて、切り株になったそこに腰を下ろす。
「心が意識を取り戻したら体を返そうと思ってたんだよ。
でも、歩いたままとか立ったまま返して、何か反動があると困るからね。座ってから返そうと思って」
……はい?反動?
っていうか、返すって言いました?
『……え、返してくれるんですか?』
「うん。返すよ?……あ、もしかして体いらないのかな。
でも君は体無いとこの世に存在できないからおすすめはしないよ。まあ君が望むならその意識を消失させることもできなくはないけど」
『いいえ返してください!』
私の噛みつくような勢いにも、なにこともなかったようにナダはうんと答える。
ていうか、あやうく殺されるところだった。
ほっと息を吐き出す気分でいれば、がくん、と、突然体が重くなった。
「うわ!?」
座っていた切り株から転げ落ちそうになって、あわてて平衡感覚を整える。
ああ、体の感覚が戻ってきた。
『うーん、だめか。やっぱり白いな』
「……は?」
突然頭の中に響く声。いっている意味は全く分からないが、間違いなくナダだ。
私に体を返したからといって、私の中から居なくなるわけではないらしい。
『いや、こちらの話だからきにすることはない。
そんなことより転げ落ちそうになっていたけど大丈夫?』
「ああはい。大丈夫で…………す?」
手を握ったり開いたりして感覚を確かめて、気づいた。
爪が、まるでネイルを塗ったかのように白い。
私はネイルなんてしていなかった。
『自分の手を見てるみたいだけど、どうかしたかな』
「爪が……白いんですけど…………?」
『ああ、それか。君は僕だからね。白いのは爪だけじゃない。髪と瞳も白いはずだよ』
「はい!?」
髪と目と爪が、白い?
いや私は純粋な日本人なのでそんなわけないんですが。
そもそも髪と爪は白に染められたとしても(年取れば白髪とかにだってなるし)、瞳が白なんて聞いたこともない。
『そんなことより、君は爪が白いことに気づいたんだね』
「いやそんなことじゃないんですが!」
『あとで聞くよ。今は僕の質問に答えてくれるかな、心』
「は、」
突然、頭の中に響いていた声が先ほどより真面目な色を帯びる。
そのことに勢いを削がれた私は、切り株に座り直した。
『君が今見ている世界は、何色かな』