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旅立ち・中編

幼き日のアーサーにとって、世界というものは「狭い」という認識だった。

それは常に傍らにいる乙女であり、祖父であった。

そして時折屋敷へと訪れる母と、母が持ってくる手紙の中にのみ存在する父であった。


アーサーは物心ついた時から両親と離れて暮らしてはいたものの、

それを別段「寂しい」と感じたことはなかった。

何故ならば仕事が忙しい、忙しいと口にしながらも母・ヨランダは二か月に一度は必ず会いに来てくれたし、

ヨランダが毎回渡してくれる父からの、羊皮紙5枚にも及ぶ手紙の内容もまた、愛情に満ち溢れたものだったからだ。

手紙にはいつも「今どうしているか?」「何か欲しいものはないか?」

「身長はどのくらい伸びたか?」「元気で病気せず暮らしているか?」といった旨が書かれていた。

そしてその手紙はいつも、涙の跡が滲んで残っていた。


「毎度毎度同じような文章を、飽きもせずに書くもんだねぇ」


「うーん、でもこう。毎回微妙に文面異なってるから」


幼いアーサーへ手紙の内容を読み聞かせながら、ヨランダは呆れたように口にする。

アーサーは父がくれる愛情へ返す言葉を考え出すのがやっとだったので、

途中からは手紙ではなく、日々の書いてる日記の文面を手紙風に置き換えたものを母に託していた。


両親と離れて暮らす日々を「寂しい」と感じたことがなかったのは、

乙女と祖父の存在が大きかったからかもしれない、とアーサーは成長した今振り返って考える。

幼き日のアーサーの世界には乙女と祖父。

そして時折屋敷へと訪れる母と、母が持ってくる手紙の中にのみ存在する父で構成されていた。


そんなアーサーに世界の広さを教えてくれたのは、祖父・ニックスであった。

ニックスは幼いアーサーの手を引いて、森の中のありとあらゆる動物の名を教えてくれた。


「いいか、あれはフクロウだ」


せせらぎ流るる浅瀬の近辺、樹木と植物がひしめく薄闇の中。

ふたりから見て一番近い木の枝に止まり、爛々と目を輝かせる生き物へとニックスは指をさす。

フクロウ、とニックスに教えてもらった名前を反すうする孫息子の背中を、

ニックスはよしと頷きながら撫でた。


「フクロウはホー、ホー、と鳴く。

 ほら今、森中に響き渡っている音がそれだ」


薄闇の中不気味に響き渡る声の主は、あの木の枝に止まっている生き物であるとニックスは孫息子に教える。

覚えたか?と祖父に尋ねられたアーサーは、うんと元気よく返事した。


「ホーホーと鳴いて、目を光らせるのがフクロウ。

 カラスとは違う。カラスはカァカァと鳴く」


「そうだ。そしてカラスの目は光らない。

 そして奴は鳥目だから、こんなに暗い森の奥へは来れない」


「カラスが鳴いているのは、森の入り口付近だけだよね」


孫息子の問いに、そうだとニックスは淡々と肯定する。

冷たい返事をしながらも、その声色に上機嫌の色が混じっていることに気が付き、

幼いアーサーは暗闇の中、気づかれないように小さく破顔する。


寡黙な上に無表情で、乙女以外の誰に対しても基本態度を変えない祖父は、

孫息子とこうしたやり取りを交わす際も、一貫して冷淡な口調であった。


それが常日頃であったから、アーサーは基本的に祖父の顔色をうかがったりする必要もなく、

精神的に安定した幼少期を過ごすことができた。


今も隣にいても互いの顔がわからないくらいの薄闇の中だったが、

こうやって様々な知識を孫息子に授けている間に限っては、祖父にしては珍しく、

巌のように皺が刻み込まれた頑ななそのかんばせに、微笑を浮かべているような気配を感じ取っていた。



その後も様々な生き物の名前を、アーサーは祖父から、そして祖父の所有する書物の中から学んだ。

薄闇の中ではわからなかった生き物たちの姿かたちも、名前を知ることで書物から情報を得ることができた。


本棚が部屋の大半を占める祖父の部屋でも、その授業は変わらず行われた。

祖父が見せてくれる書物の中には、アーサーのまだ見知らぬ様々な知識が綴られていた。


祖父から生き物の名を教えられたことをきっかけに、

アーサーは家族しか知らなかった狭い世界から抜けだした。

つまり彼は、世界は広いという事を学んだ。


祖父は幼いアーサーへ、書物を片手に繰り返し言った。

「名」こそがすべてであると。


「始めに言葉ありき。言葉とはすなわち『名』である。

『名』に始まり『色』すなわち肉体、姿かたちが作られる」


逆じゃないの?と疑問の声をあげる孫息子へ、

それは自分で判断しなさいとだけ告げてニックスは話を続ける。


「ありとあらゆるものには名前がある。

 それは何故か。我らが名前を付けたからだ」

 では何故我らは、物に名を付ける?」


「え?

 ……えっと、名前がないと呼ぶときに困るから?」


突然の不可思議な問いを受け、困惑を隠せない様子の孫息子へ、

ニックスは普段とは打って変わって少し優しい眼差しを注ぐ。

それは、いついかなる時も厳めしい顔つきを崩さなかったニックスにしては、珍しい表情だった。



「我らが物に名を付けるのは、物を認識するためだ。

 物に名前を付けることによって、我らはそれを認識することが可能になる。

 認識することによりそれは本質を与えられ、そこに存在するもの・実在するものと見なされる」



眉根を寄せ、わからないと言いたげに露骨に首を傾げる幼いアーサーの頭をひと撫でし、

ニックスは「今はわからなくてもいいから、とりあえず覚えておくように」とだけ口にした。





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