第三話 暗闇に近づく者たち
✥プロローグ✥
学校を、辞めたい。
いつのことだったかな、そう申し出たことがあったの。
けどね?あたしはそれを学園長に拒否されたことを良かったと思ってるんだ。
"イネス"
名前を呼ぶ声が聞こえる。よく知るあたしの仲間の声。
そう、そうだ。あたしがこうして、今もこの学校にいるのは……そこに出会いがあったから。コンクラッセやアピリア、ラウルに出会えたから。
そうして出会うまでに…いや出会ってからも、避けて通れない、苦しいことは当然あったよ。苦い記憶から逃げたくて、逃げたくて仕方なかったのに力を手に入れてしまって。そのせいで避けて通れない苦しみを味わったんだ。むしろ、この苦しみは私が望んだのかもしれない。だけどあたしは、逃げられなかったから、避けられなかったから、彼らに出会えたんだって思うの。
あたしは明日、この大陸のすべての人のために…そしてあたしの力を確かなものにするために、試練へと旅立つよ、ロラ。
こんな力、本当はいらないのかもしれない。けど、こんな力でも誰かを救えるかもしれないから、動きたいんだ。
本当はちょっと怖いんだけどね。
片膝を付き、祈りの姿勢をとっていたあたしは目を開き、前を見た。部屋の隅、棚の上に置かれたヘッドホン。あたしと君とを繋ぐもの。ぐっと手を組み合わせ、再び目を閉じる。どうか、私とみんなを守ってください。そう願って。
✥第三話✥
「……またその話か、コンクラッセ=ドゥアルテ。名家のご子息だというのに、お前は本当に世界を守る、ということに熱心だな…」
銀髪の老人…学園長が答えた。
時期は入学式から何日か後といったところだ。その日から降り出した雨は止むことなく、廊下からは生徒の笑い声が聞こえる。
部屋には私と彼の2人。普通ならば教師が入ることも許されない、学園長の部屋。
「名家のご子息かどうかなんて関係ありません。私の姉が愛した世界であり、まだまだ知りたいことのある大事な場所なのですから。それに、大切な仲間がたくさんいるこの学校の周辺にまで魔物が来ているんですよ?!なぜそんなに悠長にしていられるのですか?!」
「悠長になどなっておらんよ。しかし、今の状態で誰かが立ち向かおうとなんとかなる状態ではないのだ。……主人公はもういないのだよ。」
学園長は落ち着いて言った。その様子が余計、私を苛立たせる。私は拳を握りしめ、振り切っていった。固く噛んだ歯が軋む。空気が音を立てて歪むようだ。
「どういう意味ですかそれは!私達が立ち向かわなければ、ただ殺されるだけなのですよ?!」
私がこれだけ叫んでもなお、学園長は穏やかな表情で、しかし微かに眉をひそめて口を開いた。
「……かつて、魔界には大魔法使いという、並外れた強い力を持った魔法使いがいた。彼はまるでこの世界を舞台にした主人公のように、仲間を率いて世界を旅し、この世界の人間の過ちによって生み出されたドラゴンという兵器を打ち倒すことで、世界に平和をもたらした。……だか主人公というのはな、並外れた力と引き換えに必ず何かを失う。彼はその強い力故に……魔力の塊になって、体が精霊化して光とともに消えてしまったんだ。
先程も言ったように………主人公はもういない。私達のように小さな小さな存在が、懸命に抗っていくしかないのだ。一見戦えないような魔法であっても、窮地に陥ったとき、人々は抗うための策を見つけ出す……。そしてその時まで、少しでも時間を稼いで強くならねばならないのだ…。今のままでは無駄死にしてしまうであろう…?」
「確かにそうですが…!」
「コンクラッセ=ドゥアルテ、君には分かるはずだ。お前の愛するその姉は、魔物に抗えなかったのだ。優秀で才ある者と言われた彼女が抗えなかったのだ。大人しくその時まで力を蓄えるといい。話はこれで終わりだ。」
私は目を見開いた。怒りは頂点を越して冷たい炎が心で揺らめく。
「魔物に抗えなかった………?違う!!姉さんは……!」
私の反論も虚しく、温和な学園長は厳しい目つきで羽織を翻した。出ていけという合図。
私は一瞬怯むと固く口を引き結び、学園寮へと帰って行った。
学園寮の入り口では、雨の中若草色の髪の少女…先輩のイネス・ソラーノが落ち着かない様子で待っていてくれた。クリーム色のシンプルな上着の裾は、少し重たくなっている。
「ねえ、コンちゃん…。やっぱりあたし、学園長のこと信用できないよ。」
当然の意見だった。彼女は一度、学校を辞めたいと申し出ているにもかかわらず、貴重な力を持っているとして辞めさせてもらえずにいる。
彼女の顔は暗く、俯いて冷たい地面を見つめていた。
「イネスさん……、やっぱり、そうですよね…。きっと私たちのことを魔物に対抗する駒のようにしか思っていないんでしょう。自信はありませんが…私達だけで実行した方がいいかも知れませんね…」
彼の考えが解せない。このままなんて嫌だ。…だったら、多少のリスクはあれど少数で学園を抜け出し、目についた魔物を減らしておくだけでも何かが変わるはず。そしてその為には、私と先輩だけじゃなく、もっと戦力が必要になる。もともとそう思ってアピリアを誘った。でも………
「……コンちゃん、この前言ってた頼りになりそうな仲間…って、Sクラスになったばっかりなんだよね?大丈夫かなぁ……遠征で魔物と対峙してはいると思うんだけど、能力開放してからの力のコントロールが出来ないとうまく行かない可能性もあるよね?」
そうだ、能力開放ができても、コントロールできなければ意味がない。専属の精霊ができ、制御が安定する精霊契約が行われているのは、私1人。あまりにもリスクが大きい。
「そう、ですね………。精霊契約をするにしても、精霊の集まる聖堂や祠では学園長とつながっている可能性の高い大人との接触は避けられないでしょう。Sクラスの他の人は……権力と力が欲しいだけだからあまり頼りにはできないですし。」
「精霊契約の済んだ人4人っていう当初の計画はダメそうだね…。いざとなったら、二人だけでも行こう?あたしは回復もできるんだし_____」
「駄目です!二人だけではあまりにも危険…それこそ、死んでしまうかもしれないんですよ?!貴重な植物魔法と回復魔法の2つを操れる魔法使いなんですから…。いえ、そうでなかったとしてもです!もっと自分を大事にしてください!」
思わず大声を出したことに反省する。イネスはぽかんと口を開いて驚いた様子だった。私が気まずそうな顔で目を逸らすと、彼女は微笑み私の手を引く。
「ありがと、コンちゃん。でもあたしは…楽をし続けてたらダメなんだ。……ほら、雨強くなってきたし、寮に入っちゃお?」
彼女の笑顔に違和感を感じつつも、頷いて寮に入る。やっぱり、イネスはあっさりとしているように見えて、冷静に状況を俯瞰できている気がする。その配慮と気遣いは止まることを知らず、学園の植物の管理や、天気予報掲示板の管理など、Sクラスの3年とは思えぬような雑務まで請け負っている。半年と少しの間、こうして一緒にいるけれど、誰にも見えないところで学園の誰かを救っている。
「あ、室内に入れといたお花たち、やっぱり日照不足だよねぇ……。コンちゃーん!ここに光灯しておけたりする?」
いつの間にか寮のロビーの奥で花の世話を始めていたイネスが、私を呼ぶ。
「シャイン──」
精霊の名を呼び、指を鳴らして指先に意識を集中すれば、そこにできた光の玉を植物の方へと操作する。光が植物たちを照らすと、イネスは私に笑顔を返した。
私には、学園の誰かを救えるのだろうか。
魔物の侵攻を知るまで、私はあるかもわからない世界のことに夢中になっていた。そこにはなんの意味もなくて。私は空っぽのおもちゃ箱に蓋をして座って、人のおもちゃを眺めていた子供だ。自分のおもちゃ箱に危険なモノが眠っていると気づいていながら。
姉さん。
本当は入学当時から気付いてたのかもしれない。この世界は、何かがおかしい。不自然なほど学園に集中する魔物の侵攻、それになんの対応もしない国の中枢。そして国の重要機関に関する情報は、機密事項として学校で履修することはない。町単位では自治が行われているのに、一体どうやってこの国…大陸の統制を図っているのだろうか。今まで当たり前に過ごしてきたはずのこの世界は、おかしいんだ。
「………コンクラッセ、何してるの?」
俯いて考え事をしていたところ、暗い水色の髪と包帯の隙間から金色の瞳が私の顔を覗き込んだ。アピリアだ。
「あ、アピリア…。…………考え事をしてたの。特になにかしてた訳じゃないよ。」
動揺して、すぐに言葉が出なかった。本当はアピリアにも聞きたいことがあったから。誤魔化すように私は無意識で微笑む。その瞬間、アピリアは訝しげな顔をした。
「…………。明日、二人一組の討伐演習がある。3年と合同…………」
「3年と合同………?!3年生イネス先輩1人だし…先輩は私としか交流が無いのに……」
だからといって、私がイネスと組んでアピリアをお貴族に任せてしまえば、確実に手柄を取られる。私が危惧した事態は現実となってしまうのだ。私の体は1つしかないのに、どちらも選ばなければ破綻する。
驚愕と戸惑いでまともに目も合わせない私を、アピリアは困惑した様子で一瞥して自室へと去っていった。
私は頭を抱えてその夜を過ごすこととなったのだ。
最後まで読んで下さりありがとうございます。
今回はコンクラッセ視点で書かせていただきました。新しい人物、イネス・ソラーノも出てきましたね。学園、そして世界への不信感は高まるばかりですが…彼らは一体どのように動くのでしょうか。これからの展開にご期待ください!