【6】閑話:とある男
ローウェルの気持ち。
優雅に笑ったマリアナに見惚れた。それは仕方の無いことだった。
いい歳をして彼は拗らせ過ぎたのだ。
マリアナとの話を早々に切り上げたローウェルは、アレウスに馬車の扉を開けさせると、綺麗に張られている座席に乱暴に座る。
扉が閉まり、二人しか居ない空間が出来ると、アレウスは不憫な者を見る目で慕う上司を見つめた。
「……何だ、文句が有るなら今言え」
視線に耐えられなかったローウェルは、ムッと顔を歪め半ば睨みながら答えが分かっている問いをした。
彼も分かってはいるのだ。だた、初恋を拗らせた代償が余りにも大きかった。それを理解し気持ちを落ち着かせるには些か時間が足りていない。
アレウスは静かに息を吐く。
「いいえ。ただ、団長がフランシズ様以外の女性に想いを寄せていらっしゃると言うのは初耳だったもので、少し衝撃を受けまして…」
「嘘に決まっているだろう」
「左様ですか。…分かってはいましたが、あれ程場が拗れる嘘はどうかと思います」
「っ、お前本当に意地が悪いな…!」
ローウェルは頭を抱え、分かりやすく動揺を示した。
普段冷静な上司がここまで女性に対して、否、好いている者の扱いが下手だと言う新事実を知ってしまったアレウスの心境はあまり穏やかでは無いが、今はこれ以上拗れる事は言うまいと言葉を飲み込む。
気づかれない様に静かに再び息を吐けば、目敏いローウェルに不満げに視線を寄越される。
「呆れるのも分かる。事実、俺は俺に心底呆れた…」
「女性の扱い方は下手な人では無いと思っておりましたので…、まぁその、多少の驚きは有りましたが」
「いい、つまらん事はするな。取り繕わなくていい」
皆まで言うなと手で制され、アレウスは口を閉じた。
今発揮している鋭さを何故さっき発揮出来なかったのだと、今度は喉元まで出かかった言葉を飲み込む。
これ以上落ち込まれても後が大変なのだ。
「その様に後悔なさるのでしたら、最初からあの様な嘘などつかなければよかったのではないですか?」
「言うな…。そう言えば彼女は諦めると思ったんだ。誰だって最初から大切にされないと分かれば離れていくものだろう…!」
「少なくともフランシズ様は元より大切にされる予定は無い、どんな扱いでも受け入れる、そんな口振りでいらっしゃいましたが」
「だから言うなと、言っているだろうっ!」
ローウェルが馬車の内壁を殴りつける。
大柄の男の拳を受け止めてそこは僅かに歪み、凹んだ。
元々優雅な動作は苦手としているローウェルは気にもしないが、アレウスは顔を僅かに困らせる。
何が起こったのかと慌てる御者に小窓を開き出発を促す。詮索するなと笑顔で伝えれば、察しのいい御者はゆっくりと馬車を前進させた。
ローウェルは更に機嫌を低下させる。アレウスはその苛立ちが分からない訳でもなかった。誰だって自分の大切に思うが人物が自分自身を大切にしていなかったら良い気はしない。
そして少なくともその理由がローウェルにも有るのだ。
面と向かって一番になれなくてもいいと言われ、マリアナが大なり小なり、色々と諦めて帝国に来た事が分かってしまった。
発散しきれない苛立ちはローウェルの眉間の皺を濃くさせ、アレウスは目の前に居る不機嫌ここに極まる態度の上司をどう対処しようか迷っている。
ローウェルはきっちりと整えられた騎士服を緩ませ、アレウスを睨め付けた。
そんな事をされる謂れなら心あたりが有るアレウスは苦笑する。
「王城に着くまでには機嫌をどうか直しておいて下さいね。皇帝陛下にとても見せられる表情ではございませんよ」
「………うるさい」
「フランシズ様に好きではないと言われて、不機嫌になるくらい好意を抱いているのであれば、正直に仰ればよかったのではないですか?」
「何をだ?俺は君が好きだ、とでも言えば良かったのか?巫山戯るな、俺は彼女を帝国に留まらせる気は無いぞ。元老院、ないしシュドレッジのいい駒にされるのがオチだ。彼女はこと戦場に居た者には人気があるからな…」
ローウェルは下を向き、深く息を吐いた。
感情を抑制しようとするあまり深呼吸が最早溜息になってきていた。
ローウェルは再度頭を抱える。マリアナが来てからというもの、心がやたらと波を立てる。
否、立てざる終えない。
抱いているのだ、とてつもない程大きな好意を。
自身でも呆れる位の、もはや信仰と言える程、収集が付かない感情だった。
「ですがフランシズ様も帰る気はないと仰っていたではないですか」
「お前が連れて来たのがそもそもの原因だ」
「…何の事でしょうか」
「俺に嘘をつき通せると思うなよ。あの手紙、お前なら俺が出した物ではない事くらい分かるだろう」
ローウェルは普段通りのアレウスの表情を観察する様に見つめる。
元々、元老院の考えには反対派であり自身と同じく皇帝派の彼が何故虚偽と分かりきっている手紙を黙認し、マリアナに嘘までついて連れて来たのかが、分からないでいた。
アレウスとは戦時前からの付き合いだが、こうも先走り自身に許可を仰がないのは初めての事だった。
所謂、忠実な部下と思っていたローウェルにとって忠犬に手を噛まれた気分だった。
今もなお、その表情はからは何も掴めない。どんな時でも表情を崩さず微笑む奴は厄介だと身に染みる。
ローウェルは何度目かも分からない溜め息を吐き、手で目を伏せた。これ以上アレウスの顔を伺っていてもしょうがないからだ。
「…何故彼女を連れて来た」
「シュドレッジ家の為…、強いては団長の為ですよ。自分はそれ以外では動かない。団長もご存知でしょう?」
「彼女はまだ若い。漸く終戦したんだ。やっと、彼女は解放されたと言うのに、今度は帝国に縛るような真似は、余りにも哀れだ」
「ご自身の感情に素直になっても良いのでは?フランシズ様も団長の元に残る事を望んでいると仰っていたではないですか」
アレウスが言い終わると殆ど同時に、ローウェルの拳が座席を殴る。
凹みはしないが、確実に傷んだ。再度壊されかけた内装。自分にその拳が向かなかった事にアレウスは安堵したが、それも束の間。
修繕費を工面するのが大変そうだなと思った矢先、ローウェルは乱暴にアレウスの胸ぐらを掴んだ。
力では勝てないと、一目で分かる体格差のある者に普段は手を出さないローウェルをここまで怒らせてしまったかと、アレウスは内心で反省しながら怒りに染まる瞳としっかり目を合わす。
「マリアナ嬢は帰らないのではなく、帰れないのだ。それを俺への好意に変換させるな、彼女に失礼だろう」
「それは失礼致しました。しかし良いんですか?団長、フランシズ様のお名前を口にしていますよ。呼ぶには相当親しい間柄か、当人に許可を戴くのが慣しでは?」
「っ!!」
パッと手を離され、浮いていた体が座席に戻る。
暴れてはいないが、何等かの異変を感じた御者が控えめに声をかけてくるが適当に往なし、走行を続けさせた。今馬車を停められ中を覗かれでもしたら、それこそ大変な事になる。
目の前には公爵としての権威も、団長としての威厳も無く、ただ好きな人の名前をマナー関係なく無意識に呼んでしまい恥ずかしさに身悶える大柄の男が一人居るのだから。
鍛え抜かれた体躯を縮こませてもさして変わらないと言うのに、ローウェルは真っ赤であろう顔を両手で覆う。
「…団長、失礼ですが未経験であらせられますか?」
「侮辱罪で牢に入れられたいのかお前は」
「失礼しました。余りにも初心な反応だったのでつい」
ローウェルは咳払いをし、自身の感情と場の空気を整わせ、再度アレウスに説いた。
「彼女は弟君の為に俺の元へ残ると言っているのだ。戦場へ出た理由も、元を辿れば弟君の為だったらしい」
「その様な理由であの戦績を残したのですか。才能がお有りだったのですね」
「余計な事を口に出すな。酷い皮肉だぞ。それと、これは推測だが彼女の母君と元老院は繋がっている可能性が高い」
「尚更、婚姻を結ぶまで油断できなくなりましたね」
「彼女を返すまで…だ。ーーそうだな、この際言っておくぞアレウス」
ローウェルは無骨な手をアレウスの襟元に伸ばし、掴み上げた。
グッと息を詰まらせる音がアレウスの喉から鳴るが、更に緩やかな速さで身体を持ち上げられる。
じわじわと締められれている感覚は決して良いものではないが、アレウスは静かにそれを受け入れた。それで気が晴れるならと、アレウスはやや傾いた忠誠心をみせる。
「アレウス、俺の元に居たいのなら二度と元老院のした事に目を瞑ってくれるなよ。…優秀な部下を失うのは俺とて痛いからな」
襟元を掴んでいた手を離し、話は終わりだと言う様に乱れた隊服を軽く直してやった。
「…自分はフランシズ様がどうなろうと関心は無いんです」
「まだ言うか」
「ただ、シュドレッジ家………いいえ団長、貴方が上に行けるならどんな方法でも行います。それしか貴方に報いる方法はないのですから」
「………」
アレウスは言い放つと、面白味もない景色を眺め始めた。
以降、無言が続く馬車は確実に、しかも足早に王都へ向かっている。
ローウェルもアレウスから視線を外すと、同じく景色を眺めた。
見慣れた山道。やや荒れている。
戦争は終わったばかりなのだと、ローウェルに語りかけている様だった。
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