ドーフ出陣
ドーフが異常に感づいたのは天皇襲名式直前だ。彼も他の来場者同様、タキシード姿で赤い絨毯の会場にいた。
警護のために携わっていたこの式典だが、天皇敷地内であり場所も秘匿であるから、特別な警戒は必要ないと考えていた。
しかし、ドーフは万が一の事態に備えて、彼自身が持てる最大の武器を装備して任務に当たっていたのだ。
彼の右手に光る白い時計型の兵器。この兵器は『フィガー』という。一見、なぜか蓋の閉じた時計のようだが、兵器としてはミサイルより有能な代物だ。
しかも、ドーフのそれは強大なエネルギーを探知すれば、蓋が襖のように横に開く仕掛けである。敵が近づけば簡単にわかるという優れものだ。
そして、今回もまさかの役に立ってしまった。蓋がガタガタと音を鳴らすほど揺れて事態の重大性を知らせる。
ドーフはそのフィガーの挙動に思わず目をむいた。あたりの人間に悟られないようその場を抜けて、詳細を確認する。
会場の外は博物館の中のように白い大理石で形成された四角い場所だった。ドーフはそこでフィガーをいじり始めると、詳細を確かめる。蓋がガタガタしているのがよりはっきりわかった
このフィガーにはレーダー機能も付いており、統計板の部分に赤い点でエネルギーの発生源を教える機能があった。
ドーフは方角を自分の頭の中にある敷地内の地図を照らし合わせた。
「和の建物付近か。庭園だな」
フィガーから得られる情報を全てえると、ドーフは近くにいたタキシード姿の警備員に声をかけて緊急事態を静かに耳打ちした。
「敵襲だ。フィガーが反応している。もしや、グレンシアからの刺客かもしれん。緊急警戒態勢を取れ」
タキシード姿の警備員は青ざめると、大理石の廊下を司令部の方に走って行った。
同時に、建物の天井から空間に轟くような緊急の警報が鳴り響く。敵襲時に危険を知らせるものだ。
事態を重く受け止めたドーフはレーダーの示すエリアに走っていくのだった。
その頃、リスグランツは和の建物ないを蹂躙していた。警備兵たちを虫けら同然にはねのけられ、いたるところに横たわっていた。
和風建築の建物は、歴史的に見ても大きな部類だ。あえて少しずらされた形で、主に資格の部類に属する建物が、電車ごっこの紐のような渡り廊下でつながっている。
驚くところは、その道中全てに警備兵が転がっていることである。拳銃以外にも重火器も使用していたようで、あちらこちらに物騒な武器が転がっていた。
ほとんどは挑んだものの、返り討ちにあい、殺されてはいないがのされている。しかし、数名の手練れば、何故か焦げたように黒くなってのされていた。
建物も所々が破損している。砂壁も大きく崩れ、柱も無残におられている。枯山水には折れた巨大な盆栽の木片が突き刺さっている。
建物の外を周回する木の廊下の上。外を眺めると調和した庭園が崩れた姿を見ることができた。
まるで、和の建物を観光でもするように、リスグランツは闊歩したのだろう。その道中で襲ってきた敵を全て叩きのめしていたのだ。あえて、大騒ぎしたようでもある。
しかも、今は敵がいなくて退屈をしているように、大あくびをしている。
「ふわ、なんじゃあ、マリという女はどこにもおらんのかああ」
リスグランツはつまらなそうにため息をついて、指をパチンと鳴らした。青い電流がバチィと放電して、周辺に若い男性の声が響く。
『リスグランツさん、何か運命的なご用ですか?』
声は冷たい印象の非常に堅苦しいものだった。リスグランツはそれに苛立って短い髪の毛を横に震わす。
「やめろお、いちいち運命を語るなたわけがあ」
『いえいえ、これも運命ですから』
「マリという女がおらんぞぉお。どこにおるんじゃあ」
『今、僕のガーゴイルが運命の道筋を通って探しております。しばし運命の時をお楽しみください』
「たくぅ、また運命かのお」
リスグランツはタバコでもすったかのように大きく息を吸った。煙を吐き出すがごとくため息をつく。それでも物足りないと、またポケットから酒瓶を取り出して大量に煽った。
飲みるきると、高価な日本酒の瓶を枯山水の上に放り投げた。
「げふぅ。さあ、わしの天下はもすぐじゃあ」
リスグランツがそう呟いて、廊下の外に足を放り出しながら座り込んだ。崩れたとはいえ、静かな空間は彼の心を心地よくなるまで癒していく。天国にいるようなすがすがしい顔をしていた。
「まて、お前の天下はまだ先の話だろ?」
黄昏ていたリスグランツに別の誰かの声が投げかけられる。その声は低く、格式高い気品を持っていた。リスグランツに負けないほど大きなガタイの男性が声を出しているのがわかる。
リスグランツはその主を気配だけで探し当てた。彼は建物の左の渡り廊下にいたが、どうやら座っている真後ろの襖の向こうから気配がするようだ。
微かではあるが、草木も揺れて気配を知らせていた。
敵地で完全にリラックスしているリスグランツを前に、駆けつけたその人間はあっけなく姿を現した。勢いよく襖を開いて木の柱に叩きつける。
ドーフがタキシードがから戦闘服に着替えて現れた。
服は赤いダウンのような服装だ。ゴワゴワした戦闘服とは思えないような格好である。
よく見ると隙のない構えで佇んでいた。
「なんのつもりだ、攻め込んできたのにもかかわらずその態度。腑抜けたやつだ」
ドーフは首をかしげた。目の前の巨漢の男性は己の言葉に微動だにせず黄昏続けているからである。
その姿を見るなら、まるでおとなしい大きめの猫だ。まるで凶暴性を感じない幸せそうな猫がリラックスしている。
だが、周りを眺めると、警備兵達の無残に倒された姿がいくつも転がっている。あまりにも食い違った事態にドーフは内心、困惑していた。今まで見たことのないタイプの敵なのだ。
信じられないほど、枯山水が似合う男。それが今ドーフの眼の前に座り込んでいる。その背中は風情のある土臭いものだった。武士、いや、もののふ。
リスグランツはドーフの顔をちらりと見ると、興味がないようい振舞う。視線をすぐに庭園に戻した。すると、ポツポツと話し始める。
「見てみろ、この庭園を。人間の作った摂理やら調和やら、ないものをあるといった戯言を、全て蹴散らしてやった。お前は、この庭園の行く末が、くだらない伝統とルールに従ったものだとしたら、どうすると思う?」
ドーフはにイマイチ理解し難い質問であった。伝統とルールに従った行く末とはどういった意味だと、そう聞きたいのだ。哲学的な質問に躊躇する。
だが、ドーフはその感情を振り切り、フィガーを自分の前に構えた。白い時計型のそれは、荒れた枯山水を間にすると一際機密で精巧だ。
同時に質問にも答えた。ドーフには伝統とルールに縛られた故の事態に一つ心当たりがあったのだ。やるせない感情は暖かい息とともに体の外へと出て行った。
「お前の言いたいことはわからないが、人の恋路を邪魔する人間はクズだな」
ドーフのマリとキシヨに対する思い。今この場で言う必要は全くない、だがやるせない思いはとひょんなことで言葉になると、今彼は学んだ。
そんなことを言ったところで、目の前の敵には何の意味もない、と思っていた。だが、意に反して、リスグランツは拳を廊下に叩きつけた。木の板が砕け、拳がめり込む。怒りをあらわにしていた。
「そうだああ、伝統、格式、そういった差別は、義性を生む。それが、人間諸君にはわからんのだぁあ」
ドーフはその拳に敵意を感じた。自分に矛先が向いていないというのがわっかったのはその直感のすぐ後だ。突風のような気配が、源泉のようにあふれた。
「わが国では。代々、女の皇帝が国を治め、争いを沈降させてきた。だが、その政治はあまりにアンバランスだ。社会主義でもない、民主主義でもない、共和制でもない、独裁でもない、忌まわしい伝統の間抜け政治だ」
言っている意味を、ドーフに深く知る由はなかった。ただ、一つわかったことがある。このリスグランツは、あまりにも彼自身の国の権力に不満を抱いている。
リスグランツの口調がはっきりとして、信念が浮き出たように露骨な表現が目立ち始める。口が横に引っ張られ、一言一句に主張が混じる。
「わしぁあ、進化のない国に未来はないとお、そう思ぉおとる。じゃけん、進化を軽んじたような下らん戒めなどは、踏み潰すに限ると思ちょる」
体のいいヤクザ。裸体に来た革ジャンは変なシワもなく、一度もひるんだことがないようだった。
政治に不満を抱いた人間が起こすクーデター。それは歴史的に見ても厄介なものであることは明白だ。何度世界の歴史が変わり、何度政権が変わったのか、人類は未だに飽きてはいない。
「じゃからこそ、わしあ、ここに来たんじゃああ」
伝統を批判するならば、今行われている天皇の襲名を言っているのだろうか。ドーフはそう思ったが、リスグランツ自身が己の国といったことから、極東話ではないと考えた。
ドーフは謎の問答を前にしびれを切らしていた。皇族の居住区が襲撃されたというのに、今その敵とこうやって2メートルの距離を保ちながら話し続けている。
臨戦態勢を整えてきたドーフにとって、あまりに拍子ぬけた事態だった。高ぶった感情とケツ中はすでに落ち着いてしまっている。
矛盾。建物が破壊され、警備兵がなぎ倒されている景色。一方で、リスグランツは静かに自ら壊した庭園に浸っている。そこには争いは一切ない。例えるなら、嵐の後の虚しさだった。
ドーフはグレンシアと戦ってきた勇敢な戦士である。しかし、敵意のない人間に攻撃する戦士ではない。彼は、リスグランツの行動に人生の中で最も戸惑っていた。
ただ、それを顔に出さないだけ。
そうこうしていると、また非常用サイレンが鳴り響いた。全く別のところで警備兵達の銃声が聞こえ始める。しばらくして、警備兵の悲鳴が敷地内の至る方向から聞こえて来た。
同時に、静まり返っていた庭園の空間にも、新たに駆けつける警備兵の足音が響き始めた。もうすぐここも包囲されるだろう。
リスグランツは黄昏ていた顔を悲しげにして、眉をひそめた。大きく強面な顔をおもむろにあげる。ドーフの方を向いて立ち上がる。
「どうしたあ? 襲わないのかああ、この俺をお」
「無抵抗な人間を攻撃できないだけだ。戦うならはっきりその意思を見せてくれ」
「おかしなやつじゃあのう、もうすでにわしの射程内に入っとるわ」
リスグランツは拳をひらりと前に出す。ゆらりと握り締めた。
「それに気づかんならぁあ、この勝負もろうたちゅ〜こっちゃろうが」
「後悔することになるぞ?」
「するんならぁあ、この異世界で最も大きいやつぅ、貰うて帰ろうかああ」
庭園を眺めて黄昏ていたとはいえ、明らかに敵なのは確かだった。躊躇している暇はない。そう思い、ドーフはフィガーの能力を発動する。
「フィガー・ドワーフの武器レシピ・モデル斧」
ドーフは右手につけていたフィガーを自分の左肩の前に持ってきた。フィガーは光り輝き、巨大な斧の姿を投影する。
柄は大黒柱のように極太で、巨大な刃はその柱の両側についていた。
光の粒で形が完全に浮き上がると、右手を前に振り払う。その反動で、透明な斧が真っ赤な柄の巨大なに変貌する。
ドーフは斧の横から顔を出す。
「ドワーフの武器レシピ・2番。きこりの斧」
「それじゃあ、斧じゃなくて鉞じゃろうがああ」
ドーフがリスグランツを睨みつける。殺意のこもった目、だが全く敵意を示さない人間に攻撃するのは初めてだった。もしかすると、本当は敵ではなくただの通りすがりなのではないか、そう思うことすら可能だ。
それでも、容赦はしない。なぜなら、ありえない選択肢をすべて排除すると、リスグランツが如何しても的でなくてはおかしいからである。
直感していた。もし、これ以上リスグランツが敵意を出さず戦闘になるのであれば、間違いなく強敵である。
ドーフがフィガーを付けた腕を振りかぶると、巨大斧も軽々とついて行った。肩の後ろに回すと、まるで背負うように構える。
だが、リスグランツは相変わらず敵意がない。ドーフは戦いの一撃を繰り出す切欠が如何してもつかめずにいた。
「ふぅ、なんじゃ。呆れたのお」
リスグランツのため息。平静なため、特に暖かいわけではない。臨戦体制に入っていない。
しかし、2メートル先にいるドーフがそれに気づけるわけもなく、未だに焦げキシヨいうかどうかと迷っているところだ。リスグランツはそこにため息をついた。
「わかったわい、待っておれえ」
リスグランツは枯山水に降りて行った。土足で荒れた枯山水をさらに荒らしていく。おだやかや海の波を表した砂利を蹴飛ばし、その上に転がっていた警備兵を掴む。
警備兵は訓練で鍛えた重量のある人間だ。70キロはあるその体を、リスグランツは右の大きな手で鷲掴みした。重力がどこかへ行ってしまったかのように、軽々と肩に担ぐ。
ドーフはその姿を見ているだけだった。構えたまま、一切姿を見出さず、隙あれば斬りかかるつもりだ。だが、リスグランツの敵意を感じる前に、彼はあっさりとまたにメートル先に戻ってきてしまった。和風建築特有の木の床が軋む音で我に返った。
「見ておれよ」
リスグランツの声は少し濃くなっていた。警備員を肩からまた手に掴むと、子猫のように前に突き出す。その人を、振りかぶるように下へとおろした。
あまりに不審な動きに、ドーフが声を上げる。だが、やはりリスグランツに敵意を感じきれなかった。
「まて、何をするつもりだ!?」
「ウゥリやあああああ!」
次の瞬間、リスグランツは警備員を空高く投げ上げてしまった。リスグランツの体は大きい、裸で革ジャンの姿だが、それでも大タルの横幅ほどはある。そんな人間が、剛速球を投げるようにして人を前雨へと投げ飛ばしてしまったのだ。
上はすでに屋根が吹き飛んでいる。その穴に糸を通すように、警備員が高く上がった。折れた木が俯瞰できるほど上がると、まだ折れていない巨木も上から緑だとわかった。
ただ、警備員はすでにのされていたため、上から眺めた荒れた枯山水も皇居の広さも見ていない。引力に任せて落ち始めた。
「貴様!! いったい何の真似だ!?」
「何を言うとる、お主がさっさとかかってこんから、わしがお主の敵じゃという証明を自分でしてやっとるんだろう」
「何を戯言を!」
ドーフが唖然としていると、警備員がリスグランツの真上に。風に流されることもなく寸分狂わず、投げたリスグランツも警備員を無傷で受け止めた。
ドーフはまだ斧を構えている。さっさと攻撃しなかった自分を恥じていた。そのまま、警備員を人質に取られれば、こちらも振りかぶった斧をしまうほかないのだ。
仲間を危険にさらしてしまったという責任を感じていた。
がだ、その責任も、無残におられてしまうことになる。
「じゃ、始めるかのお」
リスグランツが警備員をほいっと枯山水の奥に投げた。70キロほどある人間を5メートルほど投げたのは驚きだが、ふわりと投げたおかげか、手入れされていた草むらにまた無傷で着地した。
ドーフの予想はまた外れる。人質に使うつもりだと思っていたからだ。さらに言えば、その誤算は、リスグランツが人質なしでもドーフに勝てるというさんdなんでもあった。
「なんじゃ、どうしてもお主からこんのかあ。じゃあ、わしから行くとするかあ」
リスグランツは一歩踏み出した。木の床が大きく軋む、建物の縁側全体がバキバキと壊れ始めた。さらに一歩、さらに一歩、後少しで縁側から内に入ってくる。
ドーフは後ろに下がり、距離を保った。完全に威圧されている。だが、弾けない。先ほどの芸当で、十分敵だとわかったのだ。敵意のない敵、それはすなわち、敵にも数えないほど軽んじられているということであった。
脳裏にマリの姿がよぎる。皇居の大きは部屋、階段のようになった舞台で演説をしている彼女を守らなくてはならい。それが、ドーフの務めであり、キシヨと太一との約束だと決心した。
「わかった、ならこちらも全力でお相手しよう」
巨大斧を握る手に力がこもる。腰をかがめ、膝を曲げ、肩幅の倍の幅で踏ん張った。からだの角の緊張をほぐし、柔軟でしなやかな体制に。瞬発のある筋肉で斧を振り払った。
「斧・山・ザン」
突風。ぶち当たるような風はリスグランツに迫った。瞬間、衝撃波が辺りを一閃する。
爆風が巻き起こり、和の建物の左全体の柱が吹き飛んだ。襖も残虐に裁断され、あろうことか庭園が水平に真っ二つになった。
だが、いくら辺りがふき飛ぼうとも、ドーフは敵を見失わない。
リスグランツは体を大きく後ろの逸らして、斬撃を回避していたのだ。腰回りが柔らかく、ストレッチをしているようだった。
ドーフはその異常性を理解していた。あれほどの斬撃を、体を逸らした程度でかわせるわけがない、と。
さらに目を引いたのが、リスグランツの革ジャンも乱れてすらない。まるで、風の強い日にベランダに立っている程度の姿だ。
リスグランツの体を青い電流が取り巻いている。体を反りながら、ドーフを挑発する。指を立てて手招いた。
「なんじゃああ、この程度かああ?」
「避けたのか、耐えたのか」
「さあぁ、どっちじぁあ、ろうなぁあ」
リスグランツは黄昏ていて体がなまっていたようだった。体を逸らしながら、脇腹までストレッチを始めた。アキレス腱を伸ばし、整理体操を始めた。
青い電流がビリビリ取り巻いて、低周波のマッサージのようでもある。
「この程度ならあ、ここまま殺しちまいよるぞ?」
リスグランツは巨体の割には柔らかくドーフを眺める。えらく弱い敵を相手にしたと、薄ら笑っているようだった。
だが、ドーフもその程度ではない。彼はグレンシアとの戦いで生き残った、sんしの一人なのだから。
「ああ、その程度なら殺してくれて結構だ」
「あああ?」
瞬間、リスグランツの頭上、皇族の敷地のはるか上で何かがキラリと光り輝いた。警備員が投げられたより遥か上空、風を切りながら、鋭い斧が落下してきた。
「ドワーフの武器レシピ、2番その2。ふつつか者の斧」
それがもう一対の斧だとわかった時には、トップスピードでリスグランツの胸元に突き刺さっていた。砕けた天井をさらに砕き
その斧は特殊な形をしている。はたから見ると、斧ではなく扇子のようだ。扇ぐ部分が全て鋼色の鋼鉄であることを除けば、立派な巨人の必需品である。
扇子は圧倒的に強力だった。
和の建物に風穴が空き、リスグランツの立っていた廊下が下の地盤までえぐれて消し飛んだ。
静かに時が過ぎる。破壊された庭園でも、一流の庭園は見事に時を具現化してしまう。過ぎ去っていく時間が凝縮されたようだった。
ドーフは砕けた廊下の手前から、リスグランツを眺めた。巨大な斧が見事に巨漢の体を押しつぶしている。今見るとピクリとも動いておらず、息絶えたのがわかった。
ドーフはその光景にどこか拍子抜けしていたのだ。時間をぼーっと眺めるように、その姿を見た後。リスグランツに感じた深い闇を気のせいだと言い聞かせてその場を立ち去った。
この時、形勢が逆転する。
「そうかぁあ、この程度かああ」
ドーフの後ろで、巨大な鉞がごそりと動いた。その斧の大きさは、庭園の奥にある巨石より圧倒的な体積であったが、軽々と動いたのだ。信じがたいことであった。斧を動かしたことではなく、まちがいなく死んでいたように思えたからだ。
「ほんならああ、殺して帰ぇるでぇ?」
斧で叩き潰した敵は数知れなかったが、生死を確認した時に間違っていた経験は一度もなかった。
リスグランツが斧を担ぎ上げて、えぐれた穴をよじ登ってきた。斧を重そうにすることもなく、平然とリュックを背負うかのようだ。
リスグランツは室内の畳に立ち上がった。和の建物の室内は一面が見事に畳と柱のみであった。天井も和風建築にしては巨漢のリスグランツもすっぽり入るほど高い。
ドーフが振り返って、巨漢の敵を呆然と眺める。
「化け物だな……」
「おおお、そんなにわしは強いかあ?」
リスグランツは巨漢を震わすように高ぶった。それが戦闘態勢に入る準備だとわかったのは、彼の体温が上昇してドーフの鼻先に輻射熱が触れた時だ。
「この鉞ぃい、そんなに重おないのう。これなら、わしの忍び道具の方がいくらか思いわい」
リスグランツは石つぶてでも投げるように、きこりの斧をドーフに投げ返した。
その斧は外からの太陽に照らされて、凶暴な影が大車輪のようにぐるりとわ待った。
ドーフも負けずの巨漢でたやすく斧の刃を掴み取った。はるか重い重量のそれを左手一つで軽々と持ち上げる。
だが、ドーフはすでに、リスグランツを抑えるほどの実力がないことを直感している。不意打ちの巨大な攻撃が、こうもあっさり過ぎ去った過去のように感じるのは、仕掛けた側として戦闘とは別の類の緊張があった。
今から、実力計り知れない敵が何をするのか、考えただけでも冷や汗がにじみ出る。張り付いた薄い氷が、急にオブラートへと変化したような、その感覚は子供の頃の探検にも似ている。
リスグランツが酒臭い息を吐き出して、庭園の新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込んだ。すると、次には革ジャケットの内側から、小さなオリーブほどの黒い球を取り出してみせる。
数回、指先で弄ぶと、リスグランツはドーフに不敵な笑みを浮かべる。
「これがわしの忍び道具じゃあ。よう見とれよお」
言葉を言い切った頃、リスグランツの手の上から、黒い球がコロリと滑り落ちた。弄ぶ指があまりに滑らかだったため、一見すると葉っぱから雫が零れ落ちたようだった。
だが、その黒い球が、とんでもない質量を持った鉄球とは誰も思わない。
時間が静かに経過して、黒い球が畳にのそりと転がった。
ドーフは首を傾げて訝しむが、リスグランツの顔は子供にマジックを見せるような嬉しそうな顔だ。
「まあみとれい」
ドーフは言われるまま黒い球を睨みつけていた。するとその時、足元の畳がぐしゃりと前にへしゃがってしまった。
その窪んだ畳の先には黒い球が転がっており、どうやら畳がその球に押しつぶされているようであった。
志向の隙間を縫うように、鉄球が畳をどんどん押しつぶし始め、ついには畳に穴がいた。黒い球はそこまですっぽ抜けて、地響きとともに遠くの方で地盤を砕き割る音も出し始めた。
ドーフは慌てて斧を構え直す。足元にそれた視線を、リスグランツに再び戻し、隙をついた攻撃から身を守るのだ。
これほどのことをやってのける人間を視界から外したことがどれほど愚かなことか、まるで生きた心地がしなかった。
しかし、リスグランツは意に反するように笑っている。驚いたドーフを文字通り嬉しそうな顔で見ていたのだ。
矛盾した反応と、大の大人をからかうような態度。ドーフはついに頭へと血が上ってしまう。
「一体なんの真似だ!!」
巨大で赤いダウンを着ているドーフは、虎狼のように大きく吠えた。
だが、リスグランツの頬は緩んだまま、嬉しそうなままだ。そんな顔をしたまま、こう言った。
「見たのおう? 今、確実に見たのう?」
「見たから一体なんなんだ!!」
「じゃあああ、投げても死ぬなよお?」
投げる。ドーフはまた冷や汗が吹き出した。戦闘時は銃を向けられても眉一つ動かさない彼が、今は殴られそうな子供のように身を震わせる。
ドーフが2、3歩後ずさった頃には、リスグランツの手に新たな黒い球が用意されていた。また、懲りもせず弄んでいる。
「ほ〜らあ」
リスグランツは、明らかに侮ったような下投げで、黒い球を放り投げた。
あまりにゆっくりと飛んできた黒い球は、集中したドーフの前では遅すぎた。
(どうする!? 打ち返すか!? 避けるか!? だが、避けてもまた投げられる! だが、打ち返せるのか!? だが、この次の球がこんなに遅いとは限らない!!)
緊張から時間が長く感じたドーフには、その球を斧で打ち返すか今すぐにでも避けるのか、もう既に10回ほど自問していた。だが、答えは危険と出るばかりで、長く感じた数刻も瞬く間に過ぎ去っていく。
(避ける!? いや、打つ!!)
黒い球がドーフの1メートル先に来た頃、ようやく決断がついた。彼の攻めの戦いは、ぬるい攻撃を弾く戦法でもあるのだ。
リスグランツの強かな表情に惑わされ、ようやくの思いで我に返った。
もちろん、ドーフは敵を侮っているわけではない。最大限の力をもってして、その黒い鉄球を叩き返すつもりだ。
ドーフはまだ右手に持っていたきこりの斧を、必死に振りかぶった。限界までに持ち手を握りこみ、腕まで力んで、リラックスから全力の攻撃に移行した。
「斧、災害!」
ドーフの攻撃は全力だった。たった数センチ市中に小さな黒い球に対して、彼のふるった巨大な赤い斧は、列車の追突事故のような勢いで立ち向かった。
斧が球に振り抜かれるあいだ、その周囲の空気が引き寄せられる。斧のスピドが早すぎて、そのあたりの空間が真空になったことによる現象だ。
そんなことをできる人間は、グレンシあと戦った極東と言えども、ドーフの右に出る者はいないかもしれない。
ただ、それを使うにふさわしい相手が、この小さな鉄球であるというのは、いささかおかしな話でもある。
リスグランツもおもわず身構える。両手で十字を作って、前方からの衝撃に備える。
ドーフの技は、災害という名をつけただけあって、先ほど形容した列車の衝突レベルの勢いではなかった。
遥かに視点を引いいてみると、極東の列島周辺の海が荒立っていた。突然渦潮ができたと思うと、引き潮が始まる。
それは皇族敷地内のあるここ周辺の海だけであったが、海抜がすすられたように1メートルより多く下がった。
もちろん、威力は相当な者だ。リスグランツの構えた十字の腕も、周囲から引き寄せられた空気の塊と衝撃で、簡単に崩れる。
革ジャケットが大きくはだけて、爆発的な威力が胸板に突き刺さる。
さらに、斬撃が飛んだ。リスグランツの体に直撃した威力は、そのまま枯山水を切り裂きながら、彼を後ろへと吹き飛ばしてしまった。とは言っても、たったの数歩だけである。
ドーフは目を見張った。リスグランツの胸板には傷一つできていない。赤くなっただけで、来ている革ジャンも無傷であった。衝撃波はすでに皇居の外まで被害を出しており、理論上ありえない姿である。
(どうなっている? あれほどの攻撃を当てれば、さすがにダメージの一つ入ってもいいはずだ。ということは、何らかの方法で身を守っているということか? いったい何……)
ドーフが考えを巡らせていた途中、目にとまった黒い物体があった。鉄球である。リスグランツの手元を離れてから、まるで軌道を変えずに、ドーフの前窓届いていたのだ。
次に、足元に落ちてきた破片に気づく。硬い大きな鋼で、横に目を向けると、自分の巨大斧の刃が大きくかけていることがわかった。
つまり、この鉄球はドーフの攻撃をものともしなかったのである。
(まずい! 今すぐ避けないと!!)
ドーフは瞬く間に体を翻した。左の膝を曲げると、重力に任せて最速で体をひねる。鉄球は彼の鎖骨をかすめるように直進していった。
そんな鉄球に、リスグランツが手をかざす。
「戻れ」
ぼんっ! と鉄球が大きく振れ上がった。まるで、狐が化けていたように煙が立ち込め、木の葉がひらり。大玉のように大きくなった鉄球は、リスグランツの上に落下し始めた。
「ぬあぁあ!!」
ドーフはかろうじて斧を挟み込んだが、鉄球と畳に挟まれる。最初の鉄球は小さく、畳に接触した時には圧力が高かったためめり込んだ。しかし、今はドーフの身の丈より直径が大きいため、ただただドーフを押しつぶそうとしていた。
なんとか自分の力で持ち上げると、足を引き抜く。ばきっ、とやばそうな音がしていた。ドーフは足を踏ん張り、気合いで立ち直す。
「及第点じゃなあ」
「ふざけんなよ……無茶苦茶じゃないか」
「まだ投げただけなんじゃけどなああ。そんなことよりぃ、気に入ったぞ。仲間にならぬか、おぬし」
ドーフは目を丸くする。漫画でしか見たことのないような誘い文句だった。
「いったい何の話をしている」
「あー、いいんじゃべつに。わしの国は浪人も広く認めておるう。おぬしがわしの部下になるというのなら、その強さをかってやろうというとるんじゃあ」
リスグランツはまっすぐな目をしていた。黄昏ていた眼は、威勢の良い凜とした表情に。本当に主人公のようないでたちだった。
ドーフは斧を杖のようにして畳についた。足から出血しているらしく、畳にボタボタと溢れていた。黒い靴の上に、そっと溢れた。
「俺は、この極東のために生きると、仲間に誓った身だ。それに、つい最近まで戦っていたんでな、それをまとめないといけない」
ドーフはそこまで言うと、巨大斧を室内に捨てる。白で精密なフィガーを光らせると、また手に小さな光を出して見せた。
「俺は今の国が好きだ」
手の上の光は、小さな斧の形に。持ち手は赤く太い龍の柄、刃の部分は台形の大きな鋼色。みるみる形が出来上がると、シュパンと音を立てて赤い持ち手の斧が現れた。
「ドワーフの武器レシピ・10番。ドン・ドワーフの斧」
斧には紫の気流がまとわりつく。赤い絵の龍が不敵に笑ったような、赤く光ったような気がした。持っているドーフの髪の毛も逆立ったようだ。
「ふぅーーー!」
肺活量を全部使った息吹。頬を膨らませ、上半身の筋肉を雨くらませていった。赤いコートは、彼の体に合わせて、ぴっちりと揃う。
「おおぉ、いい服じゃなあ。伸縮性に長けておるわ」
「ずに、乗るなよ」
ドーフは歯を食いしばっていた。牙が大きく育ち、アゴも大きくなる。骨格が変わるような変化が彼に現れる。
斧を握る手をさらに握り締めると、紫の気流が斧を取り巻く。手元の龍の目が赤く光る。斧が次第に音を立てて大きくなっていった。
持ち主の力量に合わせて強くなる武器。ドン・ドワーフの斧。成長期の子供のように、バキバキと音を立てて、また等身大の大きさになっていた。
「おおーきいのがすきじゃなあ」
ドーフはもうリスグランツに怯えることもなく、容易に歩いて近づいていった。獣のような息を漏らして、牙を従え、今、斧を振り上げる、
「伐採」
斧が天井に届く。振り上げた大木のような腕が服の下からそっと見えた。さらに力が増して、斧が大きく育つ。天井の木の梁をはがしながら、食い込んでしまった。
これで、持ち上げる力をすべて振り下ろす力に使えるというわけである。
「真珠割裁」
ドーフはぶら下がった巨大な斧に、全体重を乗せる。振り下ろす力のみを、リスグランツの頭の上から叩きつけた。
建物が軋み、天井が崩壊。木のがれきが溢れ始め、大きく茶色い梁が斜めに切り裂かれた。大黒柱もボッキリ折れて、建物全体が斜めに崩れる。床もずれて畳に隙間ができ、縁側はなかったかのように引き離された。
だが、斧はそれ以上被害を出さない。その下で、リスグランツはにっこり笑っている。
「おぉう、よーやった。これほどリキ出したんなら、もう存分にぶっとばせるからなぁ」
ドーフは唸りながら斧を押し当てる。刃がさらに膨張する。リスグランツは大きくなった斧の刃を片手で受け止めてた。手に傷を負うこともなく、畳がめくれることもなく、銅像を触っているかのようだ。
「雷遁・線香花火」
リスグランツが、カッ、と光った。閃光が一瞬輝き、バリバリと音を立てながら青い電流が放電していった。
電流は斧の刃からあっという間にドーフに伝わる。強く握っていた手から流れ込むと、光の中で感電してしまったのだ。体の表面に雷の模様のようなミミズ腫れができてしまう。
崩れ始めた和室に焦げが匂いが立ち込め始めた。
「よっこらせいぇい」
リスグランツは体に青い微粒の電流をまとっていた。太い足にもまとっており、その足でドーフの腹を蹴っ飛ばし後ろの倒してしまった。よく見ると、彼らの足元は爆竹でも破裂したかのように黒く焦げに染まっている。
「まだ生きとるじゃろう。一度勧誘した人間をそう簡単に殺さんわい」
ドーフは電流で熱くなった息をまた吐く。そこにも青い電流が放電していた。
あたりを見ると、やはり梁の崩れた建物は、襖を天井と床でへしゃげてしまっていた。襖の隙間からは奥までずっと畳の部屋が広がっているのがわかる。リスグアランツはそれを横目で見ると、マリを探すのが面倒に感じていた。
リスグランツは庭園を崩して、それを社会に見立てて笑っていた。だが、建物の被害はほぼ全部ドーフが斧をふるってやったことであり、リスグランツもなぜか喪失感を感じている。戦いといいうものはこういうものかと、改めて実感していた。
そのうち、思い出す。ドーフが来る前に連絡していたのだ。
リスグランツは胸を広げて大声を張り上げた。口を大きくあげると、刃をむき出しにする。
「トーやああああああ!! いつまでわしを待たせれば気がすむんじゃああ」
また、空間に緑の電流が流れる。天井付近から声だけが聞こえてきた。
『あー、リスさん。運命の時はいかがでしたか?』
「リスさんってええ、お前はもう少し緊張感を持てい」
『ところがどっこい、絶賛戦闘中なんだなあ、これが。知ってるかい? 詠嘆のエクレツェアって人間を』
「ああ、あの戦争屋かぁ。またなんでこんな世界に」
『さあねえ、ふふふ』
「知ってるような口ぶりだな」
『気のせいさああああ、ってちょとまって被弾したいやでもまだいける飛べるはずまけんなさいごまでやってからものいいやがれえええええあああああああああ』
建物がズンと揺れる。襖が衝撃でバタンと倒れた。天井崩れて白い服の段位施が落ちてくる。
「あー、落ちちゃったわ〜」
「何しとるんだお前はあ」
「これもまた運命さ」
トーやは全身に石膏のようなこなが付着していた。白い服はマントと紳士服だが、すべて硬い石膏で出来ているようにカツンカツンと音を立てていた。
リスグランツに顔を上げると、石膏の顔が半分砕けていた。トーやが視線に気づいてそっと撫でる。瞬く間に素の顔に戻っていった。
彫刻のように冷静な顔だ。
「詠嘆のエクレツェアとやらはどうした」
「ああ、もう倒したよ。分身だけどね」
「ほう、意外に強いな」
「さて、マリさまはもう捕まえたし、リスくんには先帰っててもらうかな」
「な……おぬしは?」
「僕は運び屋だからね、守秘義務は守らないと」




