1-③転生してからの歩み
ふと思ったんですけど、PCからの投稿だと、携帯ではかなり読みにくい感じになっていたりするんでしょうか?ちょっと改行とか試してみることにします。
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目が覚めた私はぼんやりとした意識の中で、熊と遭遇したことを思い出し、助かったのかな?と思いました。家族が帰りの遅い私を探しに来て見つけてくれたのかもしれないと。
だとすればここは病院かな?とも思ったのですが、まだはっきりしない視界に移る色は病院のような白を基調としたものでは無いようでした。また、何人か人が居るようですが、それにしては室内が少々薄暗い印象を受けました。
電気をつけないのかな?とか、夜も遅くて薄暗いのかな?とか、割とどうでもいいことを考えながら、自分に意識が戻ったことを伝える意味も込めて、ここは何処ですかと訊ねようと口を開いたのですが、上手く声が出ず、漸く出た声も『あう~』という感じで呂律の回らない無意味な音。
もしかしたら自分は言語障がいになってしまったのだろうかと驚き、手で喉を触れようと思ったのですが、これまた思うように体は動いてくれませんでした。
命は助かったのかもしれないけれど、言語障がいや体に麻痺が残ってしまったんじゃないかと思った私はパニックになって、流石に大泣きしてしまったものです。
今にして思えばそれがこの世界においての産声になったわけですが、もしかしたら幼児退行が原因で冷静に考える思考力が低下していたのかもしれません。
のちにこの日の事を、生みの母や立ち会った人に聞くことになるのですが、産声も上げずに暫くきょとんとしていたけど漸くお腹から出てきたことに気付いたのか元気な産声を上げたマイペースな女の子、という風に周りから微笑ましく思われていたそうです。
なんでも、取り上げてくれた産女さんも笑いを堪えながら、生まれて直ぐに泣かなかったから心配したけど元気な女の子で安心しましたと言っていたそうな。
泣きつかれて眠ってパニックが収まってみると、自分の置かれた状況が漸くきちんと把握できるようになりました。体が思うように動かず、寝返りも打てないのは自分が赤ん坊の姿だったからのようです。
夢かとも思ったのですが、泣いても喚いても寝ても覚めても自分のおかれている状況が変わることは無くて。いったいどういうことだろうかと現状について考えを巡らせていたときに、もしかするとこれは転生したとか生まれ変わったというやつじゃないだろうかという結論にいたったんですよね。
さて、何の因果か偶然かは分りませんが、転生したばかりの私は生まれたての赤ん坊でしかありませんでした。そして、赤ん坊と言うものは色々無力です。おぼろげに状況が把握できるようになってからそう時間を置かずに、私はそれを痛感することになりました。
自力で移動も出来ませんし、食事や排泄も人の手を借りなければいけません。なまじ前世の記憶がある分、お世話を受けることに初めは抵抗があったのですが、それでもお腹は空きますし自然の摂理で用も足したくなります。
意固地になって母乳を拒めば食欲が無く具合が悪いのかと心配され、もし便意を我慢しようものなら便秘になって自分が苦しい思いをするだけです。もっとも、赤ん坊の筋力では排泄を堪えるなんてことは出来なかったとは思いますが、流石に自分の世話を焼いてくれる人たちを困らせて心配顔にさせてしまうのは心が痛いだけでした。
それに自分の呆気ない最期も記憶に残っているため、戻れるかもしれないなんていう希望なんて持てるわけも無く、大人しく諦めて受け入れるほかありませんでしたね。
向こうに戻れてもゾンビだと思えば、諦めがつくというものです。嗚呼、もう骨になっていたかも知れませんからスケルトンだったかも…。
なので赤ん坊時代は色々諦めて体の本能に身を任せつつ、自分の周りについて少しずつ理解を深めることに努力をしました。とはいっても眠気に勝てず、本当に少しずつしか情報を得ることが出来なかったんですけれど。
行動範囲が極端に狭い赤ん坊時代に得られる情報は私の周りのことくらいです。
私の傍には、決まって数人の女性が居ました。それは母親と乳母とメイドです。メイドは何人か居て、ローテーションなのか日によって代わっていましたね。
そのことに気がついた時は、お金持ちなんだなということしか分っていませんでしたが、乳母やメイドなんて前世では一生関わりの無いような人たちがいることにすごく驚きました。のちに我が家が貴族階級であることを知ったときには納得しましたけど。
私と一番深く接してくれていたのは勿論第二の人生における私の母で、イルーシャといいました。灰銀色の髪とミッドナイトブルーの大きな瞳が特徴の、童顔で年齢よりもかなり若く見える人で、笑うと花のように愛らしかったものです。
彼女が私を抱いて、とても幸せそうにクロノアールと繰り返すのを聞きながら、これが私の名前なんだなと理解しました。理解しただけで、慣れるまでには時間がかかり、呼ばれてから反応するまでに時間を要したのは言うまでもありませんが。
これはかなり後に知ったことですが、私の両親はなかなか子供が授からなかったらしく、十代で嫁ぐことの多いこの世界の初産としては、かなり高齢の出産だったようです。童顔でそんなことを感じさせなかったから気がつかなかったのもあるんですが、現代日本の感覚では普通と言うか、むしろ早いほうだと思います。このあたりは文化の違いみたいなものなんでしょうね。
そして私の周りには、どうやらここは私の慣れ親しんだ世界ではなさそうだぞと思わせてくれた存在がいました。それは、乳母のマリエルとメイドのユリアナの二人です。
母のような銀髪に青い目くらいならまだ前世にいたので違和感が無かったのですが、彼女たちはピンク色の髪に緑の目をしていたり、水色の髪に紫色の目をしていたのです。初めはコスプレかもしれないと疑ってみたのですが、どうやら自前らしいぞと気がついたときには衝撃が走ったものです。
人の名前と顔を覚えるのが苦手な私でしたが、インパクトがすごく強かった二人に関しては、直ぐに顔と名前を覚えてしまいました。勿論、他に何人もメイドたちは居て、それなりにカラフルではあったのですが、二人の髪の色と比べてしまうとまだ前世でも通用するくらいのカラーバリエーションだったのでそこまでのインパクトはありませんでしたね。
二人の髪色が自前だと分かった時点で、転生は転生でも、俗に言う異世界転生だという事に思い至りました。さずがに、何をどうしたら発現するかも分からない髪色は、地球だったらありえませんからね。少なくとも、私の居た時代では、染色以外で存在するなんて話は聞いたこともありませんでしたし。
しかし、異世界に生まれたことが分かったところで、身体的に行動が制限されてしまっているので、チートがあるか試してみることは出来ませんでした。
代わりに暇を持て余していたので、どうしたらその色素が髪に出るんだろうとか、赤髪と青髪の人が結婚したとして生まれてくる子供の髪の毛の色ってどうなるんだろうとか、脛の毛や鼻毛なんかも同じ色なんだろうかとか、赤ん坊ながらモンモンと考えたりしていました。因みに、その疑問は未だに解決していなかったりします。これはもう、ファンタジーだからと結論付けるしかないんでしょうね。
鏡とかを見る機会もまだ無かったので自分はどんな髪色でどんな目の色をしているんだろうとワクワクしていたこともありましたが、無難なチョコレート色の髪の毛にパッと見は黒に見えるミッドナイトブルーの目だとわかったときは、そのあまりの平凡さに残念やら、でも奇抜すぎるでもなくホッとするやら複雑な気持ちになりました。
なんていいますか、外国人に憧れてカラーコンタクトを入れてみようと思ったけど、印象が代わりすぎることを気にして黒に近い色を選んじゃいましたって感じの日本人とそんなに変わらなかったです。顔も、母親に似て童顔に成長してしまったので余計かもしれませんが。あ、髪の色は父親ゆずりみたいです、今は白髪交じりになってますがね。
前世の黒髪黒目と微妙に違っているくらいの変化ではありましたが、今ではそれはそれで気に入っています。まぁ、周りから比べればかなり地味なんですけど。
さて、赤ん坊時代が何事も無く過ぎていき、私はクロノアール・エマ・ユファニエル・フォン・ヴァイツェルンとして、普通の子と同じくらいの速度で掴まり立ちを覚えたり歩いたり話せるようになり、特にこれといった特徴も無く月日は過ぎていきました。
名前が長いのは貴族だからしかたありませんね。もっと長い方もいるようなのですが、私は自分の名前をフルネームで覚えられる様になるまでに結構かかってしまいました。
普段はファーストネームで呼ばれるか、両親のような親しい人からノエルという愛称で呼ばれるかくらいだったので、仕方が無いことだと思います。それにしても、クロノアールの何処をどう縮めたらノエルになるのか教えて欲しいものです。
名前のことはさておき。今だからこそ色々諦めがついて、いたって平凡を地で行く私ですが、幼少期にはこっそりチートがあるんじゃないかと試してみては撃沈していました。
それっぽい呪文を唱えて魔法を出そうとしてみたり、毒消し草片手に毒キノコかじって胃の中の物をひっくり返したり、飛んでみたくて机に箱を積み上げた上からベッドに飛び降りてみたり。幼児期じゃなかったらあの頃の私ってただの厨二病患者だったと思います。
勿論いっぱいお叱りをいただきましたが、幼い子供のすることだからと微笑ましく成長を見守ってくださった方々には頭が上がりません。
でも、私だってチート欲しかったんですよ。やっぱり憧れるじゃないですか、MP上限なしの魔法使いチートとか、女神様の祝福で状態異常無効なんかが付与されている系のチートとか、どんな武器でも使いこなせるようになるウェポンマスタリーチートとか、スキル習得が楽になっていたり、レベルが上がりやすくなっていたり、全てのジョブに適正があるとか、鑑定やヘルプ機能を使うようなチートとか。
まあ、残念ながら適性はなかったようで、主人公ならもってそうなステータスオープンやアイテムボックス系能力も使えませんでした。今でもチートが芽生えそうな気配は無いので根っからのモブなんだろうなと思います。
レベルとかスキルとかの概念があるかは分りませんが、この世界、魔法もあるみたいなんですけどね…。モンスターも生息していて冒険者ギルドなんかもあるっぽいんですけど、私には無縁と言うことなんでしょう…。すごく残念です。
それはさておき、無謀なこともしていた幼少期ですが、一人っ子だった私は両親や使用人の方々に可愛がられ、とても幸せに過ごしていたと思います。ですが、その幸せは長く続いてくれませんでした。
私が五歳になった年の暮れに母が体調を崩し、新年を迎えることなく静かに息を引き取り帰らぬ人となってしまったのです。肺炎でした。
母はもともと体の強い人ではありませんでしたが、如何に魔法のある世界で治癒魔法が存在するといっても中世ヨーロッパに似た世界のこと。呆気なく病気で亡くなってしまう人も少なくは無いそうです。現代日本のように医療が進んでいてくれたらと思ったりもしましたが、魔法のある世界では文明発達のメカニズムも違うでしょうから、難しいことなのかもしれません。
最愛の母を亡くし悲しみにくれる我が家でしたが、嘆いてばかりもいられませんでした。父は領地持ちの貴族だったので、領地の管理もしなくてはならないからです。
さらに悪いことにその頃、隣国との情勢が悪化し国家間で緊張が走っていて、いつ戦争が始まるか分らないような状態が続いていました。その為、父はよく王都に会議に呼ばれ、家を開けることが多くなっていきました。家にいても領内の仕事に追われ忙しそうにしていたのを覚えています。
結局戦争が始まって、父は何ヶ月も家に帰れないということが多くなりました。武官ではなく文官だった父は、王城に缶詰になって平成ブラック企業もビックリな程に働いていたようです。戦争って本当にいいとこなしですよね。
そんなある日、私が八歳の誕生日を迎えた頃。父が二人の娘を持つ女性を連れてきました。多分、ろくに私に構ってやれず、寂しい思いをさせてしまっているのではと気に病んでいたんだと思います。彼女を新しい妻として迎え入れるから仲良くするようにと告げられました。
継母となった彼女は、夫が前線で戦い殉職したというまだ若い未亡人でした。夫は父の知人で、母子共に路頭に迷わせることは忍びないと思い迎え入れたという背景もあったようです。
二人の娘は私よりも二つ三つ年上なだけなので、すぐに打ち解けて良い遊び相手になって貰えるのではとも思っていたみたいなのですが、現実はそう甘くは無いものです。
新しく家族になった三人は父がいるときは表面上、私と仲良しであるように見せかけていましたが、父が家を開けているときはそうではありませんでした。
父が実の子である私を可愛がっていたため、継母は私を疎ましく思っていたようです。彼女が自分が産んだ娘たちだけを可愛がり、私のことを事あるごとに怒鳴りつけたりするようになっていくのにあまり時間はかかりませんでした。当たり前なことですが、そんな実母の姿を見ていた娘たち――義姉ですけど――も、母を真似して邪魔者扱いするようになったんですよね。子は親の鏡とはよく言ったもので、子供と言うのは親の行動を良く見ているものですから、当然の結果だったと思います。
普通なら子供に八つ当たりするなと思うところなんですけど、前世とあわせると同い年くらいの彼女に同情していたところもあって、不思議と憤りとかは覚えた記憶がありません。行き場のない思いを何かにぶつけたくなるのは分からなくもないですからね。
ストレスのはけ口がなかったら人間は自分を保つことも難しくなる生き物ですから、私と言うはけ口があっただけ良かったのかも知れません。幸いにして私、中身だけは歳食ってますからね、多少のことじゃ堪えませんし、ある意味うってつけの人材だったんじゃないでしょうか。
それに、考えても見てくださいよ。
愛する夫と死に別れ茫然自失の日々の中、遺産をやりくりして何とか生活していたけれどそれも底をつき。生活の為に夫の知人の後妻にはなったものの、その新しい夫は自分より一回りも年上な上に仕事で忙しく滅多に帰ってこない。帰ってきても前妻の忘れ形見を可愛がっていて、数日もしないうちにまた出て行ってしまう。そんなことじゃ当然、愛を育む時間すら無い訳で。
当時十一歳の娘がいるとは言っても彼女は二十八歳。日本ではまだまだ女ざかりだし、奇しくも母が私を産んだ年頃な訳です。夫婦らしい関係が築けないことは、彼女の心を蝕んでいたのではないかと思います。お情けで拾われたようなものだと思っていたでしょうし、愛想つかされたら捨てられて路頭に迷うことになるのではという不安でイライラしても当然です。
だからといって子供に八つ当たりしていい理由にならない?そこは私が気にしていないんだからと言う事でこの際おいておきましょう。私はむしろ、同じ女性としての目線で継母のことを考えると、再婚当時四十歳とはいえまだまだ男盛りな父の配慮が足らない事のほうにモヤッとしてしまうくらいだったんですから。同情したくなるのも仕方ないというかなんというか、私は正直、継母が可哀想過ぎると思います。
こういうのってデリケートな問題なので、生活を保障してやればいいってものじゃ無いと思うんですよね。夫を亡くし不安定な部分もあるのだから、そこは大人な包容力で精神的に支えてやってなんぼですよ。成り行きだったのかもしれませんが結婚して夫婦となったわけですし、それくらいの甲斐性は見せて欲しいと何度言いたくなったことか。子供が口を挟める内容ではなかったので、言えませんでしたけど。
それから数年が経ち、戦争が終わっても現在に至るまで、継母たちはあの手この手で嫌がらせ(?)をしてくるようになりました。勿論、戦争が終わった事で父が漸く家に落ち着くことができるようになっていたので、こっそりと目を盗んでや、出張中を狙ってとかでしたけど。
些細なことはチョコチョコありましたが、私が年齢を重ねるごとに主に社交に関するものが多くなっていたでしょうか。
貴族の世界において社交とは貴族の顔を繋ぎ、様々な情報やツテやコネを手に入れる為の場で、若い貴族においては良縁を結ぶための絶好のチャンスともいえました。私としては相手の弱みを握ったりするために痛くもない腹を探り合うような場だとしか思えなかったですが、こういうのは意外と馬鹿にならないようで、貴族たちは見栄を張るように社交に励んでいたものです。
そんな社交界ですが、私はデビューすらしていませんでした。多分、義姉たちだけに良縁があるようにしたかったのと、私が貴族社会でのパイプを結べないようにという嫌がらせのつもりだったんでしょう。社交界デビューさせないのは勿論のこと、家で茶会を開くときには屋根裏部屋に追いやって居ない者として扱ったり、そういった席で私の情報を一切出さない徹底振りでした。
人とのパイプをつなぐための社交というのはとてもお金がかかるものです。着たきりすずめで居るわけにもいきませんし、主催するときにはそれなりのもので御持て成ししないと侮られる結果になり舐められる事になってしまいますから。社交に勤しんでいた継母たちはなんだかんだで家のお金を散財し、長年勤めていた馴染みの使用人に暇を出してしまったりしまったこともありましたね。
そうして散財したお金を取り戻そうと、母の形見を売られたこともあれば、私をメイドのように扱って屋敷の敷地内から外に出させなかったりと言うこともありました。極めつけは、お金の援助をして貰う代わりに血統だけは良かった私を政略結婚で嫁がせる手はずまで整えてしまったことだと思うんですけど、そこまでくるともう感心するしかなかったですね。
継母からすれば、お金の援助もあるし厄介払いも出来て一石二鳥と思ったのかもしれません。父には、私が自ら望んでの嫁入りだと話していたようで、本当にか訊ねられましたけど、社交界デビューすらしていない私がこの方に嫁ぎたいと思える出逢いがあったり、是非にという縁談がきたとも思えないですよね。でも、もう結婚適齢期なので行き遅れないように決めさせていただきました、と笑顔でそれらしい理由をつけて言っておきました。
とってつけたような理由ですが、一部本心ですよ。自分で結婚を決めたわけではありませんでしたが、貴族の娘さんたちが恋愛結婚より政略結婚が多いことはわかっていたので、何処であっても行き遅れるよりはいいかなって感じです。
父は納得したようなしていないような顔で、そうか、と一言呟いていました。背中に哀愁を漂わせているようにも見受けられましたが、自分の跡取りには優秀な人材を義姉の婿に迎え入れるなりしてくださいとしか言いようがありませんよね。声には出しませんけど。
そんなこんなありまして、継母の手腕でトントン拍子に婚約が決まったのが、つい数ヶ月前のこと。私が現在馬車に揺られているのはその婚約者との顔合わせと、結婚式を行うためなんですよね。なんていう急展開。
継母よ、そんな凄い手腕があるなら先に、自分の実子にも縁談を持ってきてあげてください。十代半ばが結婚適齢期とされているこの世界、もう直ぐ二十歳を迎える上の義姉さんはそろそろ風当たりが強くなってきていて本当に焦っているみたいですから。
二十歳を過ぎれば行き遅れ、二十五過ぎれば大年増…なんて、現代日本じゃ考えられませんし、女性たちに怒られると思いますけど…。所変われば世知辛い常識が溢れているものです…。
話しは変わりますが、馬車で運ばれる私ってさながらドナドナされる子牛っぽいですよね。市場に売られに行くか嫁に出されるかの差はありますけども。
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…こうしてざっと歩んできた人生を振り返ってみると、なんとなく思います。自分の気持ちを差し引いて粗筋だけにしてみたら、なにこれシンデレラ?って状態なんじゃないかなと。王子様に見初められて両思いになってハッピーエンドなシンデレラと違って、途中から見たこともない相手に嫁がされることになっているあたりが、私のモブ感を醸し出している気がしてならないんですけど。
…なんていう冗談はさておいて。客観的にみると結構酷い人生送ってるのかもしれませんね、私。主観的には本当にどうってこと無いんですが。
継母たちからしたら私に嫌がらせをしていたんでしょうけど、私からすれば、メイドの真似事をされられたことなんかは、家事手伝いをしながら嫁入り修行をさせてもらっているような感覚でしかありませんでしたから。
むしろ、前世の感覚からすればやって当たり前だったくらいなので、自分で出来ることがあるって素晴らしいとさえ思っていました。それに、屋敷の敷地外に出ないように言いつけられていたことは軟禁まがいだったのかもしれませんが、ちょっと過保護に箱入り娘にされていただけだったと思うことも出来なくは無いですし。
もっとも、前世の記憶を引きずっている分、釣りやピクニックにいけなくなっていたことだけは不満ではあったのですが。
ああ、社交界やお茶会に参加させてもらえなかったのに不満はまったくありませんよ?もともと人ごみとかって苦手で、むしろ助かったとさえ思ってますね。上辺だけで媚びへつらってお世辞を言い合うのとか、さぶいぼがたつというか、何が楽しいんでしょうか?って感じです。
キラキラごてごてのドレスやお飾りなんて動きづらいだけですし、毎回のように仕立てるとか、もったいない精神で何年も着たきりすずめだったド田舎日本人には理解できないというか何というか。
そういえば一般日本庶民には受け入れがたい事ならもっとありますね。
例えば、毒が入っているかもしれないから食事は毒見をさせた後の冷めたものって言うのもうけつけられなかったです。折角美味しく調理しても、出来立てじゃないと美味しさは半減してしまうんですよね。自分で作れば毒なんか入りようが無いじゃないかとか、わざわざ毒殺する価値も無いんだから大丈夫だろうとか、毒消し草を準備しておけばいいんじゃないだろうかとか、考えたらきりが無かったです。
それからコンソメやブイヨンやデミグラスソースのようなものはあるとはいえ基本塩味ばかりの食事は単調で変化が無く飽きてしまいます。主食はジャガイモかパンが主流で、稀にピラフとかが出てくるのでお米が恋しくて仕方が無い事態は避けられていても、味噌と醤油の偉大さをこんなにも感じることになるなんて、日本に居た頃には想像もしていませんでした。味噌汁や干物やうどんや天麩羅…懐かしい日本食が恋しくて仕方がありません。
よく異世界で食にこだわる小説を読んだものですが、今なら彼らの気持ちを理解することが出来ます。
後は着替えやお風呂をメイドが何から何まで世話を焼いてくれること。小さい子やお年寄りなんかは理解できるのですが、ある程度のことを出来るようになった子供やいい年した大人まで世話を焼かれるのが普通。貴族は堕落したいのかも知れないと本気で思ってしまうほどです。
自分で出来ることを使用人にやっても貰わなければならないというのは、結構精神的にもどかしくて参っていたので正直、継母が私にメイドを付けさせることを許さず、メイドのように扱ってくれたことは助かっていたんですよね。自分ひとりで着れないようなドレスを着る機会もありませんでしたし、生活する分には何不自由した記憶もありませんから。
あ。もしかして、結婚したらまた使用人にやってもらわなければならないフラグでしょうか?出来ればそれだけは勘弁して貰いたいですね…。