9-腹を括…らないとなんですけど
今週もよろしくお願いします。
「ふぁあぁぁぁあぁ…」
おはようございます、遭難して何とか野宿で一晩を明かしたクロノアールです。入り口から差し込んでくる光に起こされて、ゴツゴツした地面に寝ていたことで硬くなっていた体をう~んと伸ばしていたら、天井に手が当たってしまいました。少し痛いです。
さて、この世界に来て初めて野宿をしたわけですが、思ったよりはぐっすり眠りこけていたみたいで、頭のほうはスッキリシャッキリしています。風邪も引いていなさそうですし、私って色々と図太いんだなあと感じてしまいます。
その背景には、前世でゴツゴツした地面にテントを張ってキャンプした経験があったからなんでしょうね。あれを経験していなかったか、寝れていなかったような気がしますし。
強いて言うなら、テントと違って入り口に仕切りが無いので、蚊に食われて痒いくらいでしょうか。…この世界って、ジカ熱とかデング熱とかマラリアとかってどうなんでしょうか?…大丈夫…ですよね?
いや、もう考えても仕方ない!むしろ考えてたら何も出来なくなりますし!
私は頭を振って思考を無理やり追い出すと、頬を叩いて気合を入れました。隣でルンバたんが、何してるの?というように見上げていますが気にしないことにします。
気合を入れたところで鞄からナイフを取り出して、私は洞穴の外に出ました。天気は昨日と同じく快晴。朝の澄んだ空気はこの上なくラジオ体操日和とでも言いましょうか、とても清々しいです。
ですが、こんなに綺麗な場所でも、いつ死が訪れるか分からない危険と隣り合わせなんですよね。遭難して漸く、私はここが異世界で常に危険と隣りあわせなのだと身をもって理解したように思います。
ここは、私が知っていた常識が通用しないことのほうが多い異世界です。動物愛護団体が声高に、野生動物を殺すのは生態系の破壊と虐待に繋がります、なんて言っていたりしません。やらなければやられる、そんな世界です。
人間を簡単に弄れる存在だって数多く存在します。人間をそこら中に群れている獣の群れとしか思っていないモンスターだっているでしょう。そんな、いったい生態系ピラミッドのどのくらいの場所に人類が位置しているのかも分からない世界です。
こうしてこの世界に生きる以上、こうして守ってくれる人がいない以上、戦えないなんて言っていたら死ぬしか道は無いでしょう。なら、腹を括るしかないんだと私は思います。
キラキラと木漏れ日を躍らせるまぶしい朝日に目を細め、手に持ったナイフをぎゅっと握りなおします。如何に戦ったことが無くても、戦い方が分からなくても、生き残るには足掻き、奪うしかないのだと、自分自身に言い聞かせて。
「絶対生きて、今度こそ天寿を全うしてやるんだ!」
一応、婚約者もいるんですから、死んでなんかいられないんです!死亡フラグなんか、どうせ小説の中だけにあるものなんですから、気にするだけ無駄なんです!そう思って声を出すと、近くの木に止まっていたらしい小鳥が驚いて飛び立っていきました。なんかごめんなさい。
それにしても、地球と同じ生物――遺伝子とかどうかまでは分からないですがそっくりな容姿をした生き物――もいますが、モンスター以外でも、やはりこの世界独特の進化を遂げた生き物も少なくないようです。今の鳥も綺麗なピンク色の羽と面白い形の尾羽がとても印象的でしたが、地球でああいった鳥は見たことも聞いたことも在りませんでしたからね。
鳥を木々の間に見送り、気を取り直してまずは昨日の泉に行くことにしました。小瓶の水を飲んでもいいのですが、水分を持たずに歩くのは心もとないので、水の補充しつつ、ついでに顔でも洗ってこようと思います。
「ふぅ…さっぱりした」
顔を洗って、水の補充をし鞄に入れてから、私はぐるっと辺りを見回して見ました。
さて?どちらの方向に進めば人里にたどり着けますかね?バウンドボアに追われているときは無我夢中で走っていたので、道との位置関係もいまいち分からないんですよね。強いて言うなら、この世界でも太陽は東から昇ってきているはずなので、今見えている方向に進めばノクターン領方面にいけるんじゃないかなとは思います。
うん、悩んでても立ち止まってても駄目ですね!山菜取りにでも来た気分でさくさくさくっとすすんじゃいましょう。
歩き始めて見ればなんて事はありません。モンスターが出る世界とは思えないほど、穏やかな景色が続いています。空気はとても澄んでいて、見たことも無い植物や虫や、普通に逃げていく野生の生き物たちの姿もチラホラ見受けられますね。
もしかして、モンスターにあう確率ってそう高くないんでしょうか?ロールプレイングゲームのフィールドだってよくよく考えれば縮小図な訳ですし、実際は十数キロに一回とかしか遭遇してないんでしょうし。いや、データ量の都合とか言われたら困りますけど、そう簡単にモンスターに遭遇するような世界なら、とっくの昔に人間なんて駆逐されてますって一匹残らず。
そう考えると、なんだか少しは気が楽になりました。勿論危険なことには変わりありませんし、いつモンスターに襲われるかも分からないんですけど、少なくとも連戦に次ぐ連戦で死屍累々のレッドカーペットを引くことになったり、大地の染みにされる可能性はそうそう高くなさそうですからね。でも、油断はしないですけど。
そうして何時間くらい歩いたでしょう。斜面を登ったり下りたりしながら進んでいるのですが、気がつけば太陽はだいぶ高く上り、少し西よりになっていました。普段ならお昼にしてもいい時間帯だと思います。
ですが、今はなんとなく食欲がわきませんでした。まあ理由は分かっているんですけど。
私は手ごろな岩を見つけて腰掛け、自分の手と服に目をやります。乾いた赤茶色の血液が、転々とこびりついていました。そのほとんどが自分のものではないので、痛くは無いのですけどね。
これは、モンスターの血です。私が初めて倒したのは、成猫ほどはありそうな大きさの体と、鋭い一つ角を持つ、赤い瞳を爛々と光らせた大ネズミでした。
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そのネズミは他に見かけた動物とは違って、私を見つけるや否やすごい勢いで飛び掛ってきました。
咄嗟に私はそれを避けると、ナイフを握る力を強くします。ネズミのほうは間合いを取って、飛び掛るタイミングを計っているように見えました。
じわり、と冷たい汗が背中を伝って行き、同時に、恐怖を覚えました。たかが一匹の、自分より小さなモンスター。それでもなんとなしに禍々しいそれは、ねっとりとした死の気配を引き連れているようで、私の脳内ではコレは危険だとけたたましく警報が鳴り響いていました。
再び飛び掛ってくるそれに、無我夢中でナイフを振り回しますが掠りもしません。焦ってばかりではいけないのは理解しているはずなのに、頭が真っ白になったみたいにどうしていいか分からなくなってしまうのです。
ネズミはまるで嘲るように何度も何度も飛び掛ってきて、お前はオレの獲物だといっているように感じました。
「いっつ…?!」
何度も飛びかかれるうちに、左の手の甲に痛みが走りました。どうやら角が掠ったようで薄く血が滲んでいます。
ネズミは手ごたえを感じたのか、こちらを見た後また身構えようとしていました。このままでは、消耗していくだけで、死ぬかもしれません。そんなのってないじゃないかと、私の中で憤りのようなものが湧き上がってきました。
「…腹括ったはずじゃないか、私」
死んでなんか、やるもんですか!殺されてなんか、やるもんですか!私は生きていたいんです!
私は、ネズミを睨み付けます。我武者羅に振り回すのをやめて、ただ、飛び掛ってくるネズミを待ち構えました。
自分の息遣いが大きく聞こえて、心臓の音が煩くて、でも頭は冴えているような、不思議な時間が流れて。ゆっくりに感じるネズミの動きを私ははっきりと見切ったように感じました。
ネズミを最小限の動きでかわし、その背中を追いかけて、全身を使って押さえつけて。あとは、本能に従って、その首の頚動脈を搔き切っていました。
「ぎゅぁあぁああああ!!!!」
響き渡った断末魔を聞き、私ははっと我に返りました。そして、途端に滝のような汗が噴出してきて、バクバクと煩い心臓にくらくらしながら、腰を抜かしてしまったのでした。
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私は岩に腰掛けながら、それが現実だという証拠をただ見ていました。
頭が真っ白なのに、咄嗟に体が動いた。無意識のうちになかば本能でやっていたそれは、日本にいた頃に鶏を頂いていたときにやっていたことと変わりませんでした。
なのに、どうして震えが止まらなくなるのでしょう?答えは簡単に出ます。自分が狩られる側になる可能性が高いからです。
命の遣り取りをするということは、相手の命を奪うこと。それ以上に、自分の命が危機にさらされているということだと思います。一度命の遣り取りが発生すれば、相手を殺さない限り、自分の命は保障されません。モンスターは、人間に蹂躙される弱者ではないのですから。
生抜くためには、勝たなければならないということ。それは、これから幾重にも渡り、命を殺める事に他なりません。
多くの命を踏み台にし、糧として生きていかなければいかないこと。それは当たり前のことではあるのに、こうして現実をつきつけられると躊躇いが生まれてしまうのです。
「うじうじしてる暇なんてないか!」
「ぴるるる?」
半時ほど考え込んでいたでしょうか。考えれば考えるほど思考は無限ループしてしまい、まだ答えなんて出ていませんが、もともと出るようなものではないはずです。いっそ考えないほうがいいこともあると思いますしね。え?べ、別に考えるのが苦手だとか億劫になったとかではないですよ?
こうしているうちにまたモンスターに襲われたりしたら仕方ありませんし、今はとにかく歩かないといけません。私はルンバたんを抱き上げて先を急ぐことにしました。
ちなみに、ルンバたんを抱き上げて歩いていたら、手に付いた血痕が綺麗に消えてました。いや、うん、確かに汚れではあったんですけど、まさかお掃除の対象になるとは思いませんでした。
流石に繊維にしみこんでしまった服の汚れは取れなかったみたいですけど、もし取れていたら、色々と隠蔽工作とかに使われそうで怖いと感じてしまった私は悪くないと思います。
朝になったら閑話を投稿予定です。