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2.


道端で屈強そうな体躯の男性がゴミ拾いをしている。その隣ではやや屈強そうな体躯の男性がゴミ拾いをしている。そのまた隣では遥かに屈強そうな体躯の男性がゴミ拾いをしていた。

彼等は一様に疲れた顔をしていて、道を歩く私に一瞬目を向ける事もあるが、隣の彼の姿を視認するとすぐにゴミ拾いに戻る。

私の家のある居住区から工場の立ち並ぶ工業区までの道で、こんな光景を毎日何度も目にする。私も警戒は解いていないつもりだが、どこか慣れてしまってもいる。

もっとも、屈強な体躯の男性のしている事はゴミ拾いであったり建物の掃除であったり商売であったり物乞いだったり殴り合いだったり自殺であったり快晴祈願であったりと日と場所によって様々だったりもするのだが。

ともかく、隣にいる幼馴染はそんな彼等から私を守る役割を自ら担っているのだ。自ら担っているように演じさせられているのだ。そして、その役割以外にも彼が持っているものが一つある。


「タツヤ」

「ん、なんだ?」


彼、幼馴染には名前がある。

世界に多く増えた『ひと』だが、その多くには名前が無い。私が知ろうとしないだけというのもあるが、知る機会に恵まれてもなお、彼等は名前を持たなかった。

例えば勤め先での自己紹介の時だ。私が名乗った後、部長がこう言った。


「どうも、ウツミさん。ここの部長の部長です。よろしく」


自己紹介という場でありながら、部長は間違いなくこう言った。そして実際、私が部長を部長としか呼ばなくても不都合はなく、他の皆も部長を部長としか呼んでいなかった。

つまりそういうものなのだろう。その一方で、ごく僅かだが名前のある『ひと』も存在した。

この幼馴染――タツヤも、そんなごく僅かの名前のある『ひと』の一人だった。すなわち特例。この世界における特別という事だ。

とはいえ、私にとって特別という訳ではない。私にとってユメ以外は全て等しくどうでもいい。が、それでも無条件に守ってもらっている側なので無言でいるのは少々気まずく、言葉を捜す。


「……今日もいい天気ね」

「無理して話題を引っ張り出さなくていいんだぞ。おれは慣れてる」

「……そう」

「幼馴染だからな」

「私は覚えてないけれど」

「知ってるし、それで構わないさ」


そういうものかしら、と疑問には思うが、本人がそう言うのだからそれを言葉には出来ない。

きっとタツヤはそれでいいように頭の中が出来ている『ひと』なのだろう。なら私はその頭の中を尊重しようと思う。頭の中の事に口や手を出されるのは誰だって嫌なはずだ。

たとえそれが管理者によって作られた『ひと』であっても。


*


「――じゃ、また帰りに」

「ええ」


長くもなく短くもない現実的な沈黙の時間を経て職場へ辿り着いた私達は、いつも通り言葉少なに別れた。

この街の中心部付近に位置する工業区、そこに立ち並んで黒煙を巻き上げる工場群の中の一つが私達の職場だ。私は作業員として、タツヤは警備員としてそこに勤めている。そしてそれなりに恵まれた給料を貰っている。

この工場に勤めているせいでユメと一緒に居られる時間が短くなっているとも言えるが、給料を貰う事でユメを支えている実感も得られるため、私の中ではイーブンだ。

他所で働けばこのバランスは大きく崩れ、マイナスになってしまうだろう。具体的には給料が減る上に労働環境が悪くなる。

そう、この工場は給料の件もだがそれ以外にも単純に労働環境が良い。

あくまで私にとってのみの話だが。


「あ、ウツミさん、おはようございます」

「おはよう、新人」


作業場に着くと、名前のないひとである新人が既に居た。いつも通りの光景だ。新人だからいつも早く来ているのだろう。その意気込みは褒めるべき所なのかもしれないが、教育係は他に居た筈なので私が褒める必要は無いと判断する。

というか本音を言うとユメ以外を褒めても私が楽しくないから嫌だ。


「今日の仕事は何か聞いてる?」


褒めるつもりも無ければ仲良くするつもりも無いが、仕事は仕事だ。情報の共有は必要だろう。


「ええと、昨日ひたすら割りまくった瓶を今日はひたすら溶かすとか」

「そう、ありがと」

「いえ。あっ、あの、教育係さん見てません?」


そういえば教育係は教育係という呼び名だったっけ? あれ、それなら新人が入る前は何て呼ばれてたんだっけ?

……ああ、いや、違う。新人も教育係も同時に『配置』されたんだ、前も後も存在するはずがないんだ。

そうだ、あの日、部長のあの自己紹介を聞いた後に、彼等の姿も見たんだった。らしくない天然ボケをやらかしてしまった、しっかりしないと。


「……あのー……?」

「……もうすぐ始業だし、もう来るでしょ」

「あ、はい、そうですね……」


実際のところ教育係はその後すぐに来て、私から離れるように新人を引っ張っていった。

これも、いつも通りの光景だ。


*


「今日は火を使うんだ、気をつけろよ」


全員が出勤し、仕事が本格的に始まる直前、上司である係長が私に言った。

特に異論は無いので頷いたが、係長のその後ろで教育係が怯えたような表情をしているのも目に入ってしまう。


「ちょ、係長、ちょっと」

「あん?」

「あまりアイツに強く当たらないでくださいってば!」


係長の手を引き、私から遠ざけながら小声で言っている。

生憎、普通に私に聞こえてしまっているが。私の耳がいいのか、教育係の声が大きいのか、どちらだろうか。どうでもいいか。


「気をつけろって言っただけだろ、何が悪い」

「アイツは社長のお気に入りですよ!? 知ってるでしょう!?」

「だったら尚更気をつけてもらうべきだろ。社長だってそう言うはずだ」

「社長が言うなら俺達が言う必要ないじゃないっすか! 君子危うきに近寄らず、ですよ!」

「危うき、ねぇ……」


二人の会話は丸聞こえだが、聞いていないフリをすべき場面なのだろうというのは心得ている。

彼等に背を向けて視線を彷徨わせていると、工場に不釣合いな小奇麗な格好をした女性が一人うろついているのに気付いた。

それが誰かは皆知っている。私もよく知っている。見つかると面倒なのでこの場を離れたくなったが、後ろではまだ言い合いが続いている。動くに動けない。

まあ、そもそもこの工場に女の作業員は私一人なので、どうせすぐ見つかってしまうのだろうけど。


「ごきげんよう、ウツミさん」


ほら見つかった。


「……ごきげんよう社長。今日も飽きずに見回りですか、社員思いの暇人上司ですね」

「社長は社員の安全を守るのが仕事なのです。特にウツミさん、貴女みたいなのをね」

「私ほど従順な社員もいないと思いますけど」

「だったら社長命令には従いなさい。私の事は名前で呼び、敬語も止める事。なんで毎朝言わせるのよ」

「……立場ってものがあるでしょ、ノゾミ」


他の社員がこんな口の利き方をしたらその人は作業中の事故でお亡くなりになるだろう。

それを相手から求められるという意味では、確かに私はこの社長に好かれているのかもしれない。

だが……


「立場? 私が社長で、貴女は社員。その肩書き以外に何が必要だって言うの? 私に逆らえる人はこの工場の中に存在しないわ」

「お山の女王様ね」

「貴女だって、他に行く場所はないでしょう? 大人しく社長命令は聞いておくべきよ。あと今日の作業でも不様な怪我などしないように。社長たる私の手を煩わせないように」

「はいはい」


だが彼女――ノゾミはこのように絵に描いたような傲慢さを持つお嬢様だ。言葉遣いこそ安定しないものの、実際に金も権力もある支配者階級だ。

偏見かもしれないが、そんな支配者階級の人が誰かを気に入る理由など、玩具としてくらいしか思いつかない。他の可能性は私には分からない。タツヤと違ってノゾミは何も言わない。もちろん管理者も何も言わない。

つまり、管理者にどんな役割と性格を与えられてノゾミがここに配置されているのかがわからないのだ。今のところ露骨な悪意は見えないが、それでも距離を測りかねている。

数少ない名前のある『ひと』であり、タツヤと違って女性でもあるのだが、そういう理由からあまり長く深く話したい相手ではなかった。

とはいえ、周囲から見れば私は社長に気に入られているように見え、またその事実が私をこの工場の中で不可侵の存在としており、私自身が助かっているのも事実。つまるところ結果だけ見ればノゾミもタツヤと同様、私に安全を提供してくれている存在なのだ。

そういう意味で、この工場は労働環境が良いと言える。

ここは未だ理想の世界だ。


*


昨日一日かけて割った大量の、本当に気が遠くなるほど大量のガラス瓶の欠片を、ゆっくり慎重に溶鉱炉に運び、放り込む。

それを延々と、気が遠くなるほど繰り返す。隣でノゾミが見守る中で、何度も何度も。

途中で昼食を挟みこそしたが、今日の仕事はそれだけだった。明日はまた瓶の形にでも戻すのだろうか。


「お疲れ様。はいウツミさん、今日の給金よ」

「……ありがとう」

「上司に対してはいつもそう素直であってほしいものですけれどね。さて、次は男共の分か」


丁寧に両手で渡してくれた私の時とは違い、他の人達には投げるように給料袋を配っている。

ハッキリ言ってこの工場での男性の扱いは悪い。いや、他所の職場も私が知らないだけで内情は大差ない可能性が高い。通勤時に見かけた男性達の疲れた顔が思い出される。間違いなくこの世界での男性の扱いは良くはない。

ここは給料が優れているだけマシだ、とタツヤが言っていたからその通りなのだろう。管理者の男嫌いを知っている私からしても疑う余地は無い。

管理者自身は何とも思っていないのだろう。男嫌いな自分が世界をそう作り上げ、その上で男性を配置したのだから。私としては同情しない事もないが、それだけだ。ユメ以外の人なんてどうでもいい。

だが、彼等にも個性がある。彼等に興味の無い私でもわかる程度には個性がある。管理者が作り上げたモノなのだとしても、彼等は区別出来る程度には個性的だ。

言ってしまえば人間味があるのだ。部長も係長も教育係も新人も。その役職に準じた薄っぺらい人間性に過ぎない気もするが、それでも確かにあるのだ。

名前のある『ひと』の例ならもっとわかりやすい。タツヤには気まずさを感じ、ノゾミには距離を測りかねる程度には、彼等には人間味があるのだ。

それだけは認めている。どうでもいい存在ではあるが認めている。個性のある存在である事を認めている。管理者が適当に作った人間味なのだとしても認めている。

あくまで認めるだけで、だから何だという事は無いけれど。



3.


この世界をゲームで例えるならば、名前のない『ひと』は村人のような存在で、名前のあるタツヤやノゾミはキーパーソン、あるいはパーティーメンバーなのだろう。主人公の私から見て。

言うまでもなくユメはヒロイン。私を導き、私を信じ、いついかなる時も私の味方である存在。

そして、ゲームなら必ずその世界には最終的に倒すべき存在がいる。いや、倒すとは限らないけど、ほどよく相容れない存在が常にいるもののはずだ。

この世界では、その存在は毎日必ず私の夢の中に現れる。仕事を終え、ユメの待つ家に帰って暖かい時間を過ごし、目を閉じることで意図的に一日を終わらせた後に、私はその子に会う。

この世界の管理者に。


「――おやすみなさいましておはようございます、姉さん」

「……毎回その変な挨拶はやめてくれないかしらって言ってるわよね、ミノリ」


以前の世界の事は覚えていない私だが、この子の事は顔を見た瞬間に思い出した。私と同じ顔をしていたからだ。

この子は私の双子の妹、ミノリ。そしてこの世界の管理者。

つまり、『ひと』を配置して私とユメの二人きりの世界を崩した張本人。

……なのだが、私はこの子にあまり露骨な悪意や敵意を向けられずにいる。恐らく、ここが未だに理想の世界だからだろう。


「今日はいい一日でしたか? 今日も優しく美しい世界でしたか?」

「そうね、あなたにさえ会わなければいい一日で終われたはずよ」


露骨な悪意や敵意は向けれずとも、嫌味くらいは言いたくもなる。


「姉さんが私を好いてくれればそれも解決するんですけどね」

「最初から期待してないでしょう?」

「姉さんの方こそ、私が会いに来なくなるわけがないとわかっているでしょう? 余程忙しくない限りは来ますよ」


嫌味を言えば嫌味を返される。とても近くで。

以前の世界でもそうだった。この子はいつも私の近くにいた。私と張り合う為に。

でも確か、私にはその理由が全くわからないままだった気がする。


「どうしてそんなに私に絡むの」

「いつも言ってるでしょう? 姉さんが私より優れているからだ、と」

「そんな記憶が無いから困ってるのよ」

「そうですね、実際、勉強も運動も、私は努力して姉さんを超えてきましたから」


そうだ。実際、全てにおいてミノリのほうが出来が良かったはずだ、以前の世界では。

この子は天才だった。何もかもをそつなくこなし、誰からも愛される恵まれた子だったはずだ。


「……そして今、この世界の管理者として私の上にいる。なら、もういいでしょ?」

「まだです。管理者になった程度では、まだ姉さんに勝った実感がありません」

「実感って……現状でダメなら私はどうすればいいのよ」

「さあ? まぁ、何か思いついたら言いますね」

「そう」


この世界の他の『ひと』とは違い、ミノリはユメとの世界を壊した張本人でこそあれ、以前の世界から続く深い関わりのある唯一の人間だ。

だからだろうか、ユメの次に話は弾む。楽しくは無いが話は弾む。性格的にもほどよく相容れない相手だが話だけは弾む。

二人きりの世界を壊した、性格的にもほどよく相容れない管理者という立場の相手と話を弾ませる理由など本来なら無い。実際、最初の内は弾ませないようにしていた。だが、ある事実に気付いてからは変わっていった。

ミノリが壊したと思っていた、ユメと二人きりの世界。それが未だ存在するという事実に。

その世界は、私の家の中という限られた場の中にあった。ミノリが管理者として手を加える以前から存在した私の家の中だけは、この子の手が届かないのだ。

そして、偶然の産物ではあるがユメは男性を苦手としており、私の家からは出ていない。管理者の目が届く『外』には出ていない。

つまり、私が最も守りたいユメと、そして二人きりの世界は、ミノリに気づかれることなく未だ存在している。

……この事実に気付くまでは、ミノリとの会話は腹の探り合いだった。今はユメの事さえ隠し通せれば他はどうでもいいため、多少は話も弾もうというもの。以前の世界から関わりのある対等な人間という、それだけの理由で。

そして恐らく、そういう風に対等な関係と見ているのは私だけではなくミノリも同様なのだろう。彼女は時に着飾らない直球な言葉を吐く。


「ところで、どうですか、この世界は。私の世界は。過ごしやすいですか?」

「まあまあかしら」

「不満点もあるでしょうけど、でも以前の世界よりは良いでしょう?」

「それはそうね。覚えてないけど」


覚えてはいないが、その事に対する後ろめたさ、後悔等は一切ない。

この世界を選んだ原因さえも覚えていないが、どうとも思わない。今は充分満たされている。


「覚えてないのに良いと言い切れるのも面白い話ですけどね。言いたい事はわかりますけど。この程度なら姉さんの思考もトレース出来る気がします」

「トレース、ね……それがミノリの望みなの?」

「自分でもそれはわかりません。ただ、姉さんの頭の中を覗いてみたいとはずっと思っています。向こうの世界にいた時からずっと」

「ゾッとするんだけど」

「外科手術をするって意味じゃないですよ」

「そうじゃなくても、よ」

「そういうものですか」


ミノリがあまり納得のいってなさそうな顔で曖昧に頷く。その少し後に周囲の視界がボヤけ始めた。

それは夢の終わりの合図。今までも同様に話のキリのいい所で世界が輪郭を失い始めた。

話が翌日に持ち越されたことは無い。その事は夢を覚えているタイプの私にとっては消化不良感を感じなくて良いのだが……


「じゃあ姉さん、おやすみなさい。朝ですよ、おはようございます」


……ほどよく相容れない相手と取り留めのない話をするだけ、という夢の内容自体がそもそも良いものだとは言えないため、結局は嫌な夢なのだ。


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