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0.
最初は私が作り上げた世界だと思っていた。
私とあの子だけの二人しかいない完璧な世界。
二人だけで全てが終わる完成したはじまりの世界。
ここはそういう場所。
そう思っていた。
でも、そうじゃなかった。
いつのまにか世界には『ひと』が増え、幼馴染が出来、勤め先には上司が居て、挙句の果てにはこの世界の管理者と名乗る奴にも会った。
私の想像とは違い、ここは私が創造した世界ではなかった。
それでも、ここが未だ理想の世界である事には違いは無いのだが。
1.
「――ただいま」
開き戸の玄関をくぐり、靴を脱ぎ、マスクを外しながら声をかける。
やはり自宅は安心する。清浄で暖かい空気は何物にも代え難い。汚れきっている『外』での疲れを癒してくれるのはここだけだ。
空気の暖かさに反して少しだけ冷たい板敷きの廊下を歩きながら、改めて思う。
手放したくない。この家も、この世界も、そして眼前の扉を開けた先でいつも笑顔で待っていてくれる、あの子の事も。
「おかえり、ウツミ」
「……ただいま、ユメ」
いや、逆か。この子が――ユメがいるから、この家もこの世界も私にとって価値を持つ。
この子で無ければ、他の全てが同じだったとしても全ては価値を持たない。確信がある。
たとえ今と同じように暖かい空気と温かい食事が待っていようとも、ユメのあたたかい笑顔が無ければその世界に愛着は持てない。
私が作った世界なら早々にリセットだ。誰かの作った世界なら早々にログアウトだ。
だから、私は彼女にこう言うのだ。
「……ユメがいてよかった」
「急にどうしたの? お仕事疲れた?」
「ううん。私が毎日いつも思ってる事よ」
私の事だけを待っててくれる彼女に感謝しない訳が無い。
私と同じ世界を選んでくれた彼女に感謝しない訳が無い。
私と共に以前の世界を捨てた彼女に感謝しない訳が無い。
「私も、ウツミがいてくれてよかったっていっつも思ってるよ」
「ありがとう。でもね」
でも。
でも、この世界はそうシンプルではなかった。私達二人だけで完結するものではなかった。故に私はユメを守らないといけない。この家の外に居る、私達以外のものから守らないといけない。
そもそも最初からこの世界では『外』は常に薄暗く、汚かった。街中にある工場が常に黒煙を撒き散らしているため空気が悪く、空はその煙で覆われ日光が届かない。
常にマスクが手放せず、もし雨でも降ろうものなら誰も出歩きたがらない。そんな『外』だ。私の心の中のように暗く淀んだ景色だ。だから元々ユメを外に出すつもりはなかった。
だがある日、それに加えて『ひと』が増えた。私とユメ以外の人が。世界に現実味というくだらない色をつける為だけに存在し、何を考えているか分からないお飾りの人形が。
彼等を配置したのはこの世界の本当の管理者だった。私ではないあの子だった。彼等をどうにかする事は私には出来ない。だから、私は彼女にこう言うのだ。
「何度も言うけど、外にだけは出ちゃダメよ。私の事を大切に想ってくれて、心配してくれるのは嬉しいけど、私のいる外には出てきちゃダメ」
「……うん。男の人がいるんでしょ? 怖いから出ないよ。大丈夫」
「うん、いい子ね」
この子は男性の事を恐れている。以前の世界の男性がどうだったかは覚えていないが、この世界の男性相手なら恐れてもおかしくはないかもしれない、とは思う。
そう思ってもおかしくない程度には、この世界の男性は切羽詰まった生き方を強いられている。恐らくは配置した人の趣味なのだろう、可哀想に。
と、そんな風に私は彼等に同情はするが、私達の身の安全とそれとは別問題だ。私自身はともかく、目の届かない所でユメを危険な目に遭わせる訳にはいかない。
そういう意味では、ユメが男性を苦手としていて『外』には男性が溢れている、そんな今の状況は皮肉にも都合がいいとも言えた。
ここは未だ理想の世界だ。
「……ご飯食べようか」
「うん。今日も自信作だからね!」
「自信があってもなくても、いつもユメのご飯は美味しいけどね。いただきます」
「いただきまーす」
夕食を採り、入浴を済ませ、ほどよい時間になるまでユメと語り明かし、一緒にベッドに入って眠る。
そんな夜を過ごし、眠る寸前に今日も幸せだったと思えるのだから、ここは理想の世界なのだ。
……まあ、眠りに落ちたら嫌な夢を見るのだが。
朝も朝で、ユメの作ってくれた朝食を採り、寝巻きから着替えて身だしなみを整え出勤する。
仕事が楽しいとは言わないが、現状ではユメと共に生きる為に必要であり、彼女が送り出してくれる事以上の朝の幸せも私には想像できないため、これでいいのだろう。
「マスクと傘と、仕事道具……うん、大丈夫」
「携帯電話は?」
「あるわ。ユメの作ってくれたお弁当もね」
「よかった。早く帰ってきてね」
「もちろん。じゃあ、行ってきます」
「いってらっしゃーい」
ユメの声を背に、開き戸の玄関をくぐり、後ろ手に閉める。
数歩進むと、私の視界に一人の男性の姿が映る。私より少し背の高い、紺色の堅苦しい制服を着た警備員だ。私と目が合うと、彼はいつも通り軽く手を挙げて挨拶してくる。
「よう」
彼は私の幼馴染らしい。以前の世界からの幼馴染だ、と彼は言ったが、要はそういう設定なのだろう。
もしかしたら以前の世界に幼馴染はいたのかもしれないが、覚えていない。
幼馴染の事に限らず、私は以前の世界の事をほとんど覚えていない。もっとも、それで何か不自由があったという訳でもない。元々覚えておく必要すら無かったのだろう。
私にとって、この世界にユメさえいれば他はどうでもいい。目の前の男性が幼馴染だと言い張るのなら、特に反論もせず受け入れるだけだ。
彼もまた、管理者によってそういう設定の役を演じさせられているだけなのだから。
「一緒に行こうぜ、工場まで」
「そうね」
ならばせめて、それを何事も無く演じ切らせてあげるのが一番いいのではないだろうか。
それが誰にとってなのかはわからないが、きっと大した問題ではないのだ。