7 夏祭り、仮ギタリストの彼女
この前に一章分程度のデータ損失がありました。P子さんが出入りするようになった辺りの記述だったような。
『はいこんにちは。タイセイさんどしたの?』
などとHISAKAの家へかけて電話口で言うのはMAVO嬢くらいなものである。
「やあ元気?HISAKAいる?」
『```````````今日は留守… あたし一人だけど』
「…じゃあまあ、伝えといて。今度の週末、夏の大打ち上げするから、PH7、出席するかどーか知らせてって」
『はーい』
タイセイは受話器を下ろす。実にコンパクトな会話である。
「オキシドール7」では「夏祭り」と「カウントダウン・パーティ」に関しては後で大打ち上げをすることにしている。それは店長がこの店を開いてからずっと続いている「季節の行事」だった。
「夏祭り」や「カウントダウン」に出た全バンドに一応召集をかける。オキシのフロアか、入らなければ他の所でやることになっているが、最近できた上の店がなかなか広いのでそちらを使おうか、ととも考えられている。
まず不参加のバンドはない。メリットは三つある。一つは他バンドとのコミュニケート。二つ目はそこへ顔を出す業界の人間… レコード会社から派遣されてきた奴、音楽ライター、プロダクションの人等々と話をするチャンス。そして三つ目は、何と言っても「安く飲み食いができる」。これが最大のメリットだった。
だいたいにおいて、ロックバンドなぞやっている者は貧乏である。HISAKAは例外である。某バンドのベーシストの名言「バックがついてなくて全国回れるのは親に金出してもらっているか、おねーちゃんにたかっているかですよ」。
そういう状態だからロッカーにはそうそう肥満な奴はいないのだ、という説もある。不摂生な生活も含めて、恰好以前に栄養が行き渡らないのだ、と。
…まあほぼ全バンドが出席するとは今回の幹事であるタイセイも思っている。ので、大抵のバンドには日時しか言わない。
…のだが、その一般的な定義にPH7は当てはまらないので彼女達にだけは聞こうと思ったのである。
彼は先輩にはああは言ったが、実は結構今の電話の相手を気にいっていた。声もそうだが、言葉や行動の端々に、奇妙にほっとけない所があるのだ。
だが絶対に手を出すまい、と決めていたのも事実である。彼はまだ死にたくなかった。
*
「…あ、そーか。そういうのあるって言ってたものねえ」
「どーすんの? ハルさん」
「ん? 出るよ」
「みんなで?」
「…そーだな…」
HISAKAはどうしたものかな、と考える。
「MAVOちゃん出たい?」
「ん? 面白そうだし」
「…そおねえ… みんなで行こーか。P子さんも一緒に」
「P子さんも?」
「まあ今んところ、正式ではないにしろうちのメンバーだし」
「あ、良かった」
あっさりとMAVOは言い… そしてHISAKAの顔を見てつぶやく。
「…どしたのハルさん、廊下でいきなりペンギンでも見たような顔になっちゃって」
「…あれ、そんな顔してる?」
「してる」
「…あれ?」
そしてHISAKAは本気で首をひねりだした。不可解な感情が時々やってくるのだ。
「MAVOちゃんP子さんって好き?」
「すき。だってすごく居心地いいんだもの」
「居心地、ねえ。楽?」
「…うーん… 何って言うんだろ…」
MAVOは考え始める。どこがどうこう、というのではない類のものではないのである。
「あのさあ、例えばあたしが一人でTV見てたとするでしょ? もしかしたら、すごく面白い番組で、涙流して笑ってたり、顔崩しまくったり、笑いすぎでお腹いたくなってたりするような時あるじゃない」
「うん、あるね」
MAVOは一度笑い始めるとそう簡単には止まらない。それはよく知っている。
「うちのひと達ならともかく… まずたいてい『あんた大丈夫?』とか言いたくなるんじゃない?」
「ま、そりゃそーだ」
確かにそう自分も言ったことがある。
「でもP子さんは何か『あ、そんなに面白いんですか』で全てをおわさせてしまうような気がするんだもの」
「…なるほど」
つまり、その動じなさが「気楽」だと。HISAKAはそう解釈した。言う人によってはその台詞は嫌みでもある。ところが彼女の場合、それがただの事実の確認にしか聞こえないところがミソなのだ。
まあ確かにそうだよな、とHISAKAも思う。TEARも似たことを言っていた。
「何かさあ、強いなあ、と思うわけよ」
何が、とHISAKAはその時TEARに訊ねた。すると彼女はこう答えた。
「どんな事実でも事実として受けとめるのって、簡単そうに見えて強いじゃねえ? 全然逃避してないってことだし」
なるほど、とHISAKAもその時思ったのだ。ただHISAKA自身は彼女達が言うほどその部分を感じてはいなかった。
当然である。自分にとっても当たり前なことなど、いちいち珍しがって感じたりはしないのだ。人に言われてようやく気がつく。
結局HISAKAは自分自身のことをほとんど知らないのである。
「何かさあ、あたし達が何であろうと平気な気がする」
「あたし達?」
「だってあたし達」
MAVOはそこで口をつぐんだ。
「何?」
「何でもない」
「…何でもないじゃないわよ」
「何でもないってば」
「こんにちはあ」
タイミングよく、「は」にアクセントを置いて、当の話の本人がやってきた。
MAVOは露骨に安堵と判るため息をついた。HISAKAは軽く表情を固くする。
MAVOが何を言いかけたのか、HISAKAとて判らなくはない。TEARは平気だったが、果たしてP子さんも平気だろうか。いくら現実をあるがままに肯定する人でも、価値観が違うものに対してそうそう寛大でいられるだろうか。
コトの善し悪しや原因はともかくとして、自分達のしていることは実に少数派の関係である。
TEARがカルチャーショックを受けなかったことが妙なのだ。あのマリコさんだって、平静を装ってはいたが、しばらく動揺していたのはHISAKAも知っている。彼女はしばらくその事態には目をつぶって、彼女の調べなくてはならないことに非常に精を出していた。おかげでその後の行動方針がかなり早く決まったことも事実だが。マリコさんとて「ある程度」「とりあえず」は逃避するのだ。
だがそれこそTEARの言ったことではないが、現実は現実なのであって、肯定しないことには次の事態が始まらないのだ。そういう人でないと、このバンドでやっていくことはできないだろう。これからどんどんとんでもない「現実」が待ち受けているのだから。
少なくともHISAKAの頭の中の未来のヴィジョンは波乱万丈であった。
「早かったねっP子さん」
「うんまあ。特に用事もなかったし」
「今度オキシで飲み会があるんだって。たくさんバンドが来るって」
「…へえ… そりゃそりゃ」
微かにP子さんの頬がゆるんだ。
「P子さんも行くでしょ?」
「ワタシもいいんですかね?」
「無論いいわよ。P子さんアルコール大丈夫?」
「ワタシですか?」
鳩に豆鉄砲、な表情でP子さんはHISAKAを見た。
「駄目?」
「…いや、そういうこと聞かれるとは思ってもみなかったですからね」
「あ、強いんだ」
「強いって程ではないですがね」
「なら良かった」
HISAKAもにっこりとしてみせる。
*
当日。オキシドールの上の居酒屋「大陸道」を借り切って打ち上げが始まった。まあ普通はライヴのすぐ後にするのだが、何しろ三日間もので、しかも全バンドに召集かけるのだから、別の日がいいのだ。
幹事のタイセイは実に朝から走り回っていた。
「先輩も来て下さいよ」
前日彼はナカタジマにも召集をかけておいた。全く忙しくない、と言ったら嘘になるが、この「先輩」はこの「後輩」に妙に逆らえないのだ。
始まったのは夜七時だった。六時くらいからぼつぼつと、召集かけたバンドのメンバーが集まってくる。あるバンドは全員揃ってくるし、あるバンドはバンドの中の何人、ということもあったし、また全員来るのは来るのだが、全くばらばらにやってくることもある。
メジャーデビウ近いバンドはやはりやや小綺麗な恰好になっている。やや収入が入るようになったのだろう。だが私服なので、結構誰が誰だか判らない場合も多い。
「よーTEARお久」
「何今度このバンドだってぇ?」
PH7のメンバーは、弦楽器隊とそれ以外が別れて行った。TEARがP子さんを誘った形である。
開会まであと十分、程度の時間に彼女達は会場についた。まだHISAKAとMAVOは来てなかった。珍しいな、とTEARは思う。HISAKAは時間には几帳面だった。
TEARは案外付き合いが広い。と、いうのも彼女がなかなかバンド遍歴が長いせいでもあるのだが、それよりまず、彼女を覚えている人が多いのだ。派手ででかくて上手い女のベーシスト。こんな奴滅多にいない。
一方のP子さんも、案外顔を知られていた。最も彼女の場合、その相手に「誰でしたっけねえ」と言う場合も多いのだが。それでも特に悪い印象を周囲に与えない所にP子さんの人柄は出てくるのだが。
「『RIOT』解散したときはちょっと残念だったよ」
とラ・ヴィアン・ローズのギターのタカヤマが言った。
「まあ仕方ないですよ」
「結構骨のある音だったし」
「うーん…」
ラ・ヴィアン・ローズは「オキシドール7」から人気の出たバンドだった。音は結構暗めで、メンバー全員黒っぽい衣装にやや濃いめのメイクをしている。髪も黒いままで、色は抜いてもつけてもいない。ただだらだらと長かった。タカヤマはそのゆるゆるとウェーヴのかかった長い黒い髪を首の後ろにバンダナで結んでいた。
顔は、メイクを落としてしまえば非常にさっぱりした好青年なんだが、メイクをすると実におどろおどろしくなる、といった彫りは結構深いタイプである。
「おーっすTEAR」
「よおアッシュ」
やはりラヴィアンのベーシストのアッシュがTEARに声と手をかけた。肩に置かれた手をTEARはさりげなーく払いながら声を返す。
「あれ、知り合いですか?」
「まあね。結構ベーシストはベーシストのネットワークがあるのだよん」
アッシュはラヴィアンの中で、ステージで一番狂気的なパフォーマンスをするベーシストである。ヴォーカリストはあまりそういったパフォはしない。五人のメンバー中弦楽器隊三人がその役割を引き受けている形になっている。
とはいえ、それが日常の性格と必ずしも比例する訳ではない。隙あらばTEARに迫ろうとしているベーシストはなかなか現実的にいい根性をしていた。
「で、この人新しいメンバー?」
「まだ返事は聞いてないんだけどさ」
どお? とTEARはP子さんの方を見る。P子さんは笑って答えない。あれ、とTEARは思う。こういうはぐらかし方は何処かで見たことがあった。
「? どうしたんですか?」
P子さんは急にやや真面目な顔になった同僚に訊ねる。
「あ、いや」
何でもない、と言おうとしたとき、集合の号令がかかった。会場の真ん中に「今回の幹事」がマイクを持っている。時計が七時を指している。
ざわめきが止む。TEARとP子さんも真ん中に注目する。
「えー今年も夏祭り、無事に終わりましたことを非常に喜ばしく思います。盛大に、とまでは言いませんが、楽しくやってください」
ぱちぱちぱち、と拍手が飛ぶ。これで呑むのが解禁、ということで、周囲からうぉーっ、と野太い声やしゃがれ声が飛んだ。
「では近くのコップを取って下さい」
近くのコップ、近くのコップ…そう思いながらTEARがテーブルを見渡していると、はい、とP子さんの声がした。既に紙コップにはビールが注がれていた。
「…早いね…」
「酒ですからねえ」
何となくまた既視感があった。
「それでは」
乾杯、とタイセイの号令で皆高々と手を上げた。
遅かったじゃん、とTEARが言うほど、HISAKAとMAVOは遅れてきた。
「ごめんねー、ちょっと用があって」
「いいけどさ、皆待ってたようだよ」
とタイセイはラヴィアンやその他色々なバンドのベーシストやギタリストと一緒になって騒ぎながら呑んでいるTEARと、その近くで黙々と呑んでいるP子さんを指した。
「それにしても今日は地味だねMAVOちゃん」
大きめの、深い赤の長袖厚手Tシャツに緩めのコットンパンツ。そのTシャツの長すぎてふわふわする袖を手首の腕輪で止めている。やや大きめにくった首回りにはプレートペンダントが一つ。
「そーですか?」
「いつものも似合うけど今日のも可愛い」
「冗談はよしこさん」
ひらひらとMAVOは手を振る。くすくすとタイセイは笑う。
HISAKAはタイセイがどうMAVOにちょっかい出そうと特に気にしてはいなかった。MAVOの方が全く気にもかけていないことを知っていたからだ。
タイセイはなかなか読めない男ではある。だが自分から彼女を取ってどうこうしよう、なんて無謀なことを考える奴ではないことだけは確信していた。そんな危ない橋を渡る奴でも、そういうことに情熱をかける奴でもない。だから安全区域なのである。
「おいHISAKAっ! ほらほらいつまでも立ち話してないでーっ!」
TEARはもう既に酔っているらしく、絡みつかれそうになる手はいちいちひっぱたきながらも、豪快な声で友人を呼びつける。
「おやーっまた今日非常に綺麗で」
「そりゃどうも」
あーまた笑顔で威嚇しているなあ。横でMAVOはそう思う。何だかんだで、これで彼女に不心得なことをしようとする奴は消えるのだ。
HISAKAはたいていこういう席では薄化粧していく。そうすると迫力が増す、というTEARの意見に従ったのだが、確かにその効果は絶大だったようである。綺麗すぎて、手が出せないのだ。「近寄りがたい」存在になってしまうのである。
TEARはもう少し周囲には親しみやすい雰囲気を持っていたが、何しろ手が早い。下手に手を出して彼女の大きな胸だのいい形の腰だの故意的に触ったりしたら、その瞬間力一杯殴られ蹴られることを覚悟しなくてはならない。それがそれまでの彼女のバンド遍歴の中で噂だの事実だので周囲に広まっているから、これはまたこれでTEARに皆手は出さないのだ。
ではMAVOは、というと。
ステージメイクを落とせばただの女の子、というギャップを知っているのは周囲の人間くらいだから、その周囲以外は彼女のイメージで判断して手を出せない。周囲は周囲で、HISAKAがずっと彼女を守っているのを知っているから更に手を出せない。それに最近はTEARまでその傾向にあるのだ。そんなことすれば彼女達との友人関係すら無くしてしまうことを皆知っている。
さてではP子さんはどうだろう、とHISAKAは見回した。P子さんは呑んでいた。実にマイペースに。HISAKAはその隣に陣取った。MAVOはその様子を見て、自分はTEAR側へ行った。
「…でこないださあ、埠頭でふと思いついてさあ、爆竹買ってきて一気にはざしてさあ…」
「…でこいつ、その時に真ん中にいたんだよっもう悲惨」
「から揚げ回してっ」
「エビチリちょーだい」
「お前一人でいかくん食うなよっ」
「こないだの女の子どした?」
「…聞くなって」
「これ甘くない…」
とりとめのない会話が時々起こる爆笑とともに流れていく。何しろ食い盛りの青少年達なので、皿の料理はどんどん減っていく。
「皿うどんの人ーっ」
幹事・兼・臨時ウェイターに扮するタイセイがまめまめしくフロアを動き回る。何しろ貸し切りで、料理の方はどんどん出るものの、ウェイターウェイトレスまでは手が回らなかったと見えて、セルフサーヴィスの世界である。
「かに爪っ! しゅうまい! 春巻っ! はいどんどん取ってーっ! おひたしはカウンターっ!」
この人天職間違えたんではなかろうか、とふとHISAKAは思う。意外なところで人は本性を見せるものである。
「呑んだ瓶はテーブルの下へ置いておいて下さいよーっ後で一気に片付けるから」
どちらかというと、各自呑んだ本数を確認しようとしているのではなかろうか。
HISAKAは大いに食べて呑んでいた。あ、珍しいとMAVOは思う。TEARはよく食べよく働きよく眠る人なりだが、HISAKAは案外食べるようで食べない。…というより、過去はそうではなかった、とMAVOは思う。自分が拾われた頃はもっと食べていたような気がする。
「はいビール。キリンとアサヒね。外国ビールとワインにフィズにブランデーの人はカウンターへ取りに行って。チューハイとビールと日本酒と梅酒は言ってちょーだい、取ってくるよ」
「う、梅酒?」
TEARはすっとんきょうな声を上げる。
「あ、あたしそれ」
「…誰が漬けとるんじゃ…」
「親父の田舎から送ってくるんだよっ。はいMAVOちゃん梅酒ね。甘味入れる?」
そしてまた身を翻した。鮮やかなものだ、とHISAKAは思う。ふと自分の隣を見ると、実に淡々と呑んでいた。ゆっくりである。だが量は結構いっているようで、彼女の足元にも瓶が幾つか転がっている。顔色一つ変えず。
「おーいアッシュが一気するって」
ラヴィアンのもう一人のギターのサラアが言う。
「俺一人かよーっ誰か付き合って」
神様お願いポーズでくるくるとアッシュは辺りを見渡す。
「んじゃ一気比べねーっ」
TEARが手を高々と上げて名乗りを上げた。
「ちょっと待てっー! TEARだめっ」
「何でよおMAVOちゃん」
「立ってみなよ」
「へ」
ぐらり。ありゃありゃありゃ、と言って彼女は椅子に座り込んだ。
「あれ?」
「…じゃあワタシがやりますかね」
HISAKAはその声が隣からしたことに一瞬気付かなかった。
「…げ… おいアッシュやめたほーがいいぜえ… 相手は『ザル』だ」
「いや、『わく』という説も…」
ラヴィアンとは仲のよいバンド・キリングフィールドのメンバーがつぶやく。
「何そのザルだのわくだのって」
TEARは隣にいたキリングのベースのナカヤに訊ねる。
「だからさあ、呑んでも呑んでも網目でこしてしまうってのがザルで」
「で?」
「その網すらねーのがわくだって」
「何じゃいそりゃ」
そんなに強そうには思えないけれど。
「ほんじゃ行きますか」
のほほんとP子さんは言った。