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5 とあるささやかな企みとこれまたささやかな抵抗

「凄く嫌」 


 そのことがあってから少しして、MAVOはTEARにそう言った。


「何だか判らないけれど、あたしのハハオヤはあたしのことがすごく嫌いだったの」

「ハハオヤ」

「嫌いは知ってけれど、殺したいくらいとは思わなかった」


 TEARは一瞬胸に釘を刺されたような感触を覚えた。心臓がどきどきする。


「思い違いじゃ」

「ない」


 MAVOは言葉をさえぎる。笑っているのか泣きたいのか、どちらとも取れる顔で。自分からリストバンドをずらして見せる。


「これはそのあと」

「あんたがやったんではなくて?」

「あたしは死にたくなんかない!」


 あ、この声だ。TEARも気付いた。HISAKAはこの声に惚れているんだ。


「絶対に、何があっても生き抜いてやるんだってあの時思った! 絶対に! これであたしが死んだりしたらあいつの思うがままじゃない! そんなのって嫌!」


 TEARはうなづいた。


「わかった」

「本当に判った?」


 念を押す。


「うん。全部とは言えないけど」


 程度の差こそあれ。

 自分の家族を思い出す。母親と自分を置いて逃げた父親。だけど大好きだった父親。母親と自分を守ってくれたけれど、どうしても家族という実感が持てなかった「母親の再婚の相手」。

 彼はまるで前の父親とは性格が反対だった。ギターを教えてくれた夢見がちな実の父親と、ロックのために家を飛び出した娘を決して許さない、現実的に全てを片付ける義父。

 義父は彼なりの方法でTEARを父親として愛してくれた。きっとその程度は実の父親と大して変わらないと思う。


 だけど彼はあたしとは幸せの価値観が違うんだ。


 それだけはどうしても変えられない、それがなくては自分はきっと死んでしまう。そう思えるのが音楽-ロックだったのに、義父はその意味が全く判らない。食える保障のないことに情熱を燃やす人々は、彼とは別世界の人間、彼には軽蔑すべき「夢ばっかり食っている」人間だったのだ。

 だから自分の娘になった少女がその「夢食い人」の一人と知った時の落胆と怒りはひどかった。

 彼は彼女の部屋で見つけたロックに関わるものを全て捨て、夜外出させないようにし、とうとう全寮制の高校へ転校させようとまでした。それはそれで、彼の思い描く「幸せな一人娘」の図に近づけようとするものだった。

 きちんと学校を出て、多少の社会勉強を兼ねた会社勤めをして、親も認めたきちんとした男と結婚して、仕事は辞めて主婦に専念する。そしてやがて子供ができて、今度はそのために延々と…

 そこにはロックの「ロ」の字どころか、音楽の「お」の字すら無かった。

 何度も考えた。社会で結構な位置を確保した義父の言う事だから、ある程度正しいのかもしれない。楽なのかもしれない。


 でも。


 寒気がした。義父の「幸せな一人娘」の図に治まった自分を想像して。そこで自分はいったい何をしている?


 学校を出る。

 会社勤め。

 親の価値観で許可される結婚。

 仕事をやめて家事。

 子供ができたら子供のために…

 …何それ。


 TEARは寒気どころか吐き気がしそうだった。

 そこには「自分のため」と「自分のしたいこと」が一つもない。

 もちろん世の中には、「好きな人と結婚していい奥さんになるの」という人も多い。

 「自分は結婚しないって人が案外いちばん早く結婚したりするのよねー」

 そんなことほざく人々もいるのも知ってる。

 それは判る。それは判るのだ。

 だけど自分は。

 どこをどう転んでも、自分の姿はその図の中には存在しないのだ。想像できないのだ。

 何故なら、そこには音楽がない。ロックがない。

 自分は一日中でもベースを弾いて過ごして居られるだろう。バンドのメンバーと次のライヴの計画を練ったり練習したりしていると自分の家など平気で何日も放っておいてしまうだろう。だから「家庭」は持てない。

 それを捨ててもいいと思わせるような相手が居れば、ロックを捨てることもあるのかもしれない。だが、「捨てろ」というような奴には近づきたくもなかった。

 自分は結局ロックが無くては生きて行けないのだ。

 それを「甘い」という人はもちろん居るだろう。そんな夢よりまず食うことだ、と。

 それは違う、とTEARは考えたあげく確信していた。

 とりあえず自分の夢はロックだ。

 それをその時現在必ずしているかいないかは問わない。「今」できなくとも、「必ず近い未来」できる/することは判っているから。だが、それを心の中から切り離され、この先未来ずっと「できない」ことにされたら、もうそこで生きる意志はなくなるだろう、と彼女は確信していた。

 義父の描く「幸せな一人娘」になったが最後、自分の精神は死んでしまうだろう、と確信していた。


 そしてTEARはそこから逃亡した。

 危険な賭けだった。

 何と言っても野郎とは違う。下手すると、音楽ところか、人生の裏街道まっしぐら、ということになりかねない。TEARだってそのくらいは予想していた。そこで、友人関係を必死で頼った。

 狭い風呂無しの部屋から始まって、金の無い生活。辛いことは辛いのだ。当初は友人何人かで共同生活もした。とにかく食わなくてはならない。でもお水系は無理。したくもない。できない。…では力仕事でも何でもしましょう。幸い女にしてはでかいし力もある。腕が太くなるって言っても仕方ないでしょう。汚れれば色気だって薄れるからその方がいい。こんな体型してるのもあたしのせいじゃない。豊満な母親の遺伝のせい。母は身体を、父は心をくれた。

 食うのがぎりぎりだって、服がほとんどなくたって、家に家具が一つもなくたって、音楽ができない訳じゃない。ベースが弾けさえすれば。

 義父はとうとう怒って「縁を切れ!」母親に叫んだという。

 悪いな、と思う。だけど絶対にTEARは引き返す気はなかった。

 後悔だけは絶対にしたくなかった。

 それだけなのだ。

 TEARはMAVOの問題と自分の問題の違いは何となく判る。だけど「家族だから」余計に裏切られた時、傷が深いのは同じだと思った。


「TEARあたし嫌い?」

「ううん」


 即答する。


「あたしまたどっかでこんな騒ぎ起こすかもしれないよ」

「そしたらあたしが止めるからいいよ」


 けっこうあたしは強いから、と付け加えて。


「TEAR」

「あたしもあんたの声には惚れたから」


 ぽろ、とまるでマンガのように涙がMAVOの目にたまった。見事に大きな玉になって、頬に落ち、伝って流れた。

 声は出さない。



「…ね、眠い…」

「寝るなーっ!眠ったら死ぬぞっ!」


とまるで雪山で遭難したような会話が繰り広げられているがもちろん雪山ではない。

 「オキシドール7」の夏祭りライヴの最終日だった。


「いーじゃんかよ… どーせ御大は最後なんだし、あと一時間…」

「駄目ーっ! お前らに友情ってものはないのかっ!」

「この点についてはないっ!」


 などと言って爆睡する者が続出する時間。夜中二時半。オールナイトライヴのラスト「第三部」直前である。

 夕方六時から十時までの「第一部」、十一時から日付を越えて二時までの「第二部」、そして三時から最後、六時までの「第三部」と三部構成になっている。


「あたしは次がお目当てなんだよーっ!」


と友人二名を揺さぶっているのはナホコ。揺さぶられているのはユキノとアナミの二人だった。


「…」


 駄目だこりゃ、とナホコはつぶやくと自分も眠気がさしてきているのが判るので、トイレへ飛び込んだ。洗面所の水はさほど冷たくはないけれど、とりあえず顔を洗うのには充分だった。

 もう洗面所もずいぶん汚れている。化粧くずれを直す時のティッシュ、髪の毛、飛び散った水、果ては煙草の吸いがら等々。絶対に今なら男子トイレの方が綺麗だろうな、とナホコは思う。

 もちろん彼女も化粧はしていたので、律儀にもポーチからクリームを取り出してぱーっと顔一面に塗る。はっきり言ってそれまでのライヴで汗かきまくりでファンデーションはほとんど取れていた。ファンデだけではない。口紅もシャドーも、だ。まあ実際観客席など暗いんだし、念入りに化粧してどうすんだ、という感じもナホコにはなくはない。でもまあ、着ている服に合わせるとどうしてもメイクしない訳にはいかなくて。

 水道の蛇口をひねって勢いよく水を出す。そして塗りたくった「水で洗える」クレンジングを一気に洗い落とした。


「う」


 鏡の中の自分の顔を見て眉を寄せる。あーあ、隈ができてやんの。

 この夏祭り、通しの参加証があるくらいだから、三日間全部見る者もいることはいる。ナホコはいい例だった。何しろとにかくこの「オキシ」に関わっているバンドを一気に見られることなんて滅多にない。カタログ状態だ。だから三人の友達と申し合わせて、一日づつ互いの家に泊まり込むということにして参加していた。

 ナホコの母親はなかなかな人物だった。

 とにかくちゃんと帰ってきて学校なり補習なりにきちんと翌日出られるなら文句は言わないぞ、だが一回でもそれを破れば容赦しない、と。

 「脅しじゃないかーっ」と言う娘に彼女は、「何をゆーとる扶養家族」と切り返した。

 のでナホコは意地でもそれを守っている。他の二人も似たかよったかだった。

 だがまあそういうことのしにくい友人もいることはいるので、それはどうしようかな、と時々ナホコも思わずにはいられない。

 これでPH7の、今日の奴良かったら、無理にでもあの子連れてこよう。

 ナホコは顔を拭き、すっきりさせる目薬をさし、もう一度顔を作り始めた。大人しい、隣のクラスの隠れロック好きの子を思い出しながら。

 と、そこへ数人の少女達が入ってきた。さほどナホコには見覚えのない顔だった。着ている服も自分の好みとは別系統のファンだということが丸分かりである。

 そこではた、と思い当たる。


 どーしてこの系統の集団が「今」いる訳?


 オキシにはいろいろな系統のバンドが出演している。一日目はどちらかというとパンク系であり、二日目は「露骨にハード・ロック」が中心だった。はっきり言ってしまえば三日目の今日は「それ以外」だったのだが、洗面所にどかどかと入り込んできた少女達は「二日目」にたむろしていそうな集団だった。

 別に居ても悪くはない。…のだが、集団でいるというところが気になる。化粧なおしでもするのか、と自分は済んだのでナホコが鏡の前からずれても、鏡の前へ向かおうとはしない。ひいふう… 六人居た。円陣を組むようにしてしゃがみこむ。


「…でさ… 連中が出てきたら一斉に…」

「中指かよ、それとも親指下向けブー?」

「中指じゃ印象弱いってば」


 何の相談だ。ナホコはポーチの中身を直すフリをして会話に聞き耳を立てる。


「やっぱブー、だぁ」

「だな」

「だべ」


 うんうんと少女達はうなづきあう。どうやら特定のバンドへのブーイングの相談らしい。がさごそとかばんの中身をひっくり返してにっと笑う。卵?そんなふうに見える。


 …


 ナホコは嫌な予感がした。最終日の第三部、大トリはPH7とダブルアップとラヴィアンローズである。この中でブーイングをいきなり食らいそうなのは…どう考えてもPHしかいない。


 どーしよう。


 開演まであと十五分である。


「こら起きろってば!」


 フロアに戻って荷物と一体化して堕眠をむさぼっている友人二人を蹴飛ばして起こす。


「痛てーなあこの野郎!」

「起きろよっ! アナミお前、前ん時、お前のツレが『連鎖反応』のファンがどーとかって言ってたろ」

「『連鎖反応』のぉ? あー」


 起きぬけというのは頭がぼーっとしているらしい。どうやらナホコの態度が真剣なのに気付いたアナミはぺしぺしと自分の顔をひっぱたく。


「…あー、言ったな。あそこのファンが、あそこのベース引き抜いたPHに怒ってるって」

「…そーか」


 そう言えば、「二日目」に出てもおかしくないCHAIN-REACTIONは参加していなかった。結局いいベーシストもサポートも見つからなかったのだろう。


「なにぃ… 何かあったんか」

「あーと…」


 どうしたものか、とナホコは考える。


「何かあったんだな?」


 アナミはナホコの様子を見て真剣な口調になる。


「あった」

「あ、そ」


 じゃ、とアナミは立ち上がるとぐっとナホコの手を引っ張った。


「どーすんだよっ」

「忠告しかなかろ」

「へ」


 確かにそうだが、アナミの口からそういう言葉が出るとは思わなかった。


「荷物はどーするよっ」

「ユキノが上で寝てるからいーだろ」


 確かに。

 二人は三日間フリーパスを手に外へ出た。裏口、という奴がある筈なのだ。どこかに。時間がない。とにかく「裏」へ回ってみる。


「何処にも入り口なんてないじゃないーっ」

「地下だもんなーっ」


 と、すると、一階の店舗の中にあるのか? 二人は一階から二階へ続く階段の方へ回った。防火扉があった。


「…あやしい」


 ナホコの言葉におお、と気合いの入った声をアナミも立てる。


「押してみるか」

「押してだめなら引いてみな、と…」


 お、と二人の口から声がもれる。別の通路があった。そこから灯が少し見える。


「こっちじゃねぇ?」


 二人は防火扉の向こうにあった階段を降り始める。半分くらい来たときだった。


「ちょっと待って下さい、取ってくるわ」

「暗いから気をつけてっマリコさん」


 落ち着いた女性と、その後にアルトの声がして、暗い階段を上ってくる気配があった。


 え!


 そしてその女性の勢いは意外に激しかった。


「あ」

「あーっ!」


 バランスを崩してマリコさんは前のめりに、二人はお尻からひっくり返ってしまう。


「どーしたのっ!」


 聞き覚えのある青年の声がする。彼は手に大きめの懐中電灯を持ってきた。


「タイセイ君」

「あれ君達!」

「大丈夫ですか!」


 一度にそれだけのコトバがフルヴォリュームで狭い階段室に響く。


「私は大丈夫よ… 行ってくるわ」

「ごめんなさい!」

「いいから、何か」


 用なの? とマリコさんに問われる前にナホコは慌てて下へ飛び降りた。あと五段くらい階段はあったので、着地した瞬間、足がじーんとした。


「あれ、あんた…」


 顔を出したTEARが目を丸くする。


「TEARさん! 連鎖反応のファンが何か企んでるんです!」

「ほー… 何を」


 TEARは片眉を上げた。


「わかんないけれど、さっきトイレで円陣組んでて…」

「噂が聞こえてきた?」


 高くもなく低くもないハスキィヴォイスが耳に届く。あ、腰が抜ける。HISAKAの声だった。


「わざわざこの時間にやってくるなんて律儀なこと」


 にこやかに涼しい顔をして、HISAKAは笑っている。


「あ、大丈夫?」


 緊張が緩んで腰が抜けかかっていたナホコの腕をTEARは掴む。


「とにかくちょっとこっちおいで」


と空いている方の手でアナミをも手招きする。



「ブーイングねえ」

「でもそれだけじゃないと思いますっ」

「…」


 第三部開演五分前。セッティングの最終チェックのために、いったん幕の降りたステージに出たHISAKAが戻ってくる。

 ナホコもアナミも、初めて入るこの関係者用の部屋にくらくらしていた。まさかここまで引きずり込んでくれるとは思わなかった。


「とにかくありがとう。そういうことあると思ったけれど、これで確信が持てた」


 にっこりとHISAKAはナホコに笑いかける。

 フルメイクしたMAVOが彼女の後ろにいる。

 立てまくりの髪に、アイラインと、顔立ちを強調したメイク。ノースリーヴの黒い上着に、手首には黒い革のリストバンド。とがってはいないが鋲付きである。それにやはり黒の革の指無し手袋。黒の短パンに黒のニーハイ、それに黒の短いブーツ。一歩間違ったら陳腐。だがMAVOにはそれがよく似合っていた。そして正直言ってナホコは怖かった。

 そのMAVOが言う。


「まあブーイングったって、爆弾投げてくる訳でもないし」

「おやめよMAVOちゃん、またそんなこと言うからこの子恐がってるぜっ」


 そういってナホコの肩をぽんぽんと叩いてやるTEARも、前のバンドの時より更に派手になっていた。野郎の中でプレイしていた時にはほとんどノーメイクだったが、実に濃いものになっていた。そしてもともと彫りが深くて印象的な大きな目がさらに強調されている。唇も赤く厚く。それなのに絶対に「色気」があるようには見えない。


「まあそれはそれでよし、と」

「どうするあなた達? 客席に戻る? もう始めるけど」


 HISAKAが訊ねる。


「…え」

「別にこっちで見ていてもいいわよ」

「…」


 どうしようか、とナホコは一瞬ためらう。


「あたしは行きますんで。こっちから出てもいいですか?」


とアナミはドアを指す。そうだね、とタイセイがうなづく。


「ナホコどーするよ」

「え… と」

「ふむ」


 HISAKAはこの自分達のファンでもある子が離れ難くなっているのはすぐに判った。


「…ナホコちゃん、だったよね」

「あ、はい!」

「じゃこれ終わったら、打ち上げに行くから…」


 HISAKAは近くにあったバックステージ・パスを一枚ナホコに放った。


「それ見せてHISAKAに呼ばれたって言えばいいわ。あたし達のステージを客席で見てちょうだい」

「…え…」

「返事は!」

「はい!」


 思わず直立不動の姿勢を取ってしまうナホコだった。



「…気まぐれだねえ」


 客電が消えた時、TEARはつぶやいた。


「そう?」

「いーけどさ」

「行くよ」


 薄暗いステージに向かう。

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