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3 アイスを食べながら好きなひとについて語る

「…で何であたしまで来ねえといかないんだ?」


とTEARは言った。


「何ゆーとんのよっ。あんた加入したんでしょっ。だったらもう一人のメンバー探しくらい協力しなさいっ!」

「MAVOちゃんはどーしたのさっ!」

「あの子はあの子で別にすることがあるの」

「何を?」

「ひみつ。あ、黒猫」

「…」


 何なんじゃ、とTEARは肩をすくめる。ごまかしたな、と思いはしたが、特に言うほどでもない。

 そのまま二人は階段を降りて行った。

 階段を降りてくる音がして、ナホコはびくん、と身体を固くした。


「あれ?」


と先に降りていたTEARはベンチに座っているナホコに声をかけた。


「事務所閉まってんの?」

「え? いいえ!」

「何言ってんのTEAR、電気ついてるわよ」

「あ、本当だ。…じゃああんた何してんの?」

「え」


 何やってんの、と言われても。ナホコはHISAKAを見た瞬間頭が真っ白になった。


「中の人に用なら呼んであげるけど?」


 ハスキィヴォイス。HISAKAの声は結構特徴がある。そのままHISAKAが中へ入っていこうとしたので、


「違いますっ! HISAKAさん来るってタイセイさんが言ったからあの…!」


 ベンチから勢いよく立ち上がっていた。手提げカバンがその拍子に落ちる。ふたが無いカバンの中身はどさどさと床に落ちた。


「あらあら」


 すっとかがみこんでHISAKAはささっと音もさせずに散らかった中身を拾い、はい、とベンチに置いた。


「…す、すみません」

「何だ、あたしを待っててくれたの。ありがと。でも、どうして?」


 慌てて自分もかがみこんだので、ナホコは視線がHISAKAと同じくらいの所にあるのに気付いた。整った顔に多少どきどきする。


「あ、あの、PH7好きなんですけど、ライヴ、しばらくないって聞いて…いつ頃次のライヴができそうですか?」


 あ、「できそうですか」なんて偉そうな口を利いてしまった!ナホコは途端に自己嫌悪に襲われる。だがHISAKAはそれに気付いてか気付かずか、ふっと笑って、


「…もうじきできるから。また来てちょうだい」


 実に見事だ、とその光景を見おろしながらTEARは思った。ナホコは自分でも気付いていなかったが、HISAKAに「PH7が好き」と言いきってしまったのだ。

 ナホコは決して相手がメンバーでも、好きかどうか判らないバンドに「好き」と言いきることはない。音楽のような「好き」なものに関しては妥協をしない。何はともあれ、彼女はまだそんな態度が許される年と立場だったから。ところが、HISAKAを見た瞬間に、声をかけられた瞬間に、「好き」と「どうでもいい」の間をふらふら揺れていた針が一気に「好き」に振れきってしまった。何なのよ。ナホコはくらくらする頭を必死の精神力で支えようとする。


「それじゃあね」

「あの!」

「まだ何かあるか?」

「ここ、ですよね? やるんなら」


と地面を指す。何かやや違うんじゃないか、とTEARは思ったが、とは言えそれ以外の指し方も判らないので、リーダー殿の方をちら、と見る。


「そうね」


 きっぱりとHISAKAは言った。


「新メンバー入れての最初はここでやるわ」


 それは半分ここに連れている新メンバーにも言い聞かせている。TEARにはそう取れた。


「はいっ」


 ばいばい、と手を振ってHISAKAは事務所の方へ入っていった。TEARもそれに続く――― 続こうとしたが、ふと何か考えついたか、くるっと振り返った。


「おいあんた」

「はい?」


 どうやらHISAKAに過敏反応しているらしいな、とTEARは見て取った。


「PH7は何処が好きなんだ?」

「何処って… あなた確か『連鎖反応』のベースの人じゃ」

「いんや、今度お仲間になることにしたから… だからあいつの事もよく知りたいんだけど、あんたのようなファンから見て、あいつはどうだ?」

「どうだって」


 どうなんだろう。ナホコは急に冷静な自分が出てくるのを感じる。


「判らない。けどHISAKAさんのドラムって、圧倒的なんです」

「圧倒的」

「あたしは楽器のことなんて全く知らないですから、身体にどう感じるか、としか言えないけど」

「うんうん」

「何か、えーと… 何っていいましたっけ、戦争映画か何かで、だだだだだ、と撃つやつ」

「マシンガン?」

「えーと、それで撃たれた気がしたんだ」

「…へえ」


 それが「前から」彼女の音を受けとめた場合か、とTEARは妙に感心した。あのご馳走になった翌日、あの家で彼女のドラムに合わせてみた時、「何じゃい」という感じはあったが、それを言葉で表すことはできなかった。ただ、何か変だ、何か凄いという感じはあった。

 なるほどそういう言い方もあるんだなあ。TEARは妙に感心して、ナホコの言葉にいちいちうなづいてしまった。


「TEAR何してんの?」


 HISAKAがのぞく。


「あ、ごめん、すぐ行く」


 それじゃね、とTEARはぽん、とナホコの肩を一つ叩いた。ナホコは呆然として彼女達が入っていった事務所のドアをしばらく見ていた。


 あたし新しいメンバーと喋ってたんだあ…


 それに気付いたのは、ドアが閉まって、帰ろうと階段を登りかけた時だった。


 きっとあたしが最初だ。


 わくわくとどきどきが入り混じって、急に呼吸困難に襲われそうになり、慌てて息を大きくつく。


 わーい。


 ほとんどスキップのような足どりでナホコはバス停へ向かった。



 ライヴが8月20日、と決まった。


「だいたい一か月先、だわね」


とHISAKAは麦茶を飲みながら言った。


「多少は余裕があるな」


とTEARはがりがりと氷を噛み砕いた。


「一時間が持ち時間なら、だいたい七曲ってとこかなあ」

「そうね」

「タイセイさんにコピーしてもらう時間も要るし、練習もしなくちゃね」

「あの人なら大丈夫だろ。何たってその場でいきなり楽譜渡されて全く知らん曲こなしてたトコロ見たことがあるぜえ」

「へえ」


 MAVOは目を丸くした。


「あ、いい風」


 ベランダの南部風鈴が微かな風に動き、通る音を立てる。大した風でもないのに、その音一つで涼しいような気がする。やっぱり音って不思議だな、と何となくMAVOは思う。


「皆さん何のアイスがいいですかーっ」


 キッチンからマリコさんの声が飛んだ。


「何があるのーっ」


 HISAKAが声を飛ばす。


「バニラですけどソースはブルーベリー、ストロベリー、オレンジ、キーウィ…」

「あたしいちごーっ」


と真っ先にMAVOが言った。


「抹茶はないの?」


とHISAKA。ばばくせーっとTEARが笑う。いいじゃないのっ好きなんだから、とHISAKAは片眉吊り上げて見せる。あ、こういう表情いいかも、とMAVOはそんなHISAKAを見て思う。


「ありますよーっ。TEARさんチョコもありますからっ」

「あ、それ取った」

「…くどそう」

「力仕事してるんだからエネルギーが欲しいのさっ」


 ほれほれ、とTEARは腕の筋肉を指す。


「わーすごい」


 MAVOはつんつんとTEARの腕をつつく。


「TEAR明日からバイト?」

「昼間はね。でもまあ工場系だから時間きっかりには終わるさ」

「大変だな…」

「まあ仕方ないさ、食うためだ」

「そこ空けてくださーい」


 マリコさんは紙だの何だので散らかったガラステーブルを見て呆れる。アイスクリームが銀色のトレイで運ばれてきた。


「冷たいものですから紙なんか近くに置いたら危ないですよ。ほら片付けて片付けて」

「はいはいはい」


 MAVOがさっさっととりまとめる。


「恋人とかっている?」


 いちごのソースをかけたアイスクリームをなめながら、MAVOはふと聞いてみたくなったので口にした。TEARは何をいきなり、という顔にはなったが、あっさりと、


「今んところいないけど」

「どーして?」


 MAVOは不思議だった。こんなグラマラスな美人、野郎が放っておく訳がない。だいたいロック畑というのは野郎の巣なんだから。

 そうしたらTEARは軽く首をかしげると、


「…野郎は好きじゃねーのよ」

「はあ」


 ああなるほど。そう言えばそういう感じに見えなくもないな。MAVOはあっさりと納得する。逆にそのあっさりさにTEARの方が面食らってしまう。


「驚かないね、あんた」

「だって人それぞれだもん」

「ほー」

「だからあんたが女の子好きだって驚かないけど」

「…」


 ここまで言われるとは思わなかったが。もっともTEARは高校時代は、女の子からチョコレートをもらう側であったことは確かである。

 だが、だからと言って彼女は別に積極的に女の子が好きだったことはない。野郎が好きではないからと言ってすぐにそこに結びつく訳ではないのだ。

 まあそれはそれでいい、と彼女は思う。だがこの「髪以外はひらひら少女」のふりをしている(のではないかとTEARには思われる)MAVOからその仮定が出ることの方が気にかかった。


 …気にはかかったが気にしないふりをして、


「まあ今野郎が好きじゃないってったって、いつかは好きになれる奴がいるかもしれないし、もしかしたら女の方に好きな奴が出るかもしれないし、ひょっとしたら誰も好きにならないかもしれないけれどさ」

「ふむふむ」

「でも好きなら別にあたしゃ性別なんかどーでもいいと思うのよ」

「うん」

「…あっさりと納得する奴だねー」

「うーん…」


 理由はあるのだけど。


「まあいいけどさ」

「TEARどういう人が好き?」

「好きなタイプ?」

「ん」

「んー… そうだな…」


 何となく、無くはない。

 妙に忘れられない人物がいた。まだ彼女の母親が再婚する前のことだ。その再婚相手との見合いの日に横浜駅で会った少女。おそらくは二つ三つ年上。

 あれは自分が五年生だったから、相手は中学校だったろう。かなり大柄だった。はっきり言えばデブという奴だ。だが、妙にあの声とコトバは気にかかった。いや、それとて別に取り立てて変わった声という訳ではない。やや鼻声系かも知れない。かん高くはない。さりとて低くもない。だが妙に耳についた。神経質な声、とでも言うのか。

 忘れられないと言えばそうなんだが、果たしてタイプかというと、よく判らない。どちらかというと自分は割合一般的な「綺麗なもの」が好きな筈であって、その中から「肥満」は削除されていた筈なんだが。

 何故なんだろう。それは不可解な「引っかかり」だった。

 だがその話を今ここでする気はなかった。自分ですら正体の知れない感情をすぐに口に出せる程TEARも単純ではなかった。

 だからとりあえずこう言ってみる。


「よく判らないけどさ」

「うん」

「少なくともいかにも男おとこした奴とか見るからに女、ってのは、たぶん駄目だろーなあ」

「あ、それ何となく判る」

「そお?」

「マリコさんだったらそれがどういう感じなのか、上手くコトバにしてくれるんだけど」

「感情はそうそうコトバになんて出来やしねーよ。されてたまるかっての」

「うーん…」

「できないから音があるんだぜえ」


 それも一理ある、とMAVOは思った。

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