表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/16

2 マリコさんのメシの美味さとライヴハウス「オキシドール7」

「…おおっ見事な酢豚っ。見事な麻婆豆腐っ。湯気の立つ炊き立てごはんーっ。味噌汁に濃いお茶っ」


 感動しまくっている客人にマリコさんは苦笑する。だが料理をこうもあからさまに誉められるのはやはりいい気分である。


「久しぶりーっ」

「…どういう食生活してたの?」


 とりあえず食べてもいい? とTEARは訊ねた。HISAKAとマリコさんは同時にうなづく。

 帰る前にマリコさんに腕を奮えるよ、と電話をしておいた。あまり時間が早くはないので、消化には良くないんですよ、とかぶつぶつ言ってはいたが。

 そうしたらこの結果である。ちなみに食後しばらくして用にケーキも焼いてあるとのこと。TEARはほとんど感涙ものである。


「でも食べっぷりのいい方ってのは嬉しいですねえ」


 マリコさんはそう言って家人二人の方をちら、と見る。


「だっていくら美味しくたって、体調崩していたりしたら仕方ないじゃない」

「私が作るんですから健康を害す訳がありません。害すんならあなた方の生活の方がまずいんです」


 そう言われてしまうとHISAKAもMAVOも返す言葉がない。実際東京へ出てきて、バンド生活を始めてからずいぶん生活のパターンも変わったし、不摂生することも増えた。

 とは言っても、夜のステージをメインにした生活にすれば確かにかつての「健全な学生生活」に比べれば不摂生になるのは仕方がない。「健全な」時間帯で行おうということ自体無理なのである。

 ただし無理矢理体内時間のパターンを変えたのであるから、それが食欲不振だのにつながってはしまったのだから、マリコさんの言うことには文句はつけられないのだが。


「…はー… 久々に人間らしい食事だったあ…」


 TEARは濃いお茶のおかわりを飲みながらため息まじりで言う。


「それは良かった」


と自分はほとんど食べないこの家の主は言う。


「ハルさんハルさん」

「ん?」

「このひと新しいひと?」

「んにゃ。ラヴコール中って奴ですか」

「ふーん」


 その時TEARはやっと、HISAKAの隣に立っている女の子に気付いた。

 背中の上1/3くらいに伸ばした、やはり金髪である。着ているものは大人しいワンピースタイプのホームウェア。通信販売のカタログに載っているような、大人しいプリント、大人しい色合いの。


「妹さん?」

「みたいなものだけど…」


 やっぱりなあ、とHISAKAは彼女の方を向いてにっと笑う。


「これがうちのヴォーカル」

「はい?」


 TEARは湯呑みを置く。


「ちょっと待てHISAKAさんや、確かPH7のヴォーカルって…」


 TEARは二ヶ月前の記憶を掘り起こす。確かあの時のヴォーカルは…

 ひどく派手だった。

 とにかくきつい化粧と、立てた金髪、何よりもその声の攻撃的なところに頭がくらくらしたことを覚えている。

 確かに目の前の彼女は金髪だ。だが。


「歌ってもいいよ」


 言われてみれば、MCの時の声はそんな声だった気がする。だが。


「まあ別にここで信じられなくとも後で判るって」


 はあ、とTEARはいつのまにか入っていたお茶のおかわりを飲み干した。



 ライヴハウス「オキシドール7」の音響君トガシと照明君イクシマは店長の話を聞いて、なるほどなあ、と顔を見合わせた。


「何で『なるほどなあ』?」

「だって店長、どう考えたって、あのHISAKA見て、一緒にやろうってプレーヤーの男はいませんよ」


 トガシはTシャツの半袖を肩までまくりあげ、額にはTシャツと同じ色のバンダナを巻いている。高校時代からここへ出入りしていたが、何年かのお馴染みの末、とうとうスタッフになってしまった。

 イクシマは美術系へ進むつもりだったのに、高校時代の友人のせいで「道を誤った」と笑いながら言う。


「何で?」


 店長は重ねて聞く。

 もちろん彼も予想はついている。ただスタッフの見解が聞きたかったのだ。このライヴハウスの推すバンドとしていいのかどうか。店長自体はHISAKAとMAVOを高く評価していた。

 何かやらかす人物というのは、コトバそのものが違う、と彼はいつもスタッフや息子に言っている。のし上がる資格は誰だって持っている。人間の能力は基本的には大差ない。ただ、それを使う資格がある人間は限られている、と。


 それはどーゆー人だと親父は思う?


 息子のタイセイは訊いてきた。

 薄く茶のかかった細めの髪を後ろをくくる程度に長い彼は、店長が25歳の時の子で、現在23歳である。公立の大学まで行ったが結局親父の店でサポートギタリストをしている。腕はなかなかなもので、たいていの依頼してくるバンドの曲は一日もあればコピーし、自分は目立たずバックに徹するような弾き方ができる。


「少なくともオレのような奴じゃあないよね」


 彼はいい、父親はそうだな、とうなづいた。


「お前には野心がないからな」

「そんなものない方が平和だよ。オレはいつでも『しばらくの平和』な状態が好きなのよ」

「タイセイさんのそういう所は好きですねえ」

「あ、ありがとーっ」


 へらへら、と店長の息子は笑った。そういう所を見ると店長はどう見ても別れた女房より自分の血を強く引いているな、とため息をつかずにはいられない。


「はっきり言って俺、HISAKAの腕は好きなんですがねえ」


とトガシ。


「オレも好きだなあ」

「あ、タイセイさんも? オレもですよーっ。でもきっとプレーヤー諸君には怒れるものがあるんですよ、絶対」

「何でだと思う?」


 店長は重ねて訊く。


「やっぱHISAKAが女だからでしょ」

「あ、それ判りますよーっ。オレ自分がプレーヤーでなくって良かったと思いますもん」

「オレだって彼女がドラマーで良かったと思ってるもの。もしギタリストだったらあんまり平然としてらんないだろーなあ」

「お前でもそう思うの」


 ほお、と店長は珍しそうに息子に言う。


「まあね。だから実はHISAKAがどういうギタリストを見つけてくるか、半ば不安、半ば楽しみでもあるわけで」


 タイセイは細い指を組んでくすくす、と笑う。


「でもまあ、それって女のテロリストが男のテロリストよりも世間から嫌われるってのと似てますよね」

「どういう意味だよ」

「ん?いや、こないだ読んだ本がさ、そういうこと書いてあったんだわ。テロリストの女のことばかり書いた本で、世間が彼女達を責めるのは、テロリストであるってことと、『女でありながらテロリストをやった』ことについてって」

「…よく判らんな」

「つまりトガシの言いたいのは、テロリストもロックバンドも世間は男の世界だと思ってて、そこに女が入ってきたことに対して世間がうるさい、ってことだろ?」


 店長が補う。


「そうそう、そーいうことなんですよ。だからまあ… 何なんだろう。俺もHISAKA最初見たとき、そう思ってしまったから… やっぱ根深いものあるのかなって」

「まあここにいるのは物わかりのいい方だろうね」

「タイセイさんは?」

「女は強いってのはオレはよーく知ってるもの」


 ね、と彼は父親の方をちら、と見た。別れた店長の女房… タイセイの母親はその後再婚もせずにバリバリのキャリアウーマンと化しているということだ。


「だから期待と不安が半々なのよ」


 彼はまた、くすくすと笑った。



「…気が知れーん」


と、ユキノが言った。


「何であのバンドがいいのさナホコ?」

「何でって言われてもさあ」


 放課後である。補習も本日は休みである。


「ならオキシへ行って来月のスケジュール聞きにいこ」


とナホコはやはりよくライヴハウスへ通う友人二名に持ちかけた。

 友人Aのユキノはもうじきメジャー行きらしい、という「ダブル・アップ」というバンドがお気に入りで、友人Bのアナミはオキシでは1、2を争う妖しげな魅力のバンド「ラヴィアンローズ」が好きである。

 さてナホコは、と言えば、別にどちらも嫌いではなかった。

 と、いうよりもっと「気になる」バンドが居たのである。

 学校と家の中間にライヴハウスがあるというのは幸運である。バスに揺られて一時間、が家なら、二十分くらいの所に「オキシドール7」はあった。


「PH7なんてさあ、どーせレディースじゃん。よしなよお」

「あんた演奏聴いたことあんのかよ」

「あるじゃん、あんたと一回行った」

「あん時はギターがボロボロだったの!」


 へえへえ、とユキノは両手を広げてオーマイガッ、とおどける。

 とは言え、ナホコとて、自分がはたして「気になる」からと言って、「好き」かどうかは判らなかった。まだそれを見極める程回を重ねた訳ではない。


「でもまあ珍しい名だあね。どうゆう意味だっけ?」

「ペーハーだろ? 化学取ってるんじゃねーのお前?」

「うるせえユキノ。ナホコの方が頭いーじゃんかよう。3組のくせに」

「へいへい… 酸でもアルカリでもねえ状態だよ」

「中性かいな」


 ほお、とアナミが感心する。どれどれ、と手提げの中から滅多に持って帰らない教科書を出した。


「おや珍しい」

「うるせえ。一応テスト勉くらいはしなきゃなんねーだろ」

「それよっか見ろよ」

「おーっ確かに合ってる」


 ぱちぱちぱち、と友人達は手を叩く。どーでえ、ナホコは胸を張る。と、ぽろん、とスカートの上にベストのボタンが落ちた。


「あ゛ーっ」


 転がっては一大事。慌ててナホコはボタンを手に取り、あーあ、とため息を付きながらベストのポケットに入れる。


「おめーよお… これで一体何度目だ?」

「知らんわ。このベストのデザインがまずいんだよっ」


 あーうざってえ、とナホコはベストを脱いで手提げに入れる。


「面倒なんだよな、制服ってのは」

「だからって脱ぐ奴っているかあ?」


 ユキノは眉をしかめて呆れた。

 やがてバスがオキシドール7の最寄りに着いた。慌てて三人は飛び出す。はた迷惑な客を下ろすとバスはあっさりと姿を消した。


 ライヴハウスというのは、意外に外観が地味なことが多い。

 だが、周辺には明らかにそれと判る雰囲気というものがある。まあまず周辺の道は汚い。特にライヴの後はとても。

 壁にはスプレーペンキで何やら落書きが何度かされている。その上にチラシを貼った後、はがしたあと、いろいろである。ちなみに時々何を間違ってか、右翼のそれとすぐ判るデザインのものも貼られたりするが、別にライヴハウスとは関係がない。

 入り口は地下にあるから、そこへ降りる階段の横の壁には様々な張り紙がしてある。ライヴの告知だの、メンバーやローディ募集、単なるメンバーへのラヴコールだの、実に様々である。


「もうさすがにダブルアップ、ここじゃやんねーかな」

「まだラヴィアンはだいじょーぶだもんね」

「…」


 ナホコはじっと張り紙の一つ一つを見る。何度壁に視線を走らせようと、どれだけ目をこらしても、どうやら彼女のお目当てのお知らせはない様だ。


「どーしたの彼女たちーっ」


 のんびりとした声でタイセイが声をかける。何やらがやがやとしていたので、今日は何もライヴがないはずなのにと気になった。


「あ、タイセイさーん」


 さすがに何度も何度も十何回も通っていれば、ここの店長の息子の顔など知ってしまう。この人もよくステージに立ってはいるのだから。


「タイセイさんっダブルアップもうここじゃやりません?」

「ラヴィアンの次のライヴいつか知ってますか?」


 ユキノとアナミは下にいた彼に一気に走り寄って一気にまくしたてた。そのあまりの迅速さに、ちっしまった遅れを取ったぜ、と舌打ちをしてナホコも下へ降りた。


「ダブルアップのことはどうかな。でも彼らもここは好きだと言ってたし。ラヴィアンはもうじきツアーをするとか」

「本当ですかっ」

「その程度くらいなら言えるよ」


 にこにこにこ、と柔らかい笑いを店長の息子は投げる。


「で、君は?」

「あ、PH7の」

「ほー」


 一瞬彼は口元を緩めた。


「好きなの?」

「たぶん」

「たぶん?」

「だって『好き』って言える程あたし、たくさん見てないですから。だからライヴ見たいんですけど予定…」

「今のところ無いようだね、残念ながら」

「そーですか…」


 がっくりと肩を落とす。


「でももうじきHISAKAは来るって言ってたけど」

「えーっ」


 思わず大声を上げていた。どうしたどうした、とトガシやイクシマまで出てきたので、ナホコはぱっと口を押さえた。ああどうしましょどうしましょ、と思わず顔が真っ赤になる。


「おめー声がでかいんだよ」


と眉間にしわを寄せてユキノがため息をついた。タイセイは――― 実に良く笑っていた。笑い過ぎでどうやら腹筋が痛そうである。


「そんなに笑わなくてもいいでしょう!」

「ごめんごめんーっ。でも本当、居れば会えるかもよ、笑ったおわびに言ってしまうけど」

「タイセイさーん…」


 どうしたものかね、とトガシとイクシマは顔を見合わせる。


「どーせ彼女達もそこの階段降りてくる訳だし。待ってるだけならいいよ。ただし別にこっちは手出しはしないから、話しかけるとかそういう努力は自分でしてね」


 ぶんぶん、と音がするくらいナホコは頭を縦に振った。


「待つのーっ? おいナホっ」

「待つっ」

「うちら先に帰るよっ」

「いいっ帰って」

「友達甲斐のない奴ーっ」

「何ゆーとるよ、あんたらだってもしここにDUのリョータとかラヴィアンのタカシとか居たらあたしなんざ突き飛ばしてくだろーに」

「そらまあそーだろーけどさ」


 だけどなあ、とユキノとアナミは顔を見合わせる。


「じゃあ待つんだったら、そこのベンチでね。オレ達は関知致しませんから」


 にこにこにこ、と笑いを浮かべたままで店長の息子は行こ、と二人従えて事務所の中へ入っていく。じゃあたしら行くからね、とユキノとアナミも手を振った。

 仕方ねーなあ、と手を振り返しながらナホコは思った。正直言って、どうして残ってしまったのか、彼女にもよく判らないのだ。

 ただ、思わずそうしてしまった。

 それが「気になる」からなのか「好き」だからなのか、その正体が判らない。判らないから気になる。


「うーむ」


 とりあえずベンチに腰をおろした。

 一方バス停に再び戻った二人。そういう時には必ずいない奴の噂ばなしというものが出てくるものだ。


「やっぱ判らんわ」


 ユキノは腕組をしてうなる。


「何?」

「ナホコさあ。だってさあ、いくら恰好いいとか何とか言ったって相手は女じゃん。追いかけてどーすん?」

「あいつ、うちらより真面目だからさあ。やっぱまた音楽がどーとか、とって考えてんじゃない?」

「だけかなあ。あのしゅーちゃくはハンパじゃねえぜ」

「…お前しゅーしゃくって漢字で書ける?」

「書けねえ」


 お前もかーっ、とアナミは言い、二人してへらへらへら、と笑った。


「お、バスが来た」


 バス停よりやや前気味にバスは止まった。何やってたんだよー、とぶつぶつ言いながら乗り込もうとすると、降りてくる女がやけにでかい二人連れであることに気付いた。


「…おい」


 ユキノはつんつん、と友人をつつく。抜いた色の髪。どれどれ、と言っている間にバスは無情にも動きだした。

 一番後ろを慌てて取って、遠くなっていくライヴハウスに一生懸命焦点を合わせる。


「…おいアナミ、あれって『CHAIN REACTION』のベースの奴と違う?」

「…そう見えるけど」

「横は」

「…ナホコのお気に入りだよなあ…」

「あの二人仲いいんか?」

「あたしが知るかよ!」


 そしてバスは角を曲がった。


「あ、でもさあ、『連鎖反応チェインリアクション』ベースの奴、抜けたとか、あたしのツレ、言ってたぜ」

「あれ、じゃあまさかPH7に入るってんじゃねーだろなあ?」

「知らんわ。あーそういや、あのひとぁ結構恰好いいと思ってたんだ」

「お前もナホコと同じかあ?」


 顔をしかめるユキノにアナミは構わず、


「ツレがさあ、そーいや言ってたんだわさあ。『連鎖反応』がそれでちょいとガタガタになっちまったんで、ライヴが減ったってファンが怒ってるって」

「何、じゃ、何か仕返しでも企んでるってゆーのかよ?」

「あそこのファンってさあ、何っか大人しいんだけど、時々インケンになるんだわ」

「へえ。ばっかじゃねーの」

「知らんわ」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ