12 彼女は彼女を勧誘し行く
さてPH7の二曲は「FLOWERS」と「CIRCLE OF LIGHT」というタイトルがついている。前者は割合最近作られた曲で、後者は以前から演奏されているナンバーである。
「…ノリは『光の輪』の方がいいんですけどね」
とリーダーに指名された「第三者」は評する。
「メロディはお花の方がいいですね」
「ふむ」
どちらもHISAKAの曲だった。
「あたしもそれは思う」
とヴォーカリスト。
「お花の方が歌いやすい」
「ワタシは光の方が好きですね」
「あたしも」
だろうな、とHISAKAは思う。どちらかというと「お花」の方がシンプルでメロディアスである。「光」の方はアレンジは凝っているがメロディらしいメロディはない。
「でもどっちもどっちですね。今の私ではとちらもまだきついですよ」
「そうかなあ」
とTEAR。
「そうですよ」
「でも何にしてもいまいちまだ足りないって気はする…」
MAVOがつぶやく。
「だーな」
「どういう感じ?」
「すきまだらけ、って感じ」
「そんなアナタ、冬のボロ家じゃああるまいし」
そして五、六曲目とまたケーキタイムと化してしまう。甘くて重いからHISAKAやP子さんは一切れで十分、と甘ったるくなってしまった舌を紅茶ですすいでいるようにも見えた。
「よく行けるねー」
「んー? だってこんなん、そうそう食えないし」
「食べれる状況だって美味しいものは幸せなのよっ」
はあ、とHISAKAとP子さんは顔を見合わせてため息をついた。
と、きゅるる… と音がして、カセットがリバースした。
「お、始まる」
とケーキをほおばったままTEARが言った。
音が出てくる瞬間を待つ。
「は?」
あれ、とHISAKAは思った。こないだとは全然違うじゃない。
「これ本当にこないだのバンド?」
「本当だってば」
「いや曲は一緒だと思うけれど…」
ギターの音が突出していた。HISAKAは頭の中のスクリーンにぱっと明るい色が広がり、鮮やかな絵を映し出されたような気がした。
あ、印象派の。
明るい音だった。
タイトルを見ると、まあ割合この辺りのバンドがつけやすいものになっている。歌詞がヴォーカリストの名になっているから、きっとタイトルもそうなのだろう、とHISAKAは思う。
「でも」
「ん?」
リーダーのつぶやきにTEARは反応する。
「このバンドにこの音はもったいないわ」
「はい?」
何を言い出すつもりなんじゃ。
いつの間にか他のメンバーもHISAKAの声に耳を立てていた。そしてご希望に応えたリーダーは、はっきりと言った。
「FAVさんも欲しいな」
*
「あれ、またヨースケ休み?」
「うん… 誘ったんだけどね」
ハルシが少し高めの声でしゅんとして答えた。予約しておいた練習用スタジオにこの子しかいない。
彼はヨースケより一つ下で、FAVよりは二つ下だった。長く伸ばしてはいるが、色は抜いてもつけてもいない髪を後ろでポニーテールにしている。…これが似合うから不思議なものである。
だからかもしれないけれど、ついついFAVは可愛がりたくなってしまう。わりあい小柄で、言葉少なで、ぽぁんとした喋り方のベーシスト。音は悪くないけど、少しこの性格と相まって柔らかめだった。
「ったく何考えてんだ」
「ねぇFAVさん、けっこうショックだったみたい」
「え」
「こないだのPH7」
「ショック?」
「あいつすごい男尊女卑じゃん」
いきなり時代錯誤な言葉が飛び出してきてFAVはびっくりする。
「だな」
「無理ないよお、オレたちの育ったところって、そうゆうところだったんだから」
「お国柄って奴?」
「うん」
その割にはこの子はそうすれていないのに。もともとの性格の違いって奴だろうか、と彼女は思う。
「だからさぁ、あのひとたちがすごい上手かったじゃない。それであいつ落ち込んでんの」
「何言ってるよ… だったらもっと何とかしろっての」
FAVはそばにあったドラムのシンバルをぺしっと叩く。低い音が響く。
「あのさぁFAVさん」
「ん?」
「あれは、違うと思うの」
「違う?」
「うん」
ハルシはコトバを探しているようだった。あれでもないこれでもない、と頭の中であまり多くないボキャブラリーを必死でつないでいるように見えた。そこでFAVは彼の思考に方向性をつけるべくこう訊ねる。
「『何が』違うの?どういう所が違うか言ってみな」
「あのバンドのヴォーカル。あれって、絶対に、生まれつきのものがあると思う」
「天性?」
「うん。あんときFAVさんも思わなかった? すごい高い声からすごい低い声まで出るし、おまけにすごくよく通る」
すごい、を三連発もしている。ハルシもよっぽどびっくりしたのだろう。FAVだってその時は驚いいていたのだ。
「確かにそーだけどさあ」
「でもあいつの声はそういうもんじゃないじゃない」
「え」
「あいつの声は、カラオケで歌ってる奴に毛が生えたくらいなもんだもの」
FAVは耳を疑った。この子がこういう言い方をするなんて、珍しい。そしていつも黙っていることが多いのに、意外とよく、自分の相棒を見ていることに。
「それにさ、違うの。あのヴォーカリストさんと、あいつの、歌う姿勢ってやつ」
「姿勢?」
「あいつはただ歌っているだけ。確かに楽しそうなのはいいし、感情表現はいいけれど、それってつくりものってかんじだもん。どっかで借りてきた『うたいかた』で歌ってるだけって感じ。でもあのひとのアレって、本物だもん。別に誰かのやり方をまねしているつかそーゆうんじゃなしに、歌いながら、伝えてるもの」
…あ、そうか。
ハルシの見方は正しい、とFAVも思った。もちろん、ただ歌う、ということに価値を見いだす人もいるんだろうし、それはそれで正しい。
けれど少なくとも こうやってアマチュアで、ライヴハウスで少しでも多くの奴の首根っこ掴んででも振り向かせよう、とするときの方法ではないだろう。
だいたい彼女達が派手な格好しているのも、…まぁ好き、というのもあるけれど、まず相手にインパクトを与えたいからだった。振り向かせないと、届かないものだってあるのだ。
そして、何で振り向かせたいか、といったら、伝えたいからだ。ただの目立とう根性かもしれない。自分の見つけた音を「ほれほれ」と相手の目の前にぶらさげて、見せつけたいという気だけかもしれない。正体は知れない。
だけど、その音で、ライヴで、客が全身震わせてノッているとき、無茶苦茶嬉しそうな顔で頭振ったり、メンバーの名を叫んでいる時、少なくとも客の彼女達は幸せで、メンバーの自分達も幸せなのだ。
誰もがその瞬間幸せならそれが一番いーんでしょうに。
だとしたら、奴は違った考え方をしているな、と彼女は思う。
バンドメンバーとしてやっていく、という時には、あんまり彼女は音楽性にはこだわらない。腕と声にこだわっても、その人がどういう音楽遍歴を持っているか、というのはどうでもいいことだった。
当初は違う。同じようなものが好きな連中で始めた。
けれど、ある程度形になってくるようになると、音楽性なんてのは、逆に多少は違っていたほうが、ぶつかりあいになって、結果として面白いものができあがったりする。だから、必要なのは、ぶつかりあいのできる、同じくらいのエネルギー。だけど。
「そっか…」
FAVは手元のシンバルをはじきながら、勢いよく流れる自分の中の考えをまとめあげた。
「ハルシくんや、ヨースケに言っといて」
「え、何?」
「あんたがこれ以上そういう態度とるなら、クビにするよって」
「オレも?」
「あんたはいい子だよ」
ハルシはしばらくその黒めがちの目でじっとFAVを見ていたが、やがてのそのそとベースをしまうと、それじゃ伝えとくから、と言って、スタジオを出ていった。
出ていく彼とすれ違うようにして、遅れてイキがやってきた。手にはコンビニエンスのがさがさと音を立てる袋を持っている。
「ハルシ出てったじゃん。今日も練習やめ?」
まーね、と彼女はつぶやく。
「あの子結構鋭いわ」
「何か言ったのお前」
「別に」
イキは丸椅子に腰を下ろすと、袋からウーロン茶の缶を取りだした。プルリングを外す音が聞こえる。お前もどぉ?と言いながら彼は袋ごとFAVに手渡した。中にはバンドの人数よりも多い缶のジュースや茶達。その中から彼女は百パーセントのオレンジジュースを取った。秋む深まりつつある所であるし、まだ時間がそう経っていないので、缶も冷えたままうっすらと汗をかいている程度である。
「ありがたくちょーだい致しましょ」
「どーも。で、今日も、二人しか残らないって訳ね」
「そういうことになるのかなぁ…」
ハルシは出て言った。ヨースケは来る気がない。結局この二人が残る。いつもそうだった。いろんな理由をつけて、それまでやっていたメンバーが去っていくときの感触。
「駄目なんだろーなぁ…」
「何FAV、お前にしちゃ弱気じゃん」
「だってさぁ、それでもマシなメンバーになったんじゃないかって、思ってたんだよ。これでもさぁ…」
「ふむふむ」
「それともイキあんた、またこうなると思ってた?」
FAVはおそらく、彼に期待していたのかもしれない。いいや、全く思ってなかった。想像もつかなかった。オレ達に見る目がなかったんだろーな… いつもの台詞。
ところが、彼の口から出たのは、彼女が想像できなかったものだった。
「多少はね」
「多少は?ちょっと待ってよ、そいじゃあんた、あの二人も、いつものように離れていくと思ってた訳?」
「何となくね」
あっさりと言ってウーロン茶を飲み干すと、空いた缶にプルリングを押しこむ。微かな音が、響いた。
「何で… あんたも、そう思うの?」
「あのさFAV」
とりあえず座んなさい、と彼はそばに幾つか積まれていた丸椅子を指す。自分で取っておいで、と言外に含めて。FAVはわざわざ音のするように勢いよくそれを置いた。
「それで? どうして? あたしに判るように言ってよ」
「たぶんお前にゃ耳に通っても、理解はできないんだと、思うよ」
「何で」
FAVは眉をひそめる。
「何はともあれ、俺達は、お前を女の子扱いしたかったんだ」
「何それ…」
「別にマスコット扱いしたいとか、そーいうんじゃなくて、姉御でも女王様でも何でもいいんだ。とにかく、可愛がるでも敬うでもいいんだ。別のものでいて欲しかったんだよ」
「何… じゃあんた達はいつも、あたしをメンバーとして見てなかったって訳? あんたもそうだった、っていうの?」
FAVは彼の膝を平手で思いっきり叩く。デニムの突っ張ったパン、といい音がした。イキは何も言わない。そしてFAVはつぶやく。
「あんたは違うと思ってたけれど」
ひどく陳腐な台詞だ、と彼女は言いながらも感じている。
違うと思いたかったけれど。
自分が何か言っているのを、遠目で見ているような自分がいるのが判る。
それまでやってきた連中が、去っていったのはまぁいい。今さっき彼が言ったこと以前の、何かに向けるベクトルの大きさが元々違っていたのだから。そう思えば、少しは気が楽になる。
だけど、この長い付き合いの友人までが、そういうふうに思っていたのには。怒りと同時に、そうなるんじゃないかと思っていた自分もいることにも気付いてしまったのだ。
FAVは知っていたのだ。FAV自身が、彼らを認めてはいなかった。でも、去って言った彼ら、彼らを認める気は今でもない。たぶんこれからもない。そういう人もいるんだ、と別世界のこととして認めるのはいい。でも、同じ場所でやっていく戦友として認める気はない。
「疲れてしまうんだよ、みんな」
イキはぼそっと言った。
「疲れる?」
「誰もがお前ほどの前向きなパワーを持ってるって訳じゃないんだ」
「あたしが前向き? 知らなかったね」
「前向きだよ。前向きすぎて、ついていけなくなるんだ」
「前向きの何処がいけないっての?」
「何もいけないとは言ってないよ。だけど誰もがそういう訳じゃないってことを…」
その途端、頭に血が昇った。冷静なもう一人までもが、その時はFAVを止めることはできなかったらしい。手を精一杯広げて、彼女はイキのほっぺたを思いきり叩いていた。
手の痛みで正気に返った。今度はまともに彼のほっぺたが赤くなっている。ごめん、と彼女はつぶやく。彼は叩かれたところを袋から出した缶コーヒーで冷やしながら、いいよ、と言う。
「悪い。かっとした」
「そりゃそうだろうさ。でもFAV、俺間違ったこと言ってるとは思わない。少なくとも、今まで去って行った奴が全面的に悪いとは言えない。FAVが悪いとも言えない」
「じゃ何が悪かったっていうよ」
「悪いんじゃなくて、『違った』んだ。それだけだよ。FAVが良くないとしたら、それは、見当違いのところを探していたことだけなんだ」
FAVは「は」と苦笑いしながら、
「口が上手いね、イキ。前からそうだった?」
「もう少し早く上手くなってれば、俺、お前に好きだと言えてたよ」
表情一つ変えず、彼は言った。
は?
FAVは目を丸くする。
ちょっと待て。
*
ばすばすと無惨な音を立てて枕が埃をたてる。たてているのはFAVだった。
ああ何ってかわいそーな枕ちゃん。だけどごめんよっ、とりあえず君しか叩くものがないんだっ、と彼女は内心呟きつつ。
壊すほどではないけれど、いまいち生産的なことをする気にもなれない。洋楽のB級のパンク聴いているくらいじゃ、脳天気にもなれない。古典的ハード・ロックは「何自分の世界に酔ってるんだよーっ」と言いたくなってくるからパス。本来それでいいはずなのに。
こう滅入ってくるようじゃ、生理が近いだろう、と彼女も予想はつく。で、たいてい当日には頭はらりぱっぱのくせに、起きあがれないくらいに身体は辛くなる。
あー嫌だ嫌だ。
FAVは内心つぶやく。悩みごとがあるとそれがまともに身体にはくる。疲れる。ため息まじりにまた枕は変形してしまう。
「…たくもうっ!」
枕には悪いと思ったが、気がつくと、わしづかみにしてそれを壁に投げつけていた。
だが、投げた瞬間思いだしたが、彼女はそれこそガキの頃からコントロールというものが皆無だったのだ。
壁に投げたと思ったのに… それが判ったのは、声がしたからだった。
「ぎゃ」
「へ?」
当たったのと、ドアが開くのは同時だったらしい。枕は訪問者の顔にまともに当たってしまった。
「…あ… 大丈夫ですか?」
「…だ、だいじょほぶ」
あまり大丈夫そうでない声が聞こえる。…しまった。カギをかけ忘れていたらしい。たいていは仕事が休みで部屋にいるときも、勧誘よけにカギとチェーンは忘れないというのに。…かなり参ってるな、と反省する。
「ずいぶんなお出迎えですねぇ…」
「はは」
FAVは力無く笑うと、改めて訪問者をまじまじと見た。プラチナブロンドの長い髪の女。見覚えはない顔のような気がするんだが、かなり大柄。少なくともこの外見で勧誘はないだろう。
「ところで、どなたですか?」
「えーっ? もう忘れちゃったんですか?」
「…?」
いやプラチナブロンドの知り合いは結構いるけれど。ただノーメイクで会うことはなかったので。訪問者の彼女はFAVが判らない様子なのを見かねて、
「先日の打ち上げは楽しかった、とうちのバンドの連中も申しておりまして…」
「そ、そりゃどうも」
先日の打ち上げ… 大柄なプラチナブロンド…
「あーっ」
「やっと思い出していただけました?」
あのとき周囲をあおっていた、PH7のリーダーだった。
メイクしているときは、すさまじく美人だったのが記憶に生々しくて、今ここにいる割合すっきりした顔の女と頭の中で一致しなかったのだ。
本日はHISAKAはノーメイクである。
とはいえ、別にここにいる彼女が不美人という訳ではない。顔の中身のバランスは非常に良くて、確かに、この顔にアクセントをつけるメイクを入れれば、すさまじい美人になるんだろうな、と改めて思うのだ。
「ま、立ち話も何ですからどーぞ。汚いところですけど」
「どーも」
確かにあんまり人を上げたい状況ではなかったが、まぁ仕方あるまい。FAVは手早く、散らばっていた本やCDやテープをそれぞれ一所へ集める。お構いなく、と彼女は言うが、そういう訳にもいくまい。彼女は辺りに視線を這わす。ようやくある程度形がついたので、FAVは彼女にたずねる。
「とりあえずお茶でもいれますよ。日本茶でいーですか?」
「好きですよー」
湯沸かしポットに水を入れ、その間にティーポットに葉を入れる。湯呑みは沢山はないから、コーヒーカップで代用。ティーポットだって、彼女は紅茶にもウーロン茶にも使う不届き者なのだ。
湯沸かしのランプの色が変わり、トレイにティーポットとカップを乗せて、部屋の中にちょこんとある座卓に乗せる。だいたいFAVはこの上で手紙も書くし、本も読むし、食事だってする。クッションをすすめたが、大丈夫、と彼女は断った。クッションは一つしかない。
「あー喉乾いてたから美味」
「それであなた…」
何の用、とたずねかけた時、彼女はいきなり、
「あ、すみません、自己紹介し忘れましたね。あたしはPH7で太鼓叩きながらリーダーやっているHISAKAといいます」
「ひさか? それって名字? 名前?」
一瞬マーチングバンドの様相を想像してしまって笑いそうになったが、とりあえずそう訊ねると、HISAKAはにこにこと笑って答えない。まあどっちだっていいか、と思って、FAVは別の質問を投げかけた。
「で、HISAKAさんはあたしにいったい何の用で?」
「いや、勧誘に」
「は?」
「あなたうちのバンドに入りません?」
…あのねー…
少なくとも、彼女がバンドの今の状態を知っている訳ではないだろう。だとしたら、単純に、引き抜きにきているということになる。
「あたしの今のバンドのことは知ってますよね」
「ええ。あなたが作ったものってことくらいは知ってますけど」
…ちゃんと調べてきている。
「でも、あたし達、あなたの音がすごく欲しいって、思ったんですよ。こないだ」
「この間って… あんときは結構演奏は散々でしたよぉ」
「だってあれは、ヴォーカルが弱いんですもの」
痛いところをいきなり突く。こういう顔してこういう事あっさりと言い、またお茶をずずっとすする。
「だいたいバンドのリーダー格のひと引き抜こうってんですから、口にヴェールなんてかけてやいられませんって。別に返事、急がなくてもいいし、断ってくれたって、あなたの自由なのは当たり前でしょーし。やりたくない人とやったって、いい音は出ませんもの」
「そりゃそーだ」
あまりにまっとうな御意見にFAVはうなづくしかない。
「そういえば、FAVさん、うちの演奏どう思いました?」
「PH7の? 正直言って、すさまじく悔しかった、ってところかな」
「それはほめ言葉ですね」
「特に… まあ本人の前で言うのは何だから、他の人のこと言うけれど、あのヴォーカル」
「MAVOちゃんですか」
「あ、彼女そういう名なの」
「たいていの人がアルファベット表記すると読めないんですよね… 単純にあたしが1920年代あたりの芸術運動調べてたときに見つけた単語が彼女の本名に近かったんで」
そして知ってますーっ? とHISAKAは約五分くらい、「そのあたり」の芸術運動について話し、やがてはっとしたように、ああまたやってしまった… と肩を落とす。FAVはあっけにとられたようにその様子を見ていた。何処が単純じゃ、と思いつつ。
「あのひとの… そのMAVOさんの声って、フツーじゃないね」
「ええ。尋常じゃない。あんまりよく通るんで、雨が近い日なんて耳にキンキン響くくらい。…でもうちの連中って、結構みんな大声なんですよね」
「あの派手なベーシストさんも?」
わずかにHISAKAは眉を上げたようだった。かすかに口のはじに笑みを浮かべると、
「TEARですか」
「てあ? てぃあじゃなくって?」
「あれはですねぇ…」
半ばあきれたような、そして半ば面白がっているような表情でHISAKAは言った。
「あれは本名は佳西咲久子とかいうんですけどね、咲久子→裂く子→引き裂く→TEAR…っていう連想でつけたんですって」
「何じゃそりゃ… 風が吹けば桶屋がもうかる、じゃあるまいし… てっきり『涙』の方だとはじめ思ってたよ…」
「だいたいそう思うようですがね。いやあたしも当初そう思ってたし。まぁ本人もそのあたり面白がっているようなんで。…あ、そーいえば、彼女があなたのこと、熱心に推すんですよ」
「彼女が?」
ふとあの時の「派手なベーシスト」がくるくる回る様子が頭の中を走った。鮮やかな風がさっと吹き抜ける。ややぼんやりと思い出していると、その間のHISAKAは正座したまま、ずずっとお茶をすすっていた。
「あーお茶が美味しい」
どうもこの人は言葉と行動と外見のギャップが激しくて、いまいち本心が何処にあるのか掴めない。
「HISAKAさん」
「はい?」
「あたしを女のギタリストだから、誘ってるんですか? それとも」
「正直言って、それもあるんだけど」
「と、いうと」
HISAKAはぐるんと首を回す。こっているようで、ぱきぱきと音がする。
「や、男をメンバーにすると、音楽以外のことで頭を使わなくちゃならないから面倒なんですよ。肩も凝るし。それに、何かしら、一番奥の所で何かが違うというか」
「違う?」
「何が違う、ってまあ言葉で説明するのが難しくて言えないんですけど…まあその中で分かり易い部分と言えば、『音楽が一番か』という部分なんですけど」
「でも男でもそういう奴はいるでしょうに」
「いることはいるんでしょうがね、でもどっかで何処かで生活かかっているとか、家族がどうとか、女の子がどうとか、いろいろ」
でもそれは当然のことじゃなかろーか。、とFAVは思う。誰もが裕福って訳じゃない。たいていのロック野郎は貧乏だし、女の子だっている。
「あ、言い方が良くなかったかな…つまり、音楽のために、生活があるって人があんまりいないんですよ。このあたりに」
「え? 居ないんですか?」
「居ないっていうか… 例えばTEARは放っておけば、もっと簡単に裕福に暮らせたんだって言ってましたがね。父親がロック嫌いで、クラシックやジャズや、そのあたりまでだったら学校にだって行かせてもらえたのに、ロックだったから、家を飛び出してしまったよーな人だし」
「はあ」
「ギターのP子さんは、あんまり学校行かなかったひとだから、ギターがなかったら、ずっと眠ってたかも、とか言ってたし。…それに」
HISAKAは言いかけて止めた。FAVはそれに構わず、
「でもそのくらいはよくあるんじゃ」
「そりゃあるけれどね、野郎なら。ただ、女の子のばあい、女の子だって事情背負った上なら、すさまじく大きなもんだと思うけれどね?」
「…」
確かに、とFAVはうなづく。
変なところで女の子というのは甘えが通じないところがある。流れに流されているのなら、どんな甘えも許されるのに、その流れに逆らおうとすること自体は、男よりも、ずっと厳しい。
「あなたも、そうなんですか? HISAKAさん」
「…」
彼女は笑って答えない。
何かどうもところどころはぐらかされているような気はする。FAVは気を落ちつけようと煙草を取り出すと、吸っていいか、と断ってから火をつける。そして一息ついてから、
「えーとですねぇ」
「はい」
「すぐに答えられるってものでもないでしょう? しばらく考えさせてくださいな。あまり期待せずに」
「そうですね、それが妥当」
まるでこう言われるのが当然という顔なので、小憎らしい。だけどその落ち着きは妙に憎めないのだ。
FAVはこの女のことは、もっとごつい奴かと思っていた。
確かにあの打ち上げの場で見たことは見たけれど、記憶の中により残っていたのは、彼女の姿よりも音だったのだ。
2バス満載のドラム。
FAVも遊びでイキからちょっと教わって叩いたこともあるけれど、体力勝負という点ですぐに投げだした。特に彼女達のやっているような速いナンバーだとすさまじいものがある。
あの速さでずっとやってる訳だろ? どーゆー体力してんだ。
彼はあのライヴの時、そう言っていたような気もする。
少なくとも、FAVの知っているバンドで、あんな無茶苦茶なドラムは聴いたことがない。
たまたまその時のメロディが「鉄腕アトム」を思わせるような「古き良きわくわく」させるようなものだったせいかもしれないけれど、打ち上げ寸前のロケットのように背中を押される感触があったのだ。
それはひどく気持ちのいいものだった。
「あ、でも、HISAKAさん、あんたのことはすげぇ面白い人だと思うから… 今度ライヴ観に行ったときに、遊びに行ってもいいかな?」
「もちろん。歓迎しますよ」
そしてHISAKAは、もう一杯頂けますか? とお茶を頼んだ。




