10 もう一人のギタリスト登場
音に殴られる。そんな感触があった。
身体の芯が揺さぶられる。気がつくと足が腰が腕がカウントを取っている。追いつけないくらいの速さのリズムは、それでもついてらっしゃいとばかりに彼女に巻き付く。
それだけじゃない。
「何なの」音の正体は。
ライヴハウス「オキシドール7」。本日は二バンド。
狭いステージに視線を走らす。バンドの音のかたまり。そう言ってしまえばおしまいだけど、その中に、確かに。
スピーカーの音が大きすぎる?
それだけじゃない。違う。低音の、一直線に、走りまくる…ドラムじゃない。確かにツインバス・ドラムで異常な速さで叩きまくってはいるけれど、…それじゃなくて。
直接、振動が、あたしの中で。
視界に入ったのは、動くたびに髪の大きく広がる大柄な女。とりあえず彼女はこう言うしかなかった。
「…派手… あのベース」
「…お前人のこと言えるの?」
昔からの友人はあっさりと言う。確かにそうだが。言っている彼女の方がずっと派手かもしれない。プラチナブロンドに色を抜いた髪の中にところどころ赤が飛び、重力に逆らって、ほうきやすすきのようにつっ立たり跳ねさせていては、他人に言う資格はない。
「あれ何ってバンド? イキ? 知ってる?」
「あれFAV知らんの? …ちょっと待てよ、お前さあ、対バン知らん、なんて言ったら殴られるぜぇ」
冗談半分、あきれ半分でイキは言う。
「知らんわ。初めて見る」
「…お前なぁ… まぁ確かに今回のはここの店長さんが勝手に決めたんだけど」
はぁ、とイキはむきだしの肩をすくめた。俺は友達として情けないっ、とか言ってウーロン茶を飲み干す。
出番待ちもただじっとしているだけなんてつまんないのだ。
と、言うことで、ステージメイクのまま、FAV達は「出番前の一杯」を引っかけていた。
だが客のいるフロアに出ていったら、一応彼女のバンド目当ての子も多いわけなので、パニックになるのは判っている。だからそんなことはしない。カウンターの陰からそっと、という奴である。
ライヴハウスと言ったって、ピンからキリまである。FAV達がこの日出る予定になっていた「オキシドール7」というのは、ライヴのできるステージとフロアの後方に、何かしらのドリンクが頼めるようになっているところだった。チケットに「1DRINK付き」と書いてあるようなタイプである。
他の所では、もうミニ・ホールとしか言えないようなものも、もう少し規模のでかいものになればあるのだけど、まだFAV達のバンドはそう言った所を埋めるくらいの客を動員できるほどではなかったので、このクラスの所を転々としている。オールスタンディング・対バン有り・チケットも二千円前後位の。
F・W・Aと言うのが彼女のバンドの名前だった。
フラット・ウィズ・アスピリン。長い名前が格好いいじゃん、とか言って彼女が高校生の頃つけた名前である。恰好いいかどうかは、聞く人の判断にまかせるとして、長ったらしくて憶えられにくいのも確かではある。だがその長ったらしい名にも関わらず、わりあいこの界隈では人気が出てきたバンドと言ってもいい。
ロック系の雑誌の、インディーズ・インフォメーションのコーナーでその月の状況が三~四行位書かれる。と、いうことは、全国規模の「雑誌」と言う中でそうなんだから、その地域内ではかなり「知られている」部類に入っているらしい。
とりあえず、この時点では、ロック系の雑誌はあまり多くなかった。ハードロック中心の雑誌が邦楽中心と洋楽中心に一つか二つ。パンク系、ニューウェイヴ、はてにはゲテモノ扱いされそうなものまでぐちょんぐちょんに盛り込んである雑誌が一つ。
まあそういうところは、固定客はついても、新規の客はなかなか増えないような店、のようなノリがある。だが、情報源としては上等な部類かもしれない。
その他、ポップスなのかどうなのか判らないものはそれなりに出回っているようだけど、彼女の目は拒否しているらしく、本屋で立ち読みした、という記憶もない。
F・W・Aというバンド名は、「アスピリン呑んでやっと正常」とかそんな意味あいを絡めてつけたものだった。果たして本当にその意味でいいのかは今はどうだって良い。英語の成績とそれを遊びで使う才能は決して比例しない。
そして彼女はこのバンドでFAVと言う名前でもう四年くらいギターを弾いている。
本名は本名で別にあるのだが、そっちの名で呼ぶ人は音楽関係の知り合いではほとんどいないので、時々忘れそうになって、昼間に生活費稼ぎの仕事で呼ばれても、ついぼんやりとしてしまうことがある。
もともとはアルファベットを適当に並べたものだったけど、結構気に入っていて、本名よりもしっくりきている。
読みにくい名前ではある。Fの発音なんて日本人には馴染みにくい者なのだ。だけどその割には案外覚えられているのは、女のハードロック・ギタリストしての物珍しさもあるのかも知れない、と彼女は考える。
何しろ女性プレーヤーというのは実に少ないし、上手いとなると更に限られてしまうのだから。FAVは自分が上手いなんて考えたこともないが。
「でもめずらしーじゃねえ? お前が知らんってのも」
イキはウーロン茶をすすりながら言う。FAVの手の中にはビールの入った紙コップ。近くのカウンターに灰皿も置いている。
彼はアルコールが呑めない訳でもないが、ドラマーというのは、体には気を使う習性があるらしい。
彼曰く、「だって俺、体が資本だもーん」。
確かにそうだろう。彼の昼のお仕事はどちらかというと肉体労働系である。ヘヴィスモーカーのFAVには耳の痛い御意見である。
「そりゃあたしだって知らんことくらいあるわい」
「あーそう、でも確かにすげぇ女達だなぁ、派手だし上手いしでかいし。三拍子揃ってやんの。俺、お前ほどそーゆうロックやってる女見たこたねーと思ってたけど」
「…あのなー、人の事派手派手言えんの? あんたは」
「FAVには言えるもーん、俺の方が絶対地味」
イキは「地味」の「ぢ」に思いっきりアクセントを置いて言った。だが。彼とて街中に出りゃ派手、と言えるような格好をしているわけで。
上半身裸、エスニックな店のバーゲンで買いあさったようなペンダントをじゃらじゃらとつけ、腰にはやっぱりエスニックな柄のサッシュ。頭にも無造作に髪が目に入らないように何やら巻き付けている。見ようによっては、昔の何処かのアジアかアフリカの国の「人足」。
以前FAVはそう思って、そう言ったことがある。すると彼は何やら怒ったような面をしたから、きっと本人もそう思ってるのだろう。顔は十人並か、それ以上。それはFAVにも断言できた。
「…で、何てバンドなのさ」
「ありゃーさぁ、PH7っーの。最近ここでずいぶん推してるらしいよ」
初耳だった。そんな名は耳にしたことがない。
「あれ、こっちの方では前からやってたっての?」
「いや、どっちかというと、その周辺… いちばん最初に出たのは千葉とか埼玉とか言ってたし… うちらと大して変わんねぇんじゃない? でもここんとこ、そーだなあ… この夏あたりからこっちでも人気出てきてるって言ってたけど」
「ほー… また高校のバケ学の時間のよーな名で…」
「お前化学専攻だったっけ」
「そーだよぉ、楽だと思って取ったらたら何のこたぁない、えらくめんどーだったんで何か今でも憶えてんの。元素記号の周期表なんざぁまだ暗記法憶えてるもんね。暗唱してやろーか?ほれ水兵リーベ」
「…今更嫌なこと思い出させるなっての。だいたいお前それでも俺よっか成績良かったくせに」
「あたしゃ努力家なんだよーだ、あんたと違ってね」
「げ」
「でも憶えやすい名じゃん」
「短いしなぁ」
「うちらなんて、だいたいみんな『ふらっと』ですませちまうもんなぁ…だけどだからって今更名を変えたくはねーもん」
イキは苦笑いを返すと、ステージを指し、気を取り直すかのように、あらためてFAVに対バンのメンバーの紹介を始めた。
「…んでもってなぁ、あのベースの派手な女はTEARっての」
「てあ? へー…あー、でっかい胸。それにしては繊細な御名前」
「何処見てんのよお前…」
イキは腰のサッシュにさしたスティックを抜くと、手首の運動、と言い訳の様につぶやいて、ぐにぐにともて遊び、手首を柔らかく回しはじめた。
「…お、そろそろ最後か」
客の盛り上がりが激しい。と。
「…らすとーっ!」
いきなりその声がFAVの耳に刺さった。
一斉に客がうぉーっ、とこぶしを上げる。
汗と化粧とヘアスプレーの匂いが混ざり合ったものがその瞬間、やや激しくなる。カウント4、雷が落ちたんじゃねーの?と、FAVの背筋が悲鳴を上げた。
そしてそれを合図に一斉に客が頭を振る。
追いつけない、と懸命な女の子は長い髪がもしゃもしゃになっても構ってない。構う暇なんてない。
その髪が汗で人の手や首筋に張り付いて、絡み合ってしまったとしても、そんなことどうだっていーじゃないの、と言わんがばかりに、少女達は全身を振りまくる。この狭っ苦しい会場で。
ステージは客のフロアとさほど高さが変わらない。だから、他のメンバーに比べやや小柄なヴォーカリストの姿はFAV達にはよく見えない。
だけど、声は、飛び越えてきた。
耳につく、赤ん坊の泣き声を一瞬彼女は錯覚した。低音から高音へ一気に駆け登り、一気になだれ込む。
「何この声…」
FAVは思わず両手でカーテンの端を握りしめていた。イキも目を丸くして、つぶやいていた。
「本当に女かよ…」
時々客の隙間からヴォーカリストの金髪が見えた。はちみつブロンドだ、とFAVは思う。
重戦車のツインバス・ドラムが心臓の鼓動よりもずっと速く、十六分音符を走らせる。そしてその上を軽やかに凶悪なスネアやタムが散弾銃のように駆け回る。
そしてベース。直接体の芯に響く。そのままうねうねと複雑なフレーズを叩き弾く。
ベーシストの女は長身らしく、ヴォーカリストよりよほどよく見えた。
濃いメイク。それに負けない派手な顔立ち。大きなぽんとした胸。それはじゃらじゃらと跳ね回るアクセサリーの下に隠されてはいたが、それでも露骨に判る。
だいたいこんなに動きまわるベーシストなんてFAVは見たことなかった。
下のほうだけまっすぐで、先端に大きめのビーズを付けた髪が、くるくる回るたびに広がる。濃いめの金髪が回るごとに透けてきらきらと光る。
上半身と下半身の比率が欧米人のようだった。足がしゃんと長く伸びている。結構大きく広げて地を踏みしめている姿はたくましくも感じられる。
FAVはビールを呑むことなんて、とうの昔に忘れ果てていた。
「…あちゃーっ… 格好いい…」
「はぁ?」
イキは目を疑った。
はぁ、とため息混じりに、ほっぺたに手を当てて彼女はステージに見入ってしまっている。
長いつきあいだが、彼女が別のバンドに見とれた所は彼はみたことがなかった。
そしてFAVは半分悔しそう、半分楽しそうに、彼の肩をこづくと、
「…たくもう… もっと目立ってやんなきゃつまんねーや」
「でもこの後じゃあ不利だぜぇ」
「インパクト勝負はあたしらの十八番でしょ」
「…お前時々古い言い方すんのね…」
彼はため息をつく。
「悪いーっ?」
FAVは肩をすくめて言い返す。
「悪いかよーっ、落語だって好きだし、笑点の「大喜利」はいつも見てるんだ」
「俺がお前の言うことにいつ悪いなんて言いました?!」
イキはげらげらと笑った。
*
だがしかし。実際彼女達の後に演ってみて、げんなりしたのも事実だった。
度肝を抜かれたのはFAVだけじゃなかった、ということだ。特にF・W・Aのヴォーカリストのヨースケは、いつもより精一杯声を張り上げようとしていて、逆効果になっていた。
わりあい整った醤油顔はメイクがよく映える。だがその外見が空回りしているようだと、横で弾いているFAVも、後ろで叩いているイキも、ベースのハルシも感じとってしまったのだ。
もともとヨースケはそう通る声ではないのだ。そして細い声である。ただ感情表現だけは結構豊かだったから、結構メイクで華麗に見えるルックスと相まって女の子に人気があった。それだけに、ショックは激しかったらしい。
終わった後でヨースケはハルシにに当たっていた。
いくら昔なじみだからって、やっていいことと悪いことがあると思うんだけど。そうFAVは思いもしたのだけど、そういうこといちいち言っていたら、イキあたりが「それじゃ俺は何なのよ」とか言いそうなんで、あえて彼女は言わない。
F・W・Aは四人編成である。ギターが一本の、よくある形。ヴォーカル・ギター・ベースにドラム。鍵盤は入れない。
オリジナルメンバーと言えるのは、FAVとイキの二人だけで、ヴォーカルとベースは何度か交代をしている。高校時代の軽音からだからもう結構な年数になっている。
女の子をヴォーカルにしたこともあるし、当初のベースは初心者だった。
正確に言えば学校に軽音ができる前からだった。高校でどうしてもバンドをしたかったFAVとイキがクラスで偶然意気投合してできたのがF・W・Aである。
ただその頃彼女達の学校はいわゆる受験高であったので、軽音楽部はなかったし、学園祭でのエレキ系のバンドも禁止だった。
仕方ないので学校で見つからないような所へバンド活動の足を伸ばしたものだった。
彼女達の住んでいる県の土地柄、ベースキャンプのクラブでやる場合もあった。そういう時には女だと危険だ、なめられる、という周囲の声もあり、イキやらその当時のメンバーの助言もあって、きついきつい、とんでもなく派手なメイクに走ってしまった。
まあはっきり言って、「変装」か「仮装」である。
ところがその「仮装」があまりにも面白かったので、今に至ってしまうのだ。
歴代メンバーはその数だけ色々なタイプがいたが、女の子の中には受験だのなんだので抜けていった子が多かった。自分で演るよりも誰かの追っかけをしていた方が楽しくて楽、と言って去っていった子もいた。
そしてそのたびにその時組んでいたイキ以外の男は言った。
だから女の子は駄目なんだよなー。
FAVはそのたび苦々しそうな顔をする。すると、あ、FAVは別だよ。そうつけ加えて。
実際、誰かを追いかけている方が、楽だろうとFAVでも思う。取り替えが効くし、少なくとも、追いかけている、「形にならない何か」がそいつに見つからなかったとしても、自分の責任にはしない。
おかしなもので、追いかける自分の眼に狂いがあったとは考えないらしい。
追いかけた相手が落ち目になれば、そいつの責任にしてさっさと次の奴に乗り換える。そしてやがて、その行動自体に飽きるのだ。いわゆる「足を洗う」。最後には、そうしていた事も、「昔の美しい思い出」ですませるべく。
だが、FAVはそれで満足できるような性格ではなかった。
もし満足できような性格だったら、自分で楽器持って、指の皮びりびりにして、肩のバランス崩してまで何かを作ろうなんて考えるわけはない。
その追っかける対象の誰かさんが、自分のどうしても欲しい音を、絶対にいつでも必ず作ってくれるという保証なんてないのだ。他人の作るものだから、絶対に自分の欲しいものと一致する訳がない。「近似値」に過ぎない。だったら自分で作った方が早い。
作れないんじゃなくて、方法を見つける努力をしてねーんだ。
少なくともFAVはそう思っている。誰かを待ってるなんてうざったい。
ところが現在のヴォーカルのヨースケはその点についてはことごとくFAVと意見が合わない奴だった。彼の口癖。
だけど女の子って根気がねーからさぁ。
そしてその後にフォローがない。
暗に、だからあんたもそんなことしてないで、楽器やってる誰かのものになっちまえば? と含んでいる。
バンドのメンバーというのは必ずしも「お友達」ではない。特に長期間やっていて、何度もメンバーチェンジしているような場合は、純粋にその腕だけ(声だけ)を求めていまう場合も多い。それが良いかどうかはFAVとて知らない。結局は結果オーライの世界なのだ。
ヨースケはたいてい普段から何人かの女の子を侍らせているような奴で、それこそ、「とっかえひっかえ」という奴である。
一方そのヨースケの昔からの友人であるというベースのハルシはそんな友人を心配しつつ引っついている、という調子で。見ているイキやFAVにとっては涙ものである。
ヨースケにとって、女の子はせいぜいがところクッションなんだろうと彼女は思う。柔らかくて、あったかくて、手を伸ばしたらいつも居る、程度の。
「で、今日も、打ち上げを途中で脱走しました、か」
そうつぶやくイキに、ぽりぽりとFAVはほっぺたをひっかく。だが、汗をかかないためにしっかり定着していた厚塗りファンデーションが取れて爪の間に入るのが嫌なので慌てて手を引っ込めた。
「奴にとっちゃ、大事なことなんだろーな」
イキはあっさりと同僚の感想を述べる。
「そーゆーもんかね」
「やはりねぇ」
「生理的欲求? あたしにゃ判らねーや」
「まぁそんなとこだろーな」
ライヴの後、FAVはそれなりに知り合いの所へ顔を出した後、イキと一緒に呑んでいた。まあようするに打ち上げという奴である。PH7のメンバーが別の席で呑んでいるのも見える。
オキシドール7の入っている同じビルの地下につい最近になって、チェーン店の居酒屋が開店した。夏祭りの頃はまだ空きになっていた店舗で、夜中遅くまでやっているので、バンドの打ち上げにはもってこい、とよく使われる。
「こーしておっ酒がのっめるのはっ」
何処かで一気呑みをしている。あまりにそのヴォリュームがでかいんで、何処かと振り向くと、それがPH7の連中のいるテーブルだった。
幾つかのテーブルを動かしてくっつけている真ん中に、二人の女が立ち上がってコップを手にしていた。一人はプラチナブロンドに色を抜いた長い髪がゆらゆらとしている。
フロントには居なかったから、きっとこれがドラムを演ってるリーダーって奴だろーな、とFAVは思う。
そしてもう一人は、真っ赤な髪がこれも長く、バンダナを巻いている。髪の色に見覚えがある。ギタリストだった。
あれ、と思ってFAVはそのあたりをきょろきょろと見渡した。あの派手なベーシストは。…いた。
酔っているらしく、真っ赤な顔になって、手をぱしぱしと叩いている。結構大きい手だ。だが単に叩いているのではなく、横のはちみつ色の金髪の子をぐいんと引き寄せたまま、という感じで。中では小さい方だから、きっとこれがヴォーカリストだろう。顔は見えないけれど。ベーシストが守っているようにも見える。
「ほれ一気!」
二人とも周りがだんだん静かになっていく中、だんだんとコップを空にしていく。ほとんど同時に二人が空けてしまったとき、周りからうぉーっ、と声が上がった。
「やるなぁ…」
「ほんじゃ次あたしーっ、誰か相手いねぇっ?」
絡めていた腕をほどいて、ベーシストが立ち上がった。十分酔っているみたいだったけれど。立ち上がる瞬間に大きな胸と何連にもつけたペンダントがぽん、と跳ねた。彼女はきょろきょろとあたりを見渡すと、ふとFAV達の方へ視線を移した。
と。
「FAVさん?」
思わず視線が合ってしまったのでFAVは心臓がばくんと動いた。
ベーシストの彼女はにっと笑うと、どいてねー、とか言いつつ、狭い座席をかき分けてFAVの前に来た。
「ふらっとのFAVさんーっ?」
「…はにゃ?」
「一気しましょうっ」
何て強引な女なんだ、と思いはしたが、ベーシストの彼女は確実に酔っている。そしてそのでかい手でFAVの手首を掴むと、何処にこんな力あるんだ、と思うくらいに酒の席の前で一気に引き上げた。
「…そーですねーっ、親睦をふかめましょーっ」
プラチナプロンドのリーダーが実ににこやかにそんなことを叫んでいる。…よく目を凝らすと、異常に美人だ。これがさっきの地獄の重戦車のツインバス踏んでたなんて。
「それではカウントようございますかぁ?」
多少間延びした低めの声が赤毛のギタリストの口からもれる。この女は全く酔っていないらしく、一気した後に満たしたコップがもう空になりかかってる。
「いっきまーす」
ヴォーカリストの声に、FAVは思わず渡されるコップを素直に受け取ってしまっていた。何故かは全く判らない。だけど、この声に言われたら、そうしなくてはいけないんじゃないんか、という気がしてしまったのだ。
不釣り合いなくらい大きな黒革のリストバンドをつけたヴォーカリストの手が高々と上がり、FAVは強引にベーシストに肩を組まされてしまった。FAVは心中、悲鳴をあげる。
ひえい。胸が当たるっ。
「おーい大丈夫かぁ?」
遠くからイキがおそるおそる声をかける。ええい、こうなったら意地じゃ。FAVは周囲のカウントに合わせてコップの中身をあおった。




