夜明け前より瑠璃色な
短いです。散文的。
ブログサイトがありますので、そちらもどうぞ。作者紹介ページから繋いでいます。
鮮やかに目を焼く斜光、月の光、産み出る朝日の輝きの。
夜明け前より瑠璃色な
ともかく今言えることは彼女と俺が此処にあるという事実だけで、それだけでも奇跡のようだとさえと思えたのだ。祈るように。願うように。或いは他の何かを、望むように。
彼はただそこにいるだけなのであり決して何かを模倣しているという訳ではなかった。けれどその行為は何か、何処かを真似るように繰り返す行為でありそれでいてなんにでもならないというもので、結局は無に帰る、それだけのものであった。暁を覚える空が徐々に明るみを増して、うつくしく、うつくしく湖の蒼をそらんじて映し出す。何処までも済んだ蒼の塊、ただっ広い二人だけの湖には光が差し込み、冷え切った水面をきらきらと反射させた。もう何度も見た光景なのだけれども、それでもそこには何ひとつ同じものなどなかった。知っている。それでも何度も諦めずにそれを掴もうとするのは、願おうとするのは、愚かなことだろうか。
それでも彼は幾度もこの空を描くのであり、遠い記憶になぞらうようにこの空を見ている。うつくしいという感情は誰が名づけたのか、それはわからないけれども、それでも今は共感できるとさえ思えたのだ。彼が今手に持つのはさして明るくもなどないちっぽけな未来で、それから隣に寄り添う彼女であり、あとはただなけなしの人間模様だ。それから、ちいさな棒切れを持っている。何を描くというわけでもない、けれど描かないというわけでもなかった。ただ彼の足元には薄くかき消された何かのあとがあって、ぐしゃぐしゃにつぶれた砂模様が伸びきった雑草の蒼さに邪魔されてよくは見えないが、何度も何度も、繰り返し描かれた跡だった。それは彼がただひとつ思いあげた何かを示すもので、彼はそれをいとも間違ってしまったかのように消去してしまっている。本当は、そこには何一つ間違ったものなど、いけないものなど、何処にもないというのに。けれども彼はまだ気づかない。
もしも気づくとしたら、それはきっと十年も数十年も後のことであろう。彼は悩むのだが、答えは出ない。そこに答えなどありはしないのだから。 彼はただ、湖の畔、せせらぐ水の香りに埋もれて、明けゆく空を見ている。寄りかかる彼女はまだ目を開けない。安らかに、ただ、緑に囲まれて、そこで暖かな命の温もりを彼に与えているのだ。やわらかく主張する彼女の心音は、ただ、緩やかに留まることなく回り続ける。いつか、この風景さえも思い出になるだろう。そのときまで、待てばいい。訪れてくれると願う。
そうして、朝が。朝日が漸く重たい腰を上げて、空を支配しようと足を踏み出した。じいっと待ち構える地平線の彼方に、赤の片鱗がちらついて現れる。蒼と、赤の壮絶なキャンパスの中に、一際の輝きを乗せて太陽が姿を見せた。明るく、この蒼と交じり合う金色の光が。見上げれば遥かに高い瑠璃色の世界。渦巻く青い風を取り巻いて、ただ、抜けるほど高く、丸く、そこに立ちすくんで待っていた。ただ、口を閉じて、しとやかに。いつか彼女にも伝えられるだろうか。この空がうつくしいこと。描く何かを言葉にすること。今、このうつくしさを、思うがままに彼女の記憶の中に、留めておけたら。
仰ぐ、夜明け前の空。この空より瑠璃色な空なんて、二度とない。