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そのご

「“竜殺しの英雄、その身に受けし血の恩寵にて、あらゆる刃とあらゆる魔法より護られる”」


 ミーケルは歌いながら、軽やかに舞うようにオーウェンの剣を避け続ける。

 さらに魔術やフェイントも多用し、鋭く速く突きを繰り出してくる。


 戦い難い相手だ。

 鎧と剣の重さの分、攻撃の速さではオーウェンが不利なのだ。

 確かに、オーウェンの一撃が当たるだけで、軽装のミーケルは致命的な負傷を受けることになるだろう。だが、ミーケル自身もそれを十分承知している。慎重に……いっそ逃げているだけではないかと思うくらい慎重に立ち回っている。おかげで、オーウェンの斬撃はすべてほんの少し掠める程度だ。致命的な斬撃は確実に躱されている。


「“おお勇敢なる英雄よ。だが定命たるがゆえ、彼の者は完全から遥か遠い”」


 ミーケルの突きが、さらに速さを増したように感じる。

 歌いながら激しく動き回っているのだ。息が切れても良さそうなのに、その声量は変わらず……吟遊詩人というのは、思っていたよりも体力があるものなのか。

 かつん、かつんと小さく音を立てて、細剣の剣先は確実にオーウェンの鎧の継ぎ目や留め金を突いていく。ミーケルがやろうとしていることにオーウェンも気付き、わずかに目を眇めた。


「“その身に残されし痣は、竜の血の祝福の、不死の護りの及ばぬ一点を示す”」


 閃くような細剣の剣先で、またもや正確に鎧の継ぎ目を突かれる。


「何?」


 そこからわずかに違和感を感じて、オーウェンは思わず声を漏らした。


 ミーケルは、どうやらオーウェンの鎧を狙っている。

 オーウェンがつけているような板金鎧は、身体にきちんと合わせ、しっかりと止めてあってこそ、はじめて役割を十分に果たすことができるのだ。少しでも留め金が緩んだり継ぎ目が外れたりすれば、たちまち動きを阻害するだけの邪魔者に変わってしまう。

 ミーケルはそれを狙っているのだろう。騎士や戦士らしいとは言えない戦い方だ。ミーケルの意図に気付いた者がいるのか、見物する者の中からも不満げな声が漏れ聞こえてくる。


 ……だが、ミーケルは騎士でも戦士でもない。何より、“詩人の戦い方”を了承したのはオーウェン自身だ。それに、ここが戦場であれば相手の戦いかたなど些末事でしかない。結果がすべてとなる。


 ならば、自分の鎧が保つうちに勝負を決めればいいだけの話だ。


 剣戟はますます激しくなる。

 突くことを主体に細剣を巧みに操るミーケルと、力の乗った勢いのある斬撃を繰り出すオーウェンの、対照的なふたりの戦いの行方を、皆が固唾を呑んで見守っている。

 俯いていたエルヴィラも、いつの間にか顔を上げていた。不安げな表情のまま、ふたりの勝敗が決する瞬間をじっと待っている。


「“英雄の痣、不死の護りの及ばぬただ一点。欺きと乙女の裏切りにより、(かたき)の知るところとなる”」


 すぐに息を切らして途切れると思ったミーケルの歌は、変わらずに続いている。動くたび飛び散るほどにびっしょりと汗をかいているが、呼吸はしっかりと安定している。

 あっという間に折れてしまうように見えた細剣も、折れることなくオーウェンの剣を受け流し、突きを繰り出し続けている。


 これは少し侮っていたかもしれないとオーウェンが考えた瞬間、また細剣が鎧の留め金を突いた。

 とたんに、オーウェンの目が眇められる。

 どうやら、今の一撃で留め金が緩んだか壊れたか、肩当が少しずれてしまったようだ。オーウェンの右腕が何かに引っ掛かり、動かしづらくなってしまった。

 ミーケルがようやく笑みを浮かべる。


「“不死なる神々(イモータル)にも等しき英雄の力は衰えることを知らず……だが、無敵なる英雄の痣、不死の護りのただひとつの瑕疵(きず)(かたき)の刃が貫きぬ”」


 動かしづらくなったオーウェンの右側を、ミーケルは何度も狙う。

 執拗に狙われてとうとう腕当を止める革帯が切れたのか、二の腕を締めつける感覚が消えて腕が上がらなくなった。

 思わず出たオーウェンの舌打ちと同時にミーケルの姿が消える。

 すぐに来ることはわかっていた。

 再び現れたミーケルをすかさず薙ごうとして……ずれた鎧に邪魔をされる。

 ぴたりと喉に突きつけられた細剣に、オーウェンは、ここまでか、とひとつ大きく息を吐いた。

「猛き戦神よ、此度の戦いにて得たものに、感謝いたします」

 からんと音を立てて剣を落とし、両手を上に掲げる。


「……吟遊詩人ミーケルの勝利だ」

「青銅竜アライトの牙と鱗と名誉にかけて、勝敗は決した。吟遊詩人ミーケルの勝ちだ、双方、誓いを果たせ」

 教会長の宣告と同時に、アライトもばさりと翼を広げ、吠えるように高らかに宣言する。笑うように目を細め、天に向かって咆哮を上げた。

「なかなかいい勝負だったぞ!」




 ふう、と深く息を吐いて、細剣をしまうミーケルに、オーウェンは手を差し出した。少し考えて、ミーケルはその手を握る。


「私の完敗だ。どうやら私も増長に囚われていたらしい。この敗北は、戦神のお示しになった私への戒めなのだろう」

「そう?」

 苦笑を浮かべるオーウェンを、ミーケルは訝しむように首を傾げる。ああ、と頷くオーウェンは、ふと何かを思いついたように口角を上げる。

「吟遊詩人ミーケル、ひとつだけ聞かせてくれ。貴様にとって、我が妹(エルヴィラ)とは何だ?」

 面食らったようにミーケルは瞠目し、それから少し考えて……決まり悪げに、やや目を逸らし気味に小さくぽそりと答えた。

「……ヴィーは、僕の“唯一”だ」

「そうか!」

 たちまちオーウェンは破顔し、もう一度しっかりと、力一杯手を握る。慌てて振りほどき、痛そうに手をぶらぶら振るミーケルを見て、愉快そうに笑う。

「貴様の必死な顔を見られただけで、この戦いには十分得るものがあった。エルヴィラにも見せてやりたかったな……あの、真剣すぎるくらいに真剣な貴様の顔を」

 盛大に顔を引き攣らせたミーケルに、オーウェンはもう一度笑う。それから空を仰ぎ、胸に下げた戦神の聖印を握り締め……俯向くように聖印を額に押し当てて、祈りの言葉を唱え始める。


(いくさ)と勝利を統べる猛きお方に感謝を。確かに私は敗北を喫したが、この戦いで得たものは多く、そして大きなものだった。

 願わくば、我が妹の戦い(前途)に、大いなる勝利と猛き戦神の祝福があらんことを」




「……兄上」

 いつの間にそばに来ていたのか。

 エルヴィラの呼び掛ける声に、オーウェンは顔を上げる。

「おお、エルヴィラ。負けてしまったよ」

 おずおずと歩み寄る妹の姿に、オーウェンは困ったような笑みを浮かべた。ひょこんと肩を竦めて、ひとつ嘆息する。

「お前のことばかりを言えないな。どうやら私も増長と傲慢に囚われていたようだ……あんな軽装の、戦士でもないものに負けるわけがないと侮った結果がこれだよ。

 だからこの敗北は、戦神が私に下された戒めなのだな」

「兄上!」

 今にも泣き出しそうな表情でじっと見つめるエルヴィラに、オーウェンはくすりと笑い、手を伸ばす。

「エルヴィラ、何か言いたいことがあるのだろう? かわいいお前の言葉だ、ちゃんと聞くから言ってごらん。お前は何を望んでるんだ?」

「兄上……」

「ん? どうした? さあ」

 オーウェンはとても優しい顔で首を傾げる。そんなオーウェンに何かを言いかけて……けれど何も出て来なくて口を噤むのを何度か繰り返してから、エルヴィラはぐっと拳を握りしめた。

 何から話せばいいのかと迷うように視線を巡らせ、それから、エルヴィラはもう一度思い切って口を開く。


「兄上、私は、ミケと一緒にいたいんだ」

「うん?」

「その、都を出たときは、私が父上に勘当されたこととか、他のいろんなことの責任を取らせようと思ってたんだけど、今は、違うんだ」

 なかなか言葉の出てこないエルヴィラに、オーウェンはゆっくりと頷き、次の言葉をじっと待つ。

「あ、あの、兄上」

 じっと考えて、きょろきょろと視線を彷徨わせながら、エルヴィラは続ける。

「私は、“堕天”に触れられて、こんな風に、“悪魔混じり”みたいになってしまって、もうどこにも行けなくなってしまったって思ったんだ。診てもらった太陽神の教会でも、どうなるかわからないからってそのまま止め置かれそうになって、ミケにも迷惑かけると思ったし、かといってこんな(なり)では都にも帰れないし……だから、その、全部から逃げ出したんだ」

 エルヴィラはきゅっと引き結んだ口元を震わせた。ずっと心にのし掛かっていたことなのか、おどおどと伺うようにちらりとオーウェンを見る。

「こ、怖くて、だから、戦うこともしないで、ただ、逃げたんだ」

 エルヴィラは、涙が溢れるのを堪えようと、ぐっと唇を噛み締める。その時のことを思い出すかのように目を伏せて。

「で、でも、ミケは追いかけてきてくれたんだ。私は変わってないって。変わってないんだから、誇っていいって。

 ……あんな怖いものに触られて、姿が変えられても中身は変わらなかったんだから、誇りに思えって言うんだ」

「そうか」

 オーウェンはエルヴィラのほうへと一歩出て、優しく抱き締める。あの男が、姿の変わってしまった妹を貶めるような者でなくてよかったと考えながら。

「そ、それに、いろんなところに連れてってもらうんだ。一緒に、いろんなところへ行こうって、約束もして、その、だから……」

 必死で言葉を探すエルヴィラの背を、オーウェンがゆっくりと優しく、まるで子供を落ち着かせるように叩く。

「あ、兄上、私は、ミケが好きで、だからミケと一緒にいたいんだ」

「そうか」

「あ、兄上が迎えに来てくれたの、嬉しかった。でも、帰りたくない。ミケと一緒にいたいんだ……ご、ごめんなさい、兄上」

「謝る必要などないよ。お前がそう決めたのなら、その通りにすればいい。お前はもう子供ではないんだろう?」

「あ、兄上……」

 そう言いながらも、自信なく揺れるエルヴィラの目に、オーウェンは内心首を傾げる。ミーケルの語った“唯一”だという言葉は、いったい何だったのか。

「……エルヴィラ、彼とは将来の約束を交わしているのか?」

「そ、それは、その……」

 言い淀み、おろおろと目を泳がせるエルヴィラに、オーウェンは瞠目する。

 なんということだ。

 あの吟遊詩人の、なんと情けないことか。


 ならば……そういうつもりだというなら、カーリスの家の恐ろしさを、その身で思い知ってもらおうではないか。


「……エルヴィラ。お前はそれでもカーリス家の娘なのか?」

「あ、兄上?」

 口調を改め、厳しい調子で、オーウェンはエルヴィラを言い含めるように告げる。

「祖父はもちろん、母上だって勝ち獲ってきたのだぞ。お前もカーリスを名乗るのであれば、それに続け。勝ち獲ってみせるのだ」

 顔を上げて驚くエルヴィラに、オーウェンは顔を顰めてみせる。

「でっ、でも、兄上」

「ただし、もし奴がこんなにかわいい妹を(もてあそ)んで捨てるような男だというなら、その必要はない。私もソール兄上も、それにセロンだって許さないよ」

 顔を覗き込まれてごくりと喉を鳴らすエルヴィラに、オーウェンはゆっくりと、まるで引導を渡すように続けた。

「そのような(やから)だというなら、今度こそ万全の準備を整え、彼に生きていることを後悔させてやるが? エルヴィラ、あれはそんな男なのか?」

「あ、あ、あ、兄上、それは、大丈夫、だと、思うんだ」

 あたふたと大丈夫を繰り返すエルヴィラに、オーウェンはまたにこりと微笑む。

「ならば自信を持て、エルヴィラ。お前のようなかわいい娘は他にいないんだから、カーリスの娘ならしっかり勝ち獲っておいで。いいか、くれぐれも逃すんじゃないぞ」

「……兄上!」

 抱きついたエルヴィラの頭を、オーウェンはゆっくりと撫でる。

 やはりうちの妹は最高にかわいい。

 頭を押し付けるように抱きつくエルヴィラの頭をひとしきり撫でて、それから、頬に手を添えて顔を上げさせる。

 じっと目を覗き込み、「近いうちにいちど都に帰っておいで」と額にキスをする。

「私も皆も、お前のことを心配しているんだ。いいね?」

「う……兄上、兄上、大好きだ、兄上!」

「あたりまえだろう。私もお前のことが大好きだよ。もちろん、カーリスの者は皆、お前のことが大好きだ」

 エルヴィラを優しく撫でて、オーウェンは笑みを深めた。

「……そうだね、今度都に帰る時は、彼も連れてくるといい。お前の凱旋を皆で待っているよ」

「兄上、兄上!」

 エルヴィラは輝くように笑って、「わかった」と頷いた。




 本格的な冬が到来する頃、オーウェンは最後の北行きの船で帰っていった。

 家族に宛てたエルヴィラの手紙を預かり、くれぐれも今後はマメに連絡を寄越すようにと言い含めて。

 もちろん、いくつもの魔法薬や護符を、エルヴィラに渡すことも忘れずに。




 ──そして、エルヴィラがオーウェンに約束した“凱旋”が叶うのは、次の夏が訪れる頃だった。




作中でミーケルが歌っている英雄譚のモトは、「ニーベルンゲンの歌」です。岩波文庫で出ている四行詩版をその昔読んでうろ覚えなまま、歌っぽく書き起こしたものでございます。

ジークフリートもその他の騎士も皆愛すべき脳筋で頭悪くて楽しいです。ヒロインのクリームヒルトも最凶すぎるし、オススメなので機会があったら是非に。

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