そのよん
ミーケルが準備をする間、オーウェンは再び戦神に祈りを捧げる。
この戦いの勝利を感謝し、続く戦いの勝利も願って。
それからもう一度ミーケルを見る。
兜もつけず、鎖帷子を着ただけの姿に思わず眉を顰める。重装の戦士相手にそんな軽装で戦うつもりか、と。武器は腰に佩いた細剣だろう。
あれで勝つつもりなのかと誰かが失笑を漏らす声が聞こえてくる。相当自信があるか、それとも最初からやる気がないのか……いったいどちらなのかをはかりかねて、オーウェンはわずかに目を眇めた。
「ミケ……」
ミーケルはへたり込んだまま顔も上げられないエルヴィラへと近づくと、頭をひとつ撫で、それから腕を掴んでぐいと立たせた。
「ほら、外に下がって。で、僕の勝利でも祈っててよ」
軽い調子で言って背を押すミーケルに頷き、エルヴィラはゆっくりと柵へと向かう。泣きそうな顔のまま、何度か振り返りつつも柵に辿り着いたことを確認して、それからミーケルはオーウェンに向き直った。
「では、“古の約定”に従い、決闘に臨んでの取り決めをしようか」
優雅に一礼し、場内に朗々と響くほどの声で述べるミーケルに、オーウェンは思わず目を細めた。
「“古の約定”?」
「そう。古より伝わる決闘のしきたりだ」
聞いたことのない単語に訊き返すと、ミーケルはにっこりと微笑み、やや芝居掛かったような身振りを交えて説明をする。
「決闘に際しての正当なる取り決めと要求を定め、双方とも戦いの条件および結果と要求には必ず従うと誓うんだ。
──後に禍根を残さないためにね」
なるほど、詩人であればそういったものにも詳しいのであろう。詩人の戦い方、というものか。
「これに則って決めたことには誓いが伴う。だから、必ず従わなければいけない。
……どう?」
「よかろう」
オーウェンはゆっくりとしかつめらしく頷きながら、ミーケルの言葉を頭の中で反芻する。ミーケルは微笑みを浮かべたまま、言葉を続ける。
「では、改めて、取り決めを定めよう」
「ああ」
「今ここで君の武器をふたつ選び、勝利の暁には僕に何を望むかを決めてくれ。
ちなみに、選んだ武器以外を使うことはできないから、きちんと考えて決めるといい」
まるでこちらが何を考えているかには関心がないかのように、ミーケルは自分の細剣の刃を眺める。武器をふたつか、と呟いて、オーウェンは自分の腰に佩いた剣を確認した。
順当に考えれば、オーウェンの武器は長剣と神術であろう。神より賜る神術の無い司祭など、戦士に劣る戦いしかできない。戦神に仕える司祭の勇猛な戦いぶりも、その神術あってこそだ。
だが、相手は戦士でも騎士でもなく、軽装の詩人ひとり。詩人は魔術を使うこともできるが、それは魔術師の魔術ほど強力なものではなく、ごく些細なものばかりである。
……何よりエルヴィラ相手のときは、神術を使わなかった。
そこまで考え、オーウェンは決断し、ミーケルへと指を突きつける。
「私の武器はこの長剣と小剣だ。
私が勝った暁には、貴様の我が妹に対する謝罪と、名誉回復に努めることを求める」
「それが君の取り決めと要求だね。了解した」
ミーケルは微笑みを浮かべたまま、やはり芝居掛かったように大きく頷いた。
「僕の武器は細剣と詩人の技だ。このふたつを使って戦うとしよう。
僕の勝利により、君に求めるのは……そうだね、僕が勝ったら、エルヴィラ・カーリスが彼女自身の望むように行動することを求める。
君がエルヴィラの行動に口を出すのは、控えてもらいたい」
オーウェンは、ミーケルの要求に、怪訝そうに眉を顰める。
エルヴィラの望むように? 口を出すな?
ちらりと目をやった先で、鍛錬場の端にうずくまるように俯くエルヴィラを確認する。
いつだって、妹が妹らしくあれるようにと考えてきた自分に対する要求が、それだというのか。
「……そんなことでいいのか。構わん、承知した」
は、と息を吐き、オーウェンは兜の留め金を確認し……いや、と思い直す。軽装の相手なら、視界を確保したほうがいい。兜を脱いで、端に置く。
では、と鍛錬場の真ん中に戻ろうとして、柵を越えて男がひとり、入ってくるのが視界に入った。いったい何者かと確認すれば……アライトと名乗っていた長身の男ではないか。
真ん中で向かい合うオーウェンとミーケルの横に立ち、アライトは笑みを浮かべたままいきなり口上を述べ始めた。
「戦神の司祭オーウェン・カーリス、吟遊詩人ミーケル。“古の約定”に従い、おのおのの決闘の条件は今定められた」
アライトの声は、場内に轟くように響く。
いったいこいつは何なのだと訝しむような視線が集中しているが、アライトは怯むようすも気にしたようすもまったく見せない。
「ひとつめ、おのおのの使う武器はふたつまで。オーウェン・カーリスの武器は長剣と小剣、ミーケルの武器は細剣と詩人の技。それ以外の武器を使うことは許されない。戦いの場はこの鍛錬場の柵内だ。
ふたつめ。勝負はふたりのどちらかが負けを認めるか、3度地に臥すまで。
みっつめ。敗者は勝者の出した求めに従うこと」
「いったい、なんなのだ」
少し呆然としたまま呟くオーウェンに、アライトはにやりと笑ってみせる。
「立会いは、まずそこの、戦神教会の教会長だ。お前は神の名において、この決闘の正当な証人となることを誓うか」
「もちろん誓う。だが、お前はなんだね?」
不快げに眉を顰め、怪訝そうな表情を隠そうともせず、教会長は尋ねた。だが、アライトはにやにやと笑みを浮かべたまま、伺うように小さく首を傾げるのみだ。
「俺もこの決闘の立会いだ」
「なぜ、お前が?」
なおも不審げな態度を崩さない教会長を、鼻で笑い飛ばすようにアライトは尊大な態度で告げた。
「“古の約定”に従った決闘なんだ、牙と鱗と名誉にかけて、この青銅竜アライトも証人となってやる」
「……竜、だと?」
さすがに教会長もオーウェンも瞠目する。目の前の男が竜などとはにわかに信じ難く……じっと見つめるひとびとの目の前で、アライトの輪郭が不意に歪んだ。確かに人間の男だったものの姿が膨れ上がり、一頭の、青銅色の鱗を持つ大きな竜へと変わる。
驚き呆気にとられたひとびとが、またざわざわとどよめき騒ぎ出す声を、竜は咆哮ひとつで黙らせる。
「“古の約定”に従い、決闘の条件は定められた。おのおの、取り決めに従い3度地に伏すか負けを認めるまで戦え」
竜はこの場に轟くような声で宣言を繰り返し、もう一度咆哮を上げた。
「俺が牙と鱗と竜の名誉にかけて、結果を見届けてやるから安心しろ」
竜とひとびとに見守られ、オーウェンとミーケルの戦いが始まった。
細剣を正面に突き出すように構えるミーケルと、盾と剣を中段に構えるオーウェンが、急に動き出す。
踊るようなステップで巧みにオーウェンの斬撃を躱しながら、ミーケルは素早く鎧の継ぎ目や留め金を狙うように剣を突き出す。
やはり、力よりも速度や正確さに重きを置いた戦い方のようだ。
だが、速度を是とする戦いは、短期で決められてこそだ。戦いが長引けば疲労がたまる。足も手も思うように動かなくなる。ついには動けなくなり、相手に捉えられて終わるというのが常だ。
このミーケルという男は、どこまでこの動きを維持できるのか。
オーウェンは、ふ、と笑いながら剣を繰り出す。スタミナ勝負というならオーウェンに分があるだろうに、それがわからないというのか。
それに……いかに変則的に動こうと、戦いが長く続けば動きにだって慣れる。
だから、捉えた……と思った。
ミーケルが移動した先に、これは避けられないだろうという斬撃を繰り出して、ここまでだったか、と考えた。
──が、確かに捉えたはずのミーケルの姿が掻き消える。どこに消えたと思った直後、後ろに気配を感じてオーウェンはすかさず振り向いた。
「“詩人の技”、か」
極々短距離の転移魔術だろう。なるほど、これは確かに一筋縄ではいかない。逃げずに受けて立ったこと自体だけで、十分な賞賛に値すると考えていたのだが、どうやらオーウェンの認識は間違っていたようだ。
ミーケルは勝つつもりでいるのだろう。
「“かつて、竜殺しと名高き英雄あり”」
呟くように歌を口ずさみながら素早く突き出されたミーケルの剣先は、力強く正確にオーウェンの鎧の留め金を狙う。
詩人は、紡ぎだす歌に魔法を乗せ、ひとの持つ力を底上げしてくれるという。
ミーケルは、その詩人の力を、今、自分自身に向けているのだろう。
速さと威力を増したミーケルの突きに、オーウェンは思わず笑みをこぼす。
なるほど、それでは、この男は意外にも本気であったということか。
本気で、エルヴィラのために勝とうとしているということか。
この吟遊詩人のために戦ったエルヴィラと、エルヴィラのために本気で勝ちに行こうとしている吟遊詩人。
なら、自分も全力を尽くさねばなるまい。
「猛き戦神の輝ける剣にかけて。お前と戦えて嬉しいぞ、吟遊詩人!」
投げかけられたオーウェンの言葉に、ミーケルは少し嫌そうに、まるで「不本意でしかたない」とでも言いたげに顔を顰めてみせた。