そのいち
「“猛き戦神の御名と輝ける剣にかけて、我が妹の元へと至る道を我の前に示し給え”」
戦神に“助言”を乞うための聖句を朗々と紡ぎ、戦神へと捧げる供物の宝剣を高く捧げ持つ。じっと精神を集中し、祈りを呟き、戦神の言葉が与えられるのを待つ。
神の“助言”は必ずしも得られるわけではないが、それでも聖句を唱え続ける。
……幾ばくかの時の後、ようやく祈りは戦神に聞き届けられたのか、宝剣は神の元へと召し上げられた。同時に、神に同調したオーウェンの頭の中に、戦神の言葉が響く。
曰く、“次の船に乗り、深淵へと届く裂け目の港を目指せ”と。続けて、“竜の名を戴く古き町にて、最初に出会う金の髪の娘が求める者への標となるだろう”と声は告げ、オーウェンの同調は解かれる。
つ、と汗がひと筋伝う顔を上げ、祭壇の前に掲げられた聖なる紋章と、剣を捧げ持つ戦神の像にオーウェンは頭を垂れた。
「猛き戦神よ。あなたの助言に感謝いたします」
家長である父からようやくエルヴィラの迎えの許しを得、神より居場所の手がかりを示され、これでようやくかわいい妹を取り戻すことができる。
長かった。
1年、侯爵家の流した噂をやんわりと否定しながらじっと耐え忍ぶのみだった。
ようやくだ。
許されるなら、妹を不名誉に陥れた侯爵家の姫など神の前に引きずり出し、断罪してしまいたかった。カーリス家の長女にして戦神教会の騎士隊の一員であるエルヴィラをわざわざ護衛にと望んでおいて、この仕打ちはなんなのだ。
……よりにもよって、エルヴィラが流れ者の吟遊詩人の男にうつつを抜かした挙句、姫から寝取ったなどとはいったいどんな言い掛かりだ。
エルヴィラを知るもので信じたものは誰ひとりいなかったことは、幸いであったが。
次の南行きの……神の仰った“深淵へと届く裂け目の港”と“竜の名を戴く古き町”は、間違いなく“神竜の加護ある町”の旧市街を示している。そこへ向かう次の船が出るまでの5日間ですべての準備を整えた。
いよいよ出立となる日は、兄と弟からくれぐれも頼むと見送られた。父と母は顔を見せなかったが、昨夜のうちに話はしてある。
「必ずエルヴィラを見つけて帰ってくる。
なに、あの子には戦神の加護がある。きっと無事で元気にいるはずだ」
もちろんだ、と頷くふたりに手を振って、オーウェンは船へと乗り込んだ。
10日もすれば目的の町へと着く。戦神のお導きがあるのだ、すぐにエルヴィラを見つけることもできるだろう。
ゆっくりと離れていく“深淵の都”を見つめながら、1年ぶりとなる妹との再会に思いを馳せる。
──“神竜の加護ある町”。
かつて、一千年ほどの大昔。
邪竜神の司祭に率いられた獰猛な赤竜とヒューマノイドの軍勢が押し寄せた。ひとびとは善戦したが旗色は悪く……あわやというそのとき、神の使いたる偉大なる竜の助力を得た聖騎士が現れ、邪竜神の司祭を打ち破り、町を救ったという伝説のある町だ。
長く続く遠浅の海岸に阻まれて良い港には恵まれなかったが、“大災害”により陸から海へと続く亀裂が走ったおかげで港もできた。ここ最近は船の行き来も増えているという。
ただ、その亀裂は大きく深く、まるで深淵へと続いているようだと言われていることだけが気になるのだが。
船を降りたオーウェンは、さっそく旧市街を目指す。
海から少し離れた場所にもとからあった旧市街と、新たな港を取り囲むように作られた新しい新市街のふたつの町からできているのが“神竜の加護ある町”だ。
オーウェンは、ここへ来るまでにも何度となく繰り返し反芻した戦神からの“助言”を、もう一度頭の中で繰り返す。
古き町にて最初に出会う金の髪の娘。
ふと見れば、この町は確かに金髪の者は少ないようだ。これなら、会えばすぐにわかるだろうとほっと胸をなでおろしながら、オーウェンは丘の上にある旧市街へと歩き続けた。
「で、どうして私に張り付いてるの? 私はあんたの妹じゃないっていうのに」
目の前で、金の髪の娘が、顔を顰めてみせる。
昨日はとうとう“金の髪の娘”は見つからず、念のためにと、自分のような鮮やかなオレンジ色の赤毛の女騎士や黒髪の吟遊詩人の話も聞き込んでみたが、結果は捗々しくなかった。
もしや神の助言の解釈を誤ったのか、それともまだ何かが足りないのか。
なんということかと気落ちしたまま、翌朝赴いた宿の食堂で、ようやく“金の髪の娘”を見つけたのだ。
さっそく向かいに座り、朝食を摂りながらあれこれと話しかける。神が“標となる”と断言したのだ。ならば、彼女は都を出てからのエルヴィラに関わる人物なのだろう。何度も席を立とうとする彼女を引き止めつつ、どうにかエルヴィラの話を聞けないかと探りを入れるが、彼女はいっそ不自然なほどに口を開かなかった。
「我が神に妹の行方の手掛かりを求めたところ、あなたに付いていれば難なく会えるとお応えくださったのですよ、お嬢さん」
「そんなこと私に言われたって、困るわよ」
そわそわと入り口を伺うような素振りを何度も見せながら、しかし口を噤んだままなのは、やはり何かを知っているということなのか。
笑みや快活な口調を崩さず、さらにあれこれと話しかける。我ながら必死過ぎるなと考えつつも、せっかく得た手掛かりを逃してはならないと、オーウェンは彼女に食い下がった。
年の頃はエルヴィラよりも幾分か下のようだが、いったいどのような関係なのだろう。オーウェンが内心首を捻っていると、急に彼女が安堵したような表情で息を吐いた。
振り返ると、長身の戦士のような身形の男が入ってくるところだった。
「もう、遅かったじゃない!」
「あ、ごめんごめん、ちょっと話が長引いて……って、これは?」
すぐにオーウェンに気づいた男は、目を眇めてじっとオーウェンを見つめた。
これは……と考えて、オーウェンはにこやかに一礼する。
「お嬢さんのお連れ様ですか。私はオーウェン・カーリス。戦神教会の司祭です。あなたはエルヴィラ・カーリスという騎士をご存知ではありませんか?」
単刀直入な物言いに驚いたのか、それともオーウェンの赤毛によく似た色をもつ人間に覚えがあったのか。
男の頬がぴくりと引き攣り視線が揺れる。
その表情を確認して、オーウェンはにこりと微笑んだ。
「やはりご存知でしたか。我が神より“助言”を得ておいてよかった」
「あ……」
「何してるのよ」
娘に小突かれて、男は諦めたようにひとつ息を吐き、やれやれと首を振る。
「知らねえよ……って言っても、納得しそうにない、よな?」
「はい、もちろん」
にっこり頷くオーウェンに、男は「あーあ」ともう一度溜息を吐いた。
「俺はアライト。こいつはイヴリン。で、何が聞きたいんだ?」
「エルヴィラ・カーリスの所在です。あの子はこの町にいるんですね?」
ふうん、と何かを伺うような表情でじっと自分を見つめるアライトに、オーウェンは小さく首を傾げる。
「何か問題でもあるのですか?」
「……あるって言ったら、どうする?」
頬杖を突き、ふいっと視線を外しつつ、アライトはぽそりと呟く。イヴリンはそんなアライトの上着を引っ張り、「ちょっと、何挑発してるのよ」と囁いた。
いったい何だというのか、と、オーウェンは目を細める。
「どのような問題かによりますが」
「エルヴィラな……たぶん、あんたが知ってた頃からずいぶん変わっちまったんだ。知ってたか?」
「……どういう意味ですか?」
「あいつ、堕天に触られたんだ」
「堕天、に……だと?」
目を見開いたオーウェンの顔から血の気が下がり、真っ白になる。
堕天とは、神々の御使いとして働いていた高貴なるものが、何らかの要因で悪魔にまで堕ちた存在を指す。
元が高位の高貴なる存在であればあるほど、堕ちた後の力も増すのだ。
そんなものに触られたというなら……。
「まさか、エルヴィラが……あの子が、“悪堕ち”したと、言うのか?」
悪しきものは存在するだけで力を持つ。
定命のものは、その悪しきものに触れられただけでその大いなる力に引きずられ、悪なるものへと堕ちてしまうのだ。
エルヴィラが“悪堕ち”した、というのであれば……高位の神職による“贖罪”を受けるよう説得し、神の断罪と許しを請わなければならない。
どうにか説得できればいいが、できなかった時には……。
「ねえちょっと、何怖い顔になってるのよ!」
くっきりと眉間に溝を刻んで考え込むオーウェンに、イヴリンが声を荒げた。
「アライトも! 悪堕ちって、あの子がそんなものになるわけないじゃないの。中途半端なとこでやめないで、ちゃんと説明しなさいよ」
「いて」
思い切りアライトの頭を叩くイヴリンの言葉に、オーウェンは我に返った。
「……では、何が変わったと」
「変わったのは見た目だけだよ」
「ほんとうに?」
「ああ、ほんとうだ」
肩を竦めるアライトに、安堵の吐息を漏らしてオーウェンは眉間の皺を消した。
「見た目だけ、ですか」
「あいつ、前は髪も目もあんたみたいな色だったろう。今は黒いし、目も赤い。他もあちこち変わったから、今の見た目だけなら立派な“悪魔混じり”だ」
アライトはじろりとオーウェンを見る。探るようにじっと見て、言葉を続ける。
「いちおう“三首竜の町”の太陽神教会の診立てでは、身体の“変容”だけで収まってる、と言われてる。ただ、この先どうなるかはわからんとさ」
「……身体だけで収まったのなら、大丈夫ですよ。あの子は強い子だし、私たちもいるのですから。みすみす堕天の思うようにはなりません」
「んー、本人もそう思ってればいいんだけどな。あいつ、あんな形になっちまって、もう都へは帰れないって思いつめてたこともあるんだ」
オーウェンが睨むように目を細めた。
「カーリスの家は戦神教会の司祭と騎士を輩出する家系なんだろう? そんなところに自分が出入りしたら、迷惑かけるってさ」
「……そんなことを? 我が家の誰が、エルヴィラを疎ましく思うというのだ!」
「だから、あいつが自分でそう考えたみたいなんだよ」
ぎり、と唇を噛み締める。
なぜ、自分はそんな大変な時に妹についていられなかったのか。やはり父の言葉など押し切って、ついて行くべきだった。
自分がその場にいることさえできれば。
「……それで、エルヴィラは今どこにいるんです?」
「んー……、領主の屋敷で兄さん、じゃなくてミーケルの護衛やってる」
「ミーケル?」
「ああ、吟遊詩人ミーケル」
オーウェンの眉間に、再びくっきりと皺が3本刻まれた。